第14話 男だから、女だから

「いい天気だな……」

 俺が生い茂る木々の葉っぱの隙間から見える青い空を見上げて呟くと、後ろから呆れたようなデクスターの声が飛んできた。

「現実逃避するなー。帰ってこーい」

 現実逃避くらいさせてくれよ。

 俺がのろのろと彼に目をやると、デクスターだけじゃなく他の団員たちも同情に満ちた目で俺を見つめていた。やめてくれ、余計に落ち込む。


 とりあえず、俺の知らない間に人身売買的な取引が終わり、ダイアナは魔石を手に入れてご満悦だ。そして、いつの間にか『俺の仕事ぶりを見る』という当初の目的を忘れて、他に魔物がいないか探し始めてしまった。放置しておいた方が幸せのような気がしたので、俺は気配を消して他の団員たちと行動することにした。

 ジャスティーンも上機嫌で俺に近づいてこようとしたが、さりげなく距離を取るようにしていたらその機嫌は急降下したようだった。俺のせいじゃない。


 その後は、何の問題もなく警備団としての仕事ができたと思う。

 見回りのルート、見つけた魔物の倒し方、素材の回収方法。近隣の村の位置や、村人から何らかの救援依頼があった時の流れなど、覚えることはたくさんある。

 それに、魔物の肉も食べられることを知った。素材を回収した後、解体してその場で焼いて食べることもあるらしい。

「フェドーラよりミーガルの方が美味いんだけどな」

 騎士の一人がそう言いながら、残念そうにフェドーラを解体している。さっき、ダイアナが姿を消している間に俺たちが倒したオオトカゲである。俺もその戦いに参加したけれど、かなりあっさりと終わってしまって肩透かしだった。

 俺を襲った魔女が操っていた奴はそれなりに強そうだと思ったのだけれど、それはやっぱり操る存在がいてこそだったのかもしれない。

「それより、俺はトルガの方が好きだけどな」

 他の騎士がそう口を挟むと、言われた騎士は苦笑した。

「そりゃ比べるなよ。トルガに比べたらフェドーラもミーガルも臭みが強いし」


「トルガ?」

 俺が眉を顰めつつそう訊くと、彼らは気さくな態度で教えてくれた。

「大きい鳥みたいな魔物だよ。翼はあるが、空は飛ばない。そいつらは人間が育てている作物狙いでよく村に現われるんだが、その鳴き声はとんでもなく大きい上に人間を気絶させるような魔力も持っていて、こっちが気を失っている間に畑全滅、なんてよくある話なんだ」

「なるほど」

「でもそいつらの肉は美味いんだ。焼いても煮込んでもいいし、下手な味付けなんか必要ないくらい美味い。だから、村ではトルガが現れると武器を持って追いかける連中も多いぞ」

「へえ」


 どうやら、村ではトルガの肉を使った屋台が人気があるようで、団員もよくそこで買うんだとか。デクスターもトルガのことは知っているようで、羨ましそうに聞いていた。

 しかし、なるほどなあ。

 俺はこれまで、『あの』家に住んでいたから知らないことが多い。特に、肉類はなかなか手に入らない……というか、すぐに姉のドロシーがお墓を作ると言って奪っていってしまうから、実際に食べるまでたどり着けないことが多かった。


 そう、ドロシーは本当に問題児だ。

 俺は思わず、そっとため息をついた。

 どんな魔物であろうと「可愛いですう」とか言ってあの屋敷の片隅で飼い始めて、とんでもないことになっているんだが大丈夫なんだろうか。いや、全然大丈夫じゃないだろうな。俺があの屋敷にいた頃は、『俺が』その魔物たちが逃亡しないように秘術で閉じ込めておいたけれど今頃は――。

 やめよう、考えても意味がない。


「後で村に寄ることがあったら、屋台で買ってあげよう」

 ジャスティーンがこちらの会話を聞いていたようで、さりげなく声をかけてくる。「トルガもいいが、村でならもっと他の食材も手に入る」

「……ええと、自分で買うことにします」

 俺が警戒心ばりばり出しながら言葉を返すと、彼女は少しだけ困ったように笑った。

「嫌われたかな」

「いや、そういうわけじゃ」

 と、俺は否定しかけたけれど、はた、と先ほどのことを思い出して釘を刺しておく。「あのダイアナから俺を魔石で買った人間だと思うと……」

「あれも好意だったんだけどね」


 ――どこが?

 俺が目を眇めて彼女を見つめると、ジャスティーンは少しだけその表情を引き締めた。

「君を彼女から引き離すのが先決だと思ったから」

「……なるほど」

 それは――ありがたい、のかもしれない。

 まあ、完全に納得したわけじゃないけど。


 目の前ではいつの間にか石を積み上げた簡易的な竈ができていて、そこに騎士や魔術師たちが先ほど解体したフェドーラの肉を木の串に刺して焼き始めている。彼らが持ってきたスパイス類が肉に擦りこまれていて、焼けていくと肉の香りより刺激的な香辛料の香りが広がった。

 その流れを俺も覚えようと見つめていると、ジャスティーンはさりげなく俺の横に立ってこう言った。

「それで、私のことが嫌い?」

 またその話?

