第9話 その頃のスモールウッド家
「遅いわ」
不機嫌であることを隠しもせず、イライザ・スモールウッドは目の前の皿を遠くに押しやった。食事は不要だという明確な意思でもある。
家族が食事を取るための部屋は広く、そこに置かれている家具も年代物ばかりだ。使用人がいないせいで掃除が行き届かず、天井の隅には蜘蛛が巣を作っているが彼女は――そしてこの屋敷に住む魔女はそれを気にすることもない。
「ダイアナは何をやってるのかしら。いい加減、連絡の一つくらい……」
そう続けた彼女は、深いため息をつきながら長い前髪を掻き上げる。スモールウッド家の特徴でもある、黒髪と黒い瞳。そして年齢不詳ともいえる美貌。彼女はこのスモールウッド家の現在の当主であり、ユージーン・スモールウッドの母親でもある。
印象的な長い睫毛を僅かに瞬かせ、赤い唇を歪めながらそのテーブルをぐるりと見回すと、そこには彼女の娘たちがいる。
「あら、イライザお母様、ダイアナに連絡を求めるなんて無理ですわよ、無理無理」
「そうですわよねー。あのダイアナが真面目に状況報告してくるなんて逆におかしいですわ」
「ですわよねー、レイちゃん」
「そう思いますわよねー、ライちゃん」
食事のための大きなテーブルについている娘たちの一番目と二番目、レイラとライラがくすくすと笑う。彼女たちは双子で、見た目だけではどちらがどちらなのか解らないくらいよく似ている。二人とも長い黒髪は緩やかに巻いており、女性らしい完璧な肉体美を見せつけるかのように、露出の激しいドレスを身に着けていた。そして、二人並んで席についていたが、まるで鏡のようにレイラは右手、ライラは左手で頬杖をつき、同じタイミングで嫣然と微笑んで見せる。
「元々はイライザお母様のせいでユージーンが出て行ってしまったのだから」
「イライザお母様はもう少し反省すべきだと思いますわよね」
「ねー、レイちゃん」
「ねー、ライちゃん」
「あら」
イライザはそこで二人を軽く睨みつける。「もうあの子は年頃なんだし、この家の跡取り男性なんだからしかるべき一族の魔女と結婚すべきでしょ? だから釣書を持ってきてあげただけよ」
「でも、その内容が問題だったんじゃないかしらー」
「そうよねー。上は八十歳、下は五歳なんて範囲が広すぎでしょー?」
「わたしがおすすめしたのは八十歳よ」
「それが駄目駄目だって言ってるのよ、イライザお母様」
「ねー」
「だって八十歳なら少し待てば、ぽっくりいくじゃないの! その前に、その魔女の実家の知の財産をちょっともらっておけば……」
「そういうの、うちのユージーンは受け入れられないと思うわあ」
「うちの一族とは思えないほど、まともだものねー」
レイラとライラが咎めるような視線を送っていると、さすがのイライザも気まずそうに目を伏せた。だが、すぐにその目が吊り上がって目の前の双子を睨みつけることとなる。
「でも、きっとわたしが原因じゃないわよ! 聞いたのよ、あなたたちがユージーンにやったことを!」
「えー、何かしらレイちゃん」
「ちょっと意味が解りませんわよね、ライちゃん」
わざとらしい仕草で顔を見合わせる双子に、イライザが指を突き付けて言った。
「あなたたち、美容薬を作りたいからってユージーンに精液を出せって言ったんですって? ドラゴンの精巣で充分でしょう!? ちょっと採取時期が古いけど、まだ保存容器にたくさんあったはずだわ!」
「あらお母様、美の技術と知識は重要で、その追究には限りがないのですわ」
「そうですわ、イライザお母様。今までのもので満足していてはいけない、魔女には探求心が必要だといつもお母様は言っているでしょう?」
「そうそう! もっと新鮮で、効き目の強い新しい美容液を作らなくては、そろそろお母様の肌も……ねえ?」
わなわなと身体を震わせたイライザが、とうとう我慢できずに立ち上がろうとした瞬間、部屋の扉が開けられた。
「うふふふふふ、メインのお料理をお持ちしましたー」
