第75話 どれだけの犠牲の上に
『……色々理由はあるのかもしれませんね』
魔道具の向こう側から、躊躇いがちに響くヴァレンタインの声。結構離れた場所を飛竜が飛んでいるから、その背中に乗っている彼の表情など見えないが、何か懸念しているのだろうということは伝わってくる。
『魔力持ちの人間の血ならそれほど量は必要ないんですが――いえ、それよりも、必要な血の量が純粋に増えたのかも……』
『純粋に?』
そう訊き返したのはカルヴィンで、それに頷いたヴァレンタインは身も蓋もない言葉を続けた。
『老いに勝てなくなる時期がやってきたということでしょう』
『老い』
『どんな優秀な魔道具であれ、やがて使う人間側に限界がきますから。おそらく、充分な美容効果が得られずに『材料』が多く必要になった、ということではないかと。そうでないとしたら――いえ、ここで可能性を考えるより実際に行って確認した方が早いでしょう』
ヴァレンタインとカルヴィンはそれからも何か言っていたようだが、そこで俺を抱きしめていたジャスティーンの腕が緩んだ瞬間、彼らの会話が全く聞こえなくなった。どうやらジャスティーンが会話のための魔道具を一時的に停止させたらしかった。
「ここで少し、真面目な話をしたい」
ジャスティーンはもう一度俺の腹に腕を回しながらも、少しだけ首を後ろに捻りつつ口を開いた。
「あら、わたし?」
そう応えたダイアナの顔は俺から見ることはできないが、少しだけ声音は警戒しているように思える。そして、ジャスティーンの声も同様に。
「単刀直入に言うが、私は君と手を組みたいと思っている」
「はあ?」
「君も知っての通り、私は『これ』が欲しい」
と、そこで俺の頭が撫でられるが、それ以前にどうも背中がむずがゆいというか、何か言わねばと思うのに言葉が見つからずに落ち着かないというか。
「知ってるわよ、そんなの」
「だからね? 外堀を埋めるには、君に取り入った方が確実だと思った」
――外堀。っていうか、正直に言いすぎじゃないだろうか。
俺は思わず自分の額に手を置いて目を閉じる。
「そして、あの目障りな男をユージーンから遠ざけるために何ができるか考えた」
「目障り」
カルヴィンのことだろう、と思いながら目をそっと開け、隣を飛ぶ飛竜に視線を投げると、こちらを窺っているらしい彼の姿が見える。いや、俺としてもカルヴィンには俺から遠い場所で幸せになっていて欲しいと思うが――。
「男の魔女というからには、君たちにとって利用価値があるんだろう、あの男は。運よくというか、彼はベレスフォードから逃げてきて家がない。つまり、君たちの家に引き込んでしまっても問題はないというわけだ。ユージーンの相手としてではなく、君たち姉妹の誰かと仲良くなってもいいだろうし」
「……そう、ね」
僅かな逡巡を感じさせる沈黙の後、ダイアナが心の中で結論を出したようだ。
そして、俺だって当事者だと思うのに何も口を挟めないまま、二人は会話を続けたのだった。
そして。
「では、バルニエ公爵家の件だが」
ジャスティーンはまた魔道具を作動させて、隣の飛竜に向かって話しかけた。
『何を話してたんだ!? 内緒話とか気になるんだが!』
カルヴィンが騒いでいるが、当然のようにジャスティーンは無視して続ける。
「相手側には私が相談したいことがあるという内容で先ぶれは出してある。とりあえず、私とユージーンがソランジュ・バルニエ公爵夫人を訪ねることにしたから、その間に――」
と、この後の予定を簡単に説明した。
つまり、俺とジャスティーンが公爵夫人と話をしている間に、他の面子で目的の魔道具を探し出して盗み出すという流れである。単純明快というか、簡単すぎる。
もうちょっと計画をちゃんと立てた方がいいのでは――とか考えているうちに、目的地が近くなってきたようだ。
広大な森の上を飛び、バルニエ公爵家がある大きな街が見えてくる。王都から離れた場所にある街ジスカールは、広大な農地と歴史的な建造物を多く持つのだという。王都に負けず劣らず栄えている街で、バルニエ公爵家を筆頭に権力をそれなりに持つ貴族たちが住んでいるのだとか。
俺たちはその街に入る前に近くの森に飛竜を降りたたせ、カルヴィンたちに姉を引き渡した。
カルヴィンたちは飛竜をこの森の中に繋ぎ、旅行者の振りをしつつ徒歩で街に入る予定だ。
「無茶はしないで欲しい」
別れ際に俺は一応、姉にそう釘を刺しておくことにした。「盗むだけでいいんだから。人が死んでるとか、その犯人をこらしめようとか考えるのはやめて、とりあえず魔道具だけ回収できればいいんだから」
「解ってるってば」
カルヴィンの横に立って微笑むダイアナの笑顔は、どう見ても胡散臭い。チャンスさえあれば、姉はまた前回と同じようなことをするだろう。
でも今回は、魔術を使えない元魔術師と、魔術も秘術も使えない女性が一緒なんだから……さすがの姉でも無茶はしない。しないんじゃないだろうか。そう信じる。
