第65話 おかえり
「急に強気な発言して……可愛いわね?」
ダイアナの目は微笑んでいる者の、口調は冷え切っていた。俺を馬鹿にするその態度は、ある意味、俺のせいでもある。姉と弟という立場もあって、彼女の我が儘をこれまで受け入れてきたし、俺も彼女が与えてくる痛みに怖気づいていたから。
正直に言ってしまえば、俺は男の魔女で能力的にはダイアナを超えているはずだ。でも、いつだって俺は彼女に負けてきた。それは、俺が彼女と本気でやり合うつもりがなかったからだ。何かあった時に、俺が一歩引きさがっていたからだ。
ダイアナもそれを知っている。俺が彼女に歯向かうだけの牙を持っていないことを。だから俺を甘く見ている。
しかも今の俺は女で、魔力が随分と低下している。
それでも。
「そういう姉だから、見捨てようと思ったんだよ。自覚ある?」
俺が目を細めてそう言うと、彼女の眉間に皺が寄った。
「見捨てる? ただ逃げただけでしょ? それがあなたの弱さであり、甘さ」
先にダイアナが秘術を展開しようとした。彼女の右手のひらに浮かび上がった秘術の文字列、解き放たれる魔力。
でも、俺は軽く地面を蹴って近くの大木の枝の上に乗り、彼女の動きを封じるための秘術を発動させた。それを避けたダイアナだったが、少しだけその表情に歪んだ笑みが浮かぶ。
解るよ。
今の俺は女だけど、本気でやれば多少は――。
「おい! ちょっと!」
カルヴィンが何か叫んでいるが、俺たちの視線がそちらに向かうことはない。
俺がダイアナに下に見られていることは知ってる。
だから、一度は思い知らせてやらないといけないんだと思う。窮鼠猫を噛む。でも俺は、いつまでも鼠のままでいるつもりはなかった。
俺は木の上から右手を地面に向けて下ろし、スモールウッド家の地下――知識の家で読んだ秘術書を思い浮かべながら新たな秘術を作り上げた。俺の右手から、大木を伝って地面に降りた魔力。そして地面に描かれた秘術の紋。
俺の秘術とダイアナの秘術がぶつかり合う。
そして俺の足のすぐ横には、契約獣のイヴがいた。その小さな躰が膨れ上がり木の枝が軋む。イヴはすぐに枝から飛び降りると、明確な威嚇恩を喉から出しつつダイアナを睨みつけている。ただ、ジャスティーンの――魔術師の契約獣であるから、魔女に向かって攻撃するのは問題があるんだと思う。攻撃は躊躇っているようで、その巨大な前足で地面を叩き、何とか戦うのをやめさせようとしているようだった。
しかし――。
青白い光が真っ白な閃光に変わるのは一瞬だった。誰もが目を開けていられないような光の洪水の中、俺は初めてダイアナに傷をつけるための攻撃を続けようとする。
そう言えば、俺の手首にはコートニーに改造して貰ったブレスレットがある。あれも使えば、もっと――。
そして気が付いたら、俺たちの間――俺とダイアナの間に巨大な物が割り込んできていた。銀色に輝くそれは、巨大な昆虫の形をしている。剣のように鋭くて長い八本の足を持ち、どんなドラゴンの鱗よりも硬いであろう本体部分。魔石で作られた無数の目は前後左右、どんな方向も見て動くことができる――攻撃用の魔道具。その足はどんな生き物であろうと骨ごと簡単に切断できるし、その巨大な体躯からは想像もできないほど動きは速い。
間違いなく、それはコートニーが造った魔道具だ。こんなとんでもない兵器を造るのは彼女しかいない。
魔道具の――銀色に輝く血の通わない顔が俺たちを見下ろしている。木の上にいる俺よりも目の位置が高いのだから、圧迫感は凄まじい。
自然と、俺たちの視線が彼女に向いた。
少しだけ離れた場所で、驚いたような表情をしている男性と少女の傍に立ち尽くしているコートニーが、腕を組んで首を傾げていた。
