第1話 英雄への軌跡は牢獄から始まる

「これを描いたのは貴様だなっ!!」


 ミナリア王国の王都ガルナの北西に位置するホスタリン大聖堂。その地下牢獄に俺の姿はあった。


 拘束椅子に縛り付けられた俺を取り囲むように無数の修道士たちが立ち俺を睨みつけている。


 前世の記憶を頼りに聖女モノのエロ漫画を描いて売りさばいたこと。


 それが俺の犯した罪だ。


 俺の前に立つ修道士は絵巻物を俺に見せつけて怒りに興奮しているのか顔を耳まで赤くしている。


「この絵は聖典に描かれた『神を欺いた聖女の末路』の一節を描いた崇高な絵画です。あなたは聖典を元に描いた絵画を卑猥で聖女を侮辱する絵だとおっしゃるのですか?」


 この王国では卑猥な絵を作成、所持、販売すること、さらには国民の象徴である聖女を侮辱することは処刑に値する大罪である。


 俺が罪を認めてしまったら即刻、斬首か火あぶりである。


 だから俺は罪を認めるわけにはいかない。かなり苦しい言い訳だとわかっていてもそれで乗り切るしかないのだ。


 そんな俺の態度に修道士は「な、なんだとっ!!」と怒り狂うように声を荒げた。


「これは卑猥な絵画だっ!! それ以上でも以下でもないっ!!」


「いや、神聖な絵画ですっ!!」


「卑猥だっ!!」


「神聖ですっ!!」


 と、真面目な顔で絵巻物に描かれた聖女がエロいかどうかを言い合う俺たち。


「神聖な存在さまがオークのような汚らわしき存在に辱められているんだっ!! これを卑猥と呼ばずして何を卑猥だと言うんだっ!!」


 俺は罪から逃れるために神聖だとか言っているが、実際のところ修道士の持つ絵巻物に描かれた聖女さまは卑猥でしかない。


 いや……我ながらめちゃくちゃエロく描けてるわ……。


 ブロンドの髪に瑠璃色の瞳、さらにはゆったりした祭服なのにはっきりとわかる胸の大きな膨らみ。その絵巻物ではそんな美しい聖女が手足を縛られて、今まさに自分を襲おうとしているオークたちを恐怖と憎悪、さらには羞恥の表情で見上げている。


 ついでに『ぶ、無礼者っ!!』という吹き出しのおまけつき。


 だからこそ聖女に仕える修道士たちの怒りは収まりそうにない。


「下劣で卑猥な絵だっ!! お前らもそう思うよな?」


 と、そこで男は周りの修道士に同意を求めた。


 いや、なんでこいつ同意を求めてるんだよ。


 どうやら他の修道士たちもそう思ったようで、彼らは少し動揺した様子で男を見やったが『ぼくも卑猥だと思いますっ!!』『俺も卑猥だと感じましたっ!!』と小学生レベルの同意をした。


 状況は絶望的だ。


 正直なところ金に目がくらんだという以外に弁明の余地はない。


 俺リュータ・ローは田舎町に住む農夫だ。


 農夫だから作物を育ててそれを売って生計を立てていたのだが、昨年の不作で巨額の借金を背負うことになった。そんなとき、ガルナの闇市では密かに春画が高値で売買されているという噂を聞きつけたのだ。


 もちろんそれが処刑に値する罪であることは理解していた。だが、借金取りからの取り立てにリスクを承知で罪に手を染めてしまった。


 その結果、俺の聖女モノのエロ漫画はめちゃくちゃ高値で取引された。しかも、驚くことに取引を重ねるごとに、需要はさらに拡大していき、ついにはこの聖堂の中にも俺のエロ漫画をご所望する不届き者が現れた。


