第51話 遠慮してると失う居場所

「えーと……」

 俺はサディアスとアレクシアの顔を交互に見やり、そっと額に手を当てた。「二人きりがいけないと言うなら、彼らも一緒につき合わせますから」

 彼らというのは、もちろんこの件に興味津々のデクスターとジェレマイアである。サディアスの反応はどうかと表情を窺うと、特に困っている様子はない。それどころか、安堵しているようでもあった。

 まあ、ただ一人アレクシアだけが納得いかないようで唇を尖らせていたが。

「……こちらはすぐに話を終わらせますから、あちらで料理を手伝ってもらえますか?」

 俺はこれから夜食作りに突入しそうな団員たちを見て、できるだけ冷静に言った。「やはり、団員の皆よりあなたの方が料理が上手なので」

 そうやってとりあえず持ち上げておくと、アレクシアの口元がぴくりと動く。厄介な女の子ではあるが、多少単純なところもある。

「本当に短時間しか許しませんから!」

 と叫んでこの場から去る彼女の背中を見つめながら、俺はまたため息をついた。


「王女殿下の侍女であるアレクシア・ローガン嬢については、必要以上に近づくと危険だと思う」

 サディアスはアレクシアの姿が消えると、すぐに表情を引き締めて小さく言った。「危険ですか?」

 俺が眉を顰めると、彼は気まずそうに頷く。

「私も彼女についてはよく解らない。エメライン……王女殿下が気に入っているというか、気に入られているというか、いつも彼女が王女殿下の傍にいるんだが……」

「だが?」

「よく、彼女の周りで人がいなくなる」

「え?」

 デクスターとジェレマイアがそれぞれ疑問を抱いたように首を傾げ、俺は声を顰めて言った。

「なるほど、殺されたんですか」

「え、いや」

 あまり感情が出ないはずのサディアスが、口をぽかんと開けて慌てて否定した。「それは違う。地方に飛ばされたり色々だが、王都から出て行く。それは王女殿下にとって邪魔な人間であったり、彼女――アレクシア嬢に歯向かう者であったりするんだ」

「なーるほど」

 ジェレマイアがぽんと手を叩いた。「つまり、邪魔者排除係ってわけか、あのおじょーちゃんは」

「……まあ、そうだと思う」

 サディアスがジェレマイアの声の大きさに顔を顰め、それに気づいた筋肉がばしばしと彼の肩を叩く。そのため、サディアスの渋面がさらに強まった。


「いつ、王女殿下たちは帰ってくれるんですか」

 俺が恨みがましい目でサディアスを見上げる。「警備団の宿舎が王女殿下の豪邸に変化するまであと少し、といった感じですよね? うちの副団長が予算不足で胃を壊してロープを木の枝にかけるのもあと少し、といった感じですが。婚約者であるあなたが何か王女殿下におっしゃってくれればいいんじゃないですか? 彼女たちが王都に帰ればここに平穏がやってくるわけですし」

