第7話 一緒にお風呂に入る?

「あらこんにちは」

 俺の腕を捻りあげながら、上辺だけの純真さと妖艶さが入り混じった声が響く。「わたし、ダイアナ・スモールウッドと申します。大切な弟を探しにやってきたの」

「これはご丁寧にどうも」

 ジャスティーンが苦々し気に返した。「私はジャスティーン・オルコット。君が馬乗りになっている人間の、上司だ」

「ふうん、オルコット。オルコットね?」

 ダイアナが怪訝そうに続けた。「知ってるわ、オルコット家って王家から全幅の信頼を受けている魔術師の家系。そうじゃなかった?」

「我がオルコット公爵家は有名だからね」


 公爵家。

 知らなかった。


 俺は地面にうつ伏せの状態で、情けなく呻き声を上げるしかない。俺の腕を捻りあげる姉の手は緩まないどころか、どんどん強くなっていくからだ。

 すると、ジャスティーンがその声に強い不満を滲ませた。

「それより、うちの可愛い部下が苦しんでいるようだ。解放してもらおうか」

「こんなの、苦しんでるうちには入らないわよ」

 ダイアナの声が俺の顔の傍に降りてきた。「ね、ユージーン? あなたはもっと激しい痛みにも耐えてきたものね?」


 怖い怖い怖い。

 子供の頃から植えつけられた恐怖心が沸き起こる。

 魔力の強大さだけなら俺の方が上だったのに、子供の頃からずっと姉たちには敵わなかった。それは、純粋な力とは違う恐怖心で押さえつけらてきたからだ。


「とにかく、解放を」

 ジャスティーンが再度そう言うと、やっと俺の上から体重が消えた。俺はすぐに立ち上がり、思わず――ジャスティーンの背後に逃げた。すると、すぐ横にデクスターもやってきて、「どういうことだ」と耳打ちしてくる。でも俺、目の前に凶暴な獣がいるのに下手なこと言えないし。

 そして気が付いたら、宿舎の出入り口の前には多くの人間が集まり始めていた。


「あらあら、過保護ー」

 ダイアナは困ったものだと言いたげに肩を竦める。その仕草はとても無邪気で、スモールウッド家でも一番の危険人物だとは誰も思わないだろう。背後から「可愛いじゃん」なんて呟く、能天気な誰かの声も聞こえるし。

 いや、可愛いとか、どこを見てそう思った?

 俺に凄い技を決めてたよな?


「ごめんなさいね? うちの弟が家出してしまったものだから、必死に探してたの。何しろ、うちの末っ子は魔女の秘術に関しては勤勉な子でね? 家出するにあたって、自分の魔力でわたしたちが追ってこられないように、変な魔道具まで色々な場所に設置してたのよ。お蔭で、最初は全くどこに逃げたのか解らなかったけど」

 そうダイアナが言った後、ジャスティーンの背後に隠れている俺を覗き込もうとしてきた。まあ、顔を見られないように逃げるけれど。

「でも、そのおバカさんがこうして凄いミスをしたみたいで? 魔女の一族の男性の象徴とも言える、強大な魔力を奪われてしまったものだから、全ての魔道具が使い物にならなくなって。こうして探し出すの簡単だったってわけ」


 ――あ、ああ、そういう弊害もあったんだ?

 俺は少しだけ、俺の魔力を奪っていったあの魔女を恨んだ。俺が男のままだったら、きっとダイアナはここにやってこられなかった。

 くそ。


「じゃ、帰るわよ」

 ふと、ダイアナの声が冷えた。

 俺に命令する時の無機質な声音は、思わず『はい』と頷きそうなほど圧力があった。でも、俺はここで平和な生活をすると決めたんだ。何とかここで平凡な生活を――。


「悪いが、ユージーン・スモールウッドはうちの団員として正式に受け入れていてね。勝手に帰られてしまうのは困るんだ」

 ジャスティーンが俺の身体を庇うように腕を伸ばし、ダイアナから距離を取ろうとしてくれる。何だか俺、変なことを口走るところだった。っていうか、口走った。

「誰かにこうして守ってもらうの、初めてだ」

「……お前」

 俺の横でデクスターが眉を顰めた。「不憫なやつ」

 ジャスティーンも少しだけ驚いたように俺を見たと思う。

 しかし、すぐにダイアナがとんでもないことを言いだしたから、全員の視線がそちらに向かうことになった。

「じゃあ、ちゃんとうちの弟……いえ、妹が仕事ができる人間なのか、見届けたらわたし一人で帰るわ。無理そうならこんなのを置いていっても迷惑でしょうし、連れて帰る」

「妹?」

 デクスターの困惑が強まる。

 そして。

 こっち見んな。

「見届けなくても、充分こちらで一人前にするよう教育するが」

 ジャスティーンが眉を顰めてそう言ったけれど、うちのダイアナは押しが強い。

「仕事以前に、そこにいるのはうちから家出した人間なのよ。そんな無責任を絵にかいたような人間が安心して働けるところなのか、知りたいと思うのは家族として当然でしょ? 特に、わたしたち魔女一族ってあまり外に出ないから、世間の情報に疎いんだもの」

