第35話 幕間2 ダイアナ・スモールウッド

「あの感じなら『やっても』大丈夫よねえ」

 わたしは鼻歌を歌いながら廊下を歩く。

 アボット男爵のお屋敷のお掃除状況は、最低限しかされていないようで埃が色々なところに溜まっている。

 でもこれって、スモールウッド家よりはマシ。あの馬鹿が勝手にスモールウッド家を出て行ってからはそこら中に蜘蛛の巣が張っていたし、姉のモニカが薬草や魔物の臓物をその辺に置いて放置したままになっていたから匂いも酷かった。

 あの馬鹿――わたしの弟のユージーン。

 まさか、女になってるとはね。何だかちょっと、それも不満。虐め甲斐がないのだ。


 だって。


 魔女の力は女より男の方が上。

 つまり、ユージーンが何でもわたしの上に立っていた。

 そんなあの子を虐めることが、凄く快感だったのだ。幼い頃は本当に楽しかった。ユージーンも今よりずっと素直な性格をしていたから、少し痛めつけただけで泣きそうな顔でわたしを見上げてくれた。

 ああ、それを思い出すと心臓が震えてしまう。

 やっぱりあの頃が一番幸せだった。


 今の、女の子になってしまったユージーンを地面に押さえつけて征服するのは、それはそれで楽しいけど満足感が足りない。やっぱり、相手は男がいいわねえ。

 女より腕力が上、立場が上、と思ってる奴を屈服させるのが楽しい。


「ふうん」

 わたしは好き勝手にお屋敷の色々なところを見て回ったけれど、全然使用人ともすれ違わなかった。最初にわたしたちを屋敷の中に案内したあの冴えない男も、おそらく調理場とか洗濯場とかに引きこもっているんだろう。

 だから、気になるところはゆっくりと調べられた。


 体内の魔力を『練って』、自在に伸ばすと蛇のように動いてくれる。

 この屋敷の中にある目立った異変は、どうやらユージーンが見つけてくれたみたいだ。魔女の秘術が感じられる魔道具、かしら?

 まあ、食事の場で少し会話しただけで、あの父親と息子が低俗な連中だとは解ったし、頭も大してよさそうに思えなかったから証拠は残していると予想はしていた。だからきっと簡単に断罪できる連中なんだろう。

 でも……。


 捕まえて王城の中で処刑、なんて地味なこと、つまらないわよね?


 カニンガム王国の城でも散々見物させてもらった。身分の高い人間が住むお屋敷ってのは、大抵何らかの仕掛けが家の中にあることが多い。何かあった時に外へ逃げ出す秘密の通路はもちろん、隠し部屋へ通じるであろう場所もあった。上手く誤魔化してあったけれど、そこだけ空気の流れが違ったからね。

 それを踏まえてこのアボット家のお屋敷の中も確認。

 でも、さすがに外に逃げる通路はないらしい。ああいうのは地下から長い通路を作らなくてはいけないから面倒だったのか。

 だから、わたしが見つけられたのは地下の隠し部屋に続くであろう、廊下の突き当りの壁にあった仕掛けだけだ。

 そっとその壁に手を伸ばし、壁紙の途切れた部分を指先で撫でる。そして、壁紙の模様に合わせて造られた『それ』。正方形の形の右側を押せばドアのように開き、中にあった木製のレバーが目に飛び込んできた。


「何があるのかしらね。楽しみだわあ」

 自然と口元が緩んでしまう。でも、レバーを引く前に近づいてくる気配を感じて一度、その小さな板を壁に戻した。

「レディ、どうしたのかな?」

 体重の重たさを感じさせる足音と共に、あの……名前忘れたわ、豚みたいな息子が声をかけてきた。にやにやと笑いながら、粘つくような視線をわたしの身体に這わせてくる。

「あら、ごめんなさぁい。お手洗いを探していたら、どこを歩いていたのか解らなくなってしまってー」

 頬に手を当て、何も考えていない人畜無害な少女を演じるわたし。

 わたし、ちゃんと知ってるの。

 自分の容姿が武器になるってこと。

 こういう男ってのは、女が弱い生き物だと思い込んでいる。馬鹿よねえ。油断しているから簡単にその喉笛を掻き切られるって解らない。

「では、案内するよ」

 豚はわたしの肩に下心が見え隠れする手を回し、元来た廊下を戻らせようとする。

「はぁい」

 そう応えながら、わたしはすぐに身体を反転させ、その丸々とした腕から逃れる。わたしの両手両足は、秘術によって強化されている。だから騎士みたいに動体視力を鍛えた人間でさえ、簡単に動きを追えないだろう。

