第33話 ラキセンの大火 ※少しだけ痛々しい表現があります

「ふわぁ……」

「起こしてごめんなさい、緊急事態なの。ひなじゃないとフェンリルさまの居場所もわからないし、手伝ってくれる?」

「加奈ちゃんがそういうなら行くよぉ……ムニャ」

『相変わらずなぜ主の声だけは届かぬのだろうな? 我も色々試してみたのだが』


 寝ぼけ眼のひなに、心配そうな顔のリリー、それにコーデリアの三人とという、あまり見ない組み合わせを乗せた馬車が深夜の道をひた走る。その隣を、馬ぐらいの大きさになったフェンリルが並走していた。


「それにしても、大火なんてただことじゃないですね。現地に水魔法使いはいなかったのでしょうか?」


 不安そうに聞いてきたのはリリーだ。

 通常、ラキセン王国で火事が大ごとになるなんて滅多にない。石造りの家が多い上に、水魔法使いたちが各地に点在しているため、すぐ消火にあたれるからだ。


「火元は貧民街らしいの。まだ木組の住宅が多く残っているし、水魔法使いも少なかったはずよ……。それにしても殿下まで駆り出されるなんて、よっぽどだわ」


 言いながら、コーデリアは小窓のカーテンを開けた。濃紺のはずの夜空が、今や煌々と燃え盛る炎によって朱色に染められている。こんな光景は見たことがなかった。







 焼かれた家屋の焦げた臭いに、煤混じりの煙っぽい空気。そして家を失った人々のどよめきで、現地は混乱を極めていた。エプロンに飼い犬を突っ込んで震える女性に、体を寄せ合って震える大家族。みんな荷物を持ち出す余裕はなかったらしく、ほとんどが寝巻一枚とも言える服装なままだ。


「おやあ、子猫ちゃんたちじゃないか」


 コーデリアがアイザックを探してキョロキョロしていると、聞き覚えのある声がした。


 スフィーダだ。新聞記者として、早々に駆けつけていたらしい。彼はいつもの笑顔でコーデリアに近づいてきたかと思うと、おもむろに目を細めた。


「と、言うか……あれ? しばらく見ない間にドドメ色が薄まっているね? なんというかこう、漂白されてきたというか、白っぽくなってきた?」


 何やらコーデリアのオーラの色が気になるようだが、今は構っている余裕はない。


「スフィーダ! アイザック殿下を見なかったかしら!?」

「殿下ならあっちに」

「殿下!」


 彼はたくさんの騎士と魔法使いに囲まれて、厳しい顔で何か指示している最中だった。


「殿下、怪我人はどちらに? 私とひなが向かいますわ」

「すまない、助かる。怪我人ならあちらの本部にまとめているはずだ。私はこれからジャンたちと消火して回る。君もくれぐれも気をつけてくれ」

「わかりましたわ!」


 コーデリアはうなずくと、すぐさま救護本部と呼ばれた場所へ走る。


 そこでは水魔法使いたちが治療に当たっており、コーデリアとひなが現れると大歓迎された。消火できるのが水魔法使いだけのため、治療に必要な人員が確保できていなかったのだという。


「ひな、軽傷者の治療をお願いできるかしら」

「はーい」

「重傷者はどこに? 私が行きます」

「重傷者はこちらです!」


――案内された先には、目を覆いたくなるような光景があった。あまりに火傷がひどく、生きているのが不思議なほどの人物さえいる。その中に、コーデリアは見覚えのある顔を見つけ息を呑んだ。


(うそよ……そんな、彼であるはずがない……!)


 信じたくなくて、震える足取りで近づいていく。恐る恐る顔を覗き込んで、コーデリアは今度こそ悲痛な叫びを上げた。


「ジャック!!!」


 それは、初めての治療会にやって来てくれたパン屋の少年だった。


 あまりの痛ましさに、涙が込み上げてきて視界がぼやける。子供で体が小さいことも災いしたのだろう。彼の状態は直視しているのがつらいほどひどかった。火傷は下半身のほとんどと胸の一部にまで及び、その瞳は閉じられてピクリとも動かない。


 そばで赤子を抱えたジャックの母親が嗚咽しながら言った。


「ジャックが……妹のおもちゃを取りにいこうとして下敷きに……ううっ」

「起きろジャック! しっかりするんだ! ジャック!!!」


 父親が必死に名を叫び、彼の頬を叩いているが反応はない。


 コーデリアはすぐさま駆け寄ると、なりふり構わずありったけの聖魔法を注ぎ始めた。とたんに、燃え盛る、見えない炎がコーデリアに襲いかかる。ジャックの感じた痛みがコーデリアに逆流してきているのだ。内臓を焼く、気の狂いそうな痛みに我慢しきれず、うめき声が漏れる。


(でも、ジャックはもっと痛かったのよ。これくらい……!)


