第3話 奪われた魔力と
「スモールウッド家から出てきてくださって、ありがとうございます」
彼女は小さく笑いながら言った。「さすがにわたしも、あの要塞みたいな屋敷に乗り込む勇気はありませんでしたから」
目深に被ったマントのフードに隠れてその顔立ちは解らないが、化粧をしていない色の薄い唇が見えた。マントの下には、白いシャツと黒いズボン。
何なんだ、今の時代、男装が流行っているのだろうか。
俺は警戒してゆっくりと後ずさった。それというのも、彼女が俺と似た魔力を持っているからだ。
魔女の一族の血だけが持つ、歪んだ魔力。
「お名前をお聞きしても?」
俺がそう問いかけると、彼女は何も応えず軽く右手を上げた。すると、背後で威嚇を続けていたフェドーラ二頭が、それを合図にしたように俺に飛び掛かってきた。左右に別れて、まるで自分の役割をこなそうとするかのように。
「下がれ!」
ジャスティーンの鋭い声が聞こえた。
フェドーラのすぐ近くにいた団員たちが、攻撃が届かない範囲まで退避する。その直後、フェドーラの長い尾が彼らがそれまで立っていた地面を叩いた。
土埃、地鳴り、木々が揺れる。
俺は逃げようとしたものの、すぐ後ろにデクスターが魔剣を手の中に出現させて構えるのが目に入り、慌てて叫んだ。
「後ろへ逃げろ!」
「馬鹿言うな!」
見た目の優男っぷりには似合わず、血気盛んなのかもしれない。デクスターの構えた剣がぶわりと魔力を放ち、膨れ上がる。
立ち止まった俺の前を、デクスターが駆けていく。そして、魔剣がフェドーラの前足一本を斬りおとすまで、本当に一瞬。
青黒い血が切断面から飛び散り、フェドーラが巨大な口を開けて咆哮した。
「雑魚はどうでもいいのです! スモールウッド家の跡取りを生け捕りにしなさい!」
黒いマントの女性――魔女が右手を上げたまま叫ぶ。すると、もう一頭のフェドーラが俺に向かって突進してきた。
その背後からも、ずっと様子見をしていたらしい四本足の魔物、ミーガルたちが地面を蹴って駆けこんでくる。ミーガルたちは俺を狙うよりも、俺を守ろうと動いた団員たちを蹴散らす役目を負っていたらしかった。
見なくても解る、人間の血の匂い。
誰か、うちの団員が怪我をした証拠だ。
「地上班、退避を! これより上空から攻撃を開始します!」
と、そこに頭上から拡声された声が響く。飛竜の翼が巻き起こす風圧が木々を揺らす。そしてその飛竜が、鋭い鉤爪を振り下ろしてフェドーラに襲い掛かろうとしたその時。
フェドーラが今まで以上に大きく口を開け、彼らの血の色に似た液体を飛竜に向かって吐き飛ばした。まるで石礫のようになった液体は、そのまま飛竜の巨大な翼に直撃して大きな穴を空けた。その穴はじわじわと広がり、飛竜がバランスを崩して森の中に落ちていく。
「フェドーラは毒液を吐く! 皆、一時退避せよ!」
ジャスティーンが冷静な声で叫び、魔術の詠唱を開始する。どうやら彼女は先頭に立って戦うつもりらしい、と俺がそちらに目をやると、俺と同じように魔女もジャスティーンを見ていたようだった。
「邪魔ですね? 魔術師程度が我々に敵うと思っているのなら、甘いですよ?」
魔女は忌々しそうに言う。それに対するジャスティーンの返事は笑み混じりだった。
「思い上がりも甚だしい」
「それはこちらの台詞です」
魔女の唇が少しだけ焦りに歪んだみたいだった。そうしている間にも、怪我を負ったフェドーラは痛みのせいか次第に凶暴化していく。魔女の命令がなくても周りにいた団員たちに向かって無差別に毒液の礫を投げつけ始めていた。
「ちっ」
つい、俺は舌打ちしてしまう。
フェドーラの毒液は、皮膚だろうが甲冑だろうが簡単に溶かしてしまう。油断すれば命とりだ。
誰もが緊張する中、焼けこげるような匂いが漂い、時には苦痛の声も上がった。
俺が彼らを助けるために動くと、それに気づいた魔女が叫んだ。
「手足がなくても生きてさえいればいいのです! 攻撃を!」
その声に反応したフェドーラが、俺に向かって毒液を飛ばしてくるけれど。
「残念でした。俺は毒が効かない体質なんです」
俺は毒の礫を躱したものの、地面から跳ねた毒液が身体の右半身にかかってしまう。でも、団員の制服である紺色の上着と白いシャツを溶かしただけで、毒液で濡れた腕や肩、横腹は無傷のままだ。
「では、手段を変えます」
魔女が唐突に、地面を蹴った。そのまま、見えない翼でも背中に生やしたかのように素早く空中を移動した。
「これならどうでしょうか」
