第74話 美魔女の噂
「ジャスに免じていったんは引いてあげるけど、納得したわけではないこと、忘れないでいただけるかしら! あなたがジャスの幸せな未来をほんの少しでも潰すと判断できたら、必ず引き裂いてみせるから覚悟してちょうだい!」
早朝、涼しい風が吹き抜ける心地よい中庭で、全く心地よくない言葉を投げてきたのはエメライン・カニンガム王女である。胸を張って自信満々に微笑む彼女の背後には、彼女の侍女であるアレクシア・ローガンもうっすらと微笑みながら俺を見つめている。
「は、はあ」
俺が眉根を寄せつつ何とかそう返すと、王女殿下は少しだけ満足したように斜に構えて微笑む。
「本当はアレクシアを置いていきたかったのだけど」
――それは勘弁してもらいたい。
「これもジャスに免じて勘弁してあげましょう」
――それはありがたい。
頭痛を覚えながらも俺は引きつった笑みを浮かべる。
『置いていきたかった』という言葉が出た瞬間、当の本人であるアレクシアがぎょっとしたように王女殿下の背中を見つめたのが解ったし、置いていかれることがないと知った彼女がこっそり胸を撫でおろしているのも見えた。
それに気づいていない様子で、王女殿下は辺りをぐるりと見回した。
問題児の王女殿下が王都に帰るということで、警備団の人間全員が見送りのために中庭に勢揃いしている。王女殿下を守るために存在していた――いた意味があるのかどうかも解らないが――騎士たちと魔術師たちも出立の準備万端でその場に控えていた。
そして、警備団の人間の中に目当ての姿を見つけ、彼女は顔をほころばせた。
「待っていますから」
エメライン王女殿下は神妙な面持ちで立っていたサディアスの前に歩み寄り、その手を握って微笑む。「必ず、戻ってきてください」
「はい」
サディアスは無表情でそう言ったものの、僅かに辺りに流れ出た甘い雰囲気に当てられて、遠巻きにそれを見ていたジェレマイアが「おう、帰れ帰れ」と小声で囁いたし、デクスターがつまらなさそうに鼻を鳴らしていた。
他の団員たちも似たようなもので、やっと邪魔な奴らがいなくなる、と心の中で喜んでいたみたいだ。
とまあ、朝一番からため息しか出ない時間を過ごした後、俺たちは出かけることにした。王女殿下たちご一行様の馬車も荷馬車も遠くに消えてからである。
俺たち魔女だけなら走って移動――なんてこともできるが、こちらにはイリヤとヴァレンタインという連れができたわけだし、そんな力技が使えない。
それで結局、警備団の飛竜を借りていくことになったのだが――。
「だんちょう……?」
飛竜の厩舎の前で準備をしているジャスティーンに向かって、イーサンが情けない声を上げた。「私を捨てていくんですか!?」
「誤解を招く発言はやめてもらおうか」
ジャスティーンは、自分の腹に抱き着いてきたイーサンを乱暴に手で引き剥がそうとしながら言う。男らしい美声持ちのイーサンだが、こうなってしまうと単なる子供である。
「やっと、王女殿下たちがいなくなったというのに! やっと平和が戻ってきたというのに! 団長は私を捨ててどこに旅行ですか!?」
「旅行なんてお気楽なものじゃない!」
「何だあれ」
俺の隣に立ったカルヴィンが怪訝そうにジャスティーンたちの戯れを見やる。距離が近かったので、俺はさりげなくカルヴィンから数歩遠ざかり、隠れ家から姿を見せた姉二人に手を振った。
「姉さん、今回は飛竜に乗るけどいい?」
気だるげに髪の毛を掻き上げているダイアナは、厩舎の中を覗き込んで低く唸っている。しかし、コートニーは目を輝かせて俺を見た。
「あの、飛竜に取り付けられている魔道具は何ですか?」
大きな飛竜の背中側には目立つ座席があるが、目ざとい姉はその座席の前方に設置されている魔道具に気づいたらしい。それは手綱につながっていて、飛竜を操る人間が簡単に触れる場所にある。
それは俺も警備団に来てから知った魔道具だ。
「警備団の飛竜は、戦闘用なんだ」
大きな檻に入っている飛竜たちは、知らない人間が入ってきても動じない。俺はその檻の前に立って説明を始めた。
「御者も重要な戦闘員というか、むしろ一人で乗ることも多いから自動操縦できるように魔道具がつけられている。どういう動きで飛ぶのか、さらに遠くまで行くならその行き先も指定することができる。行き先が指定されてしまえば、最初から最後まで御者は手綱を操る必要もないらしいよ。まあ、戦闘用の飛竜だから乗り心地はお察し、という感じではあるみたいだけど」
「わたしが御者になってもいいですか? いいですよね?」
明らかに新しいおもちゃを見つけてそわそわしている様子のコートニーは、目元を赤く染めながら檻に手を伸ばす。それから、厩舎の入り口でこちらを見つめていたイリヤとヴァレンタインに視線を投げた。
「そちらの魔術師の方!」
「え?」
「魔道具を造るのが得意というのなら、これも見たら解りますよね? 一緒に乗って説明を希望します! 改造するならどうするのかとか、熱く語り合うのも一興だと思いませんか?」
――思いません。
そう考えているのが目に見えて解るヴァレンタインだったが、コートニーのごり押しに負けたようで、気が付いたらコートニーとヴァレンタインが一緒に乗ることになっていた。もちろん、ヴァレンが乗るならイリヤも一緒。
一頭の背中に全員が乗れるほど広いわけじゃないから、最終的には、コートニー、イリヤ、ヴァレンタイン、カルヴィンが一頭の飛竜、もう一頭の背中には俺とジャスティーン、ダイアナということになった。
「俺もユージーンと一緒がいい!」
