第18話 わたしが磨き上げてあげる

「……姉さん、他人の迷惑というものを考えていただきたく」

 俺は早朝から姉の客室の扉を叩くことになった。朝食を作りに階下に降りようとしたら、廊下が煙に覆われていたからだ。姉が原因だと一目見て解った。

「あら? 別にこのくらい、迷惑でもなんでもないでしょう?」

 扉を開けて中を覗くと、テーブルの上に調合のための鍋や試験管が並び、薬草の入った籠や売買禁止の毒草なども床に無造作に投げ出している彼女の姿が見えた。一体いつからやっていたのか、さまざまな色をした液体入りの薬瓶が出来上がっているし、小型の魔物の死体まで転がってるっていう状態だ。

「悪臭が漂っていたら迷惑です」

 俺は小さくため息をついた後、地面に落ちているトカゲ型の魔物を拾い上げ、秘術でそれを凍り漬けにしてテーブルの上に置いた。悪趣味な置物のような見た目である。

「香水も作ったわよ? ほら、王都から来た人たちに売りつけたらいい稼ぎになるでしょう?」

 にこりと微笑んだ彼女は、白い夜着に身を包んだままで、見た目だけなら人畜無害な美少女だが……。

「その香水には、どんな効き目が?」

「秘術の呪文と組み合わせると洗脳に使えるわよ?」

 駄目だこいつ、早くスモールウッド家に帰ってもらわないと。

 俺は内心では戦々恐々としつつ、必死に笑顔を作って見せた。

「きっと、母さんたちは喜びますね? それを持って帰れば……」

「まだ帰らないわよ」


 ちっ。


 こめかみが引きつる感覚を覚えながら、俺は「そうですか」と返して廊下に出ようとしたのだが、そこで「待ちなさい」と腕を掴まれた。

「えっ」

「ここに座りなさい」

 俺はダイアナに無理やり椅子に座らされ、肩に食い込む彼女の爪の痛みに顔を顰めた。全く目が笑っていない彼女の微笑ほど怖いものはない。彼女は俺の顔を覗き込み、唇だけで笑って小首を傾げた。

「ねえ、あの王都から連中、大きな顔をしていると思わない?」

「え、いや。それが当然なのでは。俺たちとは立場が違いますし」

「昨日から随分と我が物顔でこの宿舎を陣取って、わたしたちの居場所がないっていうか。侍女だか何だか知らないけど、勝手にやってきて偉そうに歩き回って、わたしが廊下を歩くものなら睨んでくるし、いかにも邪魔だっていう雰囲気出してくるし」


 ――いや、勝手にやってきたのは姉さんもなんだけど。


「それに、厨房が占拠されてるんでしょう? だからあなたの作る食事内容のレベルが下がるっていうか、最悪なのよ。お茶一つにしたって、ちゃんとした茶器を使ってないし気分が上がらないのよ。解る? あんな安っぽい木のカップで出されても、お茶っていうのはただ喉を潤すためのものじゃないんだから」


 ――いや……、だから。


「大体、王女様だか何だか知らないけど、あんな高価そうなドレスを着てこんなところにやってきて。彼らにわたしやあなたがどんな目で見られていると思う? まるで下賤な人間を見るかのような目で見て」


 ――そこには多大なる被害妄想も入ってそうだ。


 俺は引きつった笑顔のまま首を傾げていると、ダイアナは急に俺の頬に手を当てて厭な笑い声を立てた。怖い。

「こっちも腹の虫が治まらないの。解るでしょう?」

「い、いいえ……」

 そっと目をそらしてみるも、彼女の声音はさらに低くなった。

「誰だって高価なドレスや宝石を身に着けていればそれなりに見えるわよ。わたしだって、その気になれば負けないどころか天下を取れるわ」

「えっ」

 何だか厭な予感がして視線を彼女に戻すと、その目には怨嗟にも似た輝きがあるのに気付く。そう言えば、ダイアナの沸点がどこにあるのか俺もまだ解らないのだった。侍女だか王宮魔術師だか何だか知らないが、よほど変な目で見られたのか。

