第10話 その頃のスモールウッド家 その2

 奇妙な笑い声を上げながらもじゃもじゃ頭のモニカがワゴンテーブルを押して廊下へと消えた瞬間、その反対方向から『がしゃん』というガラスの割れる音が響いた。

 食事の席に残っていた魔女たち――イライザ、レイラとライラ、コートニーの目が一斉に音の方へと向けられると、大きな窓が割れてガラスの破片が床に飛び散って輝いている。

 そして、床の上にはもう一つ異物があった。


「あらあ、珍しく報告を忘れていなかったみたいですわよレイちゃん?」

「本当ですわね、ダイアナの魔導鳥ですわね、ライちゃん」

 双子がテーブルに頬杖をついたままのんびりとした口調でそう言うと、コートニーがきびきびした動きで床の上に転がっている魔導鳥という魔道具を拾い上げに行った。

 銀色に輝くそれは、荷物を運ぶための鳥の形をした魔道具。細身の躰と大きな翼を持ち、その目の部分には動力源となる魔石が埋め込まれている。

 ただし、この魔道具は術者となる者の魔力と繊細な操作力が必要となり、ほとんどの術者は大雑把な動きを与えることしかできないでいる。

 元々は連絡用のために造られた魔道具だったが、目的地に到着するまでに色々なものにぶつかってあらゆるものを破壊していく兵器と化していて、故障も多いのが現状だった。


「……ダイアナ、わたしが造った魔道具の扱いが酷いですね。雑です、雑」

 コートニーがその魔導鳥が咥えている手紙を引きはがし、素早くその魔道具を観察した。傷はないようだが、メンテナンスは必要かもしれない、とぶつぶつ呟き始めるコートニーに、イライザが言った。

「メンテナンスは割れた窓からやってちょうだい」

 イライザも双子と同じく席から立ち上がる様子はなかったが、手紙の内容は気になるようでせかすように続けた。「で? あの子の手紙には何て書いてあるの?」

「はい」

 コートニーは背筋を伸ばして立ったまま、その手紙の封蝋を割って開けた。そしてスモールウッド家の五番目から届いた手紙の内容を読んで眉を顰めることとなった。


「やーだあ、女の子になってしまったんですってよレイちゃん」

「びっくりですわねえ、わたしたち、六人姉妹じゃなくて七人姉妹になってしまったみたいですわよ、ライちゃん」

 双子は手紙の内容をただ笑い、全く気にした様子もなかった。

 しかし、イライザだけは肩を落としてぶつぶつと何か呟き始める。

「我が家の跡取りが……そうなの、あの子が女の子に。だから知識の館の鍵が閉じてしまったのね、あの扉はスモールウッド家の跡取り男性がいないと絶対に開かない仕掛けになっているから。なんてことなの、わたしの生き甲斐が。知識の館に入れないなんて、わたしは一体何を心のよりどころにして生きていけば」

 仄暗い光をその双眸に灯したイライザは、やがてゆらりと椅子から立ち上がり、部屋を出て行ってしまう。

「イライザお母様?」

 困惑したようにコートニーがその背中に声をかけ、どうしたものかとさらに双子の姉に目をやったが――。

「放っておいてあげなさいよ、そのうち正気に戻るんじゃないかしら」

 レイラが嫣然と微笑んだまま言うと、その隣でライラも頷く。

「そうよ、レイちゃんの言う通りだわ。今まで知識の館にこもり切りだったんだもの、お母様も少し外の世界を見てみるべきだわ」

「……お姉さまたちの言う通りなのかもしれませんが」

 コートニーが魔導鳥を腕の中に抱え込みながら首を傾げる。「あれは放置していて大丈夫なのでしょうか」


 そう言った瞬間、大きな屋敷の中に轟音が響き渡った。


「あああ、もう、どうして開かないの!? 誰か、ここを開けてちょうだい! お願いだから!」

 そう叫びながら、イライザは目の前の巨大な扉に向かってあらゆる秘術攻撃を繰り出していた。


 そこはスモールウッド家の地下だ。

 一階に地下へと続く隠し扉があり、それを開けると果てしなく続くと思われるほど長い階段が姿を見せる。その階段を降りた先に、スモールウッド家の祖先が造ったとされる巨大な書庫があるのだ。それは『知識の館』と呼ばれていて、スモールウッド家の男性の魔女から凄まじい魔力を吸い取ることで扉が開くとされている。

 以前は、イライザの夫が生きていたから彼から魔力を吸い上げ、鍵が開いていた。

 だがイライザの夫は早世し、跡取りとなったユージーンがその役目を受け継いだ形となった。


 イライザの趣味はその書庫――『知識の館』で本を読むことだった。そこに集められた書物は世界中のあらゆる分野のもの、さらにスモールウッド家があくどい手段を使ってまで集め続けてきた秘術書、魔術書、禁書が詰め込まれている。スモールウッド家の祖先が偏執狂並みにこだわって作り上げた禁断の書庫。それが知識の館である。


