第6話 五番目

 さすが、女性用の個室。

 その部屋に入ってすぐにそう思った。

 ベッドが一つしか置かれていないから、机や椅子が置かれていてもかなり広く感じる。設置されているクローゼットも大きいし、窓もかけられているカーテンも質のいいものを使っている感じだ。

 さらに部屋の中には扉があって、それを開けると少し広めの洗面室とお風呂が現れた。

 俺は少しだけ洗面台の前で悩んだ後、バスタブの横に着けられているお湯を出す魔道具に触れた。何の問題もなく出てくるお湯に触れ、俺はやっとそこで毒液に塗れた服を着替えたのだった。


 少しだけ身体に残っていた毒液をお湯で流した後、イーサンが用意してくれた新しい着替えを身に着けると、女になった俺にピッタリサイズの制服をイーサンが渡してくれたことに気づく。彼は苦労性だと思われるけど、有能。

 白いシャツに紺色のぴったりとしたズボン、ベストとジャケット。洗面台にある鏡を覗き込むと、髪の毛は短いものの、どこからどう見ても美少女の俺がいた。

 その視線を落とせば、あってはならない胸の膨らみもあるし。

 いくら見直しても、それがなくなるはずもなく。


 ――何だか妙に落ち込む。


 女か……、女。

 ずっと男として育ってきたから、さすがにこれは受け入れがたい。

 最終的にはどうにかして元の姿に戻るつもりだが――いや、もうあの魔女が復讐とかしないうちでもいいから探しに行くべきなのか。

 でも、もう魔女とかいう厄介な生き物とは関わりたくない俺がいるのも事実なのだ。だって、やっとの思いで逃げてきたんだ。平和な生活が待っていると思ってたんだ。こんな辺境の土地ならば、魔物と戦ってるだけでいいはずだった。特にこの辺境警備団は男しかいないって聞いていたから、選んだのに。


「あああああ、もう」

 俺は鏡の前で頭を掻きまわし、衝動に任せて無意味な叫び声を上げた。

 そして、思い切り自分の頬を叩いて気合を入れた。悩んでも事態は変わらない。とりあえず、平穏に暮らしていくための地盤を固めなくてはいけない。

 俺はそこで洗面所を出て、駄目になった制服の残骸をどこに捨てたらいいのかと悩み――本館の応接室に置きっぱなしだった自分の荷物を思い出した。

 俺にとって数少ない私物がそこにあるから取りに行かねばと階下に降りると、踊り場で所在無げに立ち尽くしていたデクスターに声をかけられた。

「よう! 荷物を取りに行くんだろ? 俺も置きっぱなしだから、一緒に行こうと思って待ってたんだ」


 ――待ってなくてよかったのに。


 俺が眉間に皺を寄せて見せたものの、彼は気にした様子もなく無駄に爽やかに微笑んで俺の横に並ぶ。

「しかし、災難だったな。まさか……なあ」

 と、彼は上の視点から俺の胸元を見下ろしてくる。まあ、普通の男性だったらこういう反応も仕方ないんだろう。

 しかし。

「で、いくら払ったらその胸、触らせてくれる?」

「全然仕方なくねえ」

 思わずそう返してしまってから、俺はデクスターを見上げて睨みつけた。「俺だってまだほとんど触ってないのに、他人に触らせるはずがないだろう」

「じゃあ、さっさと触って慣らし……」

「慣らしもしないし!」

 うー、と唸りつつ威嚇して見せると、そこでやっとデクスターが両手を上げて冗談だったと言い訳をする。

 たとえ冗談だったとしても、言っていいことと悪いことがあると知るべきだ。

「まあ、それはさておきさ? あの団長、ヤバいだろ」

 宿舎の外に出て、未だ騒々しい厩舎の前を通り過ぎて本館の中に入ると、デクスターが辺りを気にしながら言った。「あれ、絶対変人だろ? 男装している時点で怪しいと思うべきだった。こんな辺境にある警備団の上に立つ団長なんだから、何かあるってこと」

「……まあ、男装は動きやすさを重要視したとも言えるけど」

「王女様に手を出したとかいう話を聞いた時点でお察しというか」

「うーん、まあ、それは確かに」

 俺はそれに対しては素直に頷いた。

 まだここにきて初日、デクスター以外の団員とは全く話をしていないような現状だ。団員である騎士や魔術師たちの能力は別として、一癖も二癖もありそうな男たちが揃っているところだと思う。問題児だらけと聞いているから、そんな男たちをまとめているだけで優秀なのかもしれない。性格がどうあれ、上に立つ能力があるなら問題はない……と信じたいが。


「それより、お前ら女同士でヤるとして、見物させてもらいたいな」

 そう呟いたデクスターを横にしながら、俺はそっと彼と距離を取るしかなかった。


 そして、荷物を取って宿舎に戻る途中のこと。

 何故かデクスターが俺の荷物まで持ってくれていて――どうやら中身はどうあれ女には優しい人間らしい――、宿舎の前までやってきて。


 唐突に、ぞわりと背筋が冷えた気がして思わず地面を蹴って俺は『逃げた』。

 この直感というのは重要だ。

 俺は子供の頃から勘が鋭い方だったが、これまでの経験から危機察知能力は飛び抜けて発達したんだと思う。


 デクスターが困惑した声を上げ、俺から少し遅れるものの、宿舎の玄関を背に腰を少しだけ落とし、荷物も地面に投げた。彼もどうやら気づいたみたいだった。


「みーつけたあ」

 さっきまで俺が立っていた位置に人影が現れ、聞きたくなかった声が響いた。

 腰まで伸びたまっすぐな黒髪と、白いドレス。白くて華奢な両腕には赤い秘術紋が入っていて、こちらを振り向かなくてもそれが誰なのか解る。

 俺の姉――スモールウッド家の五番目の娘、ダイアナだ。

 彼女は距離を取った俺に向き直り、可愛らしく小首を傾げて見せた。その姿だけを見れば、凄まじいまでの美少女だ。二十歳という年齢よりもずっと幼く見えて、見かけだけなら俺と変わらないどころか俺より年下に見える。

「あらやだ。魔力はうちの弟のものなのに、その身体は何なのかしら。いつの間に女の子になってしまったの?」

 ダイアナがくすくす笑いながらそっと口元に手をやった。

 その優雅で女性的な動きを見て、デクスターが少しだけ安堵したように息を吐いたのが解る。

 安心するのはまだ早い、その女は俺の姉の中でも一番頭がおかしい奴だ。

「ど、どちら様でしょうか」

 無理だと解っていても、どうしても逃げたい気持ちが勝ってしまって、そんなことを言ってしまう。当然、ダイアナには通じない。

「まあねえ? あなたに何かがあったのは解ってたのよ? 死んだ可能性もあるのかしらって思ったけど、生きていたみたいね? そう簡単に死ぬような身体じゃないのはわたしも理解しているしー」

 そう言った直後、ダイアナの姿がその場から消えた。

 まずい、と思った瞬間には背後を取られていた。

「ああ、女の子の手ねえ?」

 気が付いたら背後から抱きしめられ、俺の右手は彼女の手のひらの中にあった。「すっごくすべすべで、触り心地がいいわねえ。ちょっと、服を脱いでもらおうかな?」

「触んな!」

 思わず肘鉄をかまして逃げようとしたものの、俺の誤算がここにあった。


 男性の身体だった時だったら、簡単に振り払えたんだ。

 でも、今は違う。

 腕力も俊敏さも少しだけ落ちていたようで、両腕と両足を秘術紋で強化している姉には全く敵わなかった。俺の身体はうつ伏せで地面の上に押し倒され、ダイアナが馬乗りになって俺の腕を捻りあげる。

「抵抗したら折るからね? 治療なんて追いつかないくらい、何度も何度も」

 ダイアナが身を屈め、俺の右耳のところで優しく囁く。全身に鳥肌が立った。


 やべえ、マジで今度こそ殺される。


 そう思った。


「一体、何事だ?」

 しかしそこに、ジャスティーンの鋭い声が飛んできた時、まさに俺は救世主が来たと思って泣きそうになったのだ。

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