第52話 時間を作ってくれ
「え、いや、え? ど、どう……」
俺はその場に硬直したまま何か言おうとして、意味のある単語すら出せずにデクスターを見つめていた。そしてデクスターだけじゃなくジェレマイアにも笑われた。サディアスは相変わらず困惑中。
いや、ちょっと落ち着こう。
俺、王女殿下とアレクシアにジャスティーンから離れろと言われているし、ジャスティーンの兄からも似たようなことを交渉されてる。俺もそれに納得していたし、今更……。え? 今更?
「おーい」
デクスターが俺の顔の前で手を振っているのに気付くのが遅れた。でも、気づいたら咄嗟に彼の手首を掴んで引き寄せてしまっていた。
「どうしたらいい?」
「は? 何が?」
「お、俺、どうしたら」
「ん? 団長の前で服を脱いだらいいんじゃねえ? 目を閉じてたら全部終わってんだろ」
「いや、そうじゃなくて! え? そうなのか?」
落ち着け、とジェレマイアに肩を叩かれた。彼は口元をぴくぴく震わせながら、俺にとどめを刺すように追い打ちをかけてきた。
「ハジメテは痛いらしいぞ?」
「え? 誰が!?」
おそらく、俺は随分と挙動不審だったのだろう。そこでデクスターとジェレマイアが「こんなお前の様子、初めて見た」とか言って吹き出して笑い、サディアスは額に手を置いてため息をこぼしていた。
「何故、私はこんな会話を聞いているんだろう……」
……それは俺も同感だ。
急に我に返って、俺は気を取り直すために自分の頬を叩いた。それでも、頭の中はやっぱり混乱したままで理路整然と言葉が出てくることはない。
何が問題なのかも見失いそうだ。
「そう、そうだ。俺は元々、団長と離れるってことを考えていたわけだし。っていうか、誰も望んでないだろ?」
とりあえず、俺の意識はそこに戻した。道に迷ったら最初の位置に戻るのが定石だと思ったから。
だが、デクスターは首を傾げるだけだ。
「何を?」
「団長と俺が付き合うとか!」
「はあ? ここの連中、みんな応援してるだろ?」
「そうそう、ここには娯楽がねーしな!」
はっはっは、と笑うジェレマイアが俺の背中をばしばしと叩く。「初体験の感想は酒を飲みながら聞いてやる!」
「警備団の連中は物好きだ……」
俺が肩を落として呟いていると、サディアスが恐る恐るといったように口を開いた。
「ところで、君たちは女性同士ということを抜きにして話をしているのでは……?」
「細かいことは気にすんな」
ジェレマイアが鼻を鳴らしながらサディアスを見た。
え、細かいか? と疑問を覚えたらしいサディアスだったが、俺たち――厳密に言えばデクスターとジェレマイアには話が通じないと理解したのだろう、すぐに俺に向かってこう言った。
「どちらにしろ、あの侍女がいたらオルコット嬢の傍にいるのは危険だと思うんだが」
そう言えば、サディアスが俺に声をかけてきたのはそれが言いたかったからだろう。俺に警告を出したかった。あの変な侍女が危険人物だと。
そういう意味では、厄介ごとに巻き込まれそうな俺を気遣ってくれた優しい人間なんだと思える。
そういや、サディアスは『おまじない』が効いていたいたとはいえ、プリシラ嬢を助けようと動いたんだったか? 魔女のおまじないは、そういう『弱点』に付けこむのが得意だ。
優しさは美点かもしれないが……弱点でもあるよなあ。
そんなことを考えている間に、デクスターがサディアスに笑いかけながら言っていた。
「その問題の侍女! あれは王女殿下の付属品で。ってことは、王女殿下に責任があって。ついでに、王女殿下の婚約者であるお前にも責任が!」
「どうしてそうなる?」
美形の眉間に納得できないと言わんばかりに皺が寄る。その皺に指先を突き付けたデクスターは、相手がゴールディング将軍の息子だということも気にしない様子だ。怖いもの知らずって恐ろしいと思った。
デクスターは笑顔で続ける。
「頼むから王女殿下の婚約者であるお前からも言ってくれ! 警備団の宿舎にずっと王女殿下たちが居続けるのも問題なんだぞ? そりゃ、恋人同士のあんたたちは一緒にいていちゃいちゃしたいだろうけど!」
「いや、それは」
気まずそうに目を伏せる彼の両肩に手を置いて、デクスターが圧をかける。
「それに、お前のためにもならない。王女殿下がいるから、俺たち警備団の連中だってお前にも気を遣ってる。やっぱり仲間になったからには、信頼関係を築きたいのに話しかけるのも躊躇うほどだ」
「それは……」
言葉に詰まっているサディアスにデクスターはさらに顔を近づけ、その彼の背後には筋肉――サディアスが太い腕を組んで立つ。圧力がさらに増した。
「だから、お前も協力して欲しいんだ。ユージーンが団長と付き合うにしろ別れるにしろ、ちゃんと話し合った方がいいだろ? 今の状態だとあの侍女の監視が厳しくて何もできない。あれ、トイレの中にすらついて行く勢いだろ?」
――え?
