第9話 万事解決のはず
何が起きているのか理解できなかった。わかることは神父が光のロープで首を締めあげられ、聖女がそんな神父を憎しみにまみれた表情で睨みつけているということだけ。
そんな光景をかける言葉も見つからずに、ただ茫然と眺めることしかできなかった。
「汝は何のために、励み謹んできたのだ。汝は何のために神を敬い、自らを律してきたのだ。汝の励み慎み敬い律したもののがこのざまかっ‼︎」
聖女は叫び、彼女から発せられた光はまるで彼女の腕のように神父を掴み壁へと放り投げる。すると神父の体は人形のように壁に打ち付けられて落下した。
祭服が破れ肩口が露わになった神父は歩み寄る聖女に恐れ戦き、壁に背中を付けたまま震えていた。
なんて無様なんだ……。これがスラム街の貧しき子供たちを救ってきたと評された神父の姿だ。
きっとこれまで何年も神父として勤しんできたのだろう。
だが、どこかで道を誤った。そしてお天道様は間違いなくそれを見ていた。そして、神は人の姿を借りて愚か者に天罰をくだしたのだ。
大聖女リーネは神の器として、もっともふさわしい存在だったのだろう。
「この者の妹にいったいどのような罪があるのでしょうか? それは自由を奪われるほどの罪なのでしょうか? 神父であるあなたであればわかるはずです。あなたはイオネスですか? それともオルゲですか?」
聖女は聖典に描かれた二人の使徒の名前を口にした。
宗教に疎い俺でも知っている名だ。何せこの王国に生まれた者は子どものころに、聖典のことは近所の自称牧師から嫌というほど叩き込まれるのだ。
イオネスはもっとも神に忠誠を誓ったものとして、オルゲは忠誠を誓いながらも、私利私欲に溺れ神を裏切った者として。
「あなたの神子として最も正しいことをしなさい」
もちろん俺たちが求めることは一つである。ティアラの妹を解放しろだ。
神父は震えていた。だが彼の聖女を見つめる瞳が徐々に正気を取り戻し始めているのがわかった。
俺にはこの男がこれまでどれほどの罪を重ねてきたかなんてわからない。だけど、信仰心なんて欠片もない俺にだって彼が神の片りんに触れて悔い改めようとしていることはわかった。
「大聖女リーネさま、私は神の御子として彼女の妹を解放しましょう。そして、私の懺悔すべき罪の全てをあなたにお話ししましょう」
そう言って神父は彼女の前に跪くと忠誠を誓うように頭を下げた。
「まず、この者……ティアラの妹は地下室にいます。地下へと続く扉はその戸棚の裏側にございます。扉を開けるカギは――」
「その必要はありません」
確かにそうだ。何せ聖女はこの部屋の施錠された扉を開いて見せたのだ。
「それよりもお教えください」
「はい、なんなりと」
「これはあなたがあなた自身の意志で行ったことですか?」
つまり共犯はいるかと聞きたいのだろう。そんな聖女の問いに神父は頭を下げたまま「申し上げます」と答える。聖女はそんな彼に「頭をお上げください」と言う。
神父は頭を上げると聖女の瞳を迷うことなく見つめた。そして、口を開く。
「私は――」
が、話し始めようとした直後、神父は絶句する。
「いかがなさいましたか」
「話せないのです」
話せない? 俺にはその言葉の意味が分からなかった。俺の目から見てもこの男が改心している……いやしようとしているのは明らかだった。なのに、男はそのまっすぐな瞳を聖女に向けたまま絶句した。
「話せないというのはどういうことですが?」
当たり前だが聖女はそう尋ねる。神父は聖女を見つめたまま「話せないのです」と理由になっていない理由を口にした。
そんな神父を聖女はしばらく眺めていた。が、ふいに「わかりました。話せないのですね。ではかまいません」とあっさり神父から話を聞き出すことを諦めた。
「お、おいおい、リーネさま……いいんですか?」
「かまいません。この者には話せないのです。これ以上、彼に尋ねたところで意味がありません」
「意味がない?」
「意味がないのです。それはこの者の意志とは関係ありません」
そう言うと聖女はティアラのもとへと歩み寄った。
「ティアラさん、あなたはこれでいいですか? 賃金のことはお気の毒ですが、あなたにもその罰を受ける理由があることを自覚しているはずです」
聖女さまの言葉にティアラは「はい、私は過ちを犯しましたわ。ミリアさえ無事であればそれ以上は求めませんわ」と答える。そんなティアラの言葉に聖女はにっこりと微笑むと「あなたは心優しいお方ですね。あなたに神のご加護を」と掌をティアラへと向けた。
※ ※ ※
結局、神父の言うようにティアラの妹、ミリアは地下にある隠し部屋にいた。幸いなことに体に目立った外傷や体調不良もないようだ。どうやら食事はきちんと与えられていたようだ。
神父がこの後どうなるかは知らないが、聖女曰くこのことは大聖堂に知らされしかるべき処分が下されるようだ。
これにて一件落着……と言いたいところだが、俺はすっかり忘れていた。
聖女の見せたあまりの神聖さに俺はすっかり忘れていた。
この聖女がド変態だという事実を……。
教会を後にした俺と聖女さまとティアラとその妹ミリア。ティアラとミリアは「「ありがとうございました」」と何度も何度も聖女さまに頭を下げていた。
救出されたミリアは銀色の髪を持つ小学生ぐらいの年齢の少女で、美少女ではあるがティアラとはあまり似ていなかった。もしかしたら彼女の言う妹というのは何も血のつながりだけを表す言葉ではないようだ。
だが、ぺこぺこと頭を下げる仕草はそっくりである。
そんな二人に聖女は「よかったですね」とにっこり微笑んで彼女たちの問題解決を喜んでいた。
が、彼女たちがお礼を言い終えたところで、その妙に愛らしい笑みでこう言った。
「ではその二つの絵巻物と、ティアラさんの描いた贋作は聖女として責任を持ってお預かりします」
「リーネさま?」
「リュータさま、私は今このお二人とお話をしています」
要は余計な口出しをするなということらしい。
そして、ティアラとその妹ミリアは事情も知らない。ティアラは何も疑う様子もなく「はい、聖女さまにお預けすれば安心ですわ」とあっさり絵巻物と贋作の入ったバスケットをそのまま聖女に手渡した。
おい、騙されてるぞっ!! ティアラ、よく聖女の顔を見てみろ。目の前の聖女はさっき神父を改心させた聖女とは別物だ。
この女は聖女のくせに性に貪欲なド変態女だ。
だが、俺の想いは届かない。ミリアは「聖女さまにお預けすれば安心だね」と姉を見上げ、ティアラもまた「間違いないですわね」と微笑み返した。
間違いですわよっ!!
