第36話 水牢
長く伸びたこげ茶色の髪に、長い前髪で隠された片目。こんな暗い場所でも金色の瞳は発光するように光り、その美貌と相まって、美しい悪魔のようだった。
「あなた……! 陰気な方のペルノ社!」
咄嗟に失礼なことを口走ってしまい、コーデリアは慌てて口を押さえる。
一方ペルノ社の陰気な方の――確かベンノと呼ばれていた――男は、ピクリと眉毛を動かしただけだった。
「じゃなくて……ベンノ、でしたわね。ひなは無事なの?」
「ヒナさまはこちらにいる。心配なら見に来ればいい。そこの男と同じように眠っているが」
言われて、コーデリアは警戒しながらそっと歩みを進める。
男の後ろ、教会の扉近くにはもう一つ小さな部屋があった。ベンノもここに隠れていたのだろう。開け放たれた扉から見えるのは、懺悔室。こじんまりとしたスペースには、サミュエルと同じように座ったまま眠るひなの姿があった。
「ひな!」
「おっと、それ以上は近づかないで頂きたい」
コーデリアが駆け寄ろうとした瞬間、二人の間を遮るように突如土の壁が出現した。どうやらベンノは土魔法使いらしい。
ひなへの道を塞がれ、コーデリアはベンノと睨み合った。
「何故私を呼び出したの? あなたの目的は何?」
ベンノが、その言葉を待っていたかのように目を細める。
「私の望みは単純ですよ、聖女コーデリア。あなたが大聖女になった暁には、夫として私を選んで欲しいのです。約束していただけるのなら、聖女ヒナに危害は加えません」
「狙いは王位ね。けれど、あなたもわかっているでしょうが、答えは“いいえ”よ」
「ならばあなたを排除する他ありませんね。残念です。私なりの温情だったのですが」
コーデリアが彼を選ばないことなど、彼自身わかりきっているようだ。たいして残念がる様子もなく、腰に下げた小剣を引き抜く。
「魔法を使いたいところですが、痕跡からバレてしまいますからね。あなたには、錯乱したサミュエルさまによって殺されたことにしましょう。なんて哀れなのでしょうね。奇跡のような魔法を使える聖女が、たかだか刺し傷一つで死んでしまうなんて」
淡々とした口調で言うベンノを睨みつけ、コーデリアは声を張り上げた。
「あら、お忘れかしら! 私は賢者称号の闇魔法使いよ? そんな簡単に殺されてたまるものですか!」
「残念ながら、あなたには抵抗できない理由が三つあるんです。一つ目は、あなたの闇魔法が昔とは比べものにならないほど弱体化していること。二つ目は、あなたにはフェンリルを呼ぶ能力がないこと。これはヒナさまが教えてくれましたよ。こう見えて私たちは、意外と仲が良いのです」
(ひ、ひな……それは漏らしてほしくなかったですわ!)
コーデリアは思わずうめいた。ひなの告知新聞はペルノ社が作っていたため関わりがあることは知っていたが、まさかそんなことまで喋っていたなんて。口止めしておけばよかったと後悔するも、時すでに遅しだ。
「そして三つ目は、あなたがお人好しすぎるところです。ま、聖女だから当たり前かもしれませんが」
ベルノが言ったとたん、教会の中から「うぅ」という男の呻き声が上がった。咄嗟にその方向を見ると、まだ目覚めてないサミュエルを全身黒ローブの男が締め上げていた。サミュエルの喉元には、ぎらりと煌めく刃が当てられている。
「私には何人か同志がいるのですが、彼もその一人でしてね。人を殺すのに躊躇いがない。もしあなたが抵抗するようであれば、まずは気の毒ですがサミュエルに犠牲になっていただかないと」
(そっちを人質にしてくるの!? ひなじゃなくて!? 正直彼には何の感情もないのだけど、だからって殺させるわけにもいかないのよ!?)
などと大変失礼なことを思いつつも、今度こそコーデリアは動けなくなった。守りのために攻撃すれば、サミュエルを殺すとベンノは言っているのだ。
狙い通りコーデリアの動きを封じ込めたベンノが、ゆっくりと歩み寄ってくる。追い詰められたコーデリアが精一杯の牽制として叫ぶ。
「そもそも、私を排除したとしてひながあなたを選ぶとは思えないけれど!」
「その話、これから死ぬあなたに関係ありますか?」
揺さぶりをかける目的だったが、完全に空振りしてしまった。
(どうしましょう! 刺されそうになった瞬間に闇魔法で弾く!? でもそれだとサミュエルが……!)
コーデリアが必死に考えを巡らせているうちに、ベンノが一歩踏み出した。
と思った次の瞬間、月光に煌めく銀の刃が目の前で光る。闇魔法を発動させることもできず、コーデリアは咄嗟に両手で身を庇った。
――ずぶりと、ナイフが柔らかいものに刺さる音がする。
コーデリアは痛みを覚悟した。……が、予想に反して、いつまで経っても痛みはやってこない。
恐る恐る目を開けた先で見たのは、巨大な水の玉と、その中に浮かび、驚きに目を見開いているベンノの姿だった。
(これは……殿下の“水牢”!?)