そう怪しい笑い声を上げながら部屋に入ってきたのは、三番目の娘、モニカである。ただ、その見た目は――上の二人とは全く違う。
長い黒髪はずっと櫛を通さなかったようでぼさぼさで、絡まり合っている。
カーテンのように下がっている前髪は、辛うじて眼鏡に掻き分けられて広がっているが、これも手入れなどしていないようで酷い有様だ。そしてさらに、いつ着替えたのだろうと思われるしわくちゃの黒いドレス。
彼女はワゴンテーブルの上に料理の皿を並べて部屋に入ってきたが、その背後からあと二人の娘が転びそうになりながら追ってきた。
「モニカお姉さまぁ! 駄目、それは可哀そうだから食べちゃだめなのですうううう!」
そう叫んだのは、六番目のドロシーだ。ふわふわした軽い感じの黒髪と、レースたっぷりの白いドレスに身を包んだ彼女はとても可愛らしい。色白の頬を少しだけ紅潮させ、涙目でモニカのもじゃもじゃ頭に向かって懇願する。
「酷いですわ! わたし、その可哀そうなミーちゃんを裏庭に埋めると決めましたの! 早く、こちらにお渡しになって!」
「どうどう」
その少女の腹を背後から抱きかかえるように引き留めているのは、四番目の娘コートニーだ。彼女は見た目だけならこの面々では一番普通だった。綺麗に首の後ろでまとめられた黒髪は艶やかで美しかったし、理知的な表情は彼女の知性の高さを教えてくれている。礼儀正しい仕草で、それでも凄まじい腕力で暴れるドロシーを抱え込んだ彼女は、うっすらと微笑んで部屋の中を見回した。
「わたしが押さえている間に、どうぞお食事を」
――僅かな沈黙が降りた。
「それで、今夜のメインは何なのかしらねえ、レイちゃん?」
「そうですわねえ、教えて欲しいですわよね、ライちゃん?」
上の双子が椅子に座ったまま微笑むと、もじゃもじゃ頭が左右にぐらぐら揺れながらお皿を彼女たちの前に置いた。
「マダラクサリヘビの煮つけですうふふふふふ」
怪しくかたかたと笑うモニカを見て、さすがの双子もため息をこぼした。
「全く食欲をそそられないですわ、ねえ、レイちゃん?」
「本当ですわね、鎖の模様がとても綺麗ですわね、ライちゃん?」
料理するにあたって鱗を全く取らなかったと思われる、マダラクサリヘビ――大きな蛇の原型そのままの煮つけを皿に盛って出してきた妹に、姉二人はそっと目を細めるしかない。
「蛇は淡白で美味しいと言われています。鱗は逆に食感のアクセントです」
ドロシーを抱きかかえたままのコートニーが、冷静に言う。しかし、その腕の中の少女は泣きながら叫び続けるのだ。
「駄目ですわ、駄目ですわ! あんなに可愛いミーちゃんを料理するなんて、何たる外道! 神に背く行為ですわよ!?」
「神などいないわよ」
彼女たちの母親、イライザは頭痛を覚えたのか額に手を置いている。そして、ぐったりと椅子に座り直して小さく呟いた。
「ユージーンがいないとまともな食事も出てこないのね……」
とうとうモニカの腕を振り払ったドロシーが、蛇料理の乗った皿を奪って廊下へと走り出てしまったが、さすがに誰も追おうとはしなかった。
異様なまでに動物が好きなドロシーは、料理の皿の上に何か生き物だったものが出るたびに、可哀そうだと泣きながら裏庭に埋めに行く。そうやってできた小動物の墓はもう数え切れずあり、ちゃんと墓石も立てているので不気味な景観となっていた。
「まあ、ミーちゃんなんて名前までつけられると食べられないですわね、レイちゃん」
「きっと、他にも食べられるものが出てくるんじゃないかしら、ライちゃん?」
双子が頭もじゃもじゃに顔を向けて微笑んで見せたが、大きな眼鏡の下にある綺麗な目が無邪気に見つめ返してきて、こう言った。
「薬草のサラダくらいなら出せますうふふふ」
一瞬だけ、また辺りに静寂が落ちる。
そして、イライザが疲れたように頷いた。
「毒草抜きでお願いするわ」
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