 イライザは日々のほとんどを書庫の中で過ごしていた。

 死ぬまで読み続けても読み終わることはないだろうと思えるほどの蔵書量、心穏やかに幸せにそこで暮らしていたというのに――。


 それは、ユージーンが家出をして少し経った頃のことだった。

 食事のために知識の館を出て、さてまた引きこもろうと戻った時には鍵がかけられていて入れなかった。

 それまで、ユージーンが家出をしたと言っても彼女は心配などしていなかった。どうせ、魔女の生きていられる場所というのは限られている。人間の中で自分たちが暮らしていけるとは思っていなかったからだ。

 ただイライザの誤算はここにあった。

 彼女のたった一人の息子がそれなりに『まとも』であり、他の娘たちと比べて生活力があったことが問題だったと言える。ユージーンは幼い頃からスモールウッド家の魔女たちに猜疑心を持って育ち、人間の暮らしている世界にも興味を持っていた。

 だから、家出をする前に下準備をしていたのだ。人間の中に溶け込んで暮らしていけるように、と。


 ユージーンは家出から数日たっても帰ってこなかったが、それでもイライザは焦りはしなかった。

 それは、彼女の生活はこれまでと全く変わらなかったからだ。食事以外は、だが。

 家出をしていたとしても、ユージーンはスモールウッド家の跡取りである。だから、どんなに離れていてもその魔力を知識の館は吸い取り、稼働し続ける。

 しかし、それが崩れたのだ。


 イライザはそこでユージーンに何かがあったのだと初めて慌てた。

 さすがに死んでいるはずはない。魔女であり、ユージーンの母親でもある彼女は血のつながった一族の生死は何となく解る。だから息子が死んでいるはずはない。

 それなのに、こうして鍵が開けられなくなったというのはどういうことなのか。


「じゃあ、わたしが探してきますわね、イライザお母様」

 そう言ったのは彼女の五番目の娘、ダイアナだ。女姉妹の中でも一番凶暴で冷酷。敵とみなした相手には容赦などしない娘である。きっと、ユージーンが抵抗したとしても敵わない。

 それが解っていたからユージーンの捜索を頼んだのだが。


「女の子になっちゃったってどういうことなの……」

 イライザは巨大な扉の前で膝を突き、暗い床を見下ろした。壁に着けられた魔道具の明かりがあったとしても、地下であるから隅々まで明るくなることはない。

 まるでその暗さがスモールウッド家の未来を示しているような錯覚までして、彼女は肩を震わせる。

「誰がユージーンにそんなことをしたの」

 彼女が自問自答するための言葉を投げた時。


「あの、お母様?」

 階段の途中から、静かな声が響く。コートニーが魔導鳥をその腕の中に抱いたまま、先ほどの爆音を聞いて様子を見にやってきたのだ。このままイライザを放置しておくのが危険だと思ったから。

「問題は、誰が我が一族の跡取りを女性にしてしまったか、ですよね」

 放置もまずいが近づきすぎるのも危険だと思ったのか、コートニーは階段の途中で続けた。「こんなことができるのは、それなりに力のある魔女の一族です」

「……そうでしょうね」

 床に手をついたまま、イライザは力なく応える。

「それで、イライザお母様? わたしたちはこの屋敷に引きこもってばかりで、他の一族のことは知りません。誰がやったのか、調べる手段はないのでしょうか。その相手をいち早く見つけて、奪われた力を取り戻すんです」

「取り戻す」


 そこで、イライザがゆらりと立ち上がる。

 ぎこちない動きでゆっくりと振り向き、階段の上に視線を投げると、コートニーは困ったように微笑みを返した。


「お母様はずっと、魔女集会には出席なさってませんでしたよね? だから今、どの一族がどんなことをしているのかも解りません。だから、もしも可能なら」

「出席してみろ、ということね」

 ふと、イライザの双眸に光が宿った。

 そして、ぶつぶつと何か呟きながら考えこむ。


 魔女集会というのは、この世界にある二番目の月が新月の夜、魔女一族の一員が集まって情報交換をする場のことだ。新月の夜は魔女の力が少しだけ弱まるため、魔力を使う争いを避けるのが当然であり、お互いの情報を流すことで相手の情報をもらう、友好的な場でもある。

 もちろん、集会への参加は強制ではない。

 それに、他の魔女に興味があれば――例えば結婚を望んでいる魔女が、男性を探しに行くとか――参加するだけの場になりつつあった。だからそこで展開されるのは難しい内容の会議などではなく、単なる世間話に花を咲かす井戸端会議ののりなのだ。


「今まで、新しく男性の魔女の情報があるかどうか……」

 イライザがそこで少しだけ考えこみ、ふっと笑う。「そうね。情報収集は大切だもの」

「そうです、イライザお母様。わたしもお手伝いします」

「ええ、お願いするわ! 他の娘たちは絶対に外に出ないでしょうし!」

 そこで、イライザはコートニーの傍に歩み寄り、その手を握ったのだった。

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