「食事を後回しにされたりとか、もの凄い屈辱だったわ。わたしは一番でなければ納得いかないのよ。賞賛の目で見られないと生きてるって感じがしないの。だから、負けていられないわ」

 彼女はそこで忌々しそうに自分の親指の爪を噛み、ふと視線を上げて魔女の秘術呪文を唱えだした。そしてベッドの上にどさどさと降り注ぐドレスやら化粧品やら。

「由緒あるスモールウッド家の魔女が色々なところで格上だってところ、見せてつけてあげるわ。もちろん、それにはあなたも含まれるんだからね、ユージーン」

「え、俺?」

「当然でしょ? いくら女になったとはいえ、そんなみすぼらしい格好をされているのは我が一族の恥なの」

「えっ」

「動くんじゃないわよ? わたしが磨き上げてあげるから」

「ちょっ」

 そして俺は何が何だか解らないまま、ダイアナのおもちゃにされることになったわけだ。


「え? かーわいいじゃん、ユージーンちゃん」

 俺が宿舎の外に出て、本館の前で朝食を作り始めていた団員の皆の前に立つ頃には、もう力尽きて何も言う気力はなかった。

 早朝だから、まだ空の色は赤みを帯びている。宿舎の中は侍女だか召使だかは忙しそうに起き出していたが、王女様はもちろんのこと、一緒に来た他の連中もベッドの中だろう。

 そんな宿舎の階段を降り、厨房の横を通り過ぎて外へ出る扉の前に立った時は、少しだけ勇気が必要だった。

 何故ならば。

「何だ、髪の毛って伸ばせたのか。化粧もしてる?」

 すぐに俺の姿を見つけたデクスターは、あの軽い調子て口笛を吹き、俺の周りをぐるぐる回りながら値踏みをしている。

 そして、俺から遅れること少しして、宿舎から出てきた俺の姉は――今までで一番の化けっぷりだった。清楚さを演出するかのような白いドレス、濡れたように艶やかな長い黒髪には、小さな宝石のような白い輝きがところどころで瞬く。何もしなくても、男だったら一目見て恋に落ちるほどの美少女だったというのに、そこに美しい目元を強調する化粧をしてきているのだから質が悪い。

 彼女は見事にどこかの神の使いかと思われるような雰囲気で、団員たちの前に立ったわけだ。誰もかれもが姉に見惚れて声を失っている間に、デクスターだけはすぐに我に返って俺の耳元で囁いた。

「お前もお姉さんに化粧をされたのか?」

「ああ、うん、まあ」

 歯切れ悪く返した俺は、変な方に燃えてしまった姉に『色々』やられた後だった。

 外で朝食を作るからズボンの制服姿だったのだが、任務に出る前は必ずドレス姿でいなさいと命令され、今はメイド服をさらに可愛らしくしたような格好だ。

 短い髪の毛は秘術で背中の中央くらいまで伸ばされてしまい、オイルを揉みこまれたりされたので凄まじくつやつや。そして頬の脇辺りの髪の毛は後ろに流され、編み込まれている。

 顔に施された化粧は姉と同じような清楚系だろう。目元強調、キラキラ輝くピンク色の口紅。


 そろそろ死にたい。


 いや、本音は死にたくないけど。


 っていうか、俺はどうしてこんなことになっているんだろう。スモールウッド家にいたくなくて逃げてきたというのに、何故かダイアナもついてきた。裸族双子がいないだけマシだろうか。

 落ち込み気味だった俺に追い打ちをかけるのはデクスターで、散々面白そうに俺を見つめた後、こう言った。

「その格好で、夜の食事時に酌をしてくれたら皆の疲れが吹き飛ぶよ」

「俺の疲れは増すけれど?」

「じゃあ、疲れていない朝から酌をしてくれるか?」

 と口を挟んできたのは、団員のうちの一人の騎士で。それを皮切りに他の団員もわらわらと俺の周りに集まり始め、「酒はないからお茶で」とか「酒の席なら酔った勢いで口説けるのに」とか言い出した。殴りたい、こいつら。


