第47話 幕間7 カルヴィン・ロード
堕落というものは自覚症状が現れない。
森の奥に住んで、金というものに無縁な生活を送っていた俺にとって、彼女――俺の従妹であるアンドレア・ロードが与えてくれた生活は何もかも煌びやかに思えた。
俺のこの容姿――美形だのなんだのと言われ続けていると、それもまた母親が与えてくれなかった言葉だったからどんな菓子よりも甘く感じた。
アンドレアはベレスフォードの王都の傍にある屋敷で、彼女の母親と二人暮らしだったが、俺がそこに住み始めてから来客が途絶えることはなかった。
来客――俺に会いたいと言う魔女たち、だ。
彼女たちの年齢は様々であったけれど、誰もが俺に優しく、甘く、何でも願いを聞き入れてくれる連中だった。
身なりに気を払うことのなかった俺が、王都で名前の売れているデザイナーが作った服を着て、さらに周りが騒々しくなっていく。
確かに、鏡の中に映る自分の姿は――美しいと感じた。整えられた髪型、豪奢な刺繍の入った上着。
芽生えていく自信。それは慢心、驕りと区別がつかない。
でも間違いなく、生まれてから初めて感じる感情。
俺はここで何もしなくていいんだ、それでも大切にされることが当然、と思えるようになるまであっという間だった。
そして、ある日の夜。
「あなたもそろそろ十七歳になったんだっけ? だったら早く決めなきゃねえ」
アンドレアは、テーブルの上に花の模様の入ったカップを置きながら口を開いた。
何を? と首を傾げながら、俺はソファに座ってお茶に手を伸ばす。
向かい側にあるソファにはアンドレアの母親。つまり、俺の伯母が同様にカップを手に取り、静かに微笑んでいる。叔母は無口で自分の考えを全く話さない人間だ。数年一緒に暮らしてきても、彼女が話すところを見たのは数回程度。
今夜もまた、茫洋とした表情で俺たちを見つめている。
「何を決めるんだ?」
伯母の隣に腰を下ろしたアンドレアに視線を向けると、改めて声に出して問いかける。すると、アンドレアは唇の両端を上げる笑い方を見せた。
「あなたと子供を作りたいって魔女がたくさんいるの」
「は?」
「子孫を残すのは、男の魔女として使命みたいなものなのよ? 本当はもっと早くに決めたかったんだけど、うちのお母様が『相手を選べ』って言うから厳選に厳選を重ねてたのよねえ」
「はあ?」
一体何を言い出しているんだ、こいつは、と俺が目を細めつつ小さくため息をこぼすと。
「年頃になるまで待ってあげたんだし、これから頑張ってもらわないとね!」
彼女は両手を胸の前に組み、乙女らしい仕草で身体を揺らす。「やっぱり最初の相手は、一番得になる家にしないと駄目なの! でも、どこの一家も謝礼金をたくさん出してくれるっていうし」
「いや、ちょっと待ってくれよ」
俺は乱暴にカップをテーブルに戻し、ぐるぐると考え続ける。
子供を作る。
知識は一応あったが、遠い未来のことだと思っていたが――確かに、それは魔女の世界では必要なんだろう。名前しかしらない父がやったように、俺も――?
でも、何か引っかかる。
何かが問題だ。
しばらくの間、カップがソーサーに当たるカチャカチャ、という音しか部屋に響かなかったが――。
「そうだ!」
俺は唐突に、あることが頭の中に浮かんだのだ。
「え? 何?」
「子供って、アレだ、つまり!」
「ええ」
「俺の父親――何だっけ、イリヤだっけ、そいつが子供をたくさん作ったって」
「そうねえ」
実は、少し前にアンドレアに訊いたことがあった。
俺と血のつながった人間、魔女がいるなら会ってみたい、と。しかし、イリヤは誰かと結婚したわけじゃないし、魔宴にも頻繁に参加していたみたいだから、誰があなたの姉妹なのか解らない、と。
解らない……見分けがつかないということ。
アンドレアよりも明るい、赤銅色の俺の髪の毛はベレスフォードではよくある色らしく、ロード家を訪ねてやってくる魔女たちも半数程度がそっくりな色合いだった。
彼女たちの誰かが、もしかしたら。
急に背中が冷えた気がして、俺はぶるりと身体を震わせた。
そして、何とか拒否しようとしたのだ。
「俺、そこまでして子供を作りたいとは思わないし、相手は……その」
「駄目よ?」
アンドレアは嫣然と微笑み、伯母も微かに頷く。
「駄目?」
「どうせ、見分けがつかないなら相手は誰だって同じでしょ?」
「いや、血がつながってたらまずいと」
「誰も気にしないわよ、そんなの」
「え?」
「わたしたち魔女っていうのは、そんな小さなことは気にしないし。要は、優秀な子供さえ生まれたらいいの。そしてできれば、男の子がね!」
俺はその時初めて、目の前の魔女二人が薄気味悪く感じた。
確かに、俺は金の生る木として見られているんだろうという感じはあったけれど、伯母と従妹という関係性から、多少は家族の情というものもあるんだろうと期待していた。母親を失ったから寂しかったのか、俺はアンドレアに縋りついていたんだろう。
「いや……俺は厭だ」
掠れた声が俺の喉から漏れて、アンドレアが目を吊り上げた。
「何でよ!?」
「万が一、その……そういうことをした相手が姉妹だったら、死にたくなると思う」
「はあ?」
そこで彼女は苛立ったように足を組み、小さく唸る。そして少しだけ考えこんだ後、不承不承頷いた。
「解ったわよ、ちょっと考える」
そんなことを言ってくれたから安堵したんだが――。
「初めまして、わたし、ガヴリール・ドミナントっていいます!」
ある日の朝、ロード家にやってきた魔女が俺を見上げて明るく微笑んだ。
「え? は?」
アンドレアに「来客を出迎えてね」と言われて玄関に向かい、扉を開けたら『これ』だ。途方に暮れるのは仕方なかっただろう。
だって、何しろ。
「お母様に言われて、あなたのお嫁さんになりにきました! わたし、何でもします! 閨の教育ってのも受けてきました!」
目の前にいる彼女――ガヴリールは、くるくると癖のついた美しい金髪と、青い瞳が印象的な可愛い女の子ではあったけれど。
それはどう見ても。
「あの……君、何歳?」
俺は笑顔を浮かべようとして失敗し、綺麗に整えた髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回しながら問いかける。
すると、彼女は無邪気な声で言うのだ。
「先月で十歳になりました!」
駄目、これは駄目だ!
