第68話 牽制しておかないと

「そろそろ夕飯を作らないと」

 状況説明に時間を取られたし、夜も随分と遅くなるはずだと我に返った俺。膝の上に乗せて背後から抱きしめているジャスティーンの腕を引きはがすと、そのまま床に降りて団長室の扉を開けようとした。

 だがドアノブが回らない。そう言えば鍵がかけられているんだった、とため息をついた瞬間、俺の顔の右側にジャスティーンの右腕が付きだされてきた。ドアを押さえつけるようにされる彼女の手のひらを見て、俺は引きつった笑みを浮かべる。

「いや、本当にあの姉……ダイアナはお腹が空くと何をするのか解らないんで」

 俺がドアを見つめた状態でそう言うと、ジャスティーンは少しだけ真剣な口調で訊いてくる。

「君が食事を作るのは、いつまで?」

「いつまでって?」

「ずっと君、あのお姉さんたちの面倒を見ていくの? 私と結婚しても?」

「け」

「するよね?」

 する、のだろうか。

 でも魔女と魔術師って結婚したらまずいんじゃないだろうか。少なくとも、魔術師側が魔女のことをよく思っていないのは何となく解るし。

 そんなことを考えている俺の首の後ろに、ジャスティーンの息がかかった。え、と思っているうちにうなじにキスをされた、らしい。

「普通はさ、どんな人間であれ結婚したり家を出ることになって、新しい家族と暮らしていくものだろう? でも、どうもダイアナ嬢は君に身の回りの世話をさせることが常になっているようだ。つまり、君がいないと生活できない。それに、新しくやってきたもう一人のお姉さんはどう? 彼女も君を頼ってるんじゃない?」

「そ、そうですね、いや、そうだな」

「でも私は、君を独占したい」

「え?」

「君が私のためだけに食事を作ってくれたり、他の誰かのことに時間を割かれることもなく、お互いのためだけに生活できたら幸せだと思う。そして君にも、私と同じように考えてもらえたらいいよね」

「それは……」


 ……俺もそう思うけど。

 俺があの家を出てきた理由だって、自分一人だけで生きていけたら、と思ったからだし。あのままじゃ駄目だと思ったから。

 でもダイアナは追ってきたし、やっぱり逃げきれなかったか、と諦めつつあった。


「だから、君は努力して欲しい。あの姉たちに付き添って生きていくのじゃなく、適度に離れられるように。私も努力するから」

「団……ジャスも?」

 俺がそこで首を動かして、俺の右肩の上に乗っている彼女の顔を見ようとした。でも、急にメイド服のブラウスのボタンを外されて慌てた。しかも、流れるように俺の動きを封じた彼女は、ドアに向かっていたはずの俺の身体を反転させて、首筋とか胸元にキスを繰り返した。ちりっとした痛みもあったから、珍しく彼女が焦っているのかもしれないとか考えたけど。

 けど。

 何だか恥ずかしいというか、変な気分になりそうだと思ってしまう方が重要なのだ。でも、俺が抵抗する前にジャスティーンは苦笑しながら解放してくれた。

「ごめん。一応、牽制しておかないといけないだろう?」

「牽制?」

 ブラウスの胸元を掻き合わせながら首を傾げている俺に、彼女はさらに笑みを深めて見せた。

「あの赤毛の男だよ。あれは危険だ。私はただでさえ魔術師で、立場的に不利なんだから」

「不利」

「だってそうだろう?」

 ニヤリと笑った彼女が、俺の顎に手をかけた。しかも、キスできるほどの距離にまでその整った顔を寄せてくるのだから心臓に悪い。

 まずい、これはまずい。どう考えても、手の早い男が何も知らない女の子に無理やり言い寄る仕草である。

 おかしい、俺は中身は男なのに何でこんなに翻弄されているのか!

「そ、そうって何が……」

「魔女は魔女同士結婚するのが当たり前なんだろう? だったら、彼の方が有利だ」

「いや、俺は男だからあいつとは結婚しない」

「それがお姉さんたちの命令でも?」


 ――!?


「し、しないと思う」

 思わず目をそらした。

 そう言われてみれば、あのダイアナのことだ。利用できるものは何でも利用するだろう。カルヴィンが俺という餌に釣られて一緒にやってきたのは、俺が女だと信じているからだし――俺が実は男だということも言うなと命令してくるのはもしかしたら。

 俺が男に戻れなかったら……最悪、あの『男の魔女』を手元に確保するために俺を人身御供に差し出すことだって――。


「無理無理無理無理」

 俺は思わず、ジャスティーンのシャツを掴んで言った。「いくら何でも、俺は男相手にそういうのは無理。何とかしなきゃ」

「解ってる」

 ジャスティーンが俺の頭を撫で、何か悪いことを考えているような表情を作った。「それで、君のお姉さんたちは結婚相手を探しているんじゃないのかな?」

「え?」

「ダイアナ嬢でも、もう一人の……名前何だっけ? そっちの彼女でもいい。結婚させてしまえば?」


 ――天才!?


 俺は動きをとめて頭だけ働かせた。

 ダイアナは色々な意味で無理だろう。さすがの俺でもあんな殺人狂を押し付けるのは罪悪感がある。相手がいくら頭の軽そうなカルヴィンとはいえ――いや、幼女に手を出そうとしている変態なら別にどうでもいいか?

 ダイアナが無理ならコートニーは? 魔道具にしか興味がない姉だが、ダイアナよりは危険性は少ない。

 最悪、スモールウッド家には顔だけは綺麗な女性が他にもいるわけだし、その中から選んでもらえばそれでいいのでは?

