第49話 侍女の仕事
「……おはようございます」
という、挨拶が正しいのかどうか解らないが、昼頃目が覚めたらベッド脇の椅子にアレクシアが背筋を伸ばして座っていたのでとりあえずそう言っておいた。
「もう昼ですが」
無表情でそう返してきた彼女に、「じゃあこんにちは」と素っ気なく返し、俺はベッドから足を下ろした。ぽりぽりと頬を掻きながら考えたことは、お風呂に入って着替えて姉の昼食を作りに行かねば……ということだったが、その任務を遂行するためには邪魔者がいる。もちろん、アレクシアである。
今の彼女は、じっと俺を見つめたまま何を考えているのか解らない表情をしている。それと、眠くて頭が死んでいる時には感じなかったけれど、今だったら解る。
彼女は只者じゃない。
「それで、改めて何か言いたいことはありますか?」
俺もじっと彼女を正面から見つめ返してそう言うと、アレクシアは唇に笑みの形を作って見せた。
「ジャスティーン・オルコット様はしばらく声をかけてきてましたが、副団長が迎えに来たようで、諦めてドアの前を離れたようです。これで王女殿下の命令通り、あなたとオルコット様の仲を引き裂く一歩を踏み出せました」
「あー、はい、お疲れ様です」
そう言えば、ドアの前には誰の気配もないようだ。
ジャスティーンは相変わらず警備団の仕事に忙しいだろうし、俺にかまっている時間はないだろう。
かまっている時間は。
何だろう、やっぱりどこかむかむかするというか、気分が悪いというか、よく解らない。
俺は軽く頭を振ってから、ジャスティーンのことを考えることをやめた。このまま『むかむか』の原因を突き詰めていけば、余計なことに気づいてしまいそうな気がした。だからその代わりに、アレクシアについて色々質問しておくことにする。
「寝る前に疑問に思ったんですが、あなたはそれでいいんですか? たとえ王女様の命令とはいえ、こんなことをしていたら年頃の女性であるあなたの評判は地に落ちるでしょう?」
「いいんです」
彼女は目をキラキラさせながら膝の上でぐっと拳を握りしめる。「わたしの存在意義は、王女殿下のご命令通り動くこと。エメライン王女殿下のためにこの命を捧げていますから、どんなことでも致します!」
重い。
何だか厭な予感がしてきた。
「……あの、問題児みたいな王女殿下に命を捧げたというのは……」
「は? 今、何て言いました?」
「問題児みたいな」
「その口、閉じてもらいましょうか!」
目を吊り上げた金髪娘が俺の胸倉をつかみ上げている。
「理不尽」
自分が何て言ったか訊き返したくせに。
俺が『はー、やれやれ』と肩を竦めると、アレクシアの目がさらに鋭くなった。でも、やっぱり改めて気づかされるけれど彼女の運動速度が速い。姉と同じくらい気配を消すのが上手いし、今朝だって、俺が部屋に入った瞬間に一緒に滑り込んできたけど、俺が止める暇さえなかった。
「……あなたは本当に侍女なんですか? 王女殿下の護衛とかではなく?」
俺が言葉を選んでそう問いかけると、彼女は椅子に座り直して居住まいを正す。
「あ、お気づきになりました?」
思わず俺の口からため息が漏れた。あの王女殿下、よりにもよってとんでもないのを俺に押し付けてきたんじゃないだろうか。何だかアレクシア自身も問題児みたいだし、体の良い厄介払いというわけでは――?
なんてことを考えている間に、彼女は遠いところを見るような瞳になって身の上話を始めた。何故に!? それより俺、そろそろお風呂に入りたい。
「あなたもご存知かと思いますが、一昔前はこの国でも人身売買が密かに行われていまして、わたしも人攫いに捕らえられていた一人なんです。わたしは平民の生まれでしたが魔力がそれなりにあったようで、そこに目を付けた男がいたんです」
……ああ、知らなかったかなあ、そういうのは。
俺、ずっと魔女としか接してこなかったし、人間たちの生活エリアに出てきたのはこの辺境の地が初めてだ。
「多分、あなたもご存知だと思いますが、魔力持ちの血肉というのは良からぬことを考える人たちには魅力的なようで、禁魔術の発動剤だったり、取引を禁止されているような魔薬などに使われるんです。それで、わたしは檻に入れられて実験材料として使われていたんですけど」
重い。
笑顔で話をしているけどかなり重いな!
確かに、魔力持ちの人間の血は……なんて話はご存知だったよ。俺たち魔女でも当然のように使うから。でも、自分の血で事足りるから誰かを攫ってこようなんて思わない。
「一時期ですね、その魔薬が王都だったり他の街で裏取引されていたんですよ。表向きは美容の薬とか、万病に効くとか言われてましたね。それで、魔女の薬よりも馬鹿みたいに高いけど効果抜群だ、なんて噂があって。でも、すぐにそんな怪しい薬なんて摘発対象になるわけです。王宮の騎士団だったり魔術師団が動き出した途端、荒稼ぎした人間たちがわたしたち実験材料を殺して逃げようとし始めたんですよね」
……なるほど?
