第35話 逢魔が時

 どれくらい寝ていたのだろう。


 すっぽりと布団にくるまり、うとうととまどろみを繰り返した後、不意にコーデリアは目を覚ました。


(熱が下がったのかしら?)


 相変わらずまとわりつくような怠さはあるものの、頭ははっきりしている。体を起こして窓を見れば、陽はすでに王都の向こうに隠れ、アメジスト色の空が急速に夜の帳を下ろそうとしていた。


(こう言うの、逢魔が時って言うのかしら……)


 混じり合う朱色と紫の色合いは、ゾクっとするほど美しい。見ているだけで心を連れ去られてしまいそうなくらい。


 その妖しい美しさに魅入られる前に、コーデリアは慌てて視線を外して部屋を見渡した。が、いつもならそばに控えているリリーの姿はなかった。また何か取りにいっているのだろう。


 見るとベッド側のデスクに水差しと空のコップが置いてあったので、そこに水を入れゆっくりと飲む。


 乾いた口内の中に甘い水が染み渡り、コーデリアはホッと一息ついた。


「……あら?」


 と、そこへ、窓ガラスをすり抜けて緑色の小鳥が音もなく入り込んできた。風魔法で作られた、手紙を運ぶ魔法伝書鳩だ。


 魔法伝書鳩自体は、珍しくもなんともない。貴族間の手紙はもちろんのこと、告知新聞などを配布する際にもこの伝書鳩を使うからだ。だが――。


(執事や侍女を通さずに、私に直接……?)


 貴族の間では、よっぽど親しい相手でもない限り、部屋に直接伝書鳩を飛ばすのはマナー違反となる。場合によっては密通だと咎められてもおかしくないほどの行為なのだが、送り主に全く当てがなかった。アイザックやひなであれば直接部屋に来るだろうし、お友達である礼儀正しい令嬢たちも、当然そんなことはしない。


(一体、誰から?)


 警戒しながら右手を掲げると、手首にふわりと緑の小鳥が着地する。かと思うと、つむじ風のしゅるるという音とともに小鳥は一通の書簡へと姿を変えた。結ばれている緑のリボンを解き、書簡を開く。


そこには、こう書かれていた。


====================


 聖女ヒナは我々が預かっている。彼女の命が惜しければ、一時間後までに一人でグリダル大教会に来ること。もし時間までに来なかったら、聖女ヒナには二度と会えなくなると思え。また、誰かにこのことを話したり、不審な動きをしても、同じことになる。


 我々は常にお前のことを見ている。そのことをくれぐれも忘れるな。


=====================


 そして言葉を裏付けるかのように、見覚えのあるミルクティーカラーの髪が一房、手紙に結ばれていた。


「……う、嘘でしょーーー!?」


 コーデリアは叫んだ。


 叫ばずにはいられなかった。

 あの火事から一夜。たったの一夜しか経っていないと言うのに、もうこの有様なのだから。


「あつっ!」


 突然の痛みに、コーデリアが持っていた手紙を落とす。見れば、どういう仕組みなのか、手紙が発火していた。じじ、と燃えた手紙がシーツを焼いて穴を開ける。


「お嬢さま、いかがなさいました?」


 コーデリアの声を聞きつけたのか、扉が開く音とともに、軽食が乗ったワゴンを押しながらリリーが部屋に戻ってきた。咄嗟に枕でシーツの焦げ跡を隠す。これが見つかったら間違いなく面倒なことになる気がした。


「な、なんでもないのよ。それよりリリー、ちょっとひなを呼んできて貰えないかしら? 伝えたいことがあって」

「はい! お待ちくださいませ」


 コーデリアが頼むと、リリーがすぐさま部屋を出ていく。


(とりあえず、本当に攫われたか確認しなければ……。もしかしたら、普通にいたりするかもしれないし!?)


 が、そんな淡い期待は、戻ってきたリリーによってすげなく打ち砕かれる。


「ヒナさまはまだお出かけしているそうですよ。帰ったら連絡くれるよう、言付けを頼んでおきました」


 コーデリアは頭を抱えたくなった。

 リリーの様子からするに、まだひなのことは発覚していないらしい。もしかしたら、攫われたばかりなのかもしれない。


(手紙に書いてあることはやっぱり本当なのかしら!? 確かにあの髪には見覚えがあるし、朝もどこかに出かけるって言ってましたものね……。というか護衛のジャンは何をしてますの!? って、そういえば昨日のテロで事後処理に追われてましたわね……じゃあ護衛の騎士は!? と言うかフェンリルさまは!?)