 そんな感じで俺だけぐったりしつつ、朝食を作って俺の前に列を作る皆の皿に一人ずつシチューを注いでやったりしたわけだ。

 そして、ダイアナが「部屋で食事を取るから持ってきて」と言うのでそれに従った。すっかり青い空になって爽やかな風が吹く中、俺は秘術で作り出したワゴンに料理の皿を乗せて宿舎の中に入る。そして、食堂に入ろうとしている王宮騎士、王宮魔術師たちの横をすり抜けて三階へと上がろうとして。


「あら、あなた方はお部屋でお食事?」

 タイミング悪く、階段を降りてきたエメライン王女殿下に声をかけられたのだ。

 寝起きからばっちり化粧、階段から下りてくる時に裾を踏みそうだと心配になるような、ふんわりと広がった華やかなドレス。凄まじい美少女と、俺の前を歩く『見かけだけ』純情可憐な美少女の姉の視線が絡み合う。

 俺は視線が泳ぐ。怖い。

 エメライン王女殿下の周りには、相変わらず腰ぎんちゃくならぬ――侍女さんたちが勢揃いしていて、俺たちから守るようにエメライン王女殿下の前に立つ。

「王女殿下が先に降りますのので、下がりなさい」

「あ」

 その侍女の言葉に反応する姉は、酷く怯えたように身を引いて見せた。可憐な美少女がすぐに下がって、食堂に行こうとしていた男性たちの前で泣きそうな目をしている。

「申し訳ございません」

 そう深々と頭を下げた姉は、弱々しく目を瞬かせたわけだけれども。


 多少、男性陣の方に気遣うような動きが見られたのが凄い。姉は王女殿下の侍女に冷たくあしらわれたという空気を作って同情を引いている。俺にはできない高度なテクニックである。

 もしかしたら洗脳の効果のある香水をつけているのか、と疑ってしまうほどの変化だった。


 さらに。

「あなた、ジャスとどんな関係なの?」

 王女殿下は階段を降りてくると、俺たちの前で足を止めてそう訊いてくる。姉と俺は頭を下げたままだったけれど、そこでこっそりと顔を上げる。

「あなたよ、あなた。ジャスと仲がいいように思えたけれど」

 エメライン王女殿下の目は俺を見つめていて、完全に敵意が剥きだしだ。俺は慌てて首を横に振った。

「失礼ながら、ただの上司と部下です」

 そう俺が言うと、彼女は少しだけ鼻を鳴らして見せた。美少女というのはそういう仕草も様になる。

「そう。ただの上司と部下が廊下で抱き合うものかしら」

「うう……」

 それは忘れておきたかった。

「あまりジャスに迷惑をかけないでね? ジャスは誰にでも優しいから誤解されやすいの」

「はい」

 俺がそこで頭をもう一度下げると、彼女はそのまま食堂に入っていってしまった。そこから、厨房に何か指示を出しているような声が聞こえてくるが。


「あの、大丈夫ですか?」

 王宮騎士の男性が、眉根を寄せながら俺たち二人の顔を見つめてそう声をかけてきた。気が付けば、他にもこちらを心配そうに見ている人たちがいる。

「大丈夫です」

 そう言った姉は、弱々しく微笑んで小首を傾げて見せた。「王女殿下にご不興を買ったら大変ですもの。できるだけ部屋にこもるようにいたします」


 おお、凄まじいまでに被害者っぽい雰囲気を作り出した。

 泣きそうな美少女と、それを放っておけない正義感溢れる騎士の図。


 俺が無言で感心していると、ダイアナが俺の肩を叩いて上に行こうと促してきた。ワゴンを秘術で宙に浮かせつつ階段を上がっていったのだが、横を歩くダイアナがぞっとするような笑顔を浮かべているのが横目でも解った。

「味方を増やして見せるわよ」

 そう言った姉の声を聞きながら。


 もう、本当にどうしてこうなった。

 俺は途方に暮れていたのだった。

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