 そんなことを言い連ねたダイアナは、いつしか当然のように宿舎の中に入ろうと動き始めた。


「厭な予感がしますね……」

 いつの間にか、何の気配も感じさせないまま俺たちの背後に立っていたイーサンが今にも死にそうな声を出している。

「うわ」

 デクスターも驚いて身体を横にずらしている。

 俺はそんな元気がなくて、ただ頷くだけだ。

「それは正解です。あの姉……ダイアナは最悪な魔女ですよ。一番関わってはいけない女なんです。本当に怖いんです」

「まあ、落ち着きなさい」

 僅かに肩を震わせている俺に向かって、ジャスティーンが穏やかに微笑みかけた。「安心しろ、君のことは私が守ってやろう」

 その彼女を見てイーサンが一言。

「一番襲いそうなあなたが何を」

 それは彼女に聞き流された。形のいいその耳は時に飾りだ。

 ジャスティーンは俺をじっと見つめて言う。

「さて、これから食堂でお茶でも飲みながら話を聞かせてくれないか。団員には魔女というのがどんな存在なのか、よく理解していない者もいる。それを知らしめるためにも」

「そうですね」

 俺はそっと辺りを見回し、興味津々といった団員たちの表情を観察する。こうして改めて観察してみると、騎士たちは確かに凄い筋肉をしていたりして男らしいけれど、その目はお気楽な光しかない。

 それでも、魔女が持っている強大な魔力を見抜くことのできる魔術師たちは警戒しているが――。

「俺が経験してきたことを知れば、皆、あの姉に近づく勇気はなくなりますよ」


「ちょっとぉ、もっと大きな部屋はないのー?」

 三階の廊下に姉の声が響き渡っている。

「ここは王都から遥かに離れた辺境の地です。申し訳ありませんが、ここが一番広いですね……」

 死んだようなイーサンの声も姉の近くから聞こえてきている。あの美声低音ボイスは、随分と遠くまで届くらしい。げっそりした表情が離れていても予想できるくらいには明確な感じ。

「まあ、仕方ないかしらあ。あ、お風呂使ってもいい? 埃っぽいわよ、ここ」

「どうぞ。鍵はしっかりかけてください。階下には女に飢えた男どもがいますので」

「あらあ。一緒に入る人がいたら連れてきてもいいわよ?」

「風紀の乱れは絶対に許しませんので」

「全くもー」

 そんな会話を、他の人間たちは一階の食堂の入り口で聞いているというわけだが。

「お風呂に一緒に入ってもいいのか」

 と、あの見かけに騙されて鼻の下を伸ばしている騎士の腕を掴み、俺はそっと首を横に振る。

「人生は一度きりです。棒に振らないでください」

「大げさ」

「じゃないです!」

 くわっと目を見開き、その男性を睨みつけるとさすがに黙ったけれど。

 俺たちが食堂に入り、料理人のおっさんにお茶を頼んでぐったりと椅子に腰を下ろすと、だんだん皆の間に漂っていた緊張感は失せ、ざわめきがもどってきていた。


「他の一族の魔女がどうなのかは知りませんが、うち……我がスモールウッド家に限っては魔女というのは害悪そのものです」

 俺はどこから話をしようかと悩みつつ、武骨な木のカップを両手で包み込むように握りしめた。あまり茶葉はいいものを使っていないようで、香りの立ち方は弱い。

「害悪?」

 俺の前の椅子に座ったジャスティーンが首を傾げ、その隣でデクスターも眉根を寄せていた。

「善悪の判断がつかない子供、そんな感じです。上にいるあの姉は特に頭がおかしくて、他人をいたぶることだけに情熱を注いでいますし……」


「ねー、もうちょっといい石鹸ないの? ないなら勝手にわたしが調合するけどいい? ちょっと煙が出るけどー」

 遠くでドアが開く音と共に、そんな声が響いてくる。

 相変わらず傍若無人っぷりが半端ない。

 ちょうどその時、階下に降りてきたイーサンが冴えない表情のまま大きく叫んだ。

「事故さえ起こさなければどうぞ!」

「はぁい」


 俺はとうとう深いため息と共に、木のテーブルに突っ伏した。木のカップを遠くに押しやった格好で、軽い絶望のポーズ。

「……あんな無邪気な声をしていますが……本当に……」

 そう、言いかけた時だ。

「あら。もし暇なら一緒にお風呂に入る?」

 と、誘うような声が微かに聞こえたものだから、俺はがばりと顔を上げて階段を駆け上がった。

「おい!」

 デクスターのそんな声と誰かの足音が俺を追いかけてきた。

 そして、一気に三階の廊下に到着すると、そこにいたのはダイアナと騎士らしき立派な肉体を持つ男性。俺はその男性に無理やり抱き着いて、そのままダイアナから引き離すべく、全力で力を込めた。

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