第19話 王女殿下の婚約者は

「王女様の婚約者はサディアス・ゴールディングっていうんだよ」

 デクスターが馬に乗りながら話し始める。俺も自分の馬の首を撫でてからその背中に乗り、そっと辺りを見回してからこう返した。

「ゴールディングって聞いたことのある名前なんだが」

「そりゃそうだろ」

 昨日と同じ面子で向かう、辺境の見回りの任務。俺たちの会話を聞いた騎士の一人――ジェレマイアという名の男が声をかけてきた。

「ゴールディングって言ったら、王宮騎士団の将軍の家名だしな!」

 顔を歪めるようにしてニヤリと笑った彼は、その大柄な身体に似合う大声で続ける。「トバイアス・ゴールディング将軍。幾度となく戦争で武勲を立ててこのカニンガム王国の英雄となった男だよ。国王陛下の命を守ったのも数知れず、その時に受けたデカイ傷が頬にあるんだが、それも勲章だって笑いながら敵と戦ったって話だ」

「へえ」

 俺は思わず素直に感心してから、はた、と気づく。「その凄い将軍の……息子か何かが王女殿下の婚約者?」

「そうそう。将軍の息子で、すっげえ美形だって話だ」

 そこでデクスターが口を挟んでくる。ちなみに、俺の右側にデクスター、左側に筋肉隆々のジェレマイア。それに挟まれているのが髪の毛つやつやになった美少女俺、という格好だ。

 今現在、任務に出ているのはジャスティーンを除く昨日のメンバーである。いや、ダイアナも部屋に引きこもって何やら薬の調合を始めてしまったので、俺たちにはついてきていない。

 ジャスティーンは結局、あの我が儘王女殿下に引き留められて、宿舎でのんびり過ごしているらしい。何だかムカつく。空が青いのも、風が涼しいのも、鳥の鳴き声が美しいのも、何もかもムカつく。


「美少女と美形でお似合い……なんだよな?」

 俺が胸のムカつきを覚えながらデクスターに訊くと、彼は複雑そうな表情を浮かべた。

「まー、どうなんだろね?」

「ん?」

「ホント、ユージーンちゃんって噂話に疎いのな」

 デクスターがその優男然とした風貌に似合わず、俗っぽい笑顔を作る。そういう顔をしなければいい男なんだろうが残念だ。

 俺は思わず舌打ちをする。

「ちゃんづけはやめろ」

「まあまあ」

 くっくっく、と彼は小さく笑って肩を揺らした後で、俺の知らない噂話とやらを教えてくれた。


 トバイアス・ゴールディング将軍とやらはその功績をたたえられて、国王陛下に何か褒美を取らせると約束してもらったらしい。それは彼の息子であるサディアスが生まれたばかりの頃だった。

 最初、将軍は褒美など必要ないと固辞していたようだが、陛下がことあるごとに言うので『冗談で』こう言ったようだ。


 ――では、うちの息子が年頃になったら、いいお嬢さんを紹介していただきたい。


 その結果、その少し後に生まれた第二王女がサディアスの婚約者となった。


 サディアスは子供の頃から父親を尊敬していて、その父親と国王陛下の決めたことなら――と、その婚約を受け入れたらしいが、どうも彼は婚約者との時間よりも剣の練習の時間を優先させたようだ。それが不和のきっかけになったことであったけれど、その後の行動もまずかった。


 貴族の人間と言うのは十三歳になると学園に通うことが義務付けられている。それは王家の人間も同じだ。

 サディアスがエメライン王女よりも一年早く学園に入学し、学問に剣術にと勤しんでいたが、そこでとある男爵令嬢と親しく会話するようになった。そこには恋愛感情などなく、図書館で勉強をしている時に質問をしあう仲だったということだが――。


 まあ、軽率ではあると思う。

 婚約者がいるんだから、どんな理由があれ下手に他の女性と仲良くなるのは……なあ。


 一年遅れで学園に通い出したエメライン王女は、図書室のテーブルで向かい合って勉強している二人を見てさらに彼に怒りを覚えたというわけだ。

 婚約者である自分とはまともに時間を確保しないくせに――と。

 ここでやはり、二人は毒を吐き合う関係になり、王女殿下は「どうぞ、その男爵令嬢と仲良くなさったら?」と捨て置いてジャスティーンに泣きついた。

 男なんて信じられない!

 というのが王女殿下の言い分だ。


 そして、サディアスにも言い分がある。ただの友人関係に口出しをされても、ということだ。

 それに、王女殿下がジャスティーンとよからぬ噂を出してしまったのも悪かった。完全に冷え切った関係になった二人だったが、国王陛下と将軍に絞られたようで少しずつ二人の時間を作るようになった。これで少しは改善するかと思われた。

 しかし、二人の不和のきっかけになった男爵令嬢が、彼女の父親の命令で学園から去ったことでまたぎくしゃくし始めた。サディアスは男爵令嬢に申し訳なく思い、そんな彼を見た王女殿下は「やっぱり彼女のことが好きなんでしょう」とキレた。


