第69話 今まで言えなかったんだけど
「だから、嫌がってる相手にしつこくするのは駄目なんだよ。何回言えば解る?」
そんなことを俺は続けてカルヴィンに言ったが、全部耳をすり抜けているらしい。何を言っても、どんなに強めに言っても嬉しそうに笑っているだけだし、ことあるごとに「結婚する?」とか「結婚しよう」としか言い出すので、俺はとうとうお手上げ状態となった。
よし、ご飯を作ろう。
俺はひとまずカルヴィンのことを考えるのはやめ、開き直って笑顔を他の皆に向けた。
「手伝ってもらいます」
そう。
今夜の目標はこれ、だ。俺以外は招かれざる客であり、居候である。俺だけ働いて金を稼いでいるのは不公平というもの。ということは、多少なりとも家事を覚えてもらわなくてはならない。
せめて、自分の食事くらいは作れるように。
まずは簡単な料理のレシピを――と考えながら『隠れ家』の台所に向かったが、残念ながらパントリー、食料の保管庫には何も入っていなかった。だから一度、地上に出て宿舎から野菜や肉を分けてもらってきた。籠に入れたそれを抱えながら戻ってくると、カルヴィンがいそいそと「持つよ」と俺から取り上げた。
根は悪い奴ではなさそうなんだが――と、俺は意気揚々と廊下を歩く彼の背中を見つめてため息をこぼす。
彼のことを一言で表現するならば。
捨て犬。
見えない尻尾が凄い勢いで揺れている幻覚が見えるようだ。
「この辺りに置けばいいか?」
広い台所に入って、作業台の上に籠を置こうとしながら俺を見るカルヴィンの明るい瞳。頭髪の明るさも相まって、無駄に元気に思える。
でも、だ。
たとえ何があっても同情してはならない。
行く当てのない、ねぐらを必死に探しているような子犬に見えたとしても、拾ったら最後まで面倒を見なくてはいけないのだ。
つまり、面倒を見られないなら拾うな。俺は拾わない。どんなに必死に俺に追いすがってきても、相手は男だ。
付け入る隙を見つけたら駄目だ。
「あ、わたし、お手伝いします!」
幼女が台所の扉のところでひょっこり顔を覗かせ、少しだけ俺の心に安らぎが芽生える。小さいということはそれだけで可愛い。
「え? できるの?」
俺が驚いてガヴリールを見下ろすと、こくこくと頷いた彼女は拳を握りしめた。
「秘術で野菜を切り刻むとかだったらやったことあります!」
「有能」
「カルヴィン様、わたし、頑張って花嫁修業しますね! まだ無理ですが、いつか美味しい料理を作って、寝ているところを起こしに行くのが目標です!」
と、笑顔で続けたのは問題だが。
カルヴィンもちょっと硬直しているのを確認できたから、彼の言っていた通り、幼女趣味ではないのかもしれない。いわゆる押しかけ女房というやつだ。
「あのね、ガヴリール」
俺はつい、不安になって言ってしまった。「世の中にはもっと君に似合う男性がいるかもしれないよ? まず、年齢が離れすぎているし」
「でも……」
ガヴリールが情けなさそうに眉根を寄せた。「わたし、お母様からカルヴィン様の心を射止めてからではないと帰ってくるなって言われているので……このまま帰ったら怒られます」
――可哀そうに。
でもまあ、男の魔女を捕まえるには手段を選ばないのはどこの国でも一緒なのか。そんなことを苦々しく考えてため息をこぼしていると、野菜籠の前でずっと硬直していたカルヴィンが動くことを思い出したようだ。ぎこちなく頭を掻きながら、小さく言った。
「ここで帰られても……俺の居場所とか、アンドレアに教えてしまいそうで不安だしな……」
「だから、帰る時はカルヴィン様もご一緒に! アンドレア様にお付き合い開始をご報告できるように!」
ずい、と詰め寄る幼女に押されて後ずさるカルヴィンは、やはり情けない。せめてガヴリールが十代半ばだったら俺だって大歓迎で二人の仲を応援できるのに。
そこでもやっぱりため息をつきながらも、俺は二人に料理の手伝いをお願いした。ついでに、隠れ家のどこかにいるはずの他の連中も呼んだ。
「は? 何でわたしがそんなこと?」
ダイアナは案の定、料理の手伝いを拒否した。コートニーも怪訝そうな顔で俺を見つめ、「ユージーンが家事できるのに、どうしてです?」なんて言う。一番覚えてもらいたかったのがこの二人なんだけどな!