で、そこにまさか王女殿下が加わっていた? いや、本当にまさかなんだけれど。
「その頃の王女殿下は十歳で。今のあのお方からは想像もできないくらい、お転婆な方だったようで、側近たち、護衛たちの目を盗んで遊びに行くのが趣味だったそうなんです。それで、どこからか噂に聞いた美容の薬が欲しいって思って探して、見つけてしまったみたいなんですよ。その隠れ家を」
「え? それはさすがに……」
俺は黙っていようと思ったのに、思わず口を挟んでしまう。
いくらなんでもできすぎているんじゃないだろうか。そんな簡単に見つけるような場所に隠れ家があったのか?
「王女殿下はいつも王城を抜け出して遊んでいたので、城下町にたくさんの友達ができていたそうなんです。それが、子供たちだけじゃなくてギルドの男性たちだったり、商店のお偉いさんだったり、噂を聞きつけるのが得意な人たちが多かったみたいで。それで、あの優秀な王女殿下、これは大事件だと直感なさったそうなんです。王城に戻って王宮騎士団、魔術師団を率いて隠れ家に突入させ、そこに捕らえられていた子供たちを助けてくれました。もちろん、もうすでに命を落としてしまっていた魔力持ちの子供もいましたが、かなり多くの人間が助けられて、それぞれ家族の元に帰って行ったんですよ」
「そ、そうですか。ということは、君も……?」
「いえ、わたしの場合は誘拐された時に目の前で両親が殺されてしまっていて。帰る場所がなかったんです」
そこでさすがにアレクシアの目が苦痛に歪んだ。
俺もまずいことを訊いたな、という思いから言葉に詰まる。でも彼女は俺が考えているよりも強かったらしい。すぐに笑顔を見せて話を続けた。
「身よりはなかったのですがわたしは魔力持ちでしたし、ちゃんと魔術を学ぶことができれば誰かの役に立てると思っていました。それを王女殿下も理解してくれて、わたしを養子としてもらってくれる魔術師一家に紹介してくれたんです」
「魔術師一家」
ということは……普通に考えれば、侍女じゃなくて魔術師として仕事ができるように育てられた……というわけでは?
と俺が首を傾げていると、彼女は俺の疑問に気づいたのか可愛らしく小首を傾げて言った。
「ただ、これは王女殿下もご存知なかったんですけど、その魔術師一家って王家の後ろ暗い任務を請け負うことが多いところで。いわゆる、暗殺とかも普通にやってしまうというか」
「え」
「わたし、そこで訓練を受けたんです。わたしの命を救ってくださった王女殿下に恩を返すためにも、役に立てる人間になろうと思って、どんなに厳しい訓練だろうと頑張ってきました。魔術も暗殺術も、そして侍女としてのマナーも学んで、王女殿下のお傍付きになれることができて。わたし、とっても幸せなんです。王女殿下のためなら何でもできます。あなたとオルコット様を引き裂くのだって絶対にやり遂げて見せますし!」
「ちょ、え?」
俺は少しだけ背中に厭な汗をかきながら微笑んで見せた。「あの、ちょっと訊きたいんですが。その、君が暗殺、いや……他人には言えない何かが得意とか、その魔術師一家が……そういう役目を請け負っているとか、俺が聞いてもいい話なん……でしょう、か?」
「いいえ?」
そのあっさりとした返事に、俺は間抜けな声を上げた。
「はい?」
「だから、こんな秘密を聞いてしまったあなたのことは逃がしませんから。どんな方法を使ってでも、わたしの言うことを聞いてもらいますから。それで、王女殿下の心の安寧のためにも、早くオルコット様から離れていただきますね?」
……本気か。そうか。そうだろうな。
目の前の少女は嫣然と微笑み、自信たっぷりな表情を見せている。俺はといえば、さすがにもうどうしたらいいのか解らず、そこで話を切り上げた。
そろそろお風呂に入りたいんで、しばらく適当に待っていて、と彼女に言ったら「手伝います」とか言われて焦ったが、全力で拒否して風呂場に逃げ込む。
ただ、その後に姉の昼食を作りに食堂に降りたら、彼女は俺よりもずっと手際よく味も見栄えもいい食事を用意してくれた。それは助かるけれど。助かるけれどな?
「一体、どうしたんだ」
夜の任務のために中庭に行って仲間たちの前に立ったら、そこには当然のようにアレクシアもついてきた。それを見たデクスターが困惑した表情で俺の横にいる侍女服を見つめ――。
「はい、わたしはアレクシア・ローガンと申します。ユージーン様の恋人候補です。ですから、これからずっと離れず一緒にいることにしました。警備団の仕事だってできます。わたしだったら何でも楽勝です」
と、とんでもない台詞にデクスターも言葉を失う。俺も何とか彼女にこの場に残らせようとしたが、彼女は都合の悪いことは聞こえないふりをするが得意のようだ。
さすがに俺、もうお手上げ状態である。
というか。
「もしかして、世の中の女の子っていうのは、こういうとんでもない性格しているのが普通なのか? 姉たちの異常さに疲れて逃げてきたというのに、あれが普通だったのか? 俺の認識が間違ってた……?」
と、呆然としながら俺がぶつぶつと呟いていたら、デクスターがそれを聞き咎めた。
「いや、お前の周りだけ異常」
なるほど、ほっとした。
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