「……何だかよく解らないのですが……そんなことをしている場合ですか?」
「邪魔しないで」
ダイアナが不機嫌な声を上げたものの、コートニーは困ったように続ける。
「いえ、邪魔した方がいいと判断しました」
「はあ?」
「だって、ここで仲違いされても困るんです、わたし」
「え?」
「わたしの移住計画が頓挫します」
何を言っているんだ、この姉は。
俺が渋い表情でコートニーを見つめていると、彼女はいつもと変わらない冷静な笑顔を俺に向けた。
「これまで、わたしの食事を作ってくれるのも、部屋の掃除をしてくれるのも、魔道具の素材を取ってきてくれるのも、全部全部ユージーンでした。ダイアナは何もしてこなかったじゃないですか。だったら、わたしにとって優先すべきなのはユージーンです。怪我をされても困りますし、だから、姉として守ってやるのは当然のことなのです」
喜んでいいのか複雑だ。
明らかに食事と身の回りの世話が目当てじゃないか、と俺がため息をこぼしていると、ダイアナは展開していた秘術を消して舌打ちした。そして俺に人差し指を向けて言ってくる。
「わたし、自分に逆らう人間が嫌いなの。解ってるわよね!?」
「……それでも、何も関係ない他人を、あんなに小さな子を巻き込むのは絶対に許せない。今度ばかりは俺も引かないから」
「え、ええ……?」
視界の隅で、幼女がおろおろと辺りを見回している。それから、思い切ったようにこちらに近づいてくる。俺が乗っている木の枝の下に立って、自分のすぐ横に立っている契約獣にも目もくれず、きらきらした瞳を向けて口を開いた。
「あの! 助けてくれてありがとうございます! 凄い秘術ですね!?」
その背後にカルヴィンが近寄ってきて、彼女と同じように俺を見上げてきた。
「師匠、格好よかったぜ!」
――誰が師匠だ。弟子するなんて言ってない。
「それより」
コートニーの言葉が続いている。
俺の視線がもう一度彼女に向くと、コートニーはもう一人の男性の肩を軽く叩きながら言うのだ。
「彼に話を聞いたんですが、行くあてがないらしいんです。何とかなりませんか?」
「は?」
そこで俺が眉を顰めた。
「この男性は魔道具を造るのが得意らしいんです。話を聞けたら、わたしの今後の魔道具制作の幅が増えそうですし、もし可能なら一緒に制作できないかと思いまして」
「は!?」
ちょっと待って欲しい。
今俺は、何を聞いているんだろうか。
コートニーは警備団の宿舎に――宿舎の近くに工房を作って、一緒に生活する気満々だった。そこに、新たに彼らを……ということだろうか。
「何だかわたしもよく解らないのですが、この人は追っ手から逃げている状態らしいんです。捕まったらもう二度と陽の当たる場所は歩けないらしいんです。それは残念だと思いませんか?」
――え、何が?
「助けてあげようと思いませんか? 隠れ家が必要なんですよ、彼らには! そしてユージーンは、優しい子だってわたしは解ってますから!」
「えっ」
俺がその男性に目を向けると、凄まじく気まずそうな光を帯びた瞳がそっとそらされた。彼の背後には今にも倒れそうなほど痩せている少女が立ったままだったけれど、さっきまでの驚いていた様子とは違って何事か考えこんでいる。
彼らが何か訳アリらしいのは理解できているが、どう考えても下手に付き合えば面倒事に巻き込まれるのは間違いないだろう。厄介なのは姉だけで充分だというのに、そこに……。
「俺も厄介な相手に追われてるし、匿って欲しいんだ」
カルヴィンがお気楽な口調で言いながら、照れたように頭を掻いている。
こいつも含めて、面倒を見ろと?
まあ、姉たちは男の魔女がおまけでついてくるなら喜ぶだろうけれども。
おまけ。
おまけだよな?
