第29話 女神さまと魅力値と
「やぁ、久しぶりだね子猫ちゃんたち。相変わらずの圧倒的ドドメ色で遠くからでもすぐわかったよ。ここまで来るともはや芸術だね! それよりそこにいるのはもしやアイザック王太子殿下では? いやあ、ずっとお近づきになりたいと思っていたんだ。これはいよいよ僕にも運が向いてきたのかもしれない」
部屋に入るなり、口を挟む間もなくスフィーダがものすごい早口で喋った。聞いているだけで舌を噛みそうなのだが、よどみなく言い切っている辺り実によく回る舌だ。コーデリアが密かに感心していると、アイザックが王族らしく鷹揚にうなずいた。
「貴殿の話は聞いている。コーデリアの告知新聞づくりに協力してくれたそうだな。その節は感謝している」
「おお、ありがたきお言葉。殿下は噂にたがわず、なんと凛々しい方でいらっしゃるのでしょう! 清らかな泉に流れる聖水のごとき清麗さ、あふれる優雅な気品はまさに王族の鑑! ――ぜひ今度一日密着取材をさせて頂いても?」
「密着取材は構わないが……需要はあるのだろうか」
「なんと! その謙虚さもまた美点ですが、殿下はご自分の価値をわかっていらっしゃらないようですね。需要に関しては、間違いなく新聞が飛ぶように売れるとだけ言っておきましょう」
「本当ですわ! 私なら最低でも十部は欲しいところです! 紙は傷みやすいですものね!」
拳を握って熱く語ると、スフィーダとアイザックが一斉にこちらを見た。ハッとして、コーデリアは急いで咳払いする。
「そ、それで、お願いしていた情報を聞かせて頂いても?」
「もちろんさ!」
言うなり、スフィーダは机の上にいくつもの資料を広げた。
そこに書いてあるのはすべて、ひな――正確にはエルリーナ――のことだった。
コーデリアはアイザックをスフィーダに紹介する代わりに、
「聖女ヒナの戸籍上の名前はエルリーナ。苗字はなし。小さな農村の出身で、聖女として王宮に上がるまでは父と母の三人暮らし」
スフィーダの言葉にコーデリアは頷いた。ここまでは『ラキ花』の設定通りだ。
「だ・け・ど。……どうも、彼女は昔からずいぶん村で煙たがられていたようだねぇ。というより、ひどくいじめられていたみたいだ」
「本当ですの?」
コーデリアは眉をひそめた。
かつて見た『ラキ花』の設定では、エルリーナは村人といたって良好な関係を築いていたはず。スフィーダの言う“いじめられていた”なんてエピソードは初耳だ。
「彼女、小さなころからとんでもないわがままレディだったみたいでね。その上風変わりな発言ばかりするせいで、魔女なんじゃないかって言われてたんだ。聖女に選ばれて魔女の話は消えたけれど……両親ともども、村から追い出される寸前までいっていたらしい」
「そんな……」
コーデリアは絶句した。
(確かにひなはわがままで、ずっと女子から嫌われていたわ。でも男子には何を言っても嫌われたことなんてなかったのに……)
思い返せば、始めからおかしかった。
ヒロインであるはずのひながアイザックから拒否され、一番得意な年代であるはずの国王にも彼女の必殺“お願い”が効かなかった。どちらも前世のひなからは考えられないことだ。
(そういえば、この世界にやってきたとき女神さまは『貴方たちの設定を間違えた』と言っていましたわね。もしその設定とやらが、ひなの魅力や好感度に関わることだったら……?)
