第2話 魔物が向かう先
ジャスティーン団長の執務室を出ると、質素を絵にかいたような廊下が現われる。
窓は少ないため魔道具のランプがいたるところに設置されていて、午後早い時間帯だというのにどことなく薄暗い雰囲気があった。
俺とデクスターは、ジャスティーンとイーサンという男性の後ろをついて歩いていく。イーサンはどうやら副団長という立場らしく、ただ静かに彼女の後ろに付き従っている。
「お前、何歳?」
こそっと、デクスターが俺に問いかけてきた。
「十七歳です」
俺もこそりと返す。
とりあえず、今日から同僚なのだから親しくしておくに越したことはない。俺は人妻に手を出して左遷された彼を横目で見つめると、彼が小さく微笑んだ。
「そっかあ、俺は二十歳。ここのところ、結婚相手探してたんだけどここじゃ無理そうだよな? お前が女の子だったらよかったのに」
「結婚相手を探しているのに上司の奥さんに手を出すとは、目的と方法を間違ってませんか」
「言うねえ。そりゃ仕方なかったの。相手が誘ってきたから乗っただけだし」
その誘いに乗らなきゃ、今頃はちゃんとした結婚相手が見つかっていたかもしれないのに。
俺は呆れたように彼を見つめ直す。軽薄さはその顔に出ているものの、せっかく顔の造形が整っているのにもったいない話だ。
デクスターはさらに小声で続けた。
「それよりお前はどう? 彼女とかいなかったの」
「いません」
「えー、マジ? もったいない、綺麗な顔してんのに」
「全く嬉しくない言葉をどうも」
そんなことをぼそぼそ話していると、前方からジャスティーンのつまらなさそうな声が飛んでくる。
「ここには女はいない。そういう意味では何の娯楽もない職場だ、諦めろ」
そう言うあなたが女性なんじゃないかな、と俺は心の中で呟く。
っていうか、何で男みたいな服装をしてるんだろう、この人は。
足早に廊下を抜けて辺境警備団の本館を出ると、中庭にはもうすでに多くの男たちが勢揃いしていた。人数は全部で五十人くらいいるだろうか。彼らはこの辺境警備団で働く魔術師、騎士たちだ。背筋を伸ばした格好で整列し、団長であるジャスティーンを待っていたようだった。
「さて諸君! 面倒な話は抜きだ。これより魔物討伐を行う」
ジャスティーンは彼らの前に立つと短くそう言って、次々に近くにいる男性に指示を出していく。「竜騎士の諸君、まずは君たちが斥候となって敵の状態を確認、報告してくれ。地上からはその他の人間が隊列を組んで挑む」
そう彼女が言う間にも。
遠くから何かがぶつかり合うような音が響いてきて、地鳴りもそれに続く。
そして、指示を受けた男たちは口々に是と叫び、各々の役目を果たすべく駆けていく。
辺境警備団の本館の左側には、飛竜を飼育している大きな建物がある。そこに駆けこんでいくのは竜騎士の男たちだ。彼らは飛竜の背に乗って、空の上から状況把握を行うんだろう。
さらに、騎士や魔術師が乗る馬が飼育されている厩舎も別にある。その中に入った男たちが馬に乗って出てくるのを見ながら、俺とデクスターは顔を見合わせた。
――ところで、俺たちは?
「まあ、見なくても何となく敵の位置は解るな」
ジャスティーンが目を細めて遠くを見た。
警備団の建物は、小高い丘――というか崖の上にあった。眼下に広がる広大な森は、とにかく鬱蒼と茂っていて地面など全く見えない。
そして遥か遠くの方で、木々が異様なまでに揺れ、なぎ倒され、土煙を上げる。
明らかにそこに魔物がいる証であり、そしてそれは凄い勢いでこちらに向かってきていた。
「まあ、新人の二人はまだここでの戦闘に慣れていないのは解っている」
そこで、ジャスティーンが俺たちを振り返り、ニヤリと笑った。「こちらとしても君たちの腕を確認したいのでな、我々に同行してもらおう。デクスター、君は魔剣持ちらしいな?」
「はい」
そう言われてデクスターは軽く右手を前に出した。
その瞬間、何もない空間に青白い光が弾け、細身の彼には似つかわしくないような大剣が出現した。凄まじい魔力と共に、白い炎が噴き出しているような魔剣。
「これで何でも切り裂けます」
「それは頼もしいな」
デクスターの自慢げな声に頷いたジャスティーンは、次に俺を見た。「で、魔女の一族の君は何が自慢だ?」
「魔術攻撃が得意です」
正確には魔術ではなくて秘術ではあるが、こう言った方が解りやすいだろう。そう俺が考えた通り、彼女は顎をその細い指先で撫でながら頷いた。
「なるほど解った」
彼女はそう言って視線を副団長イーサンに向ける。すると、イーサンは無言で厩舎へと足を向け、俺たちが乗るべき馬を連れてきたのだった。
「団長! 目視できた魔物は五頭です! フェドーラ二頭、ミーガル三頭!」
俺たちが馬に乗って崖下へと続く道を走り出した直後、魔道具で拡声された男性の声が空から降ってきた。遥か上空に巨大な飛竜が飛び、ぐるぐるとその場で旋回する。
「その全てがこちらに一直線に向かってきています!」
フェドーラというのは分厚くて硬い皮膚を持ったオオトカゲみたいな魔物だ。巨大な躰だというのに足が六本で移動速度が速く、鋭い鉤爪で獲物を切り裂いて食い散らかす。食欲旺盛で凶暴。魔物同士で戦うことも多い。
