第16話 嫉妬してんだろ
「いや、さすがに……」
ジャスティーンが小声で何か囁いている。
その背中には閉じたままの執務室の扉があって、そこに寄りかかる格好になっている。その彼女の前には、銀色の美しい髪を持った少女が泣きそうな顔でジャスティーンの手を握りしめている。
「もう、うんざりなの。今度こそ、本気だって解ってもらいたいから……」
その少女がそう言いながら、廊下を歩いてきた俺たちに気づいてハッとしたようにこちらを見た。
その瞬間、俺たちは誰もが息を呑んで彼女の美貌を見つめた。
俺の貧相な語彙力では伝えられないが、彼女は今までに見た誰よりも美しかった。まっすぐに流れるような長い銀髪は腰まであり、少し動いただけで光が反射するかのように輝く。色素の薄い睫毛はとにかく長く、その瞳は形が整いすぎていて作り物……いや、宝石のようだった。瞳も銀色に近い灰色で、肌はとにかく白い。腰も腕も折れそうなほど細く、男だったら守ってやりたいと一目で思うくらいだ。
「……凄い美少女」
俺の隣でデクスターが口笛を吹きそうになって、慌てて手で口を押えている。そして、俺にこっそりと耳打ちしてきた。
「あれがこの国の王女様か。初めて本物を見たけど、エメライン第二王女、十六歳、だろ」
……よく知ってるなあ。
俺は素直に感心してデクスターを見る。
すると、ニヤリと笑って彼は続けた。
「自慢じゃないけど俺、美少女の情報については詳しいからな」
――うん、全く自慢になってない気がする。
「それにエメライン王女殿下、婚約破棄が秒読みかって言われてるしな。世の中の貴族の連中どもの間では、運が良ければ後釜を狙えるかもって噂が出てるみたいだし。結構有名なんだよ」
――婚約破棄?
誰と?
と思っていたら、王女は有名な貴族の青年――王宮騎士団の将軍の息子と婚約中なんだと教えてくれた。でも、その婚約者と上手くいっていないことも有名なようで、王女殿下が結婚したくないと言い出しているんだとか。
そんな風にぼそぼそと俺の耳元で囁くデクスターを見て、離れた場所にいるジャスティーンの目に少しだけ厭そうな光が灯ったように見える。でもすぐに、そのエメライン王女がジャスティーンの手を握りながら身体を小さくして、怯えたように俺たち――辺境警備団の体格のいい男どもを見つめると……ジャスティーンがその薄い背中を撫でた。
「悪い連中ではありません。落ち着いて」
そう言ったジャスティーンの声は優しい。
「でも」
「それより、長旅の後です。急いで部屋を準備させますから、まずはゆっくり休んで……」
「じゃあ、ジャスも一緒ね!」
ぱっと花が咲くように微笑んだ少女の破壊力は凄かった。
ジャスティーンの表情も一気に緩んだし、俺の周りの男連中も思わず口々に「可愛い」とか「すげえ」とか呟いている。
「いや、私はまだ任務があるんですよ。さすがに団長としての役目を放り出すわけにはいきません」
ジャスティーンは宥めるようにそう言ってから、眉根を寄せて小声で言った。「後で部屋に行きます。それまで待っていてください」
「解ったわ!」
気が付けば、エメライン王女の近くには彼女が連れてきた侍女が姿を見せていて、俺たちから守るように庇いながら王女殿下をこの建物の外へと連れ出してしまった。その動きは的確で素早い。
素直に感心しながらそれを見送った後、俺たちは執務室へと足を踏み入れた。
ジャスティーンは少しだけ疲れたように椅子に座り込み、俺たちを見て苦笑した。
「すまない。予想外のことが起きた」
「いえ。後で何があったのか教えてもらいたいもんですなあ」
騎士の一人が机の前に立って後ろで手を組み、団長の前で胸を張って豪快に笑う。「娯楽のない辺境での生活の話のタネになります!」
「お前……」
ジャスティーンが目を細めて彼を睨み、やがて額に手を置いてため息をこぼした。そして、俺たちの任務完了の報告を聞いた後、彼女は小さく笑って頭を下げてきた。
「しばらく、皆に迷惑をかける。王女殿下がここを離れるまで、多少窮屈な生活を強いるかもしれない。ただまあ……そうだな、通常任務で真面目にやっていれば、彼女が連れてきた騎士や魔術師連中はそれなりに高い地位にいるからな。目に留まることができれば、王都に呼ばれることもある……といいな」
後半、彼女の表情は少しだけ疲れたように、遠いところを見るような目になった。
それを聞いた騎士も、辺境の警備団という何の花もない任務の毎日に別段不満を抱いていることもないようで、「まあ、無理だと思うからどうでもいいですな!」と笑うだけだ。
いいのか、それで。
しかし――。
さすがに王女殿下がやってきたというのは大事件だった。