それは目にもとまらぬ早業で、魔女はとある団員の背後に立っていた。それは背の高い騎士で、よく鍛えた肉体を持つ猛者だったと思うが――抜いた剣を振る前にその腕は地面に落ちたのだ。鮮血をまき散らしながら。
一瞬遅れて騎士の悲鳴が上がる。
痛みなどなかっただろう。あまりにも簡単に斬りおとされた腕は、剣を握りしめたままだ。肩より下の部分がなくなった騎士は、その傷口を押さえたまま魔女から逃げようとしたものの、何故か動けないと知って顔色をなくした。
「さて、治療が早ければ腕はつながるかもしれません」
魔女が騎士の背後に立ったまま笑う。「わたしの目的はただ一つ、あなたですよ、ユージーン・スモールウッド君。さあ、大人しく前に出てください。怪我人を助けるためにも」
「駄目だ」
離れた場所からジャスティーンの声が響くけれど、この状況を正確に理解しているのは俺なんだ。
魔女というのは厄介な連中だ。
身勝手で、冷酷で、自分のことしか考えていない。
正論が通じる相手でもなければ、冗談すら本当にする力を持っている。
「何故、俺を?」
俺は少しだけ肩の力を抜いて一歩前に出る。すると、魔女の口がほっとしたように笑みの形を作る。どうやら彼女も自分が危うい立場でいるのは自覚しているらしい。辺境警備団の他のメンバーたちは、自分の仲間が傷をつけられたことで怒りに火を付けられたのだろう、その目の力だけで相手を呪い殺すような勢いだ。しかも、彼女の視界にも入ったのか、ミーガルとフェドーラの一頭ずつが殺されて地面に倒れているのに気づいて焦燥感を見せていた。
「……あなたの力が必要なのです」
僅かな逡巡の後、彼女の掠れた声が響く。
「俺の力?」
俺はじりじりと横に移動しながら訊いた。「では、スモールウッド家に話を通して……」
「無理だから奪うしかないんです」
神経質な動きで、彼女は身体を左右に揺らした。そして、その右手が怪我をした騎士の首に伸びた。
俺は慌てて移動をやめ、怪我人に手出しをするなという意味を込めて彼女を睨んだ。
「動かないでくださいね」
彼女はそこで、騎士に伸びかけた手をとめ、素早くズボンのポケットに入れて何かを取り出した。
ヤバいな、と本気で思ったのはこの時だ。
彼女の手の中にあるのは、何かの秘術に対する媒介だ。彼女が使おうとしている秘術が何であったとしても、その媒介らしき黒い塊が持つ毒々しさは俺がよく知っているものだった。俺の姉たちが喜んでいじくりまわしている、おもちゃ。
何かの心臓、だ。おそらくは魔物の心臓だろう。
「ありがとう、感謝します」
魔女がそう言って、黒い物体を手の中で握りつぶす。すると、そこからあふれ出した黒い魔力が渦となって彼女を包み、その直後、俺に向かって伸びてきた。
「やった! やったんです、わたし! これでもう、役立たずなんて呼ばせない! わたしが姉たちの上に立つんですよ!」
狂ったように笑う魔女、立っていられずその場に膝をつく俺。
魔力を奪われた。
それは直感で解った。
俺の魔力は桁違いだと言われている。いや、正しくは魔女の血族に生まれた男性の魔力が強大なのだ。
だから、由緒正しき魔女の血族、スモールウッド家の跡取りに相応しい俺の魔力は、俺の姉たちのそれを遥かに凌駕する。その魔力をかなりの量、奪われたみたいだった。
「くそ、一体……」
そう呟いた時、さらなる異変に気付く。俺の声のトーンの高さ、そして地面についている両手の細さ。溶けた衣服の下に覗く俺の身体。
「ありがとう、ユージーン・スモールウッド君! やっぱり、男性の肉体は魔力が凄い! ありがとう!」
浮かれたその声の方に目をやると、さっきまで女性だったはずの魔女の声は低く、そして明らかな男性のものに変化していた。そして、小柄とも思えた彼女の身体は一回り大きくなり、マントのフードを下ろしたそこには俺よりも年上だろうかと思われる美しい青年の顔があった。
黒い髪と赤い瞳、泣きそうになりながら喜ぶ魔女は――。
「じゃあ、さようならユージーン君! もう二度と会わないといいですね!」
そう言った彼女――いや彼は、浮かれたように怪我をした騎士に秘術を使う。切断された腕が浮かび上がり、あっという間に彼の元の場所に収まって、怪我なんてなかったといわんばかりに動きを取り戻していた。
「……え?」
騎士の男性が驚いて声を上げた瞬間、その魔女の姿は目の前から掻き消えていて。
「嘘だろ……」
俺は茫然と、自分の身体を見下ろしていたのだった。
さっきまで男の身体だったのに、今は完全に少女のものになってしまった、自分の身体を。
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