「ところでティアラさん、これからどうするおつもりですか?」
と、そこで聖女がティアラに尋ねた。
「どうする……とはどういうことですの?」
「ティアラさんは絵を生業とされていると伺いましたが、これからもこの街で絵描きをお続けになるのですか?」
「え? ええそのつもりですわ……。私の絵を売っていつかはミリアを学校に通わせるつもりですわ」
と、ティアラはどうしてそんなことを尋ねるのかと少し不思議そうにそう答える。
聖女はそんなティアラの両手を優しく掴むと彼女をキラキラとした瞳で見つめる。
「もしもティアラさんがよろしければ、大聖堂で絵を描いてみませんか?」
「大聖堂で絵を描くのですか?」
「リュータさま、あくまで素人目ではありますが、彼女の絵の腕前はあなたがまさに求めるものではないですか?」
「あっ……」
と、そこで俺は今日の本来の目的を思い出す。
そうだ。そもそも俺たちは今日アシスタントを探すために特設市へとやってきたのだ。そして、ティアラという俺のアシスタントとしてこの上なく相応しい技量を持った少女を見つけた。
ここで彼女をアシスタントとして雇わない手はない。
「も、もちろん…能力は十分です」
たしかティアラはさっきあの贋作を一ヶ月で仕上げたとかなんとか言ってたよな。あのレベルを一ヶ月で仕上げたとなるとかなりの戦力になるはずだ。
が、
「そ、それはそうですが……」
「なにか不安なことがあるのですか?」
とそんな俺の煮え切らない答えに聖女は首を傾げる。
どうやら、この変態聖女は気づいていないようだ。
そもそもティアラは聖女さまを侮辱する絵を描いて、金品を得ようとしたことを悔いていたのだ。
そして聖女がティアラに提案しようとしていることは、賃金を貰って聖女を侮辱するエロ漫画を描くことだ。
「リュータさま、何か思うことでもあるのですか?」
と、聖女さまは俺に笑顔で尋ねる。が、その眼光は鋭く何かを俺に訴えている。
黙ってティアラを雇え……ということらしい。
「い、いえ……何もございません……」
「そうですか。それはよかったです」
と、聖女はそう答えると再びティアラに顔を向ける。
「どうですか? 聖堂でリュータさまのもとで絵描きとして働いてみませんか?」
「あ、ありがたい言葉ですわ……ですが、私などに務まりますの?」
どうやら彼女は自分の求められた仕事を大きく勘違いしているようだ。
ティアラは俺を見上げる。
「りゅ、リュータさんは大聖堂で絵描きとして働いてますのっ!?」
と、何やら目をキラキラさせながら俺を見つめてくる。
あーなんか勘違いが肥大していくのが手に取るようにわかる。
「そ、そのリュータさんは聖女さまの絵画なんかも描かれていますのっ!? じ、実は私いつかは聖女さまの絵画を描きたいと思っていますのっ!!」
あ、その願い……多分すぐに叶うぞ。
「ま、まあな……」
「凄いですわっ!! 今度私にも見せてくださいましっ!!」
いや、もう見てるし……なんなら侮辱的な絵だとかなんとか言ってたし……。
と、収拾のつかない勘違いに俺が戸惑っていると元凶変態が口を挟む。
「あなたは彼女に学問を学ばせたいとおっしゃっていましたね?」
「え、ええ……そうですわ……」
「それでは彼女を大聖堂で修道女として働かせるのはどうですか?」
「修道女……ですの?」
とティアラは首を傾げる。
「ええ、聖堂での修業は決して楽ではありませんが、修行の中で神学だけではなくあらゆる学問について学ぶことを求められます。おそらく学校で学ぶようなことは全て学ぶことができるはずです。それに賃金も多くはないですが出ますし、悪い選択ではないと思いますが」
と、そこでティアラはミリアを見やる。
「ミリアはそれでよろしいの?」
と尋ねるとミリアはにっこりと微笑んだ。
「私、神様のお勉強したいっ!!」
「では決まりですね。ご安心ください、衣食住に困ることはありませんし、ティアラさんやミリアさんがお望みであれば、いつでも二人はお会いできますよ」
「で、ですが私たちのようなどこの馬の骨ともつかないようなものが――」
「関係ありません。神の前で我々人間は平等ですので、お望みであればいつでも門戸はひらかれていますよ」
そんな聖女の言葉にティアラは「はわわっ……」と感銘を受けたように目を輝かせた。
かくして神父に騙された貧民街の心優しき少女は、今度は聖女に騙されて俺のアシスタントとなった。
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