第34話 大博打
さて俺は圧倒的に自信を失っていた。これまで聖女さまを満足に興奮させられるようなエロ漫画が描けていると思っていた俺だったが、そうではなかった。
聖女さまの舌は肥え始めてしまい、もう普通のエロ漫画では満足できなくなってしまった。
いや、どうすんのこれ……。
国の一大事だぞ……。こんなところで筆が止まってしまってたら、本当に国が滅亡してしまう。そうなったら聖女さまだって、彼女に召し抱えられた俺だって立場は危うくなる。いや、下手したら異端者として捕らえられてしまう可能性だってあるのだ。
大広間に戻ってくると、俺が作り方を教えてあげた紙飛行機を飛ばしてはしゃぐ子どもたちと、机に突っ伏して寝息を立てるティアラの姿があった。
俺同様にティアラも徹夜なのだ。体力も限界に近づいている。
そんなティアラの隣に腰を下ろして、身に着けていたローブを彼女の背中に掛けてやる。と、そこで彼女がピクリと身体を動かして顔を上げた。
「リュータさま、戻ってたのですわね」
そう言って目を擦るとわずかに笑みを俺に向けた。
「ああ、無事聖女さまに原稿を渡してきた」
「聖女さまはなんとおっしゃってましたの? 私たちの作品で、ガルナの風紀は正せそうですの?」
「ま、まあな……」
俺もティアラも今までになく頑張って描き上げたのだ。それが聖女さまを満足させられなかったなんて口が裂けても言えそうにない。もちろん、事態は一刻を争うのだ。本当のことを言わなければならないのはわかっていたけど、疲れ果てたティアラの顔を見るとついつい本当のことが言えなかった。
「リュータさん?」
と、そんな俺の顔を見たティアラは首を傾げた。
「ど、どうかしたのか?」
「何か私に隠していませんか? ですわ……」
「え? あ、いや、別にそんなことは……」
「じぃぃぃぃぃですわ……」
と、あやふやな返事をする俺を訝しげに見つめるティアラ。
「本当は聖女さまに何か言われたのではありませんの?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
と、誤魔化すように苦笑いを浮かべていた……が、その時だった。
突然、轟音とともに大広間が大きく揺れた。
「きゃっ!? ですわ」
と、そんな轟音と揺れにティアラは慌てたようで俺にしがみついてくる。
「な、なんだっ!?」
おいおい地震か? ってか、この世界に地震なんてあるのか? 少なくとも俺は転生してからそんなものは経験したことがないぞ? などと一瞬思ったが、すぐに嫌な予感がして窓辺へと駆け寄る。
そして、
「なっ……」
俺は我が目を疑った。
視界に広がるのは聖堂を取り囲むように群がる人影。そして、それらの人々は同じ白い詰襟を身に着けており、中には騎馬に乗っているものもいる。
間違いない……ザクテンの王国軍だ。どうやら聖女さまはまたもや悪い予感を的中させてしまったようだ。やっぱり彼らは聖堂を堕としにきたらしい。
「な、何事ですの……」
と、そこで少し遅れてティアラも窓辺へとやって来た。そして、彼女は窓の外を眺めた瞬間に「はわわっ……」とパニックを起こして俺の顔を見上げた。
「りゅ、リュータさまっ!? こ、これはどういうことですのっ!?」
「ザクテンの軍隊が聖堂を堕としに来たみたいだ……」
「ざ、ザクテンの軍隊っ!? ど、ど、どうしてそんなことになってますのっ!? わ、私、わけがわかりませんわっ!?」
「まあ、色々とあったんだよ……」
「その色々を聞いてますのっ!!」
と、興奮するティアラ。が、そんなことを説明している場合ではない。もはや現実感すらないその異様な光景に呆然と立ち尽くしていた俺だったが、ふと何やら物騒な物を見つけた。
投石器?