 こぼれそうになる涙を堪え、コーデリアは一心不乱に魔法を注ぎ続けた。


 じわり、じわり。必死でやっているうちに、聖魔法の注がれた細胞が、一粒、また一粒再生していく。そうしているうちに、赤黒く焼かれた皮膚が少しずつ、まるで浄化されるように、柔らかな白肌へと蘇っていく。


――やがてコーデリアが手を離す頃には、彼の皮膚はすっかり綺麗な色を取り戻していた。


 ゆっくりと、閉じられていた目蓋が持ち上がる。


「……かあちゃん……? おれ……」

「ああ、ジャック! よかった! 本当に、よかったっ……!」


 目を覚ましたジャックに、周りからわっと歓声が上がる。顔をくしゃくしゃに歪ませた両親が、むせび泣きながらきつくジャックを抱きしめた。その様子を見てコーデリアは胸を撫で下ろし、目尻を拭った。


(……よかった。彼を助けられて)


 この火傷を治せるほどの水魔法使いはアイザックを含め、皆消火活動の方に駆り出されてしまっている。もしコーデリアたちがここに来ていなかったら……おそらく彼の命はなかっただろう。


「コーデリアさま、ありがとうございます! 本当になんてお礼を言ったらいいのか……! 私たちは一生、このことを忘れません……!」


 ジャックの父が涙をこぼしながら、祈りをささげる教徒のようにコーデリアの足元に頭をこすりつける。それを優しく立たせながら、コーデリアは微笑んだ。


「私こそ本当によかったですわ。ジャックを助けられたことは今後の誇りです。まだショックもあるでしょうから、今は私より彼に付き添ってあげてください。……私は他の方の治療にいかなければ」


 数は多くないが、ジャックよりひどい状態の者もちらほらいる。コーデリアはジャックの両親にひとことふたこと言葉をかけると、今度はそちらの治療に当たった。


 そうしてコーデリアとひなが回復に走り回っている最中にも、ドォンと、どこかで建物が崩れる音が聞こえる。どうやら消火はかなり難航しているようだった。


(殿下も怪我をされていないといいのだけど……。水魔法使いがそばにたくさんいるから平気よね……?)


 ひととおり重傷者の治療を終え、コーデリアが汗を拭った時だった。明るく輝く真っ白な巨体が、ふわりとコーデリアの横に降りてくる。フェンリルだ。


『あちらに小さい子供が埋もれている。早く助けなければ死ぬぞ』

「どこですの!?」


 仰天して聞き返せば、フェンリルが素早く駆け出す。ついてこいという意味だろう。仕方なくコーデリアはスカートの裾を持ち上げて走り出した。念のため、ブーツを履いておいて正解だった。


「というか、見つけたのならフェンリルさまが助けてくれてもいいんですのよ!?」

『それがな……子供相手は力加減が難しいのだ。助けるはずがうっかり噛みちぎってしまった、とかになってしまいそうでのう』

「聞いたのをものすごく後悔しましたわ! わかりました、私が助けます!」


 逃げ惑う人々とは逆の方向へ、フェンリルとコーデリアはひた走った。やがて人気がなく、燃え盛る家だけが残る地域に走り出る。


「どこですの!? もうみんな燃えているものしかありませんわよ」

『あの家の裏の壁と壁の間に、子供が挟まっておる。恐らくあそこから逃げ出そうとしたのだろうな』

「あそこね? 他に人はいないんですわよね!?」

『おらぬ』

「それなら……失礼いたしますわよ!」


 言うなり、コーデリアは体の中にある闇の魔力をかき集めた。久々に使う闇魔法はいつの間にか体内でずいぶんと量を減らしていたが、街の一角を壊すぐらいならなんてことはない。


