第37話 心を鬼にして描いた最低なエロ漫画

 なんとか原稿を描き終えることができた。


 俺とティアラ、さらには子どもたち総出で完成させた原稿はきっとこの国に平和をもたらすはずだ。


 いや、はずじゃダメなんだ。必ず聖女さまを興奮させなければならない。でなければ俺たちに未来はないのだ。


 もう描きなおす時間も体力も残っていない。


 この原稿で決めるしかない。


 そんな気持ちで俺はティアラから送り出されてきた。そして、聖女さまもそんな俺に期待をしてくれているのか別室へと案内された。そして二人きりになったところで彼女は目を輝かせて俺を見上げた。


「リュータさま、お待ちしておりました」


 これは新しいエロ漫画が読めることへの期待なのだろうか、この苦境をひっくり返せるかもしれないことへの期待なのか、俺にはわからないがそこは重要ではない。


 とにかく聖女さまが興奮さえしてくれればいいのだ。


 相変わらず俺をキラキラした瞳で見上げる聖女さまは、わずかに頬を染めながら首を傾げた。


「リュータさま……完成したのでしょうか?」


 だからこそやってきたのだ。


「もちろんです」


 と、答えると彼女は「さすがはリュータさまです……」と胸の前で両手を組む。そんな彼女に俺は首を横に振る。


「いえ、これは俺だけの力ではありません。ティアラと、それから彼女の教え子である子どもたちの力があったからこそ、完成させることができました」


 もちろんアイデアを考えたのは俺だが、ティアラだってなんだかんだで全力で手伝ってくれたし、子どもたちだって自分がいかに酷いものを描いているかも知らずに頑張ってくれたのだ。


 これは俺だけの作品ではない。みんなの作品なのだ。そのことだけは聖女さまに勘違いしてほしくなかった。


 そんな俺の指摘に聖女さまは「申し訳ございません。そうでしたね」と頭を下げる。


「みなさまのおかげです。みなさまにはこの国難を乗り越えた際には、格別のお礼を差し上げなければなりません」


 そうだな。いくら国のためとはいえここまで頑張ってくれたのだ。少なくとも子どもたちが安心して絵が描けるぐらいの環境は整備してほしいところだ。


 だけど、それも聖女さまが勝ってくれないことには、決して敵うこのない願いなのだ。


 そして、聖女さまもそのことを知っている。


 だから彼女は「では、さっそく……」と俺から原稿を受け取るべく右手を差し出した。


 聖女さまには一分一秒でも早くこの原稿を読んで興奮してもらわなければならない。そのためには今すぐにこの原稿を彼女に手渡さなければならなかった。


 だけど、


「リュータさま?」


 そんな彼女に俺は原稿をまだ渡さない。


 すぐに読ませなければならないことはわかっている。だけど、そんな差し迫った状況だとわかっていても俺はまだ原稿を渡すわけにはいかない。


「読んでいただく前に、俺の話を聞いてくれませんか?」


 と、勿体ぶるようにそう言う俺に、聖女さまは不思議そうに首を傾げる。


「リュータさまの……お話ですか?」


「はい、俺の話です」


 もちろん原稿は全身全霊で描き上げた。だけど、俺にはまだ不安があった。絶対に聖女さまを興奮させなければならないのだ。


 だけど、原稿だけでは確実に聖女さまを興奮させられる自信はなかった。


 だから俺は賭けにでる。


「リーネさま、俺はリーネさまから信用すると言っていただきました」


「はい、確かに申し上げました。私はリュータさまの力を信じております。リュータさまは類まれなる才能をお持ちです。そして、それ以上に、これまで私の無茶を聞いていただきました。そのご恩は忘れませんし、私はリュータさまに全幅の信頼を寄せています」


 突然そんなことを言いだす俺に聖女さまは少し不思議がっている。


「ですが、それがどうかいたしましたか?」


 聖女さまには俺の言葉の意味がわからないようだ。


 だけど、今はそれでいい。


「その気持ちに嘘偽りはありませんか?」


 俺は彼女に改めて尋ねる。まるで聖女さまを疑うような聞き方に彼女は「ど、どういうことですかっ!?」と動揺する。


「いえ、あくまで確認です。リーネさまが俺を信用していることを改めて確認したかったんです」


 それでも俺が真剣に彼女を見つめていると、彼女は俺の手を取ってまるで信じてくれと願うように真剣な瞳で俺を見つめ返してきた。


「リュータさま、私は心よりあなたのことを信頼しております。もしも、あなたさまに裏切られてしまったとしても、後悔などしないほどに……」


 なるほど、聖女さまは本当に俺を信用してくれているようだ。


「リュータさま……」


 と彼女は訴えるように俺の名を呼んだ。


 もちろん俺だって聖女さまがそう思ってくれていると信じていたさ。だから、今のは確認ではない。改めて聖女さまに、自分が俺を信用しているということを意識して欲しかっただけだ。