「それは」

 サディアスの視線が僅かに揺らぎ、そして俺の圧に負けたかのように斜め下に移動した。

「……父に予算の援助の依頼を」

 あ、駄目だこいつ色々と見掛け倒しだ、と思った俺。魔物相手に戦う時はいい動きをするのに、王女殿下相手だと尻に敷かれるタイプらしい。

 ……いや、プリシラ・アボットとひと騒動あったから、逆らえなくなっている可能性が高いか。


 サディアスが頼りにならないなら――と、俺はデクスターを見た。ん? と首を傾げる彼に向って、俺はにこりと微笑んだ。

「そういや、デクスターは侍女を口説きたいって言ってたっけ? 結構可愛いと思えるけど、アレクシアはどう?」

「あ、断る。俺、遊びで付き合えるタイプがいい。後腐れのない女の子」

 笑顔で最低なことを言われた。

 その後、俺はすぐに視線をジェレマイアに移した。

 そして。

「あ、俺、こーいう身体つきの女が好みなんだわ」

 と、ジェレマイアが両手で宙を撫でる。大きな胸、くびれた腰といった、豊満な女性の身体のライン。アレクシアのどちらかといえば華奢な身体つきとは全く違う。

「っていうか、ユージーンはどうなんだ」

 頭を掻きつつ、デクスターが低く唸った。「団長と別れるのか? だからアレクシア嬢と浮気を」

「その前に付き合ってないけどな?」

「いや、マジな話、どうなんだよ?」

 ふと、デクスターの目が真剣な輝きを帯びた。その声音もどこか……本気で心配しているような気配もある。

「……どうって?」

「団長ってさ。結構冗談っぽくお前に言い寄ってるようにも見えるけど、あれ、マジだと思うんだよ」

「まさか」

 俺はすぐに右手を上げてそれを否定しようとした。しかし、彼は首を捻りながら言葉を続けた。

「俺、それなりに男女の修羅場を経験してきたからさ、嘘とか建前とか、その場限りの優しい言葉とか言うのも聞くのも多かったんだ」

「お、おう?」

「団長、マジでお前のこと口説いてるじゃん。あれ、本気だろ」


 いや、それは。

 俺は顔を顰めつつ首を横に振った。


「それは、俺が『女』だからだろ? 近場に女が俺だけだから……」

 そう俺が言いかけるのをデクスターは遮る。

「でも、宿舎には王都からやってきた侍女たちがいるじゃん。お前と違って、意識も身体も生まれた時から女ってヤツ」

「え?」

「ただ女が好きなら、お前じゃなくてもいいはずだろ? でも、そっちには目もくれずにお前だけを口説こうとしてるっていうことは、他の誰でもなくお前に惚れてるってことじゃないのかな」


 少しだけ、思考能力が低下した。

 いや、違うだろう。ジャスティーンが俺に言い寄ってくるのは、俺の身体が女だからで。俺が、俺がもしも。


「男に戻ったら、きっと終わる」

 思わず、本音が口をついて出た。

 少し前から悩んでいたことがそのまま、素直に。

 誰にも言うつもりはなかったのに。

 サディアスが俺たちの会話の内容を理解できず、困惑したようにそれぞれの顔を見回しているのも解ったけれど、俺はそちらを気にしている余裕はない。

「団長は、俺の身体だけに、興味が、ある」

 ゆっくりと、自分に言い聞かせるように続けた言葉。

 デクスターから目をそらし、これまでのことを考える。

「隙あらば触ってこようと……するし」

「そりゃ惚れてたら触るだろ」

「でも俺たち、付き合ってないし」

「あれだけいちゃついてて?」

「いちゃついてないし!」


「まー、付き合ってるように見えたわな」

 そこにジェレマイアも会話に参戦。「性癖に突き刺さる相手だったのかもしれんし、そうじゃないかもしれん。その辺は、はっきりさせておいた方がいいんじゃねーのか?」

「はっきり?」

 俺はのろのろと視線を上げ、ジェレマイアとデクスターの顔を交互に見やる。

「そうそう」

 デクスターががしがしと俺の頭を撫でる。まとめておいた俺の髪の毛が乱れて、凄く迷惑だが厭な感じはしない。

「大体、お前がふらふらしてるんじゃないか? お前、団長のことどう思ってるのか自覚とかしてる? それと、団長がお前のことをどう思ってるのかも確認してるのか?」

「え?」

「男に戻ったらどうなるのかとか、実際に聞いたのか?」


 男に戻ったら終わり、というのは俺がそう思っただけだけど。

 でも、それが当然の流れだと思ったからで。


「お前、あんまり自分からぐいぐい行くタイプじゃないからな。遠慮してると失う居場所ってのもあるぞ? そうやって自分の思い込みだけで団長に近づくのをやめて、もしも彼女が他の女に惚れて手を出したらどう? 厭な気分にならない?」

「え、あ、ちょっと待って」

 俺は唐突に『ヤバい』と思った。

 気づいてはいけないことに気づいてしまいそうだと。

「責任なんて持たない根無し草っていうのは本当に気楽だよ?」

 デクスターはそう前置きしてから、ニヤリと笑って続けた。「俺が言うのもなんだけど、一人の女と添い遂げるってのも幸せなんじゃないかな。まあ、その辺は団長とちゃんと話してみれば?」


「……一体、何を話して……」

 サディアスが困惑したように口を開いたが、すぐにジェレマイアが彼の背中を力任せに叩いてとめた。

「婚約者持ちは黙って見てろって! こっちは、くっつくか別れるかの瀬戸際だ! まずは応援してやろうぜ!」

 テンションの高い彼の様子を見ていた俺だったけれど、何だか妙に血が頭に上がってきたというか――。


「え?」

 俺は自分の口を右手で覆い、ただぐるぐると考え続けていた。

 居場所。

 俺がジャスティーンから離れて、それで。

 彼女が他の女の子を好きになったら、彼女の興味は俺からなくなって。

 それで。

 それで。


 ちょっと待て。


 ここ最近、色々考えると胸がむかつく原因がはっきりと理解できた気がした。それは、ジャスティーンが、彼女が――。


 俺は、ジャスティーンのことが。


「お前、恋愛って慣れてなさそう」

 デクスターがまた揶揄うように言うものだから。

 俺は。


 嘘だろ?


 完全に動きをとめた俺の背中を、ジェレマイアが軽めに叩いた。

「初恋ってやつか? 青い春ってやつかねえ?」


 ――嘘だろ!?

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