第66話 幕間14 イリヤ・ノヴァ
「……これはどういう状況?」
俺が首を傾げる横でヴァレンタイン・スイフトは所在無げに立ち尽くしていたが、俺のその言葉に我に返ったらしい。青白い頬に緊張した瞳で俺を見下ろし、幾度か口を開きかけ、閉じる、というのを繰り返した後に何とか言葉を絞り出した。
「さあ……、解りませんね」
彼は俺の右手を握ったまま、何とか笑ってみせようと努力している。しかし、笑うことに慣れていないのか簡単に失敗して俺から目をそらした。
その視線の先には、さっき出会ったばかりの魔女たちと、辺境の地で働く騎士――剣士たちが集まっている。
そして、ユージーンという少女がその場にしゃがみ込み、頭を抱えて身体を震わせている状況だ。周りに立っていた同僚らしき男性たちから囃し立てられて、恥ずかしいのか耳が赤く染まっている。
カルヴィンという男の魔女はどうやらユージーンを気に入っていたようで、先ほど見た衝撃の光景に何か叫び声を上げていたが、警備団の一員である茶髪の優男に宥められている。その横には、困惑した様子の幼女。
ユージーンの姉妹らしい魔女二人はあまりその状況に興味がないらしく、随分と離れた場所に立って、小声で何か話し合っている。遠くから見ているだけだが、この二人の様子は良からぬことを考えているようにしか思えない。気のせいだろうか。
しかし……もう、本当に何が起きているのやら。
「し、知らなかったんだから仕方ない。次からは頬に……」
やっと立ち直ったらしいユージーンがのろのろと立ち上がり、拳を握ってそう言っていると、その背後に立った――他の皆から団長と呼ばれている長身の女性が腕を組んで微笑んだ。
「それは後で二人きりになってから話そう。それより、随分と大所帯で帰ってきたようだけど説明してもらえるかな?」
「ああ、それは――」
そこでユージーンは表情を引き締め、色々と話し始めた。
ベレスフォードから逃げてきた魔女カルヴィンとそれを追ってきた幼女、ヤバい禁術を使って逃げている元魔術師と元死体の俺。
それまで浮かれた様子で聞いていた団員たちも、何かヤバいのが来たと理解できたのだろう。俺とヴァレンタインに視線を投げてきた彼らの表情が胡散臭いものを見るものに変わっていた。
……居心地が悪い。つい、俺はヴァレンタインの背後に逃げ込んだ。
すると、誰かが苦笑しながら言うのが聞こえる。
「もうちょっと、口説きやすい女の子だったら大歓迎なんだけど。何でお前、訳アリしか連れてこないの?」
「それ以前に、デクスターの頭の中が女の子ばかりなのが問題だよ」
ユージーンの噛みつくような声。
それにはどこか、違和感を覚えた。
「行くあてがないなら、何とかしますよ」
そう言ってくれたのは、彼女だった。傍らに纏わりつくカルヴィンには冷え切った双眸を向けたが、根が真面目なのか悩んだ末に俺たちに救いの手を伸ばしてくれた。
そして幼女――ガヴリールとかいう少女にはベレスフォードに帰れる家があるらしいが、何故か俺たちと一緒についてきた。
「ユージーンお姉さまについていきます」
と微笑んだ幼女に、ユージーンが片頬を引きつらせながら「お兄さまと呼んでくれた方が嬉しい」と返したのが奇妙だった。
敬語だと解りにくいが、ユージーンはどこか……女らしくなかった。
それは何となくだが、男装の彼女――団長とのやりとりを見ていると理解できる気がする。多分、彼女はアレだ、女性しか愛せないというヤツ。女性同士で恋人になるのは、稀に……いや、それなりにあるんだろうか。女性同士では子孫は残せないだろうに。
でも。
この様子だとカルヴィンに勝ち目はないな。
そんなことを他人事のように思いながら、俺はそっと苦笑した。
俺が知らないだけで、この世界には色々な人たちが生活している。こんなに多くの一般人と顔を合わせるのも初めてなくらいだし、新しい発見はどこにでも転がっているのかもしれない。
でもこうして魂だけが蘇った後で、気づかされるなんて皮肉だとも思う。
――ねえ、イリヤ。お母さんの言うこと、聞けるわよね?