ミーガルというのは、巨大な四本足の獣。針状の毛皮を持ち、鋭い牙を持つ。こちらも凶暴な魔物だが、群れで行動することが多い。知能はフェドーラよりもずっと高く、リーダーとその配下で役割を分担している。
「さて、面白いな、イーサン」
ジャスティーンは馬を走らせながらすぐ後ろに付き従う副団長に言った。「近くには襲いやすい村もある。何故、こちらに向かってくるのだと思う?」
「……さあ」
初めて、イーサンの声を聞いた。
その細身の身体から出ているとは思えないくらい、男らしく力強い美声だった。
「魔物に知性があるとは思えません。ただの気まぐれでは?」
「フェドーラ二頭というのも気になるな。あいつらは基本的に群れないし、他の魔物と馴れ合うこともない」
「……どういう意味でしょうか」
「おかしいな、と言いたい」
「そうですか。私は帰りたいと言いたいです」
「泣くなよイーサン」
「まだ泣いていません」
二人の会話は何だか面白い。
強気な男装の麗人と、男らしい美声なのに軟弱そうな見た目の男性。二人は付き合っているのだろうか、とどうでもいいことを考える俺。
そうしている間にも、俺たちより先に行っている魔術師や騎士たちが、魔物と戦闘を始めたようだった。凄まじい爆音と、それに伴う地響きが起きた。
「こりゃ凄い」
デクスターが他人事のようなのほほんとした口調で顔を上げる。爆風と土埃が俺たちの辺りまで流れてきていた。しかし、デクスターはそれを恐れる様子など全くなく、楽し気に笑いながら続ける。
「久しぶりに暴れたら、疲れて今夜はぐっすり寝られるかな」
そんな言葉を聞いて、俺は少しだけ不安になった。
「そういえば、宿舎は……一人部屋なんてないですよね?」
「二人部屋だ」
前方からジャスティーンの声が飛んでくる。「お前たち二人で一部屋、それでいいだろう」
……そうか。
俺は少しだけ申し訳なく感じつつデクスターを見た。
「寝言がうるさかったらすみません」
「ん?」
「俺、ちょっと……不眠症っぽいというか。悪夢を見て魘されることが多いんで」
「悪夢?」
隣を走る馬上の男が怪訝そうに横目でこちらを見た。
あまり詳しく語るつもりはないけれど、このくらいは言っておいた方がいいだろう。そうでなければ、実際にその場に行き当たったら当惑するだろう。
「……俺、自分の家で厭な思いばかりしてきて、その。トラウマというか……」
「え、何それ、一人じゃ寝られないタイプ? 怖い夢を見たら添い寝が必要?」
そこでちょっとだけデクスターが厭な笑い声を上げたけれど。
俺はただ首を横に振った。
「いえ、その逆で……悪夢のせいで、寝ぼけて部屋の中に秘術……魔術みたいなのを放ったりすることがあるんで。身の安全は約束できないというか」
デクスターが眉根を寄せた。
俺を危険人物だと思ったのか、彼が走らせる馬の速度が落ちた気がする。明らかに俺と距離を取りたそうな雰囲気だ。
「なるほど?」
ジャスティーンも俺たちの会話を聞いていたようで、少しだけ困ったように呟いた。「別室にすべきか考えておこう」
そんな会話をした直後、目の前の森が少しだけ開けた。開けたというか、木がなぎ倒されているので開けているというか。
巨大な魔物がその空間に二頭いる。巨大オオトカゲ、フェドーラだ。巨大な口を開けて威嚇しつつ、青くて長い舌をだらりとぶら下げていた。土煙を巻き起こしているのはどうやらこいつらで、俺たちがこうして間合いを計っている間にも近くにあった木を荒々しくなぎ倒していく。
そして随分と離れた位置にミーガルがいた。こちらはフェドーラに比べて躰は小さいが、フェドーラよりも動きが素早いのが問題だ。目を離したらあっという間にこちらの身体を食いちぎるだろう。
「怪我人がいたら下がれ! 隊列を組みなおすぞ!」
ジャスティーンが大きく叫ぶと、魔物をぐるりと取り囲んでいた警備団の人間に少しだけ安堵したような雰囲気が漂った。何だかよく解らないが、ジャスティーンは団員からは随分と信頼されているのだろうということだけは解った。
「帰りたい帰りたい」
イーサンがぶつぶつ言いながら遠い目をしている。「壊れた装備が多い。予算が少ないのにまた王都に使いを出さねばならないのか。もう辞めたい、田舎に引きこもりたい、胃に優しいものが食べたい」
……なるほど。
田舎に引きこもりたいのは俺も同意する。
平和な生活を送りたいものだ、お互いに。
イーサンに対して同情と仲間意識を覚えていると、急に背筋に悪寒が走った。
一体なんだ、と俺が辺りを見回した瞬間のことだ。
「初めまして、ユージーン・スモールウッド君」
そんな、低い女性の声が辺りに響いた。
――え、俺?
自然とデクスターやジャスティーンの視線も俺に向けられる。
そして気が付けば、巨大な山のような魔物二頭の前に、黒いマントを身に着けた女性が凄まじい魔力を発しながら立っていたのだった。
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