第28話 聖女ヒナの握手会

 その日は雲ひとつない、清々しい秋晴れの日だった。加えて日差しは柔らかく、さらりとした気温も相まって、絶好の治療会日和と言えるだろう。


 窓から見える王宮の広場には、コーデリアの治療会と同様、たくさんの人たちがつめかけている。違うのは、今日は皆、聖女ヒナに治療してもらうために来ていることだった。


「うわあ……。改めて見るとすごい人ですね。あの人数をお一人で治療したなんて、お嬢さまは本当にすごいです!」

「一人じゃないわリリー。軽症で許可が取れた人たちは、治療士の方が治してくれたのよ。それにアイザック殿下にも手伝って頂いたもの」


 のんびりと言いながら、コーデリアはお茶を一口飲んだ。ヒナの治療会とかぶらないよう色々ずらしたため、今日は丸一日空いている。思えばこうしてゆっくり過ごすのは久しぶりだ。


(本当に治療会を開催したということは、ヒナも聖魔法が使えるようになったのね)


 以前、フェンリルが暴れてアイザックが怪我をした時、ヒナは聖魔法を使えなかった。だが、あれから彼女も努力したのだろう。こうして治療会を開いているのが何よりの証拠だ。


(私ももっと頑張らなくちゃいけませんわね。ヒナが聖魔法も使えるとなった今、何か別の方法で差別化を図らないと……)


 ゆっくり過ごすはずが、気付けばまたもやペンと紙を引っ張り出してうんうん唸りはじめてしまう。それからリリーと二人で、ああでもない、こうでもないと差別化戦略について話し合っていると、廊下からバタバタとせわしない足音が聞こえてきた。


 かと思うと、ノックもそこそこに、息を切らせたジャンが入ってくる。彼が無礼なのはいつものことだが、珍しく焦った顔にコーデリアのみならずリリーも何事かと目を丸くした。


「おい、聖女。殿下からの要望だ。今すぐ聖女服に着替えて治療会に来い」

「ちょっと、突然何なんですの。順序だてて説明を――」

「聖女ヒナが治療会から逃げた。このままだと収拾がつかなくなるから、お前が治療を交代しろ」

「「ええ!?」」


 コーデリアとリリーの声が重なった。


「……すぐに着替えますわ。リリー、急ぎ準備を」

「は、はい!」


(一体何が起こっていますの!?)


 部屋の中は一瞬で騒然となった。

 何人もの侍女がバタバタと走り回る中、急いで聖女服に着替えて部屋を出ると、廊下で待っていたジャンが険しい顔のままずんずんと歩き出す。コーデリアたちは置いて行かれないよう、必死についていった。


「ねえジャン、どういうことですの? ヒナが逃げ出したってどういうこと?」

「そのまんまの意味だよ。治療会が始まった当初から雲行きが怪しかったんだが、なんとか重症人の治療が済んだと思った途端、手洗いに行くと言ってそのまま消えちまったんだ」

「……もしや誰かにかどわかされたわけじゃないでしょうね!?」


 コーデリアの言葉に、リリーの顔がサーッと青ざめる。


「いや、自分の部屋に閉じこもっているのを侍女が見つけた。今は殿下が説得に当たっているが、かたくなに出てこようとしない。このままだとまずいことになるから、お前を呼びに来たんだ」


 事件性はないことにほっとしつつ、代わりにため息が出た。


(治療会を投げ出すって、いったい何やっているのよ……。どれだけまずいことになるか、わからないわけじゃないでしょうに)


 前世で社内タレントとして活躍していたヒナは、誰よりもそのリスクを承知しているはずだった。――にも拘わらず、逃亡とは。


(これはさすがに、話をしにいかないといけないかもしれませんわね……)


 コーデリア一人にしわ寄せがきている分にはまだいい。けれど、治療会にはたくさんの人間が関わっている。ヒナのために会場を整えてくれた人たちや、ヒナに会いたくて来ている人。そして当然、切実な症状を抱えてやってきた人もいるだろう。その全員を無責任に放り投げたことは、聖女として許されることではなかった。


「皆さま、今から私が治療を担当させて頂きますわ。ひなに会いたかった方はごめんなさいね」


 乱れた息をなんとか整えて聖女スマイルを浮かべると、コーデリアはさっそく席に着いた。







「ああ……疲れましたわ……」


 その日の夜。満身創痍となったコーデリアがカウチソファにつっぷしていると、控えめなノックがしてアイザックが入ってくる。コーデリアが慌てて姿勢を正すと、アイザックが「いいんだ、楽にしていてくれ」と声をかけた。そう言う彼の顔も、どこかやつれて覇気がない。


