第8話 神子
夕刻、俺たちの姿はスラム街レディエにあった。ティアラの話によると完成した贋作は特設市が終わった一時間後に教会で神父に渡すことになっていたようだ。
「もうすぐ約束の時間ですわ……」
例の贋作と絵巻物をバスケットに入れたティアラは俺と聖女を交互に見やり頷いた。
正直なところ信じられなかった。スラム街の神父と言えば家を持たない子供たちに住む場所を与えたり、食料を与える聖人と呼ばれる存在である。
大聖堂の変態修道士集団はともかく、この国においてスラム街の神父という存在は皆が尊敬する名誉ある職である。現にこの国では道徳を語るときにたびたびスラム街の神父の話は話題に上がるほどだ。
そんな神父が子どもを使って金を稼いでるなんて、それも聖女を侮辱するような絵巻物を模写させるなんて……。
いや、描いたの俺なんですけどねっ!!
そして聖女も大好物なんだけどねっ!!
いやいや、とりあえずそのことは今はおいといて……。
聖女さまもやはりまだ信じられなかったようだ。というよりは信じたくないと言ったほうが正しいか。
別にティアラの話を信じないわけではないが、やっぱり実際にこの目で見ないことには処罰はできない。ということで、こうやって現場を押さえることになった。
ティアラにおとりをさせるのは少し申し訳なかったが、聖女のいざというときは必ず身を守るということを言葉を頼りにおとりになってもらった。
教会へと歩いていく彼女のすぐ後ろを人払いの魔法で隠れた俺と聖女があとを追う。
そして、教会の前までやってきた。そして、教会の前では神父が街の人間と会話をしている。柔和な表情を浮かべて市民と会話を楽しむ神父はとてもじゃないが、悪事にを手を染めているとは思えない。
「し、神父さまっ!!」
ティアラは神父のもとへと駆け寄っていく。すると神父はティアラの存在に気づいたようだ。彼女に顔を向けると市民に何かを話して会話を打ち切ってこちらへと歩いてきた。
「やぁティアラちゃん、よくきたね」
そう言って神父はティアラの頭を撫でる。そんな神父の姿に俺と聖女は顔を見合わせた。
俺と聖女の考えることはきっと一緒だろう。
こんなことは考えたくもないし疑いたくもない。だが、この神父の表情を見てしまうと頭の中にわずかな疑念が浮かばずにはいられない。
ティアラは嘘を吐いるのではないか……。自らの罪から逃れるために罪を神父に擦り付けているのではないか……。
あの時のティアラの表情は嘘を吐いているようには見えなかった。
だがそれだと矛盾するのだ。どちらかが偽りの表情を浮かべていなければこの話はつじつまが合わない。
だからこそ俺も聖女も動揺しているのだ。
「さあ中にパンとスープがあるよ。今日も神の恵みに感謝して一緒に頂こう」
「は、はい……ですわ……」
と、神父に連れられてティアラは教会内へと連れられて行く。俺たちもその後を追った。
ティアラを連れて教会内に入った神父はその後も柔和な表情を浮かべたままで礼拝に訪れた市民たちに軽く挨拶を交わして礼拝堂のさらに奥へと歩いていく。
そして、礼拝堂のわきにある小さなドアを開けるとそこにティアラを通した。俺たちはドアが閉まる前に慌てて体を滑り込ませる。
どうやらさらに奥まで廊下が続いているようだ。
そして、ガチャリとドアが閉まったその時だった。それまで道徳的模範たる柔和な笑みを浮かべていた神父の表情に影が差した。
「例の物は確かに持ってきたんだろうな?」
「も、持ってきましたわ……ですから早く妹を――」
「それは商品を確認した後だ」
そう言って神父はティアラの腕を乱暴に掴むと奥へと引っ張っていく。そのあまりの豹変ぶりに俺は言葉を失う。そして聖女もまた目を見開いてその惨状を眺めていた。
俺たちは愕然としながらも神父の後を追う。
「い、痛いですわ……。もう少し優しく掴んでくださいまし……」
と、表情を歪ませるティアラだが神父は返事をしない。そんな神父を見て、俺は今すぐにでも背中を蹴とばしてやりたかったが、聖女に腕を掴まれる。
「リュータさま、我慢してください。それにティアラさんの妹さんだってまだ安全ではないのです……」
「だけど」
「リュータさま」
どうやら俺の怒りは表情に出ていたようだ。聖女は俺を見つめたまま静かに首を横に振った。
「悪かった……です……」
俺は一度深呼吸をすると呼吸と一緒に怒りを吹き出す。たしかに聖女の言う通り、まだ妹がどこにいるかもわからないのだ。ここはぐっと気持ちを抑えて先に妹を解放させなければならない。
どうせ俺たちは神父に姿を見られないのだ。捕まえるのはその後でもいい。
俺たちはそのまま神父の尾行を続けることにした。
神父は突き当りまでやってくると、ポケットからカギを取り出して目の前の鉄製のドアのカギを開けた。そして、ティアラを部屋の中に押し込むと自らも部屋に入った。
俺たちがドアの隙間に体を滑り込ませる前にドアを閉めるとガチャリと室内から施錠してしまう。
「お、おいリーネさま、入れないですよ?」
カギの閉まった鋼鉄製のドアを眺めながらそう尋ねると、聖女さまは「問題ありません」と一言、ぶつぶつと呪文を唱え始める。すると、彼女の胸から光の紐のようなものが飛び出すとするりと鍵穴へと入っていき、ガチャリとカギの開く音が聞こえた。
嘘だろ……。
と、あっさりとカギを破る聖女さまに唖然としていると、彼女は「入りましょう」と神父の目も気にせずドアを開ける。