 今になって考えてみればデカすぎる釣り針だったと思う。


 だけど、通常の十倍近い報酬という誘惑には勝てなかった。調子に乗った俺は以前に趣味でこっそり描いていた物も含めて何度も聖堂に聖女さまのエロ漫画を納品した。


 その結果がこのざまである……。


 決して罪を認めない俺を男はしばらく睨みつけていたが、不意にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「お前の行いは処刑に値する。それでもお前が罪を認めないのであれば強制懺悔をしてもらうしかないな」


 鈍感な俺でもその強制懺悔という催し物が穏やかなものではないことは理解できた。


 その物騒な言葉にさすがに動揺する俺だったが、修道士たちは俺の拘束具を取り外すと、俺の腕を掴んで牢獄の外に引きずり出そうとした。


「おいっ!! 何すんだよっ!! 放しやがれっ!!」


 もちろん修道士たちは俺の言葉に耳を傾けたりなどしない。


 だが、俺が牢獄から連れ出されようとしたその時、


「ロレンス筆頭修道士っ!!」


 と、牢獄の外から女性の声がした。その直後、修道士たちは突然動きを止めて慌てた様子で牢獄の外を見やった。


 そこにはブロンドの髪を靡かせて、瑠璃色の瞳をロレンスと呼ばれた修道士に向ける美しい少女の姿があった。


 彼女はこのミナリア王国の大聖女リーネである。


 以前に大聖堂のバルコニーに立つ彼女を遠目で見たことはあったが、こうして間近で見るのは始めてだ。近くで見た彼女はまるで俺のエロ漫画から飛び出したような美貌を持っており、全身から神聖さと清らかさを醸し出している。


「せ、聖女さまっ!?」


 と、ロレンスと呼ばれた修道士は叫んだ。その直後、修道士たちは慌てた様子でその場に跪いた。俺もまた彼らに強制的に跪かされる。


「これはなにごとですか?」


 聖女さまは尋ねた。その表情からはわずかに怒りのようなものを感じる。聖女の言葉に修道士たちは頭を下げたまま何も答えない。


「私の言葉が聞こえませんでしたか? これは何事かと聞いています」


「そ、それはその……大罪を犯したこの者を連行していたところでございます」


 と、そこでロレンスは聖女さまに事情を説明した。


「大罪……それは具体的にどのような大罪なのですか?」


 そんなロレンスに彼女は尋ねる。すると彼は少し困惑したように周りの修道士たちと顔を見合わせる。


 そりゃそうだよな。この男は聖女さまのエロ漫画を描いた罪で連行しました、なんて本人には言いづらい。


 なかなか返事をしないロレンス。と、そこで聖女さまは彼の持つ絵巻物に視線を落とした。


「それはなんですか?」


「え? いや、これは……」


「私に見せられないような物なのですか?」


「これはこの者が描いた絵巻物でございます。この者は聖女さまを侮辱するような絵を描いて囚われたのです」


「侮辱的な絵……ですか……。それはどのような絵なのですか?」


「え?」


 と、聖女の言葉にロレンスは額に冷や汗を浮かべる。


 あなたさまがオークに襲われて『無礼者っ!!』って言ってるイラストですよ。なんて口が裂けても言えない。


 だが、それでも聖女は一歩も引かない。


「この者が私を侮辱して処刑されるのであれば、私は聖女としてこの者が本当に私を侮辱したのか見極める必要があります。その絵巻物をお見せください。それとも見せられないわけがあるのですか?」


 ロレンスは困っているようだった。だが、そう命令されて断れるわけもなく「しょ、承知しました」と絵巻物を聖女に差し出した。


 聖女は絵巻物をロレンスから受け取ると、おもむろに絵巻物を開く。


 あーやべえ……とんでもない物を聖女に見られてるわ……。こんなもん聖女本人に見られたら何も言い逃れができる自信がねえ。


 本物の拷問よりも拷問だ。


 だが無情にも聖女は開かれた絵巻物に視線を落とした。


 そ、そして……。


「こ、これは……」


 と、聖女はそこに描かれた卑猥なイラストに頬を真っ赤にして目を見開いた。


「リーネさま、そのような物をご覧になられるのはやはり――」


「よ、よいのです……」


 と、聖女は答えるものの動揺は隠しきれていない。彼女は口元を手で隠すと「んんっ……」とわずかに体をビクつかせた。


 こんなときになんだけど……なんかエロい……。


 瞳を僅かに潤ませながら絵巻物をじっと見つめる聖女さま。


「あ、これ凄いです……」


 おい、今なんか凄いって言わなかったか?


