第71話 旧時代の神
「……え?」
一度硬直したイリヤが、我に返ったように首を傾げた瞬間、テーブルを指先でかつかつ叩く音も辺りに響いた。もちろん、爪先で苛立ちを露にしているのはダイアナである。
「そんなことより、早く食事!」
「そうですよ」
ダイアナに追随するコートニー、そして相変らず俺の手首からちりんちりん鳴り続ける魔道具。まさに混乱の構図である。
とりあえず俺は、魔道具の音を遮断するために秘術で手首の周りの空間を包み込んだ。青白い光と秘術言語が腕に纏わりつき、軽やかな音色が封じ込められて聞こえなくなると、またカルヴィンが同じ言葉を繰り返した。
「俺の父親の名前なんだ」
「……へえ」
皿をテーブルに並べ終えたイリヤは、空いている椅子に腰を下ろす。その横顔には先ほどまであった驚きの感情はなく、代わりに苦笑が口元に浮かんでいる。
「残念だが、俺は寝た相手の名前なんて覚えてないな。だって単なる『仕事』だった。家畜としての任務を遂行しただけだ」
「家畜」
顔を強張らせて立ち尽くすカルヴィンに、他の皆の視線が向かう。
家畜という単語の威力が凄かった。
確かにそうだと思う。思うけれど。
それが自分の立場だったら、絶対に口にしたくない言葉だろう。
つい、俺はダイアナとコートニーを見やる。この二人も、俺のことを『そう』見ているのかもしれないと考えていると、ダイアナだけが俺の視線に気づいてにこりと微笑んだ。
……ほらな。
「でも、お前が俺の息子っていうなら」
そこで、イリヤが複雑そうな視線をカルヴィンに投げて笑みを消した。「俺が死んでから結構時間経ってる感じなんだな」
「死んでから」
「ああ。それで……ノヴァ一族ってのはまだ残ってるのか知ってるか? 俺のお蔭でかなり金は稼いだはずだが」
「いや……」
カルヴィンは眉間にぎゅっと皺を寄せた。「俺はよく知らないけど、なんか色々あったとか言われてる」
「色々?」
「あんたを巡る騒動。男の魔女が少ないってのに、あんた、行方不明になったんだろ? 残された女どもが派手にやり合って、死んだ魔女もいたらしい」
「へえ、そうか」
イリヤは他人事のように目を瞬かせた後、少しだけ物思いに沈んだようだった。そんな彼を見つめていたカルヴィンは、それ以上何も言えなくなったらしく、所在無げに視線をイリヤからそらした。
……なるほど、親子の感動の再会とはいかなかったらしい。
俺は二人の間に流れる微妙な空気を感じて、身につまされる思いだった。だってこれは俺の未来でもあるんだ。
俺は男の魔女で、スモールウッド家に利用される存在だ。あの屋敷にいたら、俺の意志など全く関係ないまま好きでもない相手と子供を作ることになっていた。
イリヤという魔女がそうであったように、カルヴィンも同じように道具扱いされていたんじゃないだろうか。それで、ベレスフォードからカニンガムに逃げてきた。
俺が逃げたように。
これまでの生活に嫌気が差したんだ。
「逃げたくなる気持ちはよく解る」
俺は思わずそう呟いてしまった。とまっていた調理のための手を動かし始めながら、心からの言葉を続ける。
「……道具なんだよ、男の魔女って。だからそれを理解してしまうと、道具から人間に戻りたいと思うようになる。女の魔女たちから逃げて平穏な生活を望むのは当然のことなんだ。だって、生きていられる時間が女性より短いんだから、せめて自由になりたいって思うわけで」
「はっ」
そこで、ダイアナが呆れたように息を吐いた。テーブルに頬杖をつき、小馬鹿にしたように笑いながら――。
「小さいわねえ。大きな魔力を持っているんだから、余計なことを考えずにふんぞり返っていればいいじゃないの。男の魔女が道具だっていうなら、女の魔女だって子供を産むだけの道具なのよ。目線を変えれば、お互い様ってことでしょ」
「……そう、なんだろうか」
カルヴィンが胡乱そうにダイアナを見て呟いたが、すぐにその視線は俺に向けられた。そして、急に俺の目の前に歩み寄ると、野菜の入った鍋を木べらで掻き回している俺の手を取った。
「だとしても、でも!」
「いや、手を離してくれる?」
「逃げたくなる気持ちを理解してくれる女性の魔女って貴重なんだ!」
「は?」
「やっぱりこれは運命だと思う。俺たち結婚しよう」
「断る」
――やっぱりカルヴィンはカルヴィンだった。落ち込んだように見えていても復活が迷惑なまでに早すぎる。
俺は乱暴に彼の手を振り払い、ため息交じりに横にいた幼女を見やる。こんなカルヴィンを追ってきたガヴリールが、目の前で別の奴に結婚申し込んでいたらショックじゃないだろうかと思ったのだけれど。
踏み台に乗って楽しそうに鍋を覗き込んでいる彼女は、お気楽そうな雰囲気のまま俺を見て言った。
「そろそろ野菜がいい感じなので、水を入れますか? これ、シチューにするんですよね?」
「……あ、うん、いや。水より、まずはバターと小麦粉が先」
「はい!」
真剣に料理の手伝いをしてくれている幼女から目をそらすと、イリヤの傍に立っていたヴァレンタインが眉間に皺を寄せながら俺を見ていることに気づく。そして、彼の視線の先が俺の左腕へと向かった。
相変わらず光り輝いている秘術言語の羅列。ブレスレットは多分、鳴り続けているはずだ。
俺は手早く鍋の中にバターと小麦粉を放り込み、少し炒めてから牛乳を投下。調味料も次々に入れて、煮立たせるだけにしてから魔道具にかけた秘術を解除した。
「……どうも」