 そして、この意識こそが今、もっとも大切なのだ。


 俺は一度「ふぅ」と気持ちを落ち着けるように息を吐くと努めて笑みを浮かべる。


「リーネさまのお気持ちはわかりました。そのお言葉に安心いたしました。だから俺もまたリーネさまのそのお気持ちにお応えすべく、このエロマンガを描いてきました」


 そこで俺はようやく彼女に持ってきた原稿を差し出した。


「リーネさま。これが俺のリーネさまへの気持ちです」


 彼女は俺の原稿を手に取るとコクリと頷く。


「リュータさまのお気持ちを私は全力で受け止めます」


 そうだな。全力で受け止めてもらわなきゃ困るぜ。


 俺は祈る思いで、原稿へと目を落とす彼女を見守ることにした。


 そして、原稿を読み始める聖女さま。だが、彼女はすぐに「はわわっ……」と頬を真っ赤っかにすると俺に視線を向けた。


「りゅ、リュータさま、これはっ!?」


 どうやら相当驚いているようだ。目を丸くする彼女に俺は表情を変えない。


「いいから読んでください。話はそれからです」


「で、ですがっ!?」


「リーネさまは俺を信用していると言いましたよね? だったら、信用して最後まで読んでくださいっ!!」


 と、はっきりと言うと彼女は今にも泣き出しそうな瞳でしばらく俺を見つめてから、再び原稿に目を落とした。


 だが、それでも俺の原稿に驚きが隠せないようで「はわわっ……」と声を漏らす。


 どうやら、かなり面食らっているようだ。正直なところ酷いことをしている自覚はある。だけど、それと同時にこの反応こそが俺の求めていた反応なのだ。


「これがリーネさまへの俺の気持ちです」


 と、俺は彼女の信用に対する返事をする。


 彼女が読んでいる原稿。それは彼女がいつも読んでいる『傾国の聖女と罪深き森のオーク』ではなかった。


 彼女が読んでいるのは、彼女が信用している俺、リュータ・ローが大聖女リーネを裏切り、彼女を襲う姿。


 ザクテンの国王軍に捕らえられ、尋問と称して狭い独房で大司教の内通者という設定の俺が、彼女にあんなことやこんなことをする姿である。


 いや、ホント酷い……。


 だけど、エロに対して舌が肥えてしまった聖女さまを興奮させるためにはこれぐらいの仕掛けは必要なのだ。


 信用する人間から裏切られて辱められる聖女リーネの表情は、我ながらよく描けている自信があった。


「わ、私……リュータさまにこんなことを……はわわっ……」


 そのあまりに過激な表現に彼女は現実を受け止められていない様子だ。だけど、動揺に息を荒げ、手を震わせ、頬を染めて、瞳を潤ませる彼女から俺は、彼女の自分の意志とは反する興奮を僅かに感じた。


 だから、俺はさらに勝負を仕掛ける。


 原稿だけではダメなのだ。俺は目の前の聖女さまを自分の全てを使って興奮させなければならないっ!!


 俺は心を鬼にする。動揺する彼女を睨みつけると声を荒げた。


「いいから四の五の言わず読めっ!! この変態聖女っ!!」


 その叫び声に聖女さまは「ひゃっ!?」と短い悲鳴を上げると、怯える目で俺を見つめる。


「りゅ、リュータさま、どうして今日はそんなにも怖いんですか?」


 震える声で彼女は俺に尋ねた。


 あぁ~胸が締めつけられる。俺は聖女さまのこんな顔は見たくない。


 だけど彼女が俺の原稿に堪えるように、俺もまた心を鬼にすることに堪えなければならないのだ。


 表情筋に力を入れるとそんな彼女を威圧するように睨み続ける。


「ほら、こういうのが好きなんだろ? どうだ? 信用していた男にこんなことをされる気持ちは?」


 どうやら俺の演技はそれなりには上手くできているようだ。すっかり俺に怯えた彼女は両手を胸に当てたままわずかに震えていた。


 ごめんリーネさま……。だけど、堪えるんだっ!!


「ほら、一枚一枚しっかり目に焼き付けろ。これがあんたの信用してきた男の心の中だ。

 

 何がポーションのためだ?


 何がこの国の平和のためだ?


 そんなこと、俺にはどうだっていいんだよっ!!