 いや、でも普通に考えて聖女が俺の絵を見て凄いとかいうはずない。このお方はこんな低俗なイラストとは対極にいる人なのだ。


 きっと凄い不快とかそういうことだろう……。


「り、リーネさま?」


 と、そこで修道士が聖女を呼ぶと彼女はふと我に返ったように修道士を見やった。


「確かにこれは少々変わった趣向の絵巻物ですね」


「ではどうかここをお通しください」


「それはなりません」


「り、リーネさまっ!?」


 と、修道士は慌てて顔を上げた。そりゃそうだ。何をどう見てもこの絵は極刑に値するイラストだと俺ですら思う。


「その者の身柄は私が引き受けます」


「聖女さま、どういうことですか? 理解に苦しみます」


「私はこの者に懺悔の機会を与えます。そして罪を認めれば聖女としてこの者を正しい道へと導きます」


 おいおいどういうことだ? 俺は困惑する。なんとなくだが、この聖女の言葉は俺に寛大な処遇を求めているように聞こえる。そして修道士たちにもそう聞こえたようだ。


「リーネさまっ!! ですがこの者の犯した罪は死をもって償われるべき――」


「ロレンス筆頭修道士。あなたが夜な夜な保管庫からこの絵巻物をたびたび持ち出していると司教から窺っているのですが、それは事実なのですか?」


 と、そこで聖女はわずかに鋭い目をロレンスへと向けた。そして、ロレンスはその言葉に露骨に狼狽したように目をきょろきょろさせる。


「そ、それはその……」


「その理由をお伺いしてもよろしいですか? あくまで噂ですが、あなたは金品を受け取って、この絵巻物を秘密裏に修道士たちに読ませていると伺っていますが」


 おいおい……どういうことだ……。俺はロレンスとやらに顔を向ける。


すると、ロレンスは一度俺を眺めて……俺から顔を背けた。


 おい、どういうことだっ!! なんで俺から顔を背けたっ!!


 次に他の修道士たちも見やる……が、彼らもまた何やらバツの悪そうな顔で顔を背けた。


 おいおいっ!!


 待て待て。こいつらもしかしてこっそり俺のエロ漫画を回し読みしてんのか?


 こいつら全員、俺の隠れファンなのか?


 その衝撃的な事実に頭が追いつかない。だけど、そんな俺がもしも彼らに掛けられる言葉があるとしたらそれは……。


 本作をご愛読いただきありがとうございますっ!!


「どうなのですか?」


 と、聖女は修道士たちに尋ねる。そしてむっつりスケベ修道士集団は何も答えられずに黙っていた。


「ロレンス筆頭修道士、この者の身柄を私に預からせてはいただけませんか?」


 ロレンス変態修道士はそんな聖女の言葉にしばらく黙っていたが、観念したのか「仰せのままに……」と答えて立ち上がった。そして、他の修道士たちを引き連れてぞろぞろと牢獄から出て行ってしまった。


 なんかわからんけど俺は解放された……。


 そして牢獄は俺と聖女の二人きりになる。困惑する俺に聖女が歩み寄ってくる。そして、彼女は俺の両手を真っ白い手で包み込むように触れると俺の顔を覗き込んだ。


 可愛い……とんでもなく可愛い……。間近に迫った聖女のその顔に俺は頬が熱くなるのを感じた。そして、聖女は何やらキラキラした瞳で俺を見つめるとこう言った。


「あなたにお会いできて嬉しいです。リュータ・ローさまっ」


 彼女は俺の名前を知っていた。

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