コーデリアも、
推測でしかないが、“女神が間違えた設定”に関してそう考えると辻褄が合うのだった。
(やはり一度、ひなと直接話をした方がいいわね……)
男なら誰もが彼女にひざまずいていたのは前世の話。もしひなが今もそのままの感覚で生きてきたのだとしたら……。コーデリアは、初めて彼女の苦悩が見えた気がした。
◆
「……ひな、いる? 私よ。……加奈よ」
コンコンと控えめにノックをした先は、ひなが住むトルマリンの間。彼女は治療会の日以降、部屋に閉じこもって出てこないらしい。今も中にいるはずだが、しばらく経ってもうんともすんとも反応が返ってこない。
悩んだ末にドアノブに手をかけると、扉はいともあっさりと開いた。
「……入りますわよ」
コーデリアがためらいがちに扉を開ける。
部屋の中は昼だというのに、カーテンを閉め切っているせいで薄暗く、空気は
「もうこんな時間ですから、カーテンは開けてしまいましょう。というか、換気もしましょう。体に毒ですわ」
返事はなかったが、コーデリアは気にせず次々と窓を開け放っていった。すぐさまそよ風が、部屋の淀んだ空気を運び出していく。
「今日はまだ何も食べていないのですって? 果物とスープを持って来たから、今から食べましょう。ひな、朝はモソモソしたもの食べられないって言っていたものね」
続いて入ってきたリリーが、カットされた果物と、ひなが飲みやすいよう、皿ではなくマグカップに入れたスープを運んでくる。
「……加奈ちゃん」
あたたかなスープの匂いに誘われるように、ベッドのふくらみがもぞりと動いた。かと思うと、中からボサボサの髪をしたひなが姿を現す。目の下には、くっきりとクマができていた。
その姿にコーデリアが驚く。前世のひなは、どんな時でも完璧な可愛らしさを保っていたというのに。
「あなたのそんな姿、初めて見ましたわよ。治療会のこと、そんなにショックだったんですのね?」
ベッドの横の椅子に腰掛け、コーデリアが尋ねる。
「ショックっていうか……なんかもう全部嫌になったの。アイザックさまのことも、聖女のことも、加奈ちゃんのことも」
ぷいと、ひなが拗ねた子供のように顔を背ける。
「あら。私のことは嫌いなのに、お話はしてくれるのね」
「そ、それは。まともに会話できそうなの加奈ちゃんぐらいしかいないからで……!」
「アイザック殿下がいるじゃない。それにラヴォリ伯爵も、ごくごく普通に会話が成り立つ方でしょう?」
「そういうことじゃない! ここのみんな、なんかおかしいんだよ? ひなが何をお願いしても駄目です、無理ですって……人の心がないんじゃないの!」
話しているうちにイライラしてきたらしいひなが、枕を床に投げつけた。
「ひな……」
コーデリアは困ったようにひなを見つめた。それから、意を決して口を開く。
「残念ながら、おかしいのはみんなじゃないの。……ひなの方だったんですのよ」
とたんに、ひながキッとコーデリアを睨んだ。
「何!? お説教に来たの!? 前も思ったけど加奈ちゃんって昔はこんなに嫌な子じゃなかったよね! なのにアイザックさまに選ばれたからって急に偉そうになっちゃってさ!」
「確かに、偉そうになったのは認めますわ。公爵令嬢という立場柄、すっかり命令するのに慣れてしまいましたもの。淑女としてもっと謙虚に生きるべきだとは思うのですがなかなか……。あ、話が逸れましたわね」
うんざりした顔のひなに、コーデリアは慌てて居住まいを正した。
「とにかく、それとこれは別よ。私がどうであれ、ひなが……いえ、今までひなの振る舞いが許されていた世界がおかしかったんだと思いますわ」
「何それ。意味わかんない」
「あのね、普通はねだれば何でも手に入るっておかしいことなの。たしかにひなは可愛いけど、それにしたって普通じゃなかったですわ。――ひな、この世界に転生した時に、女神さまから何か聞いてない?」
「女神さま?」
ひながうーんと首をひねる。コーデリアは聞き逃すまいと、じっと言葉を待った。
「……もしかして、あの真っ白な女の人?」
「多分、その人ですわ。私は女神様に言われましたの。『あなたたちの設定を間違えた』って。一体何の設定までかは聞く余裕がなかったですけれど……」
「ああ、それだったら魅力値とかなんとかって言ってたよ。加奈ちゃんの分も、間違えてひなに入れちゃったって」
「えっ!? そうなんですの!? 初耳ですわよ!」
そんな話、まったくもって初耳なのだが、どうやらひなは最初から聞かされていたらしい。
コーデリアはガバッと身を乗り出した。
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