俺はしばらく二人を見つめたけれど、どうやっても無理だった。
二人は台所の中にあるテーブル――通常なら料理人たちが食事を取るための椅子に座り、俺たちの手元を見つめている。
でも、ヴァレンタインとイリヤは手伝ってくれた。
とはいえ、イリヤは何をしたらいいのか解らずに右往左往した後に皿を割ったりしていただけだったが、その辺は長い目で見よう。慣れたら普通に家事ができるかもしれない。
ただ、割れた皿を片づけるのはヴァレンタインの役割らしい。少女が怪我をしないよう、彼は無表情のまま何でもやってくれる。その後は、ヴァレンタインは多分一人で暮らしていた時が長いのか、慣れた手つきで肉の塊を包丁で切り分けてくれた。
イリヤは料理を作ったことがないらしい。興味津々でヴァレンタインの様子を横で見ているだけで、全くの戦力外。でも、テーブルの上に皿は並べ終えて満足げである。
そこで少しだけ、カルヴィンが複雑そうに二人の様子を見ていたのが気になった。
イリヤは元々は男の魔女だったと言うが……。
「たとえ魔力がなくても、秘術を教えてもらうことはできるんじゃ?」
俺はふと、思いついたことを口にした。
「え?」
カルヴィンが我に返ったように俺を見つめ、首を傾げた。
「俺を師匠とか呼ぼうとしているけど、もっと優秀な人がそこにいるんじゃないのか? 今は普通の人間であろうとも、秘術の知識で言えばイリヤが一番持っているんでは? 教えるという意味では、同じベレスフォードの魔女の方が都合がいいこともあるだろうし」
「え、あ」
カルヴィンは虚を突かれたように口を開け、それからぼりぼりと鼻の頭を掻いてイリヤに目を向けた。でも、すぐにヴァレンタインが困惑したように口を開いた。
「肉体はウェンディのものです。無理はさせたくありません」
無理、か。
そう言われてしまうと何とも言えない。ただ教えるだけなら……と俺は簡単に考えていたのだが、ヴァレンタインにしか解らない懸念があるのかも。
「あ、うん、俺も無理やり教えてもらおうとは思わないし」
そこで、ぎこちなく笑ったカルヴィンが何か言葉を続けようとして眉根を寄せ、口を閉じる。それを見守ったヴァレンタインもまた、カルヴィンと似たように困ったような表情を作った。
「すみません。私も訳アリなので、ウェンディにできるだけ静かに生活してもらいたいんです。秘術とやらを教えるとしたら、外に出て、ですよね? 外に出れば私だってウェンディを守り切る自信が」
「ねえ、それってあなたの首についてる『それ』を壊してしまえば問題解決じゃないの?」
そして、俺たちの会話に割り込んできたのがダイアナだ。木の机に頬杖を突き、退屈そうに唇を尖らせている。「あなたの魔力が封じられているから、追っ手に見つかったら戦えないってことでしょ? だったら戦えるように魔術師としての能力を取り戻せばいいんじゃないの?」
「……禁術を使う私を追ってくるとしたら、王宮魔術師団だと思います。彼らと戦って勝つ自信もありません」
「何よ、禁術使いだって言うから期待したのに、意外としょぼいわねえ」
――何を期待してるんだ。
俺が目を細めてダイアナを睨み、切り刻んだ野菜のことを思い出して料理の続きを――と考えた瞬間。
俺の左腕からちりんちりんという軽やかな音が響いた。
こんな時に、例の魔道具が動いている。問題のお王宮魔術師団の人間、ジャスティーンの兄からの連絡である。
よりにもよって、こんな時にとは心臓に悪い。
でもまあ、コートニーの改造が効いているはずだから、こちらの会話は向こうには聞こえない。聞こえていたら終わりだったかも。
よし、しばらく無視しよう。
彼からの連絡を受けるには、俺が魔力を流さないといけない。流さなければつながらない。後で何か言われたら、一人で部屋にこもって寝ていたから気づかなかったとか言えば問題ない。
そう思っても、相手はしつこい。
ひたすら鳴り続ける音に顔を顰めている間に――。
「あのさ」
カルヴィンがイリヤの前に立って見下ろしていた。「その、今まで言えなかったんだけど。その、な? あんた、多分、俺の父親なんだよ」
「は?」
イリヤが首を傾げてとまっている。
「イリヤ・ノヴァ。それ、俺の父親の名前なんだ」
俺の左腕でも問題が起きているというのに、カルヴィンはカルヴィンでこの場に新しい事件を起こしていたみたいだった。
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