のようなものが見えた。木製の巨大な台車の上には長い棒のようなものが取り付けられており、その先には何やら玉虫色の巨大な玉が乗っかっている。
その美しくも巨大な玉をぼーっと眺めていると、ふいに「撃てええええっ!!」という叫び声が聞こえた。直後、それまで静止していた長い棒が大きくこちらへと振られて、玉があら奇遇、ちょうど俺たちの方へとめがけて飛んでくるのが見えた。
そこで俺は初めて人間というものは本当にやばいときは周りがスローモーションのようにゆっくり見えることを知った。
が、生憎なことに俺には伏せるという当たり前の防御姿勢を取るべきだということを忘れていた。
あ、俺……死ぬかも……。
自分の方へと向かって飛んでくる玉虫色の玉を眺めながら俺は呆然とそう思った。
が、その直後、玉は軌道を変えた。
いや、正確に言えば玉は明らかに何か固い物にぶつかったように跳ね返された。まるで聖堂を覆う見えない壁が玉から聖堂を守ったように俺には見えた。
多分だけど、聖女さまが王国軍から聖堂を守っているのだ……。
が、それでも衝撃はここまで伝わってきたようで、聖堂内は轟音と揺れに見舞われ立っているのがやっとだ。だけど、聖女さまが確かにこの聖堂を守っている。
俺も力にならなきゃ……。
そうだ。聖女さまに力を与えられるのは俺のエロ漫画しかないのだ。だったら、何が何でも死ぬ気でエロ漫画を描くしかないのだ。うかうかしていられない。
俺はティアラを見やると彼女の肩を掴む。
「ティアラ、子どもたちを集めてくれっ!! 今すぐ執筆にとりかかろうっ!!」
と、真剣な瞳で彼女にそう告げた。
が、
「はわわっ!! そ、そんなことしている場合ではありませんわっ!! リュータさん、頭がいってますわっ!!」
「いや、俺は真剣だ。今すぐエロ漫画の執筆にとりかかろう」
「ど、どう考えてもそんなことしている場合じゃないですわっ!! 今すぐ子どもたちを連れて逃げなくちゃですわっ!! か、彼らだって相手が子どもたちだと知れば逃がしてくれるはずですわっ!!」
真剣な俺と、真剣に俺の頭がいったと勘違いするティアラ。
まあ、そりゃそうだ。戦争で銃口を突き付けられている状態でエロ漫画を描き始めるやつは間違いなく頭がいっている。だけど、俺がこの国を救うためにやるべきことは確実にエロ漫画を描くことだ。
「おい、俺は正気だぞっ!! 頼むティアラっ!! 俺と一緒に作業をしてくれっ!!」
と、できる限りの真剣な表情で彼女にそう頼んでみる。すると、彼女はようやく俺がそのありえないことを本気で言っていることに気がついたようで、首を傾げた。
「そ、それ……本気で言ってますの?」
「本気だ。そして、この聖堂を守るために俺たちのできる唯一の方法だ」
「言ってる意味がわかりませんわ。リュータさんはガルナの風紀を守るために私にあの忌々しい絵を描かせていると言いましたわっ!!」
「それは嘘だっ!!」
「う、うそっ!? ど、どういうことですのっ!?」
この期に及んで嘘を吐いている場合ではないのだ。
ここは正直に話すしかないっ!!
とも思ったが、さすがに聖女さまがエロ漫画を読んで興奮しているなんて言えるわけはない……よな。
ということで、
「そ、その……聖女さまは不快なものを見ると魔力が回復するんだよ……」
「ふ、不快なもの……ですの?」
「あぁ……俺もよくわからないんだけど、不快なものを見ると感情が爆発するそうなんだ。それで魔力が凄いことになる……らしい……」
「リュータさん……何をおっしゃってますの?」
いや、当然の反応です。でも、本当のことを話しても多分ティアラは同じ反応したと思うぜ?
そのわけのわからん説明に彼女はしばらく首を傾げていた。
「で、ですが……確かに風紀を守るために、このようなはしたない物を描いておとりをするなんて聖女さまが考えるとは思えませんでしたわ……」
「そ、そうなんだよ。でも、さすがに聖女さまが不快な感情を抱くと強くなるなんて言うわけにいかないだろ?」
「そ、そうですわね……。それにリュータさんは真剣に私に描こうとおっしゃっていました。細かいことはわかりませんが、リュータさんが本気だということはわかりますわ」
「そうなんだ。とりあえず描かないとこの国はやばい」
なんて言っているそばからまた轟音とともにグラグラと揺れる聖堂。大広間を見やると子どもたちが不安げに俺たちを見ていた。
「み、みんなっ!! これはお祭りの花火の音ですわ。で、ですから心配はご無用ですわ。気にせずにお絵描きをつつけてくださいまし」
「と、とにかく私は子どもたちのそばにいて、不安を取り除きますわっ!! ですから、リュータさんはすぐにでも新しいお話を考えてくださいまし」
「おおっ!! ティアラっ!! 信じてくれるのかっ!?」
「信じるしかないですわっ!! リュータさん、私はリュータさんに賭けますわっ!! ですから、聖女さまをお不快な思いにさせられるような、とびっきりのお話を考えてくださいましっ!!」
そう言って彼女は子どもたちのもとへと駆け寄ると、子どもたちに、この状況からは考えられないような優しい笑みを振りまいた。
ティアラは手伝ってくれるようだ。ならば、俺がここでくじけていてはいけない。
描くっ!! とにかく聖女さまを興奮させられそうなとびっきりのを描くっ!!
だ、だけど……どうすれば聖女さまを興奮させられるんだ……。
いや、ダメだ。ネガティブになるなリュータ・ローっ!! いや、竜太郎っ!! お前は今、漫画家人生の中で最もみんなの期待を背負っているのだ。
それにティアラだけでなく聖女さまだって俺を信用して、賭けてくれているんだ。
聖女さまの信頼を裏切るな。
聖女さまの信頼を……裏切る……。
と、そこで俺の頭に何か稲妻のようなものが駆け抜けるのを感じた。
そうだっ!! それだっ!!
だけど本当に大丈夫か? いや、大丈夫だ。信じるしかない。
俺はこの王国の一大事に大博打に出ることにした。
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