第48話 おやすみなさい
平和な日常が戻ってきた、気がする。気がするだけかもしれないが。
警備団の仕事はしばらく夜番として動くから、夜明けと同時に宿舎に帰ってきて、寝る前に姉のために朝食を作り、そして寝て昼頃起きる、という生活になっている。
姉さえいなければもっと平和になるんだが。
そんなことを考えながら、キノコとチーズと卵を乗せたガレット、山盛りのサラダ、フルーツヨーグルトという朝食をダイアナの前に置いた。
相変わらず、彼女は宿舎の客室でのんびりしているが、どうやら不満を抱き始めているらしいということも気が付いた。
「一体、いつになったらあの王女様とやらはいなくなるのよ」
なんてことを、ガレットにナイフを入れながら呟いたからだ。寝起き直後の姉は機嫌が悪いのはいつものことだが、その日はいつもにもまして酷かった。
「早い話が邪魔、なのよ! あの魔術師連中だって、結局は王女様優先でしょ!? わたしを優先してくれる男はいないの!? 薬を調合するために欲しい素材とかあるのに、手足になってくれる奴がいないのよ!」
……絶好調である。
「いや、それを言うなら俺たちの方が……俺じゃなくて姉さんがこの警備団の異物というか邪魔……」
思わずそう本音を吐きだしたら、俺の喉元にフォークが突きつけられた。
すみません、黙ります。
「ええと、とにかく俺はそろそろ寝るから」
この場から逃げ出すことに決めた俺は、そそくさと廊下に出て後ろ手に扉を閉めた。確かに、宿舎は相変わらず王都の連中に占領されているから、俺以外の男性陣は本館と中庭生活が続いている。彼らの間に不満が出ていないわけではないが、誰もがそれを口に出すほど軽率ではないわけで。
「あら、ちょっといいかしら?」
聞き覚えのある声が廊下に響いて、俺は少しだけ扉に背中を当てたまま硬直した。そして、思い切って声の主に向き直って微笑んだ。
「何かあったでしょうか、王女殿下?」
そこにいたのは、警備団で話題の主人公であるエメライン王女殿下である。
逃げるのが遅れた自分の足を恨もう。ベッドで安眠、という俺の任務が遠ざかった瞬間である。
「わたしはまだあなたを認めてないのよ」
うふふ、と微笑みながら王女殿下が優雅にお茶を楽しんでいる。
何故か宿舎の外の中庭には、こんなのあったのだろうか、と思われるお洒落なテーブルと椅子が置かれていて、太陽の光を遮るレースのついた大きな傘まで立てられていた。そして、侍女たちやら魔術師やらに遠巻きに見守られながら俺と王女殿下が向き合っているという状況である。
どうしてこうなった。
というか、そっと俺は宿舎の二階の窓を見上げた。
俺が夜番を終えて帰ってきた時、仲間たちに混じって王女殿下の婚約者、サディアスもいたはずだ。もう寝てるのか。何とか呼び出して、代わってくれないだろうか。
俺は目の前の彼女に気づかれないように小さくため息をついてから、王都から持ってきたらしいティーカップに口をつけた。これを割ったら凄い金額が請求されるんだろうな、と思いながら。
「わたしはね、ジャスには幸せになってもらいたいの。こんなところじゃなくて、王都に戻ってきてもらって、しかるべき相手と結婚すべきなんじゃないかって思うのよね」
王女殿下の話は続いている。
俺はただ黙って頷くだけだ。
「だってね、ジャスはああ見えて弱いところがあるんだもの。彼女を理解してくれる人と出会って、守ってくれる人がいないといつか倒れてしまう。そうなると、やっぱり相手は女の子じゃなくて男性がいいと思うのよ」
ふうん。なるほど?
弱いところがある。
それは少しだけ垣間見えた。飛竜の上で、落ち込んだ様子を見せてくれた彼女を思い出す。
でも、相手は男性、か。
俺が男に戻ったら『そう』なるけど、きっとジャスティーンは受け入れてくれないだろう。
「団長は恋愛対象が女性なのに、大丈夫なんでしょうか?」
小さく問いかけると、王女殿下が片眉をぴくりと跳ね上げた。
「そんなの、出会ってしまえば何とかなるでしょう? 男女間の恋愛なんて、理屈じゃないのよ」
「王女殿下のように?」
「え? あ、それは」
急に自分のことに話を向けられて困惑する王女殿下。気の強そうな顔が崩れて、頬を赤く染めながら必死に言葉を探している。
そういう表情だけなら可愛いんだろうが――。
「わたしのことはどうでもいいの! 問題はジャスのことなの!」
「ああ、はい」
「ついでと言っては何だけど、あなたもジャスと一緒にいると色々困るのではないの?」
「はい?」
「正直に言うと、わたしは城の中で暮らしてきたから理解できていないことも多いのだけれど……あなたが貴族ではなくても、女の子ならもうそろそろ結婚の話が出てくるのが普通ではなくて? ジャスと一緒にいたら、年頃の男性とお付き合いなどもできないでしょう? だから、あなたの希望があるなら、誰か紹介することもやぶさかではないというか」
「は?」
何を言ってるんだ、この王女様は。
俺は目を細めて彼女をまじまじと見つめたが、その声にこもった熱と、きらきら輝く瞳に嘘があるとは思えない。どうやら本気のようだ。
「……男性を、紹介して、くださる、と?」