フェンリルと戦った際に使用した水の防御壁を、アイザックはあれからさらに進化させていた。防御するだけでなく、攻撃してきた対象を逆に水で包み込んで、閉じ込めてしまう特性を加えたのだ。
紛れもなくその水魔法が、今、ベンノを包み込んでいた。
「コーデリア!」
同時に教会の扉が大きく開け放たれ、目を血走らせたアイザックが飛び込んでくる。
「殿下! サミュエルさまが!」
慌ててサミュエルの方を見て、コーデリアはポカンとした。
先ほどまでサミュエルと黒ローブの男が立っていた場所には、頬に返り血を浴びたジャンが立っていたのだ。
「ちょっと斬ったけど、命はあるはずだ。……多分」
ぐい、と血を拭いながらジャンが
「念のため防御魔法をかけておいてよかった。怪我はないか? よく見せてくれ」
アイザックが足早に駆け寄ってきて、両手でしっかりコーデリアの頬を包んだ。それから検分するように、念入りに体のあちこちを調べ回る。
『小僧。外にいた仲間はみんな捕らえておいたぞ』
のっそりと姿を現したのはフェンリルだ。見れば教会の外には、何人もの黒ローブの男たちがボロ雑巾のように、無造作に積み上げられていた。
「私は大丈夫ですわ。……というかいつの間にか防御魔法をかけてくださっていたんですの? 全然気づきませんでしたわ」
「君にあげたネックレスがあっただろう? 襲われたら魔法を展開するよう、細工をしておいたんだ」
「殿下……それって魔道具ですわよね!? それもすさまじく貴重な!」
サラッと言っているが、今のところそんなことができる魔道具は、コーデリアですら聞いたことがない。下手すると歴史が変わるほどの物を作っておきながら、アイザック本人は至って淡々としていた。
「これ、量産に成功したらとんでもないことになりますわよ! 貴族階級はもちろん、市民階級だってどれだけ助かるか……! ああなんて宣伝のしがいがある!」
興奮するコーデリアをよそに、水牢の中では、ベンノが必死に水牢から抜け出そうともがいている。だが手は水を掻くばかりで、全く進展はないようだった。どういう仕組みかはわからないが、空気の確保はできるらしい。
(魔法の威力も申し分ないわ!)
コーデリアが食い入るように水牢を見つめていると、アイザックが言った。
「怪我はないようだな、よかった……。ヒナ殿の失踪について探っているときに、君までいなくなったと聞いて心臓が止まるかと思った」
「あ、ご、ごめんなさい」
コーデリアが慌ててアイザックに向き直る。魔道具に見惚れている場合ではない。
「というかヒナの失踪、ご存知でしたのね!?」
「こうなるんじゃないかと思っていた。君が目覚めた時、違う部屋にいたヒナ殿がどこからか情報を手に入れていたからね。あれで君が監視されていることを知った」
「そういえばそんなこともありましたわね……」
コーデリアはあまり深く気に留めていなかったが、確かに誰もひなに連絡などしていなかった。最初からアイザックが張っていたのだとしたら、コーデリアは捜査の邪魔をしてしまったのかもしれない。
「ごめんなさい、私、余計なことをしてしまいましたわね……」
「そんなことはない。君が大人しく従ってくれたおかげで、我々は怪しまれずに尾行ができたんだ。……それに、見張らせておいた部下より、何も知らないリリー殿の方が早く異変を知らせに来たよ」
アイザックの言葉に、コーデリアは微笑む。
リリーは良くできた侍女だ。
普段全く辛味を好まない主人が急に「辛いものが食べたい」と言い出したら、なぜなのか理由を考えるだろう。そして主人を安心して任せられるアイザックに、必ず報告しに行くと踏んでいた。
その思惑通り、見事仕事をしてくれたらしい。
二人が見つめ合っていると、ひょいとジャンが顔を覗かせた。手にまだ、先ほど切り倒した男を引きずっている。
「って言ってますけど殿下、散々『コーデリアを囮にするなんて』って騒いでいましたよね? 俺が止めなかったら準備が整う前に突入しそうな勢いでしたよ」
アイザックが気まずげに目を逸らす。
「それは……いくら我々が尾行しているとはいえ、あんな夜道を彼女一人に歩かせるなんて……」
ぶつぶつと言っているあたり、アイザックの過保護っぷりは健在らしい。
「敵より殿下を抑える方が大変でしたよ。コーデリアが教会に入った途端、すごい顔で突っ込んでいこうとするし。辺りに潜んでいた奴の仲間は即座に片付けましたけどね」
アイザックがゴホンと咳払いした。
それから思い出したように、王族らしい威厳と厳しさに満ちた目で、未だ水牢に閉じ込められているベンノを見る。
「さて……この男にも色々と聞かなければいけないな。そもそもお前は一体何者なのか、洗いざらい吐いてもらおう」
ベンノの金の瞳が、水の中で悔しげに細められた。
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