「今日は助かった。君がいてくれなかったら大変なことになっていただろう……。そして巻き込んですまなかった」

「いいえ、殿下のせいじゃありませんわ。気になさらないでくださいませ。――ところでひなの様子は?」


 コーデリアの問いに、アイザックがため息をついて首を振る。その様子だけでなんとなく想像がついた。


「相変わらず部屋に閉じこもって誰とも口を利こうとしない。さすがのラヴォリ伯爵も面子を潰されたとカンカンで、伯爵をなだめるのに時間がかかってしまった」

「それは大変でしたわね……」


 前世でも、ヒナはいつもトラブルメーカーだった。自分の野心のためにヒナを利用しているラヴォリ伯爵に同情心はわかないが、巻き込まれたアイザックは心底気の毒だ。


「それより君は大丈夫なのか? 前回の治療会でもひどく疲れていただろう。体に異変は? どこか痛くないか?」

「私は大丈夫ですわ! 少し疲れていますけれど、何日かすれば元通りになりますもの」

「回復に何日もかかる……。それほど体を酷使しているのか」


 アイザックの顔が曇る。安心させるつもりで言ったのだが、逆効果だったらしい。どう取り繕うべきか慌てていると、アイザックが後ろにいる侍従に合図した。よく見ると、侍従は手に何かを大量に抱えている。


「全て君に教えてもらったものだが……疲労や心労に効くというものをありったけかき集めてきた。他に何か欲しいものがあれば言ってくれ」


 見れば、腕の中にあるのはリラックス効果のあるハーブティーや、滋養強壮に効くと噂の野菜。ほかにも果実に甘味と、てんこ盛りだ。


「それから、これも飲むといい」


 そう言って、アイザックが胸元のポケットから、ピーコックブルーの液体が入った小瓶を取り出す。


「私が作ったエリクサーだ。少しだが、魔力回復の効果もある。飲んでくれ」

「まあ! 殿下が作ったエリクサー!? そんな貴重なもの、一生保存しておきたいですわ! ……じゃなくて、ありがたく頂きますわ」


 一瞬彼が変な顔をしたので、コーデリアは大人しく飲むことにした。

 瓶を恐る恐る受け取り、ガラスの蓋をつまんでひねる。キュポン、と心地よい音を聞いてから、そっと唇をつける。すぐに流れ込んできたエリクサーの優しくまろやかな甘みは、まるでアイザックの人柄そのもののよう。疲れた体にエリクサーが染みわたるのを感じながら、コーデリアはほうとため息をもらした。


「おいしいですわ……! 心なしか、体がぽかぽかしてきました」


 薬とは思えないおいしさに、うっとりしながら言う。それを見たアイザックは、どこに隠し持っていたのか、服のあちこちから同じ小瓶を大量に取り出してコーデリアに押し付けた。


「まだたくさんある。足りないのなら、君の為にいくらでも作ろう」

「い、一本で大丈夫ですわ殿下!」

「だめだ。持っていてくれ。周りの人たちに配っても構わないし、治療会の足しにしてもらってもいい」


 断ろうとしたものの、珍しく強い調子で言いきられてしまい、結局コーデリアは両手にエリクサーを抱えるはめとなった。実際、魔力を回復できる薬はこれ以外にほとんどないため、非常に助かる品だった。


「では、ありがたく頂きますわ。……それから殿下、私も、一度ヒナとちゃんと話をしようと思っていますの」

「大丈夫なのか? 極力、彼女に関わりたくないのだろう?」

「そうも言っていられなくなりましたわ。今日のようなことがまたいつ起きるとも限りませんし……」


 そこでいったんコーデリアは言葉を切る。


「――それに、私もヒナから逃げてばかりじゃいけないのかもしれません。聖女と呼ばれるもの同士、一度きちんと話をしようと思っています」


 ある意味、前世からの因縁ともいえる仲。女神が二人を同じ世界に転生させたのも、何か理由があるのかもしれない。


(話をする前に、ひとつ確認しなければいけないわね……)


 考えながら、コーデリアはスフィーダ宛ての手紙を書くことにした。

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