いや、それ以前に彼らはどういう関係なんだろうか。
微妙な空気と時間が流れる。
気が付いたら、空の上にあった太陽は随分と傾いていた。
「それで……」
と、俺たちの前に立ったジャスティーンが、静かに微笑みながら腕を広げている現状である。「ただいまのキスが必要だな」
いやいやいや。
それどころじゃないんだけど。
俺は額に手を置いて、深いため息をついている。
俺たちはあの後、森の中で立ち尽くしているわけにもいかず、仕方なく彼らを警備団の本館の前に連れてきたわけである。夜になれば魔物も活発化するし、カルヴィンと幼女はともかくとして、もう一人の男性と少女は森の中で生き延びることは不可能だろうと思った。だから、仕方なかったんだ。
カルヴィンは俺たちと一緒に来るのが当然と思っていたらしく、帰路の途中でも妙に俺に纏わりつきながら色々と質問も投げかけてきたが、それらは全部無視しておいた。
その代わり、純粋そうな笑顔を向ける幼女の質問には色々答えたつもりだ。「お名前は」とか、「見たことのない秘術だったんですが、あれはカニンガム特有のものなんでしょうか」とか。
真面目そうな少女だな、と好印象ではあったけれど、どうしてカニンガムにやってきたのか、と俺が逆に質問したら「子供を作れと言われて」と返ってきたのには驚いた。
いや、ある意味想定内だろうか。
ただ……年齢が。年齢が。
俺は思わずカルヴィンを軽蔑したように見たし、彼もそれに気づいて必死になって言い訳をしていた。
「俺にはそんな趣味はない! 誤解しないでくれ!」
と叫ぶ彼には、俺はずっと冷たい視線を投げるだけだったし、元々する気のなかった会話も、これで完全に拒否することに決めた。
ダイアナはそんな彼を興味深そうに見つめ、何か悪だくみしているようだった。いっそのこと、俺と関わらない場所で結婚してくれ。無理だろうけど。
厄介な相手をここまで連れてきてしまったのは、それしか道がなかったとはいえ、後悔しかない。
だから、警備団の団長であるジャスティーンにどうしたらいいのか相談しようと本館の前に立ったわけだ。
しかし、こちらの帰宅に気づいて姿を見せた彼女は、俺たちに新しい連れがいることも気にしない様子で嫣然と微笑む。三人で出かけたはずが、それに四人増えているわけだから違和感しかないだろうに。
――言うに事欠いて、ただいまのキス?
暗くなりかけた空の下、中庭にいた警備団の連中が何だ何だとこの場に集まってきている状態でそんなことを言う彼女の心臓はどうなっているのか。
そして。
「おー、こっちは邪魔しないから、ただいまの挨拶くらいはしてもいいんじゃないか?」
と、相変わらず軽い口調で声を飛ばしてきたのがデクスターである。
明らかに彼は俺を揶揄うような響きを声に含ませていた。
「いや、それはどうでもいいし」
と、俺が彼を睨んでいると、背後からジャスティーンが俺の腹に腕を回して抱きしめてきた。俺の右肩の上に乗った彼女の顎。耳元で囁かれる彼女の声。
「遠慮はしなくていいよ」
「遠慮じゃなくてですね!」
「うーん、そろそろ敬語はやめないか? もう、私たちは恋人同士なわけだし」
――え?
「おい! ちょっと待て!」
カルヴィンが何か言いかけたのを、デクスターが彼の肩を掴んで遮った。
「おい新人。邪魔しないでやってくれ」
「いや、でも! 恋人って!」
「で、ただいまのキスは?」
ジャスティーンだけが凄く楽しそうで、俺は慌てて首を横に振った。
「無理です、無理無理、絶対無理ですから! しかも、こんなに人がいる場所で!」
「気にするなよ」
デクスターが苦笑しながら言う。「頬にキスするくらい、子供でもやってる。どれだけお堅いんだ、お前は」
――頬にキス。
「そうだそうだ」
デクスターの横に立っている筋肉――ジェレマイアも、何故か剣を布で磨きながら呆れたように言った。「さっさと済ませて、この状況を説明してくれ。誰だそいつら」
頬にキス?
え?
俺は恐る恐る、目だけちらりと右肩の方へ向けた。
「ただいまのキスって……」
頬にするものだったのか?
俺、行ってきますのキスを……え?
俺が茫然とジャスティーンを見つめていると、彼女から俺の唇にキスしてきた。
「おかえり」
――え!?
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