 慌ててフェンリルを探しに行こうと立ち上がりかけ、ピタッと動きを止める。


(だ、だめよ……! 手紙には監視していると書いてあったわ。スフィーダみたいに魔眼持ちがいるのかも。フェンリルさまは目立つし、下手に動いてひなに何かあったら……)


 コーデリアが唇を噛む。ぐるぐると、思考だけが空回りしていた。


(と言うか、一時間後って全然時間がないですわよ!?)


 相手から考える時間を時間を奪い去り、不利な契約を迫るのは悪徳商人がよく使う手だ。わかっているのに、今はその手に乗らざるを得ないのが悔しい。


(殿下に気をつけろと言われたばかりなのに……また怒られてしまうわね)


 コーデリアは心の中でアイザックに謝り、それからすっくと立ち上がった。


「リリー。私、とってもお腹が空いたわ。もっと料理を持ってきてくれる?」

「はい! 何か食べたいものはありますか? 病み上がりなら、消化にいいものにしましょうか?」

「いえ、今日はとびきり辛いのをお願い。食べると泣いちゃうくらいの」

「辛いもの、でございますか……?」


 リリーが不思議そうに首を捻った。それもそのはず、普段のコーデリアは辛いものは全くと言っていいほど食べないのだ。


 そんなリリーの背中を、コーデリアが急かすように押す。


「そう、辛いもの。ああ早く食べたいわ。お願いよリリー。時間がかかってもいいから、たくさんお願いね」

「は、はい! すぐに料理人に聞いてみます!」


 パタパタとリリーが駆け去っていくのを確認すると、コーデリアは一人でてきぱきと着替え始めた。以前町娘に扮した時のような、ごくごく簡素なワンピースだ。それから廊下に立つ護衛騎士たちに声をかける。


「お願いがありますの。殿下のためにお花を用意したいから、あなたは何か花束を見繕ってきてくださらない? そっちのあなたは流行のお菓子を買ってきてくれないかしら。お願い、どうしてもすぐに必要なの」


 今までこんな頼み事をしたことがないため、護衛騎士たちは戸惑っていたが、聖女直々の頼みでは断れるはずもない。


 彼らを体良く追い払ってから、コーデリアはそっとマントを羽織って王宮を抜け出し、一人グリダル大教会へと向かった。







「うう、夜の教会ってこんなに怖いところでしたっけ……」


 秋にもなると、日が暮れる速度は格段に上がる。つい先ほどまで太陽の名残を感じさせる濃い紫色が残っていたのに、コーデリアが教会にたどり着く頃には、すっかり闇色一色に染まっていた。


 ひやりとした風が頬を撫で、コーデリアは羽織ったマントの上から体をぎゅっと抱える。


 それから、恐る恐る巨大な扉に手をかけた。ギィ……と扉の軋む音が辺りに響き渡る。


 グリダル大教会は、王都でも有数の大教会だ。祭礼の時などは人で賑わっているが、今は誰もいない。大きく厳かな教会である分、静まり返った時の空気は重く、怖いくらいだ。魔法で灯された灯りだけがチラチラと動いている。


「手紙通り、一人で来ましたわよ」


 室内に向かって問いかけるが、静まり返った教会で返事をする者はいない。コーデリアは慎重に歩みを進めつつ、いつでも発動できるよう、闇魔法をかき集めていた。


(闇魔法は、かなりを聖魔法に塗り替えられてしまったけれど……まだ自衛くらいはできるはずよ)


 一歩ずつ歩みを進めていくうちに、木でできた長椅子の最前列に、誰かが座っているのが見えた。彼は教会の前を向いていて頭と背中しか見えないが、やたらゴツい肩幅は見覚えがある。


 コーデリアは息を吸い込むと、彼の名前を呼びながら駆け出した。


「……サミュエルさま、あなたがこれを企んだんですの!? ……って、あら?」


 コーデリアの声が、教会に吸い込まれていく。

 勇んで駆け出した先に待っていたのは、悪巧みを働かせた悪者顔のサミュエル――ではなく、座ったまま口から涎を垂らし、間抜けな顔で眠りこけているサミュエルだった。


「ちょっと、なんであなたがここで寝ていますの。起きて! 起きてくださいまし!」


 ペシペシと顔を叩いてみるが眠りは相当深いようで、全く起きる気配がない。帰ってきたのは、ンゴゴ、という気の抜けそうないびきだけ。

 コーデリアは、バチンバチンと、もはやビンタと言っても差し支えないほどの力でサミュエルの頬を叩き始めた。


「起きて! ひなはどこにいますの!?」

「ヒナさまならこちらだ」


 聞いたことのない男の声がして、コーデリアは弾かれたように振り向いた。見れば、コーデリアが入ってきた扉に立ち塞がるように、一人の男が立っていた。

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