俺はそこでぎょっとした。
確かにやりかねない。
「というわけで、今夜の任務が終わったらちょっと時間を作ってくれ」
「時間?」
「そう。ユージーンと団長が二人きりで話し合う時間が必要だ」
「え?」
「え!?」
俺の驚いた声がサディアスのものと重なった。
デクスターはニヤリと笑って俺のことも見たが、すぐにその視線は驚いている美形に戻った。
「あの侍女は王女殿下の狂信者なんだろ? お前が『王女殿下のことで相談が』とか『王女殿下にプレゼントを贈りたいんだが』とか適当なことを言ってくれたら一時的にユージーンから離れると思うんだ。侍女に近づいて消される可能性はお前に限っては絶対にないだろうし、任せたいんだ。なあ、警備団の先輩として頼めないかな?」
先輩って言ったって、デクスターもここでは新人なんだけどな。まあ、サディアスはそのことを知らないだろう。
サディアスの表情は強張っていたが、無言で首を傾げつつ返事を待つデクスターに屈したようで、不承不承頷いた。
「……やってみよう」
「あいつ、ちょろいぞ」
ふらふらとした足取りでその場から立ち去るサディアスの背中を見送りながら、デクスターが小さく囁いた。
「情に訴えかければ弱い人間だな。とてもゴールディング将軍の息子とは思えん」
ジェレマイアも小声で返している。「だからアレだよ。気を抜いたら誰かに利用されるってことを身をもって学習してもらおう。これは人生の勉強なんだ。警備団という名のごろつき連中と一緒に働くんだったら、もっとあくどいことを覚えてもらわんと」
いやいやいや。
それはともかくとして。
「あの、二人とも?」
俺はそっとそんな二人に声をかけた。
もう夜食の準備ができたようで、料理の皿が次々と配られているのが遠くに見える。アレクシアも時折、こちらで小声で話し込んでいる俺たちに視線を投げてきているのが解った。
「俺の意見はどこに? さっき、団長と二人きりで話をさせるとか何とか」
「ああ」
デクスターが俺の首に腕を回して耳元で笑った。アレクシアに唇の動きを見られないように、彼女の方に背を向けて。
「今日できることは明日に伸ばすなって言うじゃん? さっさと告白してこいよ」
「いやいやいや。心の準備が。っていうか」
そこで、俺は自分の手首についたままのブレスレットに手をやった。そして、ゆっくりとそれを外すと少しだけ魔力の流れに変動があったのが解る。
うーん、外していると相手に解ってしまうのかもしれない。
かといって、魔女の秘術で抑え込もうとすると余計にまずいことになるだろうし。
後で『どうして外した?』とか訊かれたらお風呂に入ってました、とか言えばいいか?
ぐるぐるとそんなことを考えつつ。
でも、確かに訊いておいた方がいいのかもしれない、と思うのだ。
俺が男に戻ったら、ジャスティーンはどうするのか。
直接確認してから今後のことを考えよう。
で、フラれたら姉をここに置いてどこかに逃げようかな。今度こそ、姉がついてこないような場所を探してみようか。無理かもしれないが。
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