第36話 幕間3 ダイアナ・スモールウッド
わたしはじっと彼の返事を待ったけれど、もちろん彼は低く唸るだけだ。
「そう。教えてくれないのねえ」
悲しそうに見えるであろう表情を作り、立ち上がってテーブルに近づく。「やっぱり指一本かしら。このハサミ、大きいから大して力を入れずに切断できると思うし」
そう言っている間に、背後から呻き声が大きく響いた。
そうよね。猿轡、まだ外してないもの。話したくても話せない。もどかしいでしょうね。
でも逆に、どんなに痛くても悲鳴を上げずに済むわよね。上の階にも豚の助けを呼ぶ声は届かないし、わたしとしてはそっちの方がありがたい。それに、痛みを我慢するには何か噛んでいた方が楽だと思うの。だからこれは、わたしの優しさでもある。
「ううー、ううーっ」
藻掻き、呻き続ける彼のことを少しだけ放置して、じっとわたしは大きなハサミを見下ろす。
ここにはちゃんとした解剖台がないから、満足いく手順が踏めない。どうせなら、彼がやってきたように――女性が殺された場所で同じ目に遭えば面白いのかしら。
でも――。
「まあ、いいわ。悩むだけ無駄だし、さっさと終わらせましょうか」
わたしはハサミを手に取り、彼の背後側に回った。わたしが何をするか解らないから――いえ、解るからこそ彼は床を縛られた足で蹴って少しずつ前進しようとする。そんな豚の背中を踏みつけ、わたしは問答無用でハサミを彼の手に当てた。
「動かないで? 暴れると指一本じゃ済まないから」
「ううーっ!」
男はわたしがどう言っても大人しくしてくれなかった。
本当なら切断される瞬間を見せた方が絶望を感じさせられるんだけど、と残念に思う。
髪の毛を掴んでその頭を引き上げると、苦痛と恐怖と、そして涙と憔悴、そんなものが混ぜこぜになった顔が見えた。指が切り落とされた痛みを感じていても、後ろ手で縛られていたから実際に見ていないわけで。僅かな期待のようなものもある。でも、やっぱり醜さが目立つ顔だった。
「ねえ、簡単な質問をするわね? あなたはここで、女性を殺した?」
ハサミをテーブルの上に戻した後、わたしが『人数を』ではなく『やったかどうか』を尋ねると、今度は豚が何度も頷いてそれを肯定した。
うん、有罪。
「あなたの父親も関わってる?」
その問いには一瞬だけ、躊躇いを感じさせる沈黙を返してきた。でもすぐに頷く。
「魔女も関わってるわよね? あなたの妹……プリシラとかいうあの少女に、魔女のおまじないを利用させたでしょ?」
肯定。
「その魔女はこの国の人間?」
僅かな沈黙の後、首を横に振って否定。
「でも、その魔女と結託してあの何とか将軍の息子を誑し込んで、何かしようとしていたわけよね? それを考えたのはあなた?」
否定。
「じゃあ、父親?」
肯定。
「ふうん」
つまり、この国の敵はこの男の父親、そしてこいつ自身は単なる女殺しのゴミ。そういうことかしら。まあ、見た目だけでも馬鹿っぽそうな顔をしているし。
わたしだったら、証拠なんて残さないように殺せるのに。
でも。
どうしようか。どうせなら階上にいる父親も――?
「ちょっと待っててね?」
わたしはふとその場にしゃがみ込み、豚の耳元に顔を寄せて優しく話しかける。「一人で苦しむのは心細いだろうし、もう一人、連れてこなきゃね?」
「うう……」
何をするつもりなんだと目を見開く男の傍から立ち上がり、足取り軽く階上へと向かう。時間がもったいないから、早く動かなきゃ。
そうして、わたしはユージーンたちの目を盗んであの太った父親も捕獲したわけだ。
食事の時間から随分経っているというのに、あの男はまだだらだらとお茶とお菓子を食べつつ食堂のホールにいた。だから、甘えた口調で「美味しそうですねえ」と近づいたら目尻を下げてわたしを見た彼。本当、さすがあの豚の生産者だけあってよく似ている。わたしの胸元や制服のスカートの下にある足に目がいって、警戒心もないらしい。
その結果。
「ただいまぁ」
わたしは隠し通路から階下に降りて、あの豚の目の前の床に父親を放り出してやった。もちろん、猿轡の彼から『おかえり』の返事はない。
父親も何が起きているか解っていないだろう。
自分の息子と同じように両手首は後ろで縛られ、両足も同じようにされている。
泣いていた自分の息子を見て、さすがに不安を感じたのだろうがもちろん、猿轡も息子とお揃い。呻き声の他には何も声を上げることはできない。
「じゃあ、今度はあなたのお父様に尋問のお時間といきましょ?」
わたしは彼らの前に立って微笑む。
それから、状況を理解できていない父親に向かって、息子の指の切断面が見えるように身体を転がしてやった。
解剖用の道具も一つ一つ見せながら説明してあげたら、随分と従順になってくれたみたい。全部話せば自由にしてもらえる、助けてもらえるって勘違いしたのかしら。とっても残念な頭をしているようだけど、わたしにとってはありがたい。
父親の方だけ猿轡を外してあげたら、何でも喋ってくれた。
元々、このアボット男爵家のルーツはこのカニンガム王国になかったみたい。彼らが持つ赤毛というのは、隣の軍事国家ベレスフォードに多い髪色のようだ。彼らの祖先は遥か昔、戦が激しい時にベレスフォードからこの国に逃げてきたんだって。
それが、今になって元の国に戻りたくなった。
彼らが持つ小さな男爵領では、思っていたほど裕福な生活ができないことが不満だからって言うけど……。
そうかしら、充分幸せな生活を送っていると思うけどね?
でも人間の欲というのは無限大。上を目指したくなったら行動あるのみ。
そして考えたのは、カニンガム王国の情報を持ってベレスフォードに行き、この男爵領よりもずっと大きな領地をもらって裕福に暮らすこと。そのきっかけは、ある魔女に会ったかららしい。
その魔女はベレスフォードに暮らしていて、たまにカニンガム王国の様子を見にくるみたい。その魔女の目的はよく解らないけど、お金さえ払えば何でも願いを聞いてくれたんだとか。
でも、魔女の名前は? と訊いても、地面に這いつくばる父親も息子も知らないと言っている。
どこで会える? と訊いても、今は父親の部屋にある魔女の秘術がかけられた本だけでしか連絡が取れないんだって。
息子は魔女と会話すらしたことないみたいだし。息子は楽しく暮らせるなら別にベレスフォードに逃げるつもりもないみたい。大層な野望なんて何もない。ただ、気に入った使用人の女性を上手く『強姦して殺す』ためにその手段を教えてもらっただけなんだって。
何だ、もうこれ以上の情報は出ないのかしら。
わたしは深いため息をついて、落胆の眼差しを彼らに向ける。
「全部、私が知っていることは話した。だから」
父親は媚びへつらう表情でわたしを見上げる。
不思議だわ。よく、この状況で解放してもらえるかもなんて思えるものだ。
わたしはにっこりと微笑み、また彼らのすぐ傍にしゃがみ込んだ。
何を考えたのか、父親はほっとしたように笑う。そして、猿轡されたままの息子の方も希望の光をその目に灯らせた。
わたしはそこで、右手をそっと上げた。
秘術の呪文を唱えると、右の手のひらの上にずっしりとした重みが出現する。
「うふふ、これ、なーんだ?」
わたしは右手を彼らの顔に近づけ、それを見せつけてやった。黒い蛇のような、触手のようなもの。体温はないけれど、確かに命があるように脈打つ『それ』は――。
「これね、あなたたちが仕掛けたおまじないなの。魔女の、恋のきっかけになるような単純な造りのやつね」
ユージーンが将軍の息子から引き剝がしてくれたおまじないだけど。
譲り受けた後で、ちょっとだけ秘術の構成をいじってみたのよね。他の魔女の秘術を手に入れることってなかなかないし、遊んでみたかった。
その結果、少しだけ効果が違うおまじないが完成した。
厳密にいえば、おまじないじゃない。
もうすでに、呪いの域にまで達しているけどね。
「元々のおまじないにはね、男が女を好きになるような仕掛けがされてあったの。能力が低い魔女でも作れる、簡単なおまじない。でも、これを作成した魔女の魔力が強かったのかしら、その効果が凄く持続してたのよね。何だか、わたしよりも魔力が大きそうな予感がしたから、ムカついて思いっきり遊んじゃった」
うふふ、と笑う。
これは私怨だろうか。
正直なところ、わたしよりも上だと思える存在は許せない。それがカニンガム王国の魔女だろうと、ベレスフォードの魔女だろうと関係ない。
だから、わざといじってやった。
もしかしたら、遠くにいるはずの魔女にも感じ取れただろうか。自分のおまじないが他の魔女に触られ、もっと高度な効果を持つ別のものになったと知ったら、悔しいと感じるだろうか。
それを考えただけで、何だかぞくぞくする。
会ったこともない魔女だけど、いじめてあげたい。屈服させてみたい。
そのために利用されるこの二人は可哀そうだけど、だからこそ愛おしい。
「このおまじないをね、お父様にあげるわ」
わたしは困惑する父親の胸元に右手を伸ばした。うねうねと動く呪いは、小さな牙を持つ魔物へと変貌する。目の前の太った男を獲物と認識して、がちがちと歯を鳴らす。
「ひっ」
そんな情けない声を上げ、身体を捻って逃げようとする彼。矮小で可愛い。でもすぐに、わたしが造り直した呪いは父親の心臓の上辺りの皮膚を噛み、食い破るようにして体内へと入りこむ。
父親の必死さが伝わる掠れた悲鳴と、それに遅れて息子の呻き声が響く地下室。
「どんな呪いになったか聞きたい? 聞きたいわよね?」
わたしは自然と口元が緩み、自慢したいから言ってしまう。「ほら、前のおまじないって恋愛みたいなのが主軸でしょ? 二人が惹かれ合う、みたいな? でもこれはそんな恋慕の情じゃなくてね、食欲に特化させてみたのよね」
そう、食欲。
父親が床の上を転がり回る。でもそれは呪いが全身に侵食すれば治まるものだ。荒い呼吸のまま、ただぐったりと全身から力が抜けた後で。
その父親の視線が宙を揺らぐ。ちょうど、彼の顔が向いている先には彼の息子の身体がある。彼によく似た、丸々と太った息子の身体が。
「人間を食料と認識してしまったら、どうなると思う?」
わたしは息子の頭上で優しく笑い、そう話しかけてあげた。
猿轡をされたままの息子は、わたしの言葉を理解しているとは思えなかった。目の前にいる父親をただ信じられないと見つめているだけ。
でも、その瞳が恐怖に染まったのは、ほんの僅か後のこと。
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