若干の胃痛を覚えながらも、俺はジャスティーンともう一度飛竜の背中に乗り込んだ。どうやら、目的地であるバルニエ公爵家には飛竜の厩舎があるらしい。飛竜が乗り入れることできる広大な庭もあるようで、ジャスティーンは飛竜を空の上でぐるりと旋回させてそれを教えてくれた。
ジスカールの街の中央に、目的地のバルニエ公爵家があった。飛竜を旋回させている僅かな時間に、地上で何らかの魔力の流れも感じられる。
飛竜をゆっくりと地面へと降りさせていくと、その広い庭に幾人もの魔術師らしい姿が見えてきた。どうやらバルニエ公爵家のお抱えの魔術師なのだろう、同じ青いマントと黒い制服らしきものを身に着けた男性たちが並んでこちらを見上げている。
厩舎の前にある広大な庭に飛竜の翼による風が広がったけれど、思ったほど土煙は立たなかった。それも何らかの魔術が働いているようだ。
「出迎えに感謝を」
ジャスティーンが先に飛竜の背中から降りて、俺の手を引いて降ろしてくれる。その後でそう頭を下げると、一番年配だと思われる魔術師が俺たちに声をかけてきた。
「お待ちいたしておりました。ジャスティーン・オルコット様でいらっしゃいますね?」
「ああ。先ぶれは出していたのだが」
「主より伺っております。どうぞ、こちらへ」
彼はそう言って屋敷の方へ俺たちを促した。他の魔術師たちからの視線が俺たちに突き刺さっていて、どうも居心地が悪い。何しろ、誰もかれも無表情なのだ。
――こいつらも関係者なのだろうか。
関係者、つまりソランジュ・バルニエ公爵夫人の命令で、女性を誘拐したり殺したりしている――?
俺は内心でそう警戒しながらジャスティーンの後について歩きだした。
「ジャスティーン・オルコット様」
僅かに低く掠れたような声が響いたのは、お屋敷に入ってすぐのことだった。
白い壁、大理石の床。白を基調にした調度品が溢れる明るいお屋敷。何もかもが豪奢な雰囲気を漂わせる、いかにも裕福な貴族の住処。玄関ホールに入った瞬間に目に入るのは、ずらりと並んだ使用人たち。
その向こう側に見えたのは、絨毯が敷かれた階段。
その階段の上から姿を見せたのが、ソランジュ・バルニエ公爵夫人、なのだろう。輝く銀髪は美しく結い上げられ、長い睫毛に囲まれた瞳は緑色。細い腰が強調された青いドレスには銀糸で刺繍が入れられている。豊かな胸がよく見えるように大きく開いた襟、きらきらと輝くネックレスとそれに合わせたイヤリング。
ただ、それよりも目を引くのは彼女の美貌だろう。整った目鼻立ちも、形の良い唇も、どこか作り物めいた人形っぽさも感じさせたものの、妖艶という言葉がよく似合う、匂い立つような色気を感じさせる女性だった。
年齢はどう見ても二十代後半にしか見えない。ジャスティーンが言うには、目の前の女性はもうすでに五十歳を超えているというのだが――それが恐ろしいな、と思ってしまう。どれだけの犠牲の上にその美貌を保っているのやら、である。
「お待ちいたしておりましたわ」
彼女はそう言いながら、白い手袋に覆われた細い指で階段の手すりをそっと撫でた。
「お久しぶりです、バルニエ公爵夫人」
俺の前を歩いていたジャスティーンがそっと足をとめ、優雅な動きで頭を下げる。俺も慌てて彼女に倣うと、頭上からころころとした笑い声が響いた。
「あら、そんな堅苦しい挨拶は不要だわ」
「それでも、あなたの美しさを称える時間だけはいただきたいものですね」
「相変わらずお上手ですこと」
バルニエ公爵夫人――ソランジュは嬉しそうに目を細めた後で、ゆっくりと階段を降りてくる。「昔から女性を喜ばせるのが御得意だと有名でしたものね。それで……そちらがあなたがおっしゃっていた『お連れ様』かしら」
「ええ、まあ」
ジャスティーンが意味深な笑い声を上げながら俺の腰に腕を回して抱き寄せる。俺は内心で慌てながらも顔を上げ、必死に平静を装いつつ微笑む。
「ユージーンと申します」
何となく、スモールウッドの名前は伏せて自己紹介をする。もしかしたら魔女の一族の名前を知っているかもしれないし、警戒しておく方がいいだろうと思ったからだ。
「可愛らしいわね?」
「彼女が私の――まあ、そういうわけで。私はずっと辺境に引きこもっていましたが、色々とありましてね」
「そうみたいね」
階段を降りた先で、彼女は少しだけ足をとめた。俺たちを案内してくれた魔術師が、ソランジュの近くに歩み寄り、彼女の耳元に顔を寄せて何か声をかけているのが解る。
一瞬だけ、ソランジュの目に奇妙な光が灯ったように見えた。
「……色々、お話をお聞きしたいわ」
魔術師が離れると、ソランジュは小首を傾げてそう微笑んだ。
でも、彼女の視線はジャスティーンではなく、俺に向けられていた。
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