 ゴッという音とともに闇魔法を放つと、目の前にぽっかりと、コーデリアたちが通れるだけの隙間が開ける。そこを走っていくと、フェンリルの言っていた通りの場所に、確かに小さな女の子の姿が見えた。だが既に意識を失っているらしく、壁の隙間に挟まったままぐったりとして動かない。火の手がまだ届いていなかったのが奇跡だが、それも時間の問題だろう。


(あの壁を豪快にぶっ壊したいところだけど、それだと下敷きになってしまいますわ……あの子だけ取り出せるように、周囲の壁を慎重に壊さないと)


 闇魔法を加減しながら、さながらガスバーナーのように指先から放ち、少しずつ、少しずつ壁を切り壊していく。少女までたどり着くと、コーデリアはすぐさま小さな体を抱き上げた。


(大丈夫! まだ息はあるわ。それなら聖魔法で回復できるはず……)


「コーデリア! そこにいるのか!?」


 少女を抱え、元来た道を戻ろうとしたところでアイザックの声が聞こえる。


「殿下!」


 嬉しさにパッと顔を上げた直後だった。


 頭上でガラガラガラという音とともに、崩れた家屋のかけらが降ってくる。咄嗟にコーデリアは少女を庇うように抱え、衝撃を覚悟してその場にしゃがみ込んだ。


――が、予想していたような衝撃は降ってこない。


「大丈夫か!?」


 恐る恐る顔を上げれば、コーデリアの頭上に水で作られた防御魔法が張られていた。以前アイザックが使っていた魔法だ。

 駆け寄ってきたアイザックが、心配そうに少女ごとコーデリアを抱き寄せる。彼の纏うほの甘いラベンダーと、煙っぽさが混じり合ったような匂いに包まれて、コーデリアは知らず止めていた息をほうと吐きだした。


「怪我はないみたいだな、よかった……」

「殿下のおかげで助かりましたわ」

「君がフェンリルと一緒に駆け出したと聞いて駆けつけてみれば……。間に合ってよかった。本当に心配したんだ」

『小僧は心配性だな。我がついていると言っているだろうに』


 のんびりとフェンリルが言った。

 見れば、先程コーデリアの上に落ちてきた瓦礫がふよふよとそばに浮いている。どうやらフェンリルも地味に守ってくれていたらしい。


「万が一ということもあるでしょう。フェンリルさまも、呼ぶときは私を呼んでください。彼女を危険な場所に行かせたくない」

『わかった。なら次からは小僧をお使いに行かせよう』


 こんな時でも相変わらず呑気なフェンリルに、コーデリアは脱力しそうになる。


「と、とりあえず、この子の親を探しましょう。きっと心配しているわ」


 幸い、少女は煙を少し吸い込んだだけのようで、聖魔法をかけるとすぐに目を覚ました。抱き抱えたまま本部に戻ると、ジャンと喋っていた子連れの若い夫婦が、少女を見て泣きながら駆け寄ってくる。


「ちょうどその子を探していたんだ」


 抱き合う親子を見ながら言ったのはジャンだ。


 火災現場でジャンの火魔法が活躍することはほとんどない。その代わり怪我人の救出や人探しなど、多岐にわたる仕事を任せられていた。そのままジャンがキビキビと報告を続ける。


「まだ完全には収まっていませんが、全ての現場に水魔法使いを派遣したので鎮火は時間の問題です。フェンリルさまにも協力してもらい、他に取り残された人がいないか捜索中ですが、今のところ死者はゼロです」

「よかった。引き続き、人命救助に全力を尽くしてくれ」


 死者はゼロ。その言葉にコーデリアは胸を撫で下ろした。そんな彼女とは反対に、ジャンの顔は暗いままだ。


「……ですが、気になることがあります」

「なんだ」


 すぐさまアイザックの視線がジャンに向けられる。ピリ、とした不穏な空気が流れ始めた。


「現在調査中なのですが、火元となる複数の場所で、魔力反応が確認されました。――恐らく、人為的に火がつけられています」


 ヒュッとコーデリアが息を呑んだ。彼の言葉が意味するところは一つ。


 今回の大火は、誰かによって起こされた無差別事件テロだということだった。

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