 当然のことながら、豚は何が起きたか解らないみたいに何もない空間を見ることになった。

 あはん、遅い遅ーい。

「え?」

 そう彼が声を上げた瞬間には、背後に回ってその首に自分の右腕を絡ませていた。


 ふんふーん。

 鼻声が暗い部屋に響く。

 地下へ続く隠し階段を降りた先にあったのは、厭な匂いのする大きめの地下室。盗賊とかがやってきたら、この屋敷の主が逃げ込むことができる場所だ。

 魔女の秘術で明かりを灯して色々見て回ったけれど、隠れてしばらくの間はここで隠れていられるように生活に必要なものは揃っているみたいだった。

 井戸水からくみ上げているであろう水道も引かれていたし、食糧庫として作られているであろう小部屋もあった。剣や短剣といった武器もあったし、血で汚れた服もあった。ご丁寧に、その服はトルソーに飾られている。トルソーだけじゃなく、小さなウォークインクローゼットの中にも保管されているみたいだった。


 しかしそのどれもが女物だ。やっぱりねえ。

 戦利品ってことだろうか。殺した女の衣服をコレクションする趣味があるとか?


 明かりを壁に固定させて、わたしはくるりと一回転。学園の制服の裾が広がって、何だか可愛い。

 でも、この部屋は可愛くない。わたしは好きだけどね。


 壁際にあるベッドは、意外にもシーツが綺麗だった。きっと、交換している人間がいる。それはもちろんあの豚じゃないだろう。

 石畳の床は、黒く汚れていた。誰かの爪の跡なのだろうか、黒い筋が引かれているところもあった。もちろんそれは血で書かれた惨劇の証拠だ。誰かがここで断末魔を上げたという証拠。

 やっぱり、行方不明になってる女性の使用人っていうのはここで殺されたんだろう。そしてその死体は……どうしているのかしら?

 身体を動かすことをほとんどしていないだろう豚がわざわざどこかに捨てに行くとは思えない。じゃあ、父親? それも違うだろう。

 だとしたら、やっぱりあの足の悪い冴えない男が手伝っていたとか?


 まあ、その辺りは後で本人に訊けばいいわね。

 わたしは床に転がっている豚を見下ろして、その頭の上に足を乗せた。


 耳障りな呻き声と共に、豚が目を開いた。でも、トルソーに飾られていた服を切り裂いて猿轡として使ってやったから、彼は声を発することができなかった。もちろん、その両手は背中側で縛り上げていたし、足もそうだ。イモムシのように藻掻くことしかできない彼は、目を見開いて顔を怒りに染めている。

「大声を上げられると困るのよねえ。あなた絶対、醜く叫ぶでしょう?」

 にこにこと笑いながら言うわたしを、憎々し気に睨みつける彼。

 ああ、いいわねえ。やっぱりこれよ、これ。

 ユージーンを虐めるよりも楽しく感じるのは、こいつが最低な人間だから。何をしたとしても、わたしが正しいと感じるから。


「ねえ、教えて? ここで何人の女性を殺したの?」

 そう声を投げると、彼の顔が歪んだ。複雑な感情が見え隠れしているけれど、まだわたしを恐れてはいないみたい。まだ、叫べば何とかなると思ってるのかしら。階上から誰か助けがくるとでも考えている? 父親とか、あの使用人とかが?

 甘いわねえ。


 わたしは部屋の隅に置かれていた剣を手に取った。鞘から抜いてみたけど、わたしが扱うには重いみたい。かといって、短剣は……使いにくい。

 ってことは、自前のものを使った方がいいかしら。

 わたしはそこで、右手を上げて秘術の呪文を唱える。すると、スモールウッド家で愛用していた刃物が色々と宙に現われた。

 その刃物一式を近くにあった木製のテーブルの上に並べていく。使い慣れた順番っていうのがあるから置き方にもこだわりがある。

「これね、解剖用に使ってるの」

 わたしは一番小さな刃物を手に取って、彼の顔のすぐ近くで振って見せた。「骨を断つなら、向こうの大きなやつね?」

 テーブルの上に置かれた斧に似たやつや、巨大なハサミ。

 床の上に転がっている彼は、角度的に見えなかっただろう。でも、そこでやっと怯えに似た感情が双眸にチラついたのが解った。

「まず、指一本、切り落としてみようかしら。そうしたら素直に話をしてくれる?」

 一気に脂汗が滲み始めた彼の額。逃げようと無駄に藻掻き続ける彼は、初めて可愛いと思えた。

「痛い思いをしたくないなら、叫ばないで教えてくれる? もう一度訊くわね? あなた、何人の女性を殺したの?」

 わたしが彼のすぐそばにしゃがみこんで顔を覗き込むと、さらにその震えは強くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る