辺境警備団の平穏な生活が一気に慌ただしくなり、宿舎から警備団の本館の空き部屋に移動させられた団員も多かった……というか、ほとんどの団員が宿舎から出された。その代わり、王都からやってきた騎士、魔術師、そして侍女や召使たちがその宿舎を占拠した形になる。
困ったことに、厨房も王女殿下たちのために手の込んだ料理を作るようになったようで、団員たちの食事作りまでは手が回らず――。
「まあ、野営は慣れてるからどうでもいいけどな」
何となく一緒にいることが多くなった騎士の男性が、本館の前の広い庭に簡易的な竈を作りながらそう言っている。他の団員たちも次々にやってきて、あっという間に竈を完成させ、薪をくべ、野営用の鍋類をそこに置いてシチューを作り出している。
ジャスティーンとイーサンの姿はここにない。彼らは王女殿下と一緒に宿舎で食事をするらしい。イーサンの顔色が前に見た時よりも色が薄くなっていたのが気になるが、とりあえず胸に拳を置いて団員たちが任務に出る前にやる、『我々は全力で戦う』という誓いのポーズをとっておくことにした。
「それに、あんなお堅そうな連中と礼儀正しく食事、なんて肩が凝って無理だろ」
他の騎士も笑いながら肉を豪快に串に刺して焼く。
俺やデクスターも料理の手伝いをしつつ、皆で満天の星空の下で食事しながら、王都からやってきた奴らのことを思い出して頷く。
やっぱり、偉い人たちは仕草やら目つきやらが違うのだ。貴族連中がやるような礼儀作法なんて俺は知らないから、やっぱり近づかない方がよさそうだと結論づけていたけれど。
何となく、もやもやするものも感じていた。
胸がつかえているような、苦しいような感じ。
「やっぱり、気になるよな」
焼いた肉もシチューもあらかた食いつくし、俺が食後のお茶を淹れているとデクスターがにやにや笑いながら言ってくる。
他の団員たちも何故か、デクスターと似たような表情で俺を見ている。
「ん? 何が?」
俺が首を傾げながら、次々に目の前に出される木のマグカップにお茶を注いでいると、デクスターはさらに言葉を続けた。
「だって、あの団長と第二王女だぜ? 噂が本当なら、一晩熱い夜を過ごした仲。恋人同士になったものの、当然のことだが問題になって団長はここに飛ばされたわけだ」
「あ、ああ、そうだな?」
俺はさらに傾げた首の角度を深めた。
「つまり、そんな団長を王女殿下が追ってきたのは間違いない。考えるに、婚約したものの上手くいかなくて逃げてきた王女殿下と、それを受け入れる団長。焼け木杭には火が付き易いとはよく言ったもので……」
「焼け……」
俺はそこでまた、微妙な気持ちになった。
胸にあるもやもや感が広がったというか、何と言うか。自分でも上手く説明できない感情が渦巻いている気がする。
「でも」
俺は何とか言葉を探そうとした。「王女殿下が婚約破棄間近だと言っても、確定ではないんだろうし。何があったのか解らないけど、そう簡単に破棄できるものなんだろうか。それに、普通は王女殿下に手を出すのは駄目だろう? さすがの団長だって自重するだろうし……っていうか、何で王女殿下がここに来たのか、何があったのかも解らないのに」
勝手なことを言うのはどうなんだ。
まずは詳しいことが知りたいな、という意味を込めてデクスターを見つめ直すと、彼は厭な笑い方をして見せた。
「なーんか、厭な感じにならない?」
「は?」
「団長があんな美少女といちゃいちゃしていたらさ?」
「いちゃいちゃって」
そんな言い方はどうなんだ。俺が思わず顔を顰めると、デクスターはさらに声を顰めて続けた。
「嫉妬してんだろ。お前、さっきからちょっと機嫌悪そうだし。俺、思ったんだけどさ? お前って団長に言い寄られてその気になってたんじゃねえの? 団長って確かに男に見えるけど、すげえ美形だし胸もそこそこあるみたいだし、結構脱いだら凄いんじゃないかって思うし、お前ももう、惚れてたんじゃ……って、あちい!」
俺はぽかんとしてデクスターを見つめ返しながら、何てことを言ってんだこいつ、と呆れていた。
が。
俺はお茶を注いでいたポットを手に持っていたことを忘れていて、傾けすぎたポットからお茶がじゃばじゃばと地面に流れているのも気づかず、デクスターの台詞を頭の中で反芻していた。
惚れてたんじゃ。
嫉妬?
は?
俺はその場で硬直していて、遠くから姉のダイアナが「ちょっとユージーン! わたしの食事はどうなってるのかしら!」と怒鳴っているのが聞こえてきても、全く動くことができずにいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます