第35話 一人の聖女見習いの決意

 リュータ・ローとティアラ、それから何も知らない子どもたちが国を守るために戦っている最中、大聖堂のバルコニーで聖女は幾万もの兵を一人で相手していた。


 大聖堂目がけて投擲される無数の火炎玉や光槍玉こうそうだまの数々を光のシールドを張って跳ね返していく聖女。さすがは一人で一個師団の力を持つ大聖女である。これだけの兵力をもってしてもシールドを破り聖堂に侵入することは容易ではないのだ。


 だが、


「んんっ……」


 だが、この世には多勢に無勢という言葉も確かに存在する。少なくともリュータ・ローが前にいた世界には存在した言葉だ。いくら聖女の力をもってしても、これほどの軍勢に一気に攻められればかなりつらい戦いを強いられる。


 それでも聖女見習いたちがそばに立って助力する。


 そして聖女見習いアセリアもまた他の見習いと同じように、歌を歌って心を共鳴させて魔力を送っていくのだ。


 聖女の背中を眺めながらアセリアは思う。


 本当に勝てるのだろうか? 先ほどから聖女の表情はどんどん険しくなっている。こんなことは考えたくないが、このシールドだってあとどれぐらい持つかはわからない。


 そのために自分の全てを聖女さまに捧げるように、魔力を送っているが、それだってもうすぐそこを付いてしまいそうだ。他の見習いだって似たような状況だと思う。


 そして、そんな自分たちの限界に聖女さまも気がついているようだった。彼女は両手を前に突き出して、必死に投石器の攻撃を抑えながらもこちらを振り返った。


「皆さん、一度休憩にしましょう。ここは私一人でなんとか堪えますので、あちらでしばらくお休みください」


 本気で言っているのだろうか?


 アセリアは我が耳を疑った。今、自分たちが助力を止めれば、負担は全て聖女さまが被ることになるのだ。そうなってしまってはいつシールドが破れてしまってもおかしくない。


「ですが、このままでは聖女さまの体力が持ちません」


 アセリアの隣に立つ聖女見習いユーナが代表して聖女を心配する。


 が、そんな自分たちに彼女はあろうことか笑みを浮かべる。


「私はかまいません。少しであれば私一人で堪えられます。これからまだまだ苦難は続きます。今のうちに体を休めて、さらなる苦難に備えてください」


 きっと聖女だって自分の苦境を理解しているはずだ。それでもなお、彼女は自分たちを休ませた方がいいと思ったのだろう。


「…………」


 だが、それでも彼女たちははいそうですかと休む気にはなれなかった。休んでいる場合ではないのだ。そんな自分たちに聖女の表情は険しくなる。


「みなさん、私からのお願いです」


 これは提案ではない。命令なのだ。聖女を束ねる上官として自分たちに休めと命令をしている。そのことを理解してしまった以上彼女たちにはそれを拒むことはできない。


「わ、わかりました。すぐに戻ってまいります。皆さん、聖女さまのお言葉に甘えさせていただきましょう」


 そう言ってユーナは自分たちを眺めた。アセリアたちはそんなユーナの言葉に顔を見合わせて静かにうなずいた。


 ユーナを先頭に隣の部屋へと移動する。もちろん、その理由は聖女さまの瞳に休んでいるところを映らせないための配慮だ。


 そんなアセリアたちに聖女さまは言う。


「だ、大丈夫です……。ポーションが奥の部屋に少し残っています。それを飲んで英気を養ってくださいっ!!」



※ ※ ※



 というわけで隣の部屋にやって来た聖女見習いたち。わずか数本のポーションをユーナが手に取ると、それを見習いたちに回していく。


 これで少しは魔力が回復するはずだ……けど、いったいこの攻防はいつまで続くのだろうか。いや、攻防というよりは防戦なのだが、終わりの見えない戦い彼女たちの表情は不安に満ちている。


