第8話 君の弟はもう
「駄目です、絶対駄目です!」
びっくりして身体を硬直させた男性を何とか姉の前から引き離そうとしていると、俺の背後からジャスティーンのため息交じりの声が響いた。
「何をしているんだ、チェスター。三階は立ち入り禁止のはずだが」
「えー、ああ……」
チェスターと呼ばれた男性は、俺の腕の中で気まずそうな声を上げた。「いや、ちょっと興味があったというか何というか」
「興味!?」
俺は彼の両肩に手を置いて揺らそうとした。全身凄い筋肉だったから全く動かなかったが。
「好奇心が強い者のために地獄は作られているって言葉、知らないんですか!? 本当に駄目ですよ!?」
俺はそこで客室の扉を開けたまま微笑んでいるダイアナに目をやった。白いドレスのまま、僅かにドアにもたれかかるような格好をしている彼女は、何も知らない男性にとってはとても魅力的だろう。しかし、その実体は。
「姉の趣味は解剖です」
「は?」
「え?」
次々に階下から上がってきた他の団員たちの声も辺りに響く。
「世間一般的に、魔女の得意分野って何か知ってますか? 治療、薬草学。姉は医療の発達のためという名目で、処刑されることが決まった犯罪者を解剖させてもらうことがあります。それがあまりにも楽しいらしくて、たまに犯罪者を探し出して誘拐しそうになることもしばしばで……」
「え……」
さすがに皆の困惑がこの空間にじわじわと広がっていく。
俺が引き留めた男性――チェスターも、身体を強張らせてダイアナを見つめた。
「それのどこが悪いの?」
ダイアナは無邪気にくすくすと笑う。「犯罪者は害悪。だったら、わたしたちの知識のために命を捧げてもいいはずだわ」
「いやいやいや」
俺は必死に続ける。「百歩譲って、処刑決定者をもらってくるのは目を瞑るとして! まさか、この警備団の中でもそんなことをしようと思ってませんよね? ここは犯罪者の巣じゃないんですよ!?」
どうしても緊張していると、姉に対しても丁寧な口調になってしまう俺。乱暴な口調で怒らせたくないからだ。これは自己防衛なのだ。
「だから殺す気はなかったわよ。後でちゃんと秘術治療をしようと思ったし」
「はあ!?」
「痛い思いをする代償として、その前にちょーっと天国を見せてあげようと思ったの。それだけよ」
両手を胸のまえで組んでそう言った姉は、本当に可愛らしい姿をしているけれど。恐ろしいものが恐ろしい姿をしているわけではないと知らしめてくれる存在でもあった。
「すまないが、皆、階下へ」
ジャスティーンがそこで右手を上げ、チェスターや他の団員たちに階下に降りるよう促した。皆、この場から逃げ出すいいタイミングだと思ったのか、足早に逃げていく。
そうして姉の前に残ったのは、ジャスティーンと俺、そして一番最後に三階に上がってきたイーサンだ。
ジャスティーンはさりげなく俺の前に立つと、彼女より身長の低いダイアナを見下ろして言った。
「君は招かざる客だ、ダイアナ嬢」
「ええー?」
冗談めかしてそう応える姉、硬質な声をさらに鋭くするジャスティーン。
「魔女という君がどのような考え方をするとしても、ここは私が責任者として管理している空間であり、そこで暮らすのは大切な部下たちだ。部下を守るのが私の役目である以上、君がここの秩序を乱す存在であるのならば排除せねばならない」
「あらあ」
「冗談を言っているつもりはないがね」
ジャスティーンの態度が自分の笑顔では軟化しないことを知ったようで、姉の顔から張り付けたような笑みが消える。
そこで俺もジャスティーンの背後から前に出て言った。
「姉さん、ここはスモールウッド家とは違うルールが存在している場所なんです。俺がこれから働く場所なんです。それを姉さんは壊そうとしているわけだけれど、その理由を教えてもらってもいいですか?」
心臓が震えている。
幼い頃から抵抗してはいけない相手と刷り込まれているからこそ、こんな問いかけですら俺には重い。
「……別に、理由はないわね」
ダイアナが首を傾げ、少しだけ考えこんだ。「ただ、あなたはうちの一族だもの。あなたはわたしのものだし、あなたがいる場所もその延長上にあるだけ。そんな認識だったけど」
「違います、俺は」
「違うね」
ジャスティーンが苦笑して俺の台詞を遮った。「さっきも言ったとおり、ここにいるのは私の大切な部下だ。その契約は済んでいるから、君の弟はもう私のものだ」
――えっ?