と、最後までカルヴィンは粘っていたが。
「それは断る」
と、イーサンを振り切ってやってきたジャスティーンが、俺の背後から抱きしめて拒否の言葉を投げた。
「あんたは女だろうが!」
「君こそ男だよね? ユージーンは本当は男性なんだよ?」
「大体それも信用ならない! 性別が違うとか、嘘かもしれない! ユージーンはどこからどうみても完璧な女の子だろう!?」
「そうだね、立派な胸もあるし」
そこでジャスティーンが俺の腹の上にあった手を滑らせ、当然のように俺の胸を揉んだ。「ひょっ」という変な声を上げた俺を全く気にした様子もなく、二人は低レベルな言い争いを散々交わした後で、飛竜の背中に乗り込むことになった。
「どうぞ、ご無事で」
出発の前に、幼女――ガヴリールがお見送りに出てきてくれた。その無邪気な笑顔は、俺たちには存在しない清涼さを漂わせていて、もの凄く心が和む。
俺は一人で留守番になってしまった彼女を心配して、食料やら生活必需品を隠れ家にたくさん運び込んでおいたのだが、それに付随して色々話をしていたら懐かれたみたいだ。
「お料理、練習しておきますから! ユージーンお姉さまに美味しいっていつか言ってもらえるよう、頑張りますから! ですから、お姉さまも頑張って男性に戻ってくださいね!」
そんなことを言われて、ついその頭を撫でておいた。
カルヴィンにはもったいない、純粋ないい子である。
「敵が増えた気がするんだよね」
飛竜の背中に乗るのをジャスティーンがエスコートしてくれたのだけれど、俺を見下ろしながら何かぶつぶつ言っているのが聞こえた。というか、何故、俺はエスコートされているのだろうか。ジャスティーンだって女性なのに。
「敵って何? それより、そろそろ今回の事件の話をしたいんだけど」
俺が飛竜の背中にある座席に腰を下ろすと、彼女はダイアナの手も取って乗り込むのを手伝ってくれている。ダイアナはそれを当然のことのように受け入れ、俺と同じように座席に座りながらじっとジャスティーンを見つめていた。
「……何と言うか……そのうち、あなたたち女同士でも子供ができそうで怖いわ」
「姉さんの発想の方が怖いよ」
そんな会話をしている間に、ジャスティーンは御者台に立って魔道具を触っていた。すると、離れた場所にいるもう一頭の飛竜から妙にはっきりとした声が飛んできた。
いや、飛んできたというか――。
「これも魔道具だよ」
ジャスティーンが御者台についていた小さな箱のようなものを指さした。そう言った声も、もう一頭の飛竜――コートニーたちに届いたらしい。普通だったら聞こえない距離があった、その箱も俺の手首についている通信用の魔道具なんだろうと解る。
『空を飛びながら会話ができるわけですね!』
その通信具から上機嫌なコートニーの声がさらに響く。『やっぱり、魔術師が造る魔道具って術式が細かいですよね! わたしたちが造る魔道具なんて、大雑把でも何とかなってるのが多いんですけど!』
そこからしばらくの間、魔道具についてのどうでもいい見解を熱く語ってくれたけれどそれはどうでもいい。
ジャスティーンは飛竜の扱いを手短に説明した後、それぞれ大空へと飛竜を羽ばたかせたのだった。
「それで、そちらの……ヴァレンタイン・スイフトが言ってくれた件だけど」
空から見下ろす辺境の森は緑が濃く、美しい。それを見下ろしながら、彼女は話を切り出した。
「昔、君は魔道具を売りつけたようだね? その相手が、ソランジュ・バルニエ公爵夫人というのは確かかな?」
『はい』
魔道具の向こう側から静かな声が響く。
ジャスティーンは魔道具で飛竜を自動操縦にしてから、俺の方へやってきた。俺たちの周りには魔術の防壁があるから、飛竜が飛んでいようが気にせず歩き回ることができる。俺の後ろ側の座席に座ったジャスティーンは、また俺を背後から抱き寄せて膝の上に乗せた。
『おい! お前!』
魔道具の向こう側でカルヴィンが騒いでいる声が聞こえる。
イリヤとやらと親子の会話をしていてくれていいのに。俺は遠くを見ながらため息をついたが、ジャスティーンはヴァレンタインと会話を続けている。
「ソランジュ・バルニエという女性は、とても美しい女性として昔から有名だったんだ。ああいうのを『美魔女』と言うんだろうか、と皆から噂されていた。単なる美容のための薬品とか、そういったものじゃなくて――何か特別なものを使っているんじゃないかって噂があった。魔女から若返りの秘薬を買っているのでは、なんてことも言われていたと思う」
『そうですね。私が昔、会った時からとても美しい女性でした。美しさを維持するための魔道具が欲しいと、さらに美しくなるための、若くなるための魔道具が欲しいと言われて造ったのですが……』
「それが、生贄が必要だと?」
『はい』
「そう」
ジャスティーンが俺の頭の上に顎を置いて喋っているものだから、がくがくと衝撃た伝わった微妙に痛い。でも、振り払うのが面倒というか、俺の背中に感じるジャスティーンの胸……いや、体温が心地よいのも確かだし、振り払う必要性を感じないから放置している俺である。
「……厄介なものを売りつけたものだよ」
ジャスティーンは笑っているように思えたが、その顔を見なくても――苦々しい表情をしているんだろうなあ、と予想できた。
そして彼女は少しだけ沈黙した後、こう続けた。
「でも不思議だね? 今までは何もなかったのに、何故急に、死体が見つかり始めたんだろう」
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