魔力を魔道具に流して通話を開始させると、俺の挨拶なんかなかったかのように相手が言った。
『色々訊きたいことがある!』
それは予想以上に騒々しい声だった。台所の中にいた皆が硬直する程度には。
『何故、通じなかった? 魔道具が不調なのか? 何があった? それも訊きたいことだが、まずは重要なことを片づけよう。君はアボット男爵とその息子を手にかけていないのか?』
「……はい?」
俺はブレスレット相手に顔を顰めて見せた。
こちらの表情は見えなくても俺の困惑は伝わったようだ。彼は――ルーファス・オルコットは少しだけ沈黙した後、呼吸を整えて続けた。
『妹から聞いた。君は彼らを手にかけていない。殺してはいないというのは、間違いないのか?』
「あー」
俺はぎこちなくダイアナに視線を投げながら言った。「俺は何もしてません。それは断言します」
俺がそう言葉を続けている間も、ダイアナは楽しそうに微笑みながら小首を傾げている。
そう、俺は何もしていない。やったのは姉だから。
『今、同じように若い女性が行方不明になる事件が起きている。そして、その彼女たちの遺体が少しずつ見つかるようになったんだが、この件にも君は関係していないんだな?』
「何故俺に」
そんなことを訊くんですか、と言葉を続けようとしたが、ルーファスが俺の台詞を遮った。
『魔力による何かの痕跡が遺体に残っていた。少しだけ読み取れた部分が我々の知らない術式だった。そして、旧時代の神を称えるような文字列もあった』
そこで俺はじっとダイアナを見つめ続けるが、彼女は笑顔のまま首を横に振っている。
どうやら姉でもないらしい。
「俺も姉も関わってません。俺たちは辺境警備団の敷地内で大人しくしてますし、それに元々、面倒事には関わりたくない性格なんです。ただでさえ微妙な魔女の立場が悪くなるようなこと、絶対にやりたくないですよ? 他の魔女たちだって、一般人には手を出さないという暗黙のルールがあるので、殺し合うにしても魔女同士でやります」
『……魔女同士……そうか……』
一瞬、言葉に詰まったようなルーファスだったが、まだ疑っているような声音で念押ししてきた。『やっていない、確かにそうなんだな? その言葉、信じていいと?』
「はい、関わってません」
今回の件には、だが。絶対に関わっていない。
『……解った、信じよう』
意外とあっさり、ルーファスは引き下がってくれた。でもそれにはどうやら理由があるようだった。
『妹も言っていた。君は普通なんだ、と』
「普通」
『真面目で普通、なんだが……その』
「はい」
『妹が、君と結婚するつもりだ、と』
「はい?」
『君は今、女装しているだけで本当は男性だ、と。それで、近いうちに妹と結婚する約束をしていると言うから』
「男性?」
俺のすぐ傍に立っていたカルヴィンが困惑したように声を上げた。その声がルーファスに聞こえたのだろう、『そこに誰かいるのか』と声が警戒したように低くなった。
「あ、あの、今は警備団の食事の時間で」
さすがに、カルヴィン――アボット男爵に関わった魔女が傍にいることを言ったら厄介なことになるだろう。だから背中に厭な汗をかきながら言葉を探した。嘘をつくのは下手な俺だが、できるだけ平静を装わねばと焦ってしまう。
しかし、ルーファスはそんな俺には気づかなかったようで、気まずそうに謝罪の言葉を投げてきた。
『すまない、君が一人でいると思った。さすがに結婚とか妹が言い出すとは思わなかったから、慌てていたようだ』
「いや、あの」
『だが、女装はどうかと思う。余計な誤解を生むだろう?』
「いや、その」
『まあいい、このことは後でゆっくり話そう。いいか?』
「あ、はい」
そして通話が切れる。
俺の視線はブレスレットに向いたままだ。というか、動きたくなかった。
というか、女装って。信じたのか、それ。
ルーファス・オルコットって優秀な魔術師だって話だったけど、大丈夫だろうか、そんな簡単に言いくるめられていて。本当に優秀なのか? というより、妹であるジャスティーンの言葉だから信じたのか?
「嘘でしょ。隠していたのに」
ダイアナがばん、とテーブルを乱暴に叩いている。
ああ、怒っていらっしゃる。
とっても面倒なことになりそうだという予感。
「ユージーンは餌になるはずだったのに! 何でここでバレるのよ!?」
ダイアナを見つめているコートニーは無表情で、我関せずといった感じ。せめて、ダイアナを落ち着かせてくれないだろうか。
「……女装?」
そこでカルヴィンが我に返ったように呟いて、急に俺の胸元に手を伸ばしてきた。俺はそれを手で防ごうとしたが、自分の動きは一瞬だけ遅かった。
「胸があるから女だ!」
「いや」
見事に胸を触られた俺、咄嗟に後ずさって胸元を手で覆った。さすがに男性に胸を触られるのは鳥肌が立つ。
そして、何だか自分のこの動きは女性っぽいなと落ち込みながらも、いい機会だと思ってカルヴィンに言葉を投げた。
「姉に口止めされていたけど、俺は男なんだ。だから俺、自分のことを『俺』って言ってるだろ?」
「男?」
カルヴィンが泣きそうな表情で天井を見上げ、のろのろと視線を壁から床へと下ろしていく。そのままぶつぶつと何か言っていたが、俺は聞こえないことにした。
その代わり。
「旧時代の神」
そうぽつりと呟いた、ヴァレンタインの声に違和感を覚えてそちらに顔を向けたのだった。
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