俺は少しだけその響きに困惑したけれど、大人しくジャスティーンの言葉に頷いておいた。ダイアナよりジャスティーンの言葉の方が信頼できる。長く暮らしてきた姉よりも、会って間もない相手の方がいいとはこれいかに。
「なるほどね」
意外なことに、姉はジャスティーンの言葉に納得したらしく頷いた。「契約は重要だもの、仕方ないわ。ここは大人しく引いてあげるから感謝してね、ユージーン」
「ありがとうございます」
俺が軽く頭を下げると、ダイアナは「お風呂に入るわ」と踵を返した。
「今後は団の規則を守ってもらいたい。さっきも言ったが、君はここに押しかけてきた人間であり、仕方なく我々が受け入れたという状況を認識の上、倫理的な行動をお願いしよう」
彼女の背中に向かってそう言ったジャスティーンに、姉の返事は短かった。
「解ったわよ」
そして扉が静かに閉じられ、中から鍵がかけられる音が響いた。
宿舎の中が僅かばかりの平穏を取り戻したのは、夕食の時だったかもしれない。
うちの家族がお騒がせしてしまったということもあり、俺は終始小さくなっていたと思うし――身体が女の子になっていたということを抜きにしても――、そんな俺に気を遣いつつ色々と質問を投げかけてくる彼らに一つ一つ返事をしたりして、何だかんだで忙しかった。
ダイアナには食事を客室で取ってもらうことにしたので、俺が毎度運ぶことにしたが――。
料理人さんたちが作るのはいかにも『男性向けの食事』だった。メインとなる巨大な肉のローストとシチュー、みたいな感じだ。味付けは濃いめ、ボリューム重視だというのが一目で解る。
そしてうちの姉は、料理ができないくせに口は出すという典型的な人間なのだ。きっと、この食事内容では文句たらたらだろう。美容を気にしてか、脂っこいものは嫌っているし。
そこで、俺は必死に頭を下げて調理場に入らせてもらった。
何しろ、スモールウッド家には料理人はいない。俺が子供の頃から厨房に入り、姉たちが満足いく料理を作れと言われて努力してきた結果、それなりに料理が得意になった。
「材料費は俺の給料から引いてください」
と料理人さんたちに言ったら、それを聞きつけたジャスティーンが「私にも食べさせて欲しいから、材料費はこちらで出そう」と言ってくれた。優しい。
デクスターも「俺も俺も」と言い出したが、「材料費はお前持ちで」と台詞を続けた。迷惑。全力で断る。
とはいえ、胃が弱そうなイーサンには食べてもらってもいいかな、と思った俺だった。
少量の手打ちパスタとチキンのグリル、温野菜サラダとかぼちゃのスープ、カットフルーツという姉好みの料理をトレイに乗せて三階に上がると、廊下の床に近い部分に白い煙が広がっていた。俺はいつものことだから気にしない。どうせ何か怪しい薬物を調合中なだけだ。
姉がいる客室の扉をノックすると、鍵が開いて煙と一緒にダイアナが姿を見せた。ありがたいことに、調合に集中しているようで俺に絡んでくることもなく、トレイを受け取ってまた部屋に引きこもってくれた。
一体今日で何度目のため息だろうと思いながら息をつくと、後ろからジャスティーンの声が響いた。
「さて、我々も食事を取ろう」
「あっ、はい」
俺は彼女に向き直ると、思わず頭を下げた。何だか今日は、色々な人に頭を下げることが多すぎる。
ぐったりしつつ階下に降りると、デクスターとイーサンも俺が戻ってくるのを待っていてくれたらしい。食堂の片隅のテーブルでいたデクスターが勢いよく手を上げてくるから、俺も小さく手を振り返す。
そして何故か、そんな俺の頭をジャスティーンが優しく撫でた。
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