「お、おい……」
あまりにも正々堂々と扉を開ける聖女に、思わず声を掛けるが「問題ありません」と聖女は答える。
中に入るとそこには8畳ほどの狭い部屋が広がっていた。そして中央の木製のテーブルを挟むようにしてティアラと神父が座っているのが見えた。
だが、二人ともドアが開いたにもかかわらずこちらへと顔を向ける様子はない。
「彼らは私たちの立つ空間そのものを認識できません」
「ホント便利な魔法っすね……」
と、前世でホント悪用したくて仕方がない羨ましい魔法に感心しながらも、そんなことを考えている場合でもないことも理解し部屋の角に立つと二人を見守る。
するとティアラはバスケットをテーブルに置いて、そこから例の絵巻物と紙束を取り出した。神父はそんなティアラの小さな手から二つをふんだくると絵巻物を懐に入れて、紙束を無言でペラペラと捲る。
そんな光景を見て俺は昔、とある漫画雑誌を編集に持ち込みに行ったときのことを思い出した。
いや、そんなこと思い出してる場合じゃないか……。
「確かに全て描き写しましたわ。早く賃金を渡して、ミリアを返してくださいまし……」
ティアラは怒りに満ちた表情で神父を睨んだ。だが、神父は何も答えずに紙束を捲る。
「神父さま、聞いておりますのっ!?」
「うるせえなっ!! ちっとは黙って待ってられないのか? これだから物分かりの悪いガキは嫌いなんだ」
ひっでぇ……よくもこれで神父を名乗れるもんだ。そんな神父の横柄な態度に、今すぐにでも掴みかかりたい衝動に駆られる。
が、まだだ……。
歯がゆさを感じながら下唇を噛みしめる。わずかに鉄っぽい味が口の中に広がった。
隣の聖女を見やった。聖女は無表情のままただ黙って二人の会話を眺めていた。
俺はもう一度深呼吸をして再び二人へと視線を戻す。
神父はただ黙って渡された紙束を入念に確認していた。が、どうやら全て確認をし終えたようで、テーブルに置かれていた封筒のような紙袋に紙束を入れた。
「賃金とミリアを……」
とティアラが言うと、神父は「ああ、そうだったな」と言って懐に手を突っ込むと何かを取り出してテーブルの上に置いた。
数枚のコインだった。
「話が違いますわっ!!」
と、コインを見たティアラはバンとテーブルを叩く。
「こ、こんなお金じゃ、パンしか買えませんわっ!!」
「よかったじゃないか。今日の空腹はしのげるな」
なんとなくそんな予感はしていた……というのが正直なところだ。このあくどい神父がそう易々と大金を払うとは思えない。それに神父は妹を人質に取っているのだ。ティアラは完全に足元を見られている。
「酷いですわっ!! これを描くためにわたくし一ヶ月近くも睡眠を削って頑張ったんですわっ!! そ、それなのにこんなお金じゃっ」
「ほう……これで満足できないのか?」
「できるわけありませんわっ!!」
「これで満足しないというならミリアは返せないな」
「そ、そんなっ!?」
そのあまりにも薄情な神父の言葉にティアラは身を乗り出した。が、ティアラも妹のことを引き合いに出されるとそれ以上何も言えない。
ぐっと握りこぶしに力を入れてからテーブルのコインを掴んだ。
「わ、わかりましたわ……では早くミリアを解放してくださいまし……」
コインをポケットに突っ込むと怒りを抑えるように彼女は呟いた。
そんな彼女に神父はニヤリと笑みを浮かべると、再び懐に手を入れる。そして何かを取り出すとテーブルに置いた。
「こ、これは……なんですの?」
そこに置かれたのは絵巻物だった。だが、さっきの物とは違う。
「来月までにそれを写せ。紙はまだ余ってるだろ? そしたらあのしょうべんくさいガキでもなんでも返してやるよ」
神父は立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいましっ!! 話が違いますわっ!!」
と、ティアラは慌てて神父に縋りつく。が、その直後、神父は「触るなっ!! 汚らわしいっ!!」とそんなティアラを突き飛ばす。
ティアラの小さな体が板張りの床に転がった。神父はそんなティアラを心配する様子もなく部屋を出て行こうとドアノブへと手を伸ばした。
その時だった。
「汝、それでも誓いを交わしし我が
と、低い女の声が室内に響く。その声に神父の動きがぴたりと止まった。
親父はこちらを振り向くと驚いたように目を見開く。
「せ、聖女……さま?」
と、神父が疑問を口にしたその直後、背後から凄まじい速度で無数の光の糸が神父へと目がけて伸びた。そのあまりの眩さに神父は目を手で覆うが、その糸は神父の首にぐるぐるとまとわりつくと一本の太い光のロープになり神父の首を締めあげた。
「ぐぐぅっ…」
と神父は慌てて首に巻かれたロープを掴むがロープはびくともせず、それどころか神父の体はそのまま空中へと締め上げられる。
と、そこでコツコツと足音を立てながら聖女が神父のもとへと歩み寄る。その瞳は少なくとも俺もこの王国民も見たこともないような憎悪に満ちていた。
「り、リーネ……さま?」
と、名を呼ぶが彼女の耳には入らない。彼女はただただ憎悪の表情で神父を見上げるだけだった。
少なくとも彼女は俺の知っている大聖女リーネではなかった。
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