 俺が横目で彼女を見つめると、意外と真剣そうな横顔があって俺も戸惑う。でも、これはいいチャンスかもしれないと思って俺も本音で返してみることにした。

「団長には色々と感謝しています。こちらに来た早々にご迷惑をおかけしましたし、それなのにもの凄くよくしていただいていると思います」

「物言いが硬いな」

「身分がありますから」

「うーん」

 彼女は少しだけ首を傾げて見せた。「身分で言うなら、魔術師よりも魔女の方が世間的には貴重な存在だ。魔術師よりも凄い力を持っているというのが世間一般的な評価だろう」

「だから、俺に優しくしてくれるんですか?」


 魔力が弱くなったからとはいえ、俺は魔女の秘術が使える人間だから。

 利用できそうだから?

 そんな穿った考え方が彼女に伝わるように、俺はわざと露悪的な響きが含まれるように言ったのだが。


「違うよ? 私が君に優しくしているのは、君のことが好きだから。解らない?」

「……解らないですよ」

 俺は思わず低く唸った。「俺が今、『女』だからですか? 恋愛対象が女だって言いましたよね? 女なら誰でもいいって思ってます? 中身じゃなくて外見が重要ってことですか?」

「はっきり言うねえ」

 そこで彼女は驚いたように前髪を掻き上げた。見開かれた目が俺を見たけれど、別に悪いことを言ったつもりはなかった。正直なところ、『そう』としか思えなかったからだ。

「別に、誰でもいいわけじゃない」

「そうですか? じゃあ、俺が男に戻ったらどうです? そうなっても団長は俺に興味が持てますか?」

「うーん……」

 彼女のその声には、僅かな逡巡が見られた。


 ――彼女が俺に興味を持ったのは、俺の肉体が女になったから。ただそれだけのはずだ。だから、別に何て返事がきても気にしないが――。


 彼女は何か考え込んだ後、俺にだけ伝わるような音量で続ける。

「私は女の身だから、軽んじてこられることが多かった」

「え?」

「魔術師というよりも、その前に――私は公爵家の人間でね? 残念ながら、貴族の娘というのは道具として使われることが多いんだ」

「道具?」

「家と家とのつながりだよ。いかに強い力を持つ貴族と婚姻を結ぶか。その道具だね」


 ――ああ、なるほど。

 それは簡単に想像に浮かぶ。


「ただ私はね? 幼い頃から優秀な兄と一緒にいて、同じように魔術を学んできたんだ」

「兄」

「これでも私は幼い頃は純真な子供だった。魔術を学ぶのは楽しかったし、兄と同じように――というか、ものによっては兄よりも上手くやれることもあった。私の魔力量では兄と同等であったし、いいライバルのように感じていたんだよ。兄もまた、私に負けたくないからだろう、私以上に魔術を勉強したし上を目指した。そうやって、切磋琢磨して……評価されたのは兄だけだった」


 彼女の横顔は妙に静かだった。

 冷静さと冷淡さは似ているようでいて違う。彼女は今、鋭い敵意のようなものをその身の内に抱いているようだった。


「兄は男性であったから、そしてオルコット公爵家の跡取りであったから、正しく評価された。でも私は、女であるからどんなに魔術を上手く操っても無意味だった。どうせどこかの貴族と結婚して家を出て行くから、そう見られていたから、オルコット家でも立場が低かった。それは自分が女だからだ。それも全て、私が女であるから。どんなに努力しても、評価はされない」

「だから……」


 ――男装しているんですか?


 そんな問いかけは胸の中だけであったけれど、正しく彼女に伝わったみたいだった。


「私は男になりたかったよ。兄が羨ましかった。優秀な魔術師の師匠を得て、誰からも尊重される兄。私はどうして男として生まれてこなかったのか、悔しくてたまらなかったな」


 彼女はそう言った後、さらに声を顰めて続けた。


「諦められたらよかったんだろう。自分が女であることを受け入れ、他の貴族の娘たちと同じように、ドレスを着て踊り、刺繍をして笑い、お茶を飲みながら街で流行しているものの話をする。そんなつまらない毎日を受け入れられていれば、ここまで歪まなかったんだと思う」

「歪み……?」

 俺が眉を顰めていると、彼女は苦笑してその表情にあった険を和らげた。

「君は違うみたいだね? 魔女の一族の男として生まれて、色々あったと思うけれど。女だから、男だから、と言われて苦しまなかった? 魔力の量について悩まなかった? だからこそ、そんなにまっすぐ育ったのかな?」

「まっすぐって」

 俺は慌ててそれを否定した。

 自分がまともに育ってきたとは思えない。特殊な家庭に育ち、魔力量の多い男性として特別扱いされてきたのは間違いないし、それに付随して歪んだ性格になったはずだ。

 だからそれをジャスティーンに伝えようとしたけれど。


「君は歪んでいないと思うよ。正しく成長したんだろう、私と違ってね? だから君に興味を持った。好きだな、と思った。多分これは、君が男性に戻ったとしても変わらないだろう」

「それはどうですかね……」

 俺は思わずそう言ったけれど、少しだけ――。

 俺が男性に戻っても変わらない。

 そう言ってもらえたのが嬉しかった。

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