それはもう、随分と昔のことのように思える。俺が生まれ育った屋敷の中では、母の言葉が絶対だった。俺は絶対数の少ない男の魔女として生まれたから、その屋敷に閉じ込められていたのだと思う。限られた知識と限られた人間に寄って育てられ、常識を知らなかった。
俺の存在理由は『魔女を産ませること』なのだと教えられた。
今の時代、魔女ではない人間の男性と婚姻する魔女が増えている。魔力が低い魔女が増え続けていることを、母は嘆いていた。ノヴァ一族はベレスフォードでは旧家に当たり、由緒正しき血を守ることを大切にしなければならないと口を酸っぱくして言い続けていた。
子供だった俺はそれを疑うことを知らなかったのだ。
ただ彼女の言うままに従い、何もかも受け入れて成長した。姿形は大人と呼ばれるまで年を重ねても、俺は一度も屋敷から出ることは許されずにいた。
真実を知る一端となったのは、とある魔女たちの会話を聞いたからだ。
男の魔女がいるノヴァ家では、定期的に夜会が開かれていて、多くの魔女たちが訪れる。
そんな中、ノヴァ家にやってきた魔女の一人が「わたし、男に生まれなくてよかったわ」と連れに向かって話していた。廊下を歩いていた俺は偶然、部屋の扉の前で足をとめてそれを聞いた。
――だって彼、ずっとこのお屋敷に閉じ込められているんでしょ? 世の中の楽しいことも何も知らず、いわゆる飼い殺しってやつ。かわいそうよね、イリヤって! ああでも、夜の相手に困らないからそっちの意味では幸せかな?
密やかな笑い声と共に、俺が聞いているとも知らずに無責任な会話が続いている。かわいそうと言いながら、俺を嘲るように、楽しそうに。
そこからは聞くに堪えない言葉が次々と飛び出してくる。それは、これまでの魔女に対するイメージが壊れるほどだった。
俺に話しかけてくる女性の魔女たちは、誰もが優しかったと思う。耳に優しい言葉しか投げてこないからそう思ったのだ、と初めて気づかされた。
――いいなあ。わたしも男の子を産めたら、ずっとお金に困らず生きていけるんだけどなあ。子供を望む魔女たちにはどんどんお金もらえるものね。金の生る木ってアレのことでしょ?
――もし産まれたら大切に育ててあげなきゃね! 逃げないように徹底的に甘やかして、ペットみたいに飼ってあげるの!
そんな会話が続いた後に、誰かが少しだけ真剣な声で続けたのだ。
――それって本人は幸せなのかな?
――えー? 本当の幸せを知らなければ、現状で幸せでしょ。ペットはペットなりに楽しく生きていけるわよ。
ペット。俺はペットなのか。
初めて気づかされたことだった。俺はそれまで、母に愛されていると思っていた。母もまた、愛していると幾度も口にしていた。それでも、あの笑顔の裏に俺の知らない本音が隠れていたのかもしれない。
確かに俺は外の世界を知らなかった。
だから、一度でいいから自由に外出させて欲しいと母に頼んだら、いつもの優しい笑顔で諭された。
「外の世界は危険なのよ。男の魔女にとっては、ここにいた方がいいと思えるような世界なの。ここにいれば、あなたは誰からも大切にされて生きていける。わたしの言葉を聞いていれば、それでいいのよ」
そう言えば、俺が部屋を出ることが許されるのも夜会のある日だけだった。俺の世界はノヴァ家、しかも自分の部屋だけで完結している。必要なものは望めば母が全部用意してくれたし、それが当たり前なのだと思っていた。
でもそれは、母が望んだ形だったんだ。
俺というペットを管理するにはちょうどいい。ただそれだけ。
物心つく時にはもうすでに父は他界していたが、俺には妹が一人いた。顔立ちは俺によく似ていて、黙っていればおしとやかな美少女だと言えただろう。ただ、見かけによらず気性は激しかった。彼女はある時こう言った。
――わたし、お兄ちゃんのこと嫌いなんだって知ってた? お母さんの愛情、全部持っていってるんだもの。お兄ちゃんさえいなければ、わたしだってお母さんに大切にしてもらえた。愛してもらえたの。ねえ、満足? そうやって一人で幸せで嬉しいの? お兄ちゃんなんか、生まれてこなきゃよかったって思ってるの。
そんなの俺に言ってどうする、知るかよ、みたいなことを返したと思う。妹は俺を馬鹿にするように笑っていたが、俺はそれなりに心を乱された。
家出をしたのは、俺の最初で最後の抵抗だったんだろう。
あれから――魔女たちの本音を聞いてからは、俺は他人を信じることができなくなった。一番信頼できると思っていた血筋でさえ――妹だって俺を拒絶した。それなら、血のつながりのない他人なんてどこが信用できる?
言葉の裏に潜むものを考えてしまって、素直な笑い方を忘れてしまった。目の前にいる魔女たちは、俺に嘘をついている。
逃げるだけの力は持っていた。男の魔女である俺とまともにやりあって勝てる女の魔女はいない。だからどこまでも逃げた。母は追ってきたみたいだったが、俺の足は彼女よりもずっと早く移動できた。
そして得た初めての自由。それはとても心地よかったし、そして限りなく孤独だった。
世界は広い。俺が生きていくには広すぎた。小さな部屋で飼いならされたペットには過ぎた夢だったのかもしれなかった。認めたくはなかったが。
魔女たちと接触しないように、俺は山の奥だったり森の奥へ逃げ込んだ。
おそらく、金の使い方とか稼ぎ方も知らなかったから、人間の住む町では生きていけなかったと思う。
魔物を倒してそれらの血を浴びながら、これからどこへ行こうか。そんなことだけを考えて過ごす。
最期の時は呆気なかったと思う。
男の魔女は強大な魔力を常時発しているせいか、『劣化』も早かった。おそらく、肉体にかかる負担が大きいのだ。いつの間にか、自分の魔力に肉体が付いていけなくなっていた。
ある日の夜、身体に力が入らず、膝を地面に突いたら立ち上がれなくなった。山の奥、木々が鬱蒼と茂る中。俺は頭上に輝く月を見上げ、笑ってしまった。
逃げ出したのは俺なのに。
母と妹を信じられずに逃げたのに。
眩暈、呼吸の乱れ、そして指先が冷たくなっていくのを感じて怖くなった。冷えた指先から痺れが走る。
たとえ嘘だったとしても。
死ぬときくらいは誰かに傍にいて欲しいと……感じてしまったのだ。そう、嘘でもよかったのかもしれない。今更考えても遅いけれど。
死ぬのは怖い? 怖くない?
でも、誰かに手を握ってもらえていたら、こんなに寂しいと感じなかったのかもしれなかった。
俺はそんな心残りを感じながら目を閉じた。意識が暗闇に呑み込まれて終わったのだ。
きっと、死体は魔物の餌となった。今、探したとしても骨すら見つからないのかも。
でも、何故か俺はこうして魂だけ呼び戻されて、別人の――女性の身体でここにいる。
自分が男の魔女として生まれなければ、なんてことを考えていたからだろうか。もしかしたらこの世界には神様というのが存在していて、もう一度だけチャンスをもらったのかもしれない。
平凡な人間としての死を経験できるように。
次の死の間際には、誰かに手を握っていてもらえるように。
今度こそ、あの寂しさを感じないために。
俺はそこで、ふと視線を上げて隣に立つ男を見た。ヴァレンタイン・スイフト。俺の今の肉体の持ち主の婚約者とやら。彼は今、複雑そうな感情を交えた瞳をユージーンたちに向けている。そして、相変わらず俺の手を握っていて放さない。
彼が大切なのは俺の肉体――ウェンディとかいう名前の少女だ。
でももしかしたら、二度目の死の間際には、彼が俺の願いを叶えてくれるのかも。
この肉体には魔力が一欠片も存在しない。
魔女でも魔術師でもなく、本当に普通の女の子の身体なのだ。そして、無理やり蘇った状態。歩くことはできるけれど奇妙なまでに疲れやすいのは――おそらく、女の子の身体だから、じゃ説明がつかない。
今は動いているこの心臓が止まるのはいつなのか解らないけれど、きっとそんなに遠い未来じゃない。
そんなことをじっと考えていると、ユージーンが俺たちの前に歩み寄って声をかけてきた。
「あの、ちょっといいですか? 俺、諸事情でここに住んでるんですけど、俺の家には知識の……ええと、凄い書庫があるんです。今は諸事情で開かないんですけど」
「諸事情が多いねえ」
俺がニヤリと笑って言うと、彼女も苦笑した。
「それはおいおい話します。で、ですね? 俺の一族は秘術に関しての書物をたくさん保管しているわけで、もしかしたらその中には、あなた方の力になれるものもあるんじゃないかと思うんです」
「力に?」
俺が首を傾げていると、ユージーンは困ったように眉尻を下げた。
「だって、おかしくないですか? 普通、どんな人間でも大小の差はあれ、多少の魔力を発しているはずなんですよ。でも、あなたには何も感じない」
と、彼女の指先が俺の胸元に向けられた。
ああ、やっぱりそうなんだ、と俺が他人事のように頷いていると。
「今は秘術と魔術の残り香というか、そっちの迷惑な男が放った魔力が命をつないでいるような状態ですけど」
ユージーンが遠くに幼女と一緒に立っているカルヴィンに一瞬だけ視線を向けて続ける。「このままだと、肉体の保持が難しいと思います。死にたくなければ、何かしないといけないんじゃないですかね?」
そこで、俺の手を握っていたヴァレンタインの指に力が込められた。見上げるとその頬には血の気が全くと言っていいほどなかった。
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