「どうしよう……このままじゃ聖女さまの体が持たないです……」


 と、そこで見習いの一人が思わずそんなことを口にすると、堰を切ったように他の見習いたちも不安を口にし始める。


「が、ガルナの街はどうなってるのかなぁ……。パパやママは無事なのかしら……」


「どうしようっ!! 私たち殺されちゃうのかなっ!?」


 頭に浮かぶのは不安ばかりだ。それはアセリアも同じである。だが、そんな見習いたちにユーナは柔らかい笑みを浮かべて、彼女たちを安心させようとした。


「そんなこと考えちゃだめよ。聖女さまが頑張っておられるの。信じなきゃダメよ。きっと我らの主は私たちのお味方になってくれるはず」


「だ、だけど……もう私、これ以上頑張れないよぅ……」


 だが、ユーナの励ましは彼女たちの心には響かない。目の前には幾万もの兵士たち。嫌でも防衛線が破られた後のことを考えずにはいられないのだ。


 思わずそう弱音を吐いてシクシクと鳴き始めるティキのもとへユーナは歩み寄ると、彼女の艶やかな髪を優しく撫でる。


「大丈夫よ。聖女さまがきっと守ってくれるわ。それに私だってあなたたちと一緒に戦う」


 そんなユーナとティキを眺めながらアセリアもまた不安に駆られる。そんなアセリアを見てユーナはポーションのボトルを彼女に差し出した。


「アセリア、あなたもこれを飲みなさい」


 せっかくの提案だが、アセリアはポーションを飲む気にはなれなかった。


「わ、私は飲んでも力になれないし……。みんなで分けた方が聖女さまのお力になれるよ?」


 リュータ・ローの前ではいつも見栄を張っているアセリアだが、聖女見習いの中で彼女は圧倒的な劣等生だ。正直なところ、いつ戦力外と言われてもおかしくない状況なのだ。


 そんな自分のために残り少ないポーションを使うよりも、他の女の子たちで分け合ったほうが聖女さまをお助けできる。アセリアはそう思ってしまう。


 だから彼女はポーションを受け取ることはしない。だけど、そんな彼女にユーナはまた優しく微笑むと彼女を手招きする。


「ほら、こっちにいらっしゃい」


 という言葉に彼女は思わずユーナのもとへと歩み寄ると、彼女はアセリアをギュッと抱擁した。


「あなたは自分のことを卑下しすぎよ。確かにあなたの成績は芳しくないときもあるかもしれない。だけど、私たちはあなたのことを欠かせない仲間だと思っているわ。もっと自分に自信を持つのよ」


 ユーナは優しい女の子でリーダーシップもある。自分なんかじゃとてもじゃないが、叶う相手ではない。そんな彼女が自分を優しく抱擁してくれて、頭を撫でてくれる。


 いい匂い……。


 みんな同じように祭服を洗濯しているはずなのに、自分を抱きしめるユーナの祭服からは甘くて優しい香りがした。その匂いが鼻腔に広がり、アセリアは不思議なことに少し安心できた。


「ありがとう……」


「アセリアが一番頑張ってること、私たちは知っているわよ。だから、もっと自分に自信をもちなさい。神はきっとあなたのことを見捨てたりなんてしないわ」


「…………」


 なんだか泣けてきた。こんな自分をこんなにも優しく慰めてくれるユーナ。そんな彼女のために少しでも力になりたい。


 アセリアは心からそう思った。


 どうすれば自分のような劣等生でも力になれるのだろうか……。


 そんなことを考えていると、ユーナが「んんっ……」と突然、頬を赤らめて眉を潜めた。


 そのユーナの異変にアセリアは首を傾げる。と、そこでアセリアはユーナの豊満な胸が不自然にへこんでいることに気がついた。


そして、彼女の胸をへこませているのが、自分の懐に隠されたあの変態画家リュータ・ローの描いた絵巻物だと言うことにも気がついた。


「あ、ご、ごめんね……」


 と、そこでアセリアは慌ててユーナから体を離す。するとユーナは自分の胸を手で押さえながら「う、うん……大丈夫……」と恥ずかしそうに彼女から顔を背けた。


 そんなユーナの表情を眺めながら、アセリアはあることに気がつく。


 そ、そうだ……あの絵巻物があれば……。


 アセリアは不本意ではあるが、あの絵巻物によって自分の才能を超えた力を手に入れることができた。


 もしかしたら、彼女たちだってこの絵巻物があればポーション以上に魔力を回復することができるかもしれない……。


「み、みんな……ちょっといい?」


 アセリアはそのことに気がついて慌ててみんなに声をかけた。


 もしかしたら試してみる価値はあるかもしれない。

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