「ドミナント家はすっごくお金を積んでくれたのよね」
硬直した俺の後ろで、上機嫌なアンドレアの声が響く。「ちゃんと、髪の毛の色とかも配慮したわよ? これならあなたも納得でしょ?」
そう彼女は続けたが。
「カルヴィン様って格好いいんですね! ええと、抱きしめてもらっていいですか!?」
人形のように可愛らしい子――幼女、だろうか――が目をキラキラさせながら俺を見上げているが、もうこの時に決めていた。
――逃げよう。
もう充分じゃないか。
俺はこの家で、随分と楽な生活をさせてもらって受け入れてきたけれど、それは『これ』を対価として支払う義務があったことを知らなかったからだ。
こんなとんでもないことになるなら、もっと早く逃げ出していたと思う。
こんな状況になって初めて後悔したのは、この屋敷にある秘術についての本を少ししか読んでこなかったこと、だ。
俺が母に教えてもらった秘術は生活に必要な最低限のことだけだ。だから暇な時間にここで独学で秘術を学んだが、アンドレアたちはそれを歓迎している様子ではなかった。
「そんなことしなくても、全部わたしたちがやるから」
と言って、読書の邪魔をしてくる始末だったし。
つまりそれは、俺がここから逃げ出さないように、無駄に秘術を学ばないようにしていたということだろうか?
でも、逃げなきゃ駄目だ。ここにいては、きっとよくない未来が訪れる。
おそらく、彼女たちの方が俺よりもずっと秘術を使いこなせるだろう。森の中に隠れ住んでいた時に俺を見つけたように、少し逃げたくらいじゃ最終的には追いつかれる。
じゃあ……ベレスフォードを出て行く?
そうだ、きっとこの国にいたら絶対に見つかる。母がベレスフォードに残ったのは、この国以外の場所で生きていく自信がなかったからだろう。魔女というのはその土地にこだわるから。
でも俺は、そんなことは気にしない。
別の国に行ってしまえば、アンドレアたちも追ってこないのではないだろうか。
そう心の中で決めて、目の前の少女に向き直る。
そして、笑顔でこう言った。
「後、五年後にまた会おうか?」
厭ですううう、という叫びを聞きながら、俺は自分の部屋に引きこもって考えた。アンドレアもドアの扉を叩きながら何か大声を上げているが気にしない。
まずは先立つもの、金が必要だ。少なくとも、俺にはこの整った顔立ちという武器がある。この屋敷を出ても、何とかなると思う。
それに、母が生きていた頃は森に生えていた薬草を元に薬を作って近くの村で売りさばいて生活費にしていたし、それをもう一度やれば多少の逃走資金が作れる。
それに、俺に邪な気持ちで近づいてくる連中なら、適当に搾り取ってやってもいいだろうし。
そうだ。
何とかなるはずだ。
俺は自分にそう言い聞かせて、ある日の夜――魔女の力が弱まる新月の日、何も持たずにロード家から逃げ出したのだった。
ただ、俺が考えていた以上にその逃亡劇は荒れまくり、長引いた。俺がこの国で学べる秘術を少しでも覚えたいと思って、こっそりと色々な場所を回っていたのも原因の一つだ。
アンドレアも俺を探しにやってきたしガヴリールという名の幼女もしつこかったし、ニアミスも多くあった。ただでさえ寿命が短いと言われているようだが、この逃亡の最中で余計に縮まったと思うくらいストレスがたまった。
それでも――寝るために一夜だけ隠れ家を秘術で作り出し、翌日にはそれを壊して逃げる、そんなことを繰り返しながら目を付けたのは隣国のカニンガムだ。
ベレスフォードよりも平和な国だと聞いて、そんなところなら警備だって緩いだろうと考えた結果だったが――。
まさか、こんな出会いがついてくるとは思わなかった。
名前も聞けなかったけれど、初めて俺に媚びを売らない少女を見つけたのだ。あの目に浮かんだ拒否の色は、絶対に嘘は混じっていない。だからこそ、彼女だったら信用できると思った。
彼女とだったら、子供を作ってもいい、とすら考えた。
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