第72話 盗んでくればいい

「そうか、盗んでくればいいのか……」

 どこか焦点の合わない視線のまま、ヴァレンタインが小さく呟いた。


 何か変なことを言いだしたと思った。

 俺が目を細めて彼を見つめていると、どうやら我に返ったらしいヴァレンタインがそっと辺りを見回す。最初にイリヤをじっと見つめた後、微笑みに似た冷ややかなものを口元に浮かべてカルヴィンに言った。

「手伝ってくれますよね?」

「は?」

 カルヴィンが素っ頓狂な声を上げて首を傾げたまま固まった。多分、目の前の男が厄介なことを言いだすことを直感しているからだろう。

「手伝ってください」

「……いや、手伝うか手伝わないかは内容を聞いてからじゃないと」

「手伝ってくれますよね?」

「……解った」

 どうやら彼の圧力に負けたようで、内容も知らないままカルヴィンが肩を落として頷いた。


「私が作った魔道具――ウェンディの肉体を保存していたものには、私独自の魔術言語を刻んであります」

 ヴァレンタインは椅子に座っているイリヤの肩に手を置いて、静かに話し始めた。

 イリヤは何を考えているのか解らない表情で、ヴァレンタインとカルヴィンの顔を交互に見つめている。

「私が手を出したのは禁術ですから、普通の魔石などとは違う動力を必要とします。いわゆる、生贄のようなものです」

「生贄」

 と、目を輝かせたのはダイアナだ。

 ああ、厭な予感がするなあ、と思いながら俺は出来上がった料理の皿をテーブルに置き、皆に食べるように促す。ガヴリールもちょっと高めの椅子によじ登り、この場にいる誰よりも行儀よく背筋を伸ばし、湯気の立つシチューを見つめていた。

 食事を始めたのはガヴリールとコートニーだけで、他の人間はヴァレンタインの説明に聞き入っている。俺もその例にもれず、空いた椅子に座って話を聞いていた。


「ウェンディの肉体を保存していた魔道具は、彼女が命を落としてから制作したものですが、それ以前に似たようなものを造って販売したことがあります」

「似たようなもの……」

 俺は思わずそう呟いてしまう。

 それだけ聞いただけで解る。

 さっき、ルーファスから聞いた事件。女性たちの遺体が見つかっているという話。どう考えても――である。

 俺が額に手を置いている間に、さらに話は進む。

「私はこれでも子爵家の人間として生まれ、魔道具制作に才能があると親からも認められていましたから、結構自由に制作資金も時間も使っていたんです。そんな話を聞きつけた貴族がいまして、相談をされたんです」

「相談」

 そう相槌を打ったのはコートニーだ。彼女の声音に厭な予感がして、俺はそっとコートニーに視線を投げる。すると、そこには妙にとろんとした目つきでヴァレンタインを見つめている姉がいた。

 本当は明日、コートニーとカルヴィンのお見合いを……と思っていたのに、どう見ても姉の興味はヴァレンタインに向かっているようだ。目元を赤くしているコートニーの表情は、恋をしているようにも見えた。ただし、恋の相手は魔道具だろうが。


「美容のための魔道具を造って欲しいということで、かなりの資金援助もされました。何しろ相手はかなり身分が高く、権力を持っている貴族でした。私が『普通ではない』魔道具を造ったとしても、王宮魔術師団に対して色々揉み消してくれましたし、本当に好き勝手にさせてもらったんです」

「美容のためっていいますが、それはどういう魔道具ですか? 造り方は? 素材は? 魔術言語で構築されているわけですよね?」

 コートニーは椅子から立ち上がり、テーブルに勢いよく両手をついて食器をがたがた揺らした。そんな彼女をヴァレンタインは静かに見つめ返し、うっすらと微笑みかける。

「はい。現代の魔術言語では無理な性能を求められていましたので、生贄……健康な血を必要とする造りにしました。自分の肉体の劣化を防ぐための魔道具なのですが、ここで説明するより見ていただいた方が早いでしょう。その魔道具は、私が学生時代に造ったお遊びのようなものでした。だから無駄な言語構築もありますし、お恥ずかしい出来ではありますが……今の私にとっては、まさに救世主となるべきものです。それを奪い、多少の改造を加えたらきっと……また使えるはず」


 彼はそこで虚ろな目でイリヤを見下ろし、ぶつぶつと呟き始める。


 ――こうしている間にもウェンディの肉体は老化を始める。別の魂が肉体に入ってしまったことで、何が起こるか解らない。万が一この魂のまま死んでしまえば、もうウェンディの肉体を保持する魔道具がない。そうなれば私の願いは潰える。そうならないためにも、今の肉体のまま生きながらえてもらわねばならない。


「俺、別に死んでもいいんだけど」

 さすがのイリヤも、病んだ瞳をしているヴァレンタインに怖気づいたのか、そんなことを言う。でも、それを聞いたヴァレンタインの表情はさらに人形じみたものになった。

「死ぬことは許しません。あなた方の存在は私にとって想定外のもの。私の研究を邪魔したのだから責任をとってもらわなくてはならない。あなたは生きるべきだ。あなたが死ぬのはウェンディの魂と引き換えになる時。それ以外は許さない」