 俺はあんたのことを最初から性的な目でしか見ていないし、常にあんたを押し倒して自分の性欲の赴くままにめちゃくちゃにしたいとしか思っていないっ!!」


 聖女さまはこれまで俺の描いた『傾国の聖女と罪深き森のオーク』に夢中になってくれた。


 前世ではただの売れないエロ漫画家だった俺、そんな俺の描いたエロ漫画を誰よりもこよなく愛してくれた聖女さま。


 これはそんな彼女に対する俺の最大限の恩返しなのだ。俺にこの世界での天職を与えるためにドMでいてくれる彼女のために、俺はドSで恩返しをする。


 そんな俺の言葉に聖女さまは体を震わせたまま、震える声を絞り出す。


「わ、私は神に仕える聖女です……。そのようなお気持ちを抱くのは――」


「うるせえっ!! 少なくともこの国の男はあんたを聖女である以前に、胸のデカい性的な女として見てるんだよ。俺の描いたエロマンガが高値で取引されているのがその証拠だ」


「りゅ、リュータさま……。なんでそんなこと……」


「俺がエロ漫画を描いたのだって、あんたへの欲望をせめて物語の中だけでも実現しようと考えた、俺の醜い心の結果だ。この国の男はあんたを性の対象としか見ていないっ!!」


「ひゃっ!?」


 と、驚きのあまり、彼女の手から原稿が床に落ちる。それでも俺はそれを拾い上げて、彼女に強引に握らせる。


「ほら、読めよっ!! 俺のことを信用してるんだろ? それにあんただって本当はこうされたいと思ってるんだろっ!?」


 そう叫ぶと、彼女は瞳から一縷の涙を流して、それでも俺を信じるような目で見上げてきた。


「よ、読みますっ!! 読みますから、そんなに怖い顔をしないでください……」


 彼女は手を震わせながら、原稿に再び視線を落とした。


「ほら、これが俺の気持ちだ。噛みしめて読め」


 そんな俺の言葉に彼女は返事をせずに必死に原稿を読み進めた。そして、5分ほど経ったところで、彼女はようやく顔を上げた。


「よ、読みました……」


「どうだよ? 興奮したか?」


 俺の質問に彼女はしばらく俺を見つめていたが、不意に頬を染めて俺から顔を背けた。


「はわわっ……」


 どうやら興奮したようだった。


 いいぞ聖女さま。興奮するんだ。このミナリア王国を救えるのはあんただけなんだっ!!


 俺はあくまで聖女さまを手助けすることしかできないんだよ。


 だから、俺はここまで胸を痛めても、心を鬼にすることを止めない。彼女は精一杯侮蔑的に見下ろすと、こう言ってやった。


「は? こんなのを読まされて興奮するとか、お前、聖女のくせにド変態だなっ!!」


 と、言った瞬間、彼女はビクッと肩を震わせた。


「わ、私、変態なんかじゃ……」


 彼女は一歩、また一歩と俺から後ずさりする。俺から逃げたいのだろうか? それとも、こんなことをされてでも興奮している自分から逃げているのだろうか?


 それはわからない。だけど、信じるしかない。


 彼女がこの国を救えるほどの最強の興奮をしてくれていると信じるしかない。


 俺は最後に伝家の宝刀を抜くことにした。これが今、俺にできる最後の彼女への贈り物だ。


 聖女さまよ。頼むぞ。


 俺は息を大きく吸った。そして、両手を上に上げると腹の底から叫び声をあげた。


「お前の淫乱な妄想を現実にしてやらああああああああああああっ!!」


 後ずさりする彼女へと歩み寄った俺は彼女に両手を突き出した。祭服に覆われていながらも凄まじい自己主張をしている彼女の胸に両手を伸ばす。


 そして、


 むにゅり……。


 俺の両手は今まで感じたことのないような柔らかく、それでいて幸せな感触に包まれる。


 俺は聖女さまの胸を鷲づかみした。


 むにゅむにゅ。


 と、そこでそれまで震えていた聖女さまの体がぴたりと止まった。彼女は放心状態で俺の顔を見上げている。


 が、その時だった。


 ゴゴゴゴゴォォォっ!!


 ぴたりと止まった彼女の体とは対照的に、今度はグラグラと聖堂の床が震えだした。


 初めは地響きのようにわずかにわずかに振動していただけの床は、徐々に大きく、そして激しく揺れ始める。


 お、おい……なんだこれ……。


「り、リーネ……さま?」


 俺は聖女さまの胸を鷲づかみしたまま首を傾げる。そして、そうこうしている間にも地震はさらに激しくなり、俺は思わず彼女の胸から手を放してその場に尻もちをつく。


 だが、それでも地震は治まらない。


「この……」


 と、そこで聖女さまは何かを呟いた。


 尻もちを付いた俺は「え?」と情けない声で尋ねる。


 と、そこで聖女さまは大きく瞳を開いた。


 その瞳に俺は言葉を失う。彼女の瞳はまるでこの世の全てを見透かすような、虚無の瞳だった。


 碧眼だったはずの彼女の瞳は全てを吸い込んでしまいそうな漆黒に染まっている。


 そして、


「この……無礼者おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 彼女の雄たけびのような叫び声が響き渡った。その直後、彼女の長い髪は逆立ち、彼女の体はまぶたを閉じても遮ることのできないほどの眩い光に覆われた。


 聖女さまは覚醒した。

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