 そして、学園の人間は男爵令嬢に同情的だったのだ。

 本当に愛し合っていたのは、サディアスと男爵令嬢、なんて噂が飛び交い、それを引き裂いた悪役の第二王女、の図が出来上がった。


「まあ、王女殿下の方が分が悪いよなあ」

 デクスターは少しだけ呆れたように笑いながら続ける。「でも、二人の婚約がなくなれば他の貴族たちが『もしかしたら俺にもチャンスが!』と浮かれるのも解る。気は強そうだけどとんでもない美少女、気は利かないかもしれないがゆくゆくは父親と同じように騎士団の重鎮になりそうな美形。どっちも魅力的だ」

 しかし、それを聞いたジェレマイアは低く笑いながら言う。

「でもまあ、俺たちには無縁の世界だしな! 正直なところ、美形と美女が争ってる光景は面白い。娯楽のない辺境の地では、いい酒のつまみになるしな!」


 ……酷い。


 俺は引きつった笑みを返しつつ、面倒だから早く王女殿下が王都に帰ってくれることを祈った。宿舎にいつまでも居座られると居心地が悪いし。

 しかし――。


 一日の任務を終えて宿舎に戻り、夕食を作ろうと厨房の裏にある大きなパントリーに向かう途中で、胃の痛くなるような光景が目に飛び込んでくる。

 スモールウッド家の悪女――ダイアナが王宮騎士や王宮魔術師たちとお茶を飲みながら目元に涙を浮かべている。一体何事かと思ったら……。


「わたしの妹はこちらの団長さんといい感じだったのに……やっぱり、遊ばれていただけなのですよね……」


 ――は?


「わたし、妹がこんな辺境の地で働くと言い出したから不安で不安で……いてもたってもいられずに押しかけてきた感じなんですけど、まさかこんなことになってるなんて」

 そう言って肩を震わせるダイアナを、必死に慰めようとする男性陣。困惑しながらも、だんだん姉の演技に騙されて傾倒していっているのが目に見えて解る。

 しかも、三階から何か用があって降りてきたらしい王女殿下の侍女が、その様子を見て慌てて戻って行った。もう、それだけで厭な予感しかしない。


「あら、あなたは彼女のお姉さまなのね?」

 王女殿下が食堂の入り口に姿を見せた時も、俺はどうしたものかと額に手を置いたまま身動きができずにいた。ダイアナはそんな王女殿下を見て、慌てて椅子から立ち上がってか弱く震えて見せる。もう本当、勘弁して欲しい。

「申し訳ありません。でも……わたしは妹のことが心配で」

 か細く響く姉の声と、それを気づかわしそうに見つめる王都からの一行。いつの間にか姉が例の洗脳する薬でも使ったのか。


 っていうか、妹って誰だ。俺か。違うだろう。


 王女殿下の左右に控える侍女たちの目が冷たい。やっぱり女って怖い。逃げたい。

 しかも、慌てたようにジャスティーンもその場に姿を見せた。

「王女殿下」

 ジャスティーンは王女殿下を階上に連れ戻そうとしたようだが、王女殿下の気の強そうな双眸はまっすぐに俺に向けられていて、その場から動こうとしなかった。

 しかも、俺に指を突き付けて言うのだ。

「ジャスはわたしのものなの。あなたには渡さないから!」

「いや、あの」

「頼むから上に行こう」

 ジャスティーンがその彼女の手を優しくつかみ、ぎこちなく笑う。「夕食までまだ時間はあるし、少し休もうじゃないか」

 不承不承といった様子でそれに従ったけれど、俺を横目に睨みつけながら小さく呟いているのが聞こえた。多分、わざと俺に聞かせるように言ったんだろう。

「わたし、女性って信用しないことにしてるの」


 ――なるほど、奇遇なことだ。俺もそうだ。


「ごめん。後でゆっくり話す時間を作る。本当に、彼女とは何もないから」

 ジャスティーンが小声で俺に囁いてから王女殿下を連れて三階の部屋に向かったが――いつの間にか、食材を取りに行ったまま戻らない俺の様子を見に、デクスター含む団員の皆がこの場に集まっていて。

「おお、浮気を見つかった亭主みたいなことを言ってる」

 と、デクスターがぼそりと呟き、ジェレマイアが頭を掻きながら「こりゃ美味い酒が飲めそうだな」と呆れたように言う。


 ダイアナの周りには男性陣が集まっていて、「元気を出してください」とか「王女殿下も酷いな」とか言い出しているし。さらに、俺に声をかけてくる王宮騎士もいた。

「失礼ですが、ジャスティーン・オルコットは……問題のある人間だとご存知ですか?」

 なんてことを、心配そうに。

「知ってます」

 俺は何とかそう返すと、もの凄く残念なものを見るかのような視線が降ってきた。何だこれ。


 転職しようかと本気で悩み始めたその夜、他の皆が寝静まったであろう深夜に俺の部屋の扉がノックされた。警戒しつつドアを開けると、悄然とした様子のジャスティーンが立っていた。深夜だというのに警備団の制服のまま、顔色も悪いように思えた。

「言い訳をさせて欲しい」

 彼女はそう言ったけれど。

「いや、俺たちは言い訳してもらうほどの関係ではないですよね?」

 そう返したら、急に抱きしめられてドアを後ろ手に閉められた。

「じゃあ、そういう関係に今すぐなろう」

「最低」

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