「……えええ……」

 イリヤの眉尻が情けなく下がる。「面倒くさいなあ」


 ……ああ、心の底から関わりたくない。

 俺はただ茫然と目の前の光景を見つめている。今は食事より先に温かいお茶が飲みたい。現実逃避したい。しかし、それを許してくれない存在がいる。


「では、それを盗んでくればいいのですね? そうしたら観察し放題というわけですね?」

 コートニーが急にそわそわしだして、目元を赤く染めたままヴァレンタインに詰め寄る。彼女はすぐにダイアナに顔を向け、「行きましょう。どうせ暇を持て余しているんでしょう?」とか言い出した。

「行くのは別に構わないけど」

 ダイアナが手にしたフォークでシチューの皿の縁を叩いた。「その魔道具を買った貴族って口封じに殺してもいいの? 話を聞いた感じ、その魔道具を動作させるために世の中の女の子たちを殺しているんでしょう? だったら『いらない』わよね? こっちが盗んだら絶対取り返しにくるだろうし、邪魔でしかないわ」


 って、どうしてここで俺に視線が集まるんだろうか。ダイアナだけじゃなく、コートニーまで。すると、当然のようにヴァレンタインやイリヤ、カルヴィンやガヴリールまで。

 俺は目を細めてダイアナを見つめる。

「普通、人を殺すのは許されないけど」

「相手が犯罪者ならいいじゃない」

「いや」


 それでも駄目だろう、と言いかけたが。


「相手は公爵家ですから、下手に手を出すと危険だと思います」

 ヴァレンタインが何でもないことを話すかのように言った。「ただ、魔女という立場ならどうなんでしょうか。王都の魔術師団だって、多少は見逃してくれるのでは」


 ――そんなわけあるか!

 俺が口をぱくぱくさせているというのに、ダイアナは「そうよねー」と笑顔を見せているし、コートニーは「じゃあ今すぐ出かけましょうか」と言い出す始末。

 カルヴィンは「俺、どうしたらいいのか解らないから手伝って欲しい」とか言いながら手を握ってくるから殴っておいた。


 そして。


「……って、いうことなんです」

 俺は料理の差し入れを持って、団長室に来ている。夜遅い時間になったというのに、相変わらず彼女は仕事をしていたようで、以前は机の上に山積みになっていた書類も随分と減ったというか――ほぼない。それだけ、彼女が団長室にこもって書類整理をしているということなんだろう。

 辺りを見回したがイーサンの姿はない。もしかしたらまだ宿舎で働いているのかもしれない。

「敬語」

 そして、手にしていた書類を床の上に放り投げたジャスティーンは笑顔を見せて短く言う。やっぱりまだ慣れていないせいか、どうしても口調が改まってしまう。俺は言い直した。

「っていうことなんだ」

「よし」

 彼女はそこで、自分の膝の上を叩いた。またアレか。メイド服で膝の上に乗れっていう命令か。とりあえず気づかなかったことにしたい。

 ジャスティーンはそこで苦笑しながら立ち上がり、俺の手からトレイを取り上げて机の上に置いた。

「何でこう、もっとゆっくりできないものなんだろうね」

 持つものがなくなって手持無沙汰になった俺を、彼女は背後から抱きしめて小さく息を吐いた。「明日は君が仕事が休みだから、私もゆっくりしたいと思ってたんだ。明日の朝、エーメたちを見送ったら何もかも終わるって思ってたのにね。エーメがいなくなったら空いた客室の壁を破壊して、二人の寝室を作ってもいいかなとも考えていたし、大きなベッドを買って、そこでめくるめく初めての体験をしてもいいと思ってたんだ」

「いや、それは」

 俺は自分の腹に回された彼女の手を振りほどこうか悩みつつ、言葉を探す。「ええと、姉が勝手に庭に隠れ家みたいなのを作ってしまって。その、そこに俺の部屋もあるみたいで」

「許さないよ?」

「え、ああ、うん」

 まあ、俺も警備団の団員だし。

 勝手に宿舎から出るのは問題だとも解るけど。

 いや、そんなことを話しに来たわけじゃなくて。

 俺がうーん、と唸っていると彼女の密やかな笑い声が響いた。


「まあ、いいさ。その公爵家とやらには心当たりがあるしね、詳しく話を聞きたい」

「心当たり?」

 俺が首を回して少しだけ彼女の方へ顔を向けると、真剣な表情のジャスティーンが見えた。

「どうせ、君はあのお姉さんたちに連れられて今回の件に関わるんだろう?」

「……そう、だと思う」

「いくら魔女であろうと、今回は手を出したらまずい相手だと思う。だから、私も一緒に行って手伝うよ。我々が関わった痕跡を上手く隠そう」

「でもそれって、団……ジャスも危険なんじゃ」

 俺が不安になってそう言うと、彼女はとんでもない言葉を続けた。


「もしも今回の件がバレて私が警備団を首になったら、嫁にもらってくれるだろう? 君の――スモールウッド家に嫁入りして、魔術師としての知識を使いながら働くよ? どうせオルコット家の恥さらしと言われている立場だし、失うものなんて何もないしね」

 いいのかなあ、それ。

 俺はさらに唸ったけれど。

「まあ、それも一つの道かも」

 と、受け入れてしまったわけだ。


 血迷ったとも言う。

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