第37話 最後の一日
数日にわたる取調べの結果わかったのは、ベンノがラキセン王国の東にあるメトゥス帝国の元皇子ということだった。
アイザックが皆の視線を一身に受けながら、供述をまとめた紙を読み上げる。
「『メトゥス帝国第七皇子として生まれたベンノは、祖国で母親を暗殺により喪失。彼自身も殺されかけたため、十数年前に支援者と共にラキセン王国に亡命。折りよく聖女問題が勃発したのをいいことに、この国を手に入れ、祖国に復讐しようと目論んだ』……ということらしい。先日の大火も、混乱を起こすためにやったと自白している」
(なるほど、あの人にはそんなストーリーが用意されていましたのね。『ラキ花』ヒーローの一人だけあって、元皇子という肩書きも納得ですわ)
妙なところで感心しながらコーデリアがうなずいた。隣ではひなが、さらわれたことにまだショックを受けているようで、しょんぼりとしている。
「ごめんね加奈ちゃん。あの人話しやすくって、ひなが色々漏らしちゃったの……」
ひなによると、治療会場の下見と称してひなたちはベンノに呼び出されたらしい。だが教会にたどり着いてみればベンノの姿はなく、気づいたら意識を失い、全てが終わっていた……というわけだった。
「いいのよ。反省できるようになっただけ偉い……じゃなかった、次から気を付ければいいんだから。それで、ベンノの今後は……?」
ぽんぽんとひなの頭を叩いてから、コーデリアは恐る恐る聞いた。アイザックの目がすぅと細められる。
「関係のない数多の国民たちを命の危機に晒し、さらに聖女二人の誘拐と殺害を目論んだ罪は重い。本来なら極刑――となるが、同時に彼が元皇子なのも間違いない。結論が出るのは少し先になるだろう」
(それもそうよね……)
ベンノのことは、この王国内だけで結論を出していいものではない。彼の同志が他にもいた場合、ラキセン王国が他国の皇子を勝手に処刑したと密告されて外交問題に発展する可能性もある。メトゥス帝国側がどういう反応をするかはわからないが、一度話し合いの場を設ける必要があった。
神妙な顔をしたコーデリアに、ジャンが声をかけてくる。
「ベンノの事はわかったけど、それより、もっと大事なことがあるんじゃねぇの」
「あ、そういえばそうですわね。大火で家を失った方々のために、追加で支援品を配りにいかないと」
「違う、そっちじゃない! いやそっちも大事だけど、それより明日だよ」
「そうですよ! 明日ついに、大聖女が決定されるんですよね!?」
ジャンの言葉に乗っかるようにリリーが声をあげた。
「あっ!」
ようやく思い出したコーデリアがぽんと手を打つ。
王都はこの数日、建国祭の準備に大火で家を失った人の支援、それから失われた家屋の再建にと大わらわだった。国が総力をあげて支援したおかげで被災者は住む場所にこそ困らなくなったが、失われた思い出が戻るわけではない。そんな彼らを少しでも元気づけるために、コーデリアとエルリーナもここ数日奔走していたのだ。
そんな風にバタバタしていたら、明日が建国祭だとすっかり忘れてしまっていたらしい。
「ついに明日……泣いても笑っても、大聖