 だって皆、結婚適齢期だし。

 問題児ばかりなのが厄介だけど。


 あの幼女――ガヴリールとかいう幼女はカルヴィンを慕っているようだけれど、幼すぎて他にもっといい男性がいることを知らないのかもしれない。男の魔女は少ないのは確かだけれど、まだこれから出会いはあるはずだ。

 よし。

 そうしよう。


「解った、お見合いをセッティングしよう。そういや、俺は明日も休みだし、時間はある」

 俺が拳を握りしめてそう言うと、頭上でくすくす笑いが聞こえた。

「頑張ってくれ。こちらも色々やることがあるけれど、全部片付いたら……」

「片付いたら?」

「女の子としての快楽を共にしてみよう?」


 おおう……。ど、どうしよう。


 心臓が不規則に暴れるのを感じながら、俺は曖昧に笑っておいた。


 団長室を出て、そのまま玄関の外へ向かう。星空の下、団員の連中は中庭で食事作りの時間を迎えていた。

 宿舎に目をやると、やはりそちらも相変わらず荷造りが忙しいようで出入りする王都の人間が多い。アレクシアの姿が見えないことに安堵しつつ、俺は改めて中庭に視線を戻した。


「デクスター、姉たちを知らないか?」

 シチュー鍋の前で木の椅子に座っていた彼に声をかけると、その隣で防具を磨いていたジェレマイアが先に口を開いた。

「おう、ユージーン。随分と早いお帰りだったが、それなりに楽しんできたんか?」

「楽しんで?」

 すると、にひひ、と笑い声を上げつつ彼は自分の首元を指さした。

「キスマーク」

「ふ」

 思わず変な声を上げそうになって、唇を噛む。そして、慌てて自分の喉に手をやった。

 牽制ってこれか!?

「つ、ついてる?」

「おう、ばっちり」

「あああああ」

 俺が思わず頭を抱えていると、さらにデクスターが口を挟んできてきた。

「いやあ、メイド服ってそそるからなあ。俺もサービスして欲しいくらいだ。恥じらいながら『ご主人様』とか言われたら襲うだろ、普通」

「最低」

「何を今更」

 っていうか恥じらわないし。

 ……多分。

 そんなことを考えつつ、もう一度俺は姉たちがどこに行ったのか彼らに訊いた。姉二人だけじゃなく、カルヴィンと幼女、魔術師と少女もいない。彼らだけでどこかに行ったのだろうか。

 目の届かないところにいると思うと、厭な予感しかしない。

「あー、そういや、そっちの方で何かやってたな」

 ジェレマイアが中庭の外れの方に目をやって、俺もそちらに視線を向けた。

 あまり手入れが行き届いていない植木は、自由に枝を広げて葉を生い茂らせている。でも、そこには誰もいない。


 いや、いないように見えた。


 俺は無言のまま、『そこ』に立った。中庭の外れ、植木以外には何もない場所。しかし、足元からは魔力の気配が立ち上っている。

 植木と植木の間には確かに何もないけれど、手を伸ばすと硬い何かが存在した。そして、俺が指先に魔力を流すと現れたのは木製の扉だ。その扉から感じ取れるのはコートニーの魔力。

 一体、いつの間にこんなものを造れるようになったんだろう。

 いや、それ以前に。


「……ここに住むつもりなのか……」

 軽く絶望を感じた気がしたが、俺は何とか気を取り直してその扉のノブに手をかけた。おそらく、その扉を開けられる人間は決まっているのだろう。俺の指先からほんの僅かに魔力が流れていくのを感じた瞬間、音もなくその扉が開いて目の前に地下へと続く階段が姿を見せる。

 そして、その階段を降りた先にあったのは大きな玄関ホール、太陽の光にも似た柔らかな光が降り注ぐ空間。振り返ると階上へつながる階段があるのだけれど、それ以外は全く普通の屋敷というか――スモールウッド家に似た間取り。

 石造りの壁、絨毯の敷かれた廊下。定間隔に並んだ扉はがっしりとした造りで、何故か廊下には窓もある。地下なのに。

 窓の向こう側には壁しかなかったが、これって窓がある理由は?


「あら、お帰りなさい」

 そこへ、俺の気配を感じ取ったのかダイアナが姿を見せた。満面の笑みで「それで、お腹が空いたんだけど」と言い出す。やっぱりなあ。

 俺が額に手を置いて固まっていると、次々に他の連中が姿を見せた。

 コートニー、カルヴィンと幼女がまず最初に、そしてそれに遅れて魔術師とその連れの少女。

 でもまあ、ある意味この地下の家で生活しているなら、俺が何もしなくてもお見合い状態ではないだろうか。俺は少しだけ期待を込めて、カルヴィンとその背後にいたコートニーに目をやった。

 だが。

「嘘だろ?」

 カルヴィンが俺に突進してきて、乱暴に俺の肩を掴んで揺らした。「何でお前、何で! お前は女だし、あの団長とかいう男みたいな見た目のやつだって、ちゃんと胸があった! つまり、女だ!」

「放してください」

 俺は心の中で決めたことがある。

 こいつ相手には、絶対に敬語でしか喋らないようにしよう。その方が俺がこいつのことを拒否しているというのが伝わりそうな気がする。

 カルヴィンは俺の首辺りに視線を投げ、そして情けない顔で続けた。

「あいつのことは忘れて、俺と結婚しよう。今すぐ結婚しよう!」

「馬鹿か?」

 俺は敬語を忘れた。

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