ぎこちなく問い返す俺に、王女殿下は今までで一番の微笑みを投げてきた。さらに、お茶のカップをテーブルに戻して椅子から立ち上がり、演劇じみた動きで両腕を開くという動きを見せてくれた。
「恋のときめきって素晴らしいものなの! 経験すれば、あなただって解るはずだわ!」
……頭の中にお花畑が咲き誇っているらしい。
どうやらサディアスと上手くいっているようで何より。ただ、舞い上がって他人を巻き込むのだけはやめて欲しいと心からそう思う。
「あの、王女殿下?」
俺は一体何度目か忘れてしまったため息をつき、立ったまま動きをとめた彼女を見上げて言った。「王女殿下が望まれる通り、俺……わたしは団長から離れることをお約束します」
「え、あっ、解ってくれたのね?」
急に王女殿下が俺の両手を握り込み、目元を興奮で赤く染めている。何と言うか、圧が凄い。
「団長とは……何でもないですし、王女殿下が命令されるならその通りにします。わたしに警備団を出ていけとおっしゃるなら、すぐにでも準備します」
「えっ」
さすがに仕事をやめろとは言うつもりはなかったのだろう、さっとその頬から色が失せていく。慌てたように首を横に振って、取り繕うように彼女は続ける。
「あの、あなたはここを出て行かなくてもいいのよ? ジャスだけ王都に……って思っているし、だから」
「それなら、団長を連れてここを出て行かれるということですね?」
俺はできるだけ邪気のないものに見えるであろう微笑みを作った。「では、ぜひそのようにお願いします。それと、男性は紹介してもらわなくても大丈夫ですよ? わたしの恋愛対象は女性なので」
「え? え!?」
正直に言うと、眠くてどうでもよかった。
だから適当にそう言った。
それに、いい機会だと思ったのも事実だったし。
ジャスティーンに関わるとろくなことがないし、それに……どうも、胸がもやもやして仕方ない。いっそのこと離れてしまえば、こんなことに悩む必要もなくなるだろう。
だから、俺はこれで話を終わらせたつもりだったのだ。
寝室に戻って寝て、また夜番として森の警備に出て、朝戻る。姉に食事を作って廊下に出て。
ここまでは何の変哲もない日常だったと思う。
それが。
「初めまして、アレクシア・ローガンと申します」
侍女服に身を包んだ少女が、王女殿下に連れられて俺の前に立って頭を下げている。きっちりと結い上げた金色の髪の毛、穏やかなのに鋭さも含んだ濃い青色の瞳、隙のない最小限の動きを見せた彼女は、俺を見つめてこう続けた。
「エメライン王女殿下に命じられて参りました。しばらく、お付き合いをいただけたらと」
「は? え?」
俺が廊下の真ん中で立ち尽くしていると、階下から聞き覚えのある軽快な足音が響いて厭な予感がした。
「エーメ! これは一体どういうことだ!?」
王都から戻ってきてからずっと、宿舎に泊まりきりになっているジャスティーンである。シャツは皺になっているし、髪の毛も少し乱れたままだ。急いで団長室から出てきたのか、上着を肩に引っかけた状態で俺たちの前に立った彼女は、苦々し気にエメライン王女殿下を見下ろした。
「この子には関わらないで欲しいって言ったはずだよ、エーメ」
少しだけ声音を和らげた彼女に、王女殿下がぴしりと指を突き付けて笑う。
「あら、この子が女の子が恋愛対象だって言うから、紹介してあげただけよ? この子、ジャスのことを好きじゃないって言うし」
は? とジャスティーンの口が動いたのが見えた。
俺は思わず額に手を置いて、またため息をこぼす。
果てしなく面倒くさい。
そして眠い。
っていうか、ジャスティーンのことを好きじゃないって言ったっけ、俺。眠くて思い出せない。俺をベッドが呼んでいる。
「すみません、眠いので失礼します」
俺は右手を軽く上げ、素早く自分の部屋のドアを開けたが。
気が付いたら、あの侍女――アレクシアとかいう少女も一緒に部屋の中に滑り込んでいた。そして、彼女の背中側で鍵のかける音が響いて。
「ユージーン!」
ドアの向こう側から、ジャスティーンが慌てたように扉を叩いているのが解ったけれど、それ以上に問題なのはアレクシアだと思った。
「申し訳ありません。王女殿下の命令ですので、あなたとジャスティーン・オルコット様を引き離すべく既成事実を」
と、彼女は急に侍女服を脱ぎ出そうとした。
でもさすがに俺、限界です。彼女を放置して着替えもせずにベッドに入り、毛布をかぶって横目でアレクシアを見やる。
俺と同じくらいの年齢だと思えるけど、よくやるなあ。侍女だって女の子だし、これから結婚もするだろう。それなのに、なんでこんな酷い仕事をやってるんだろう。俺と既成事実とか言ってたけど、そんなの噂が立っただけでも自分の評判を落とすだろうに。
「既成事実はともかく、俺は寝るんで。この際、既成事実とか子供とかを作ったことにしてもいいですから、あなたはそこに座って待機していてください」
俺は椅子を指さしてそう言ってから、身体を反転させて壁を見つめるような体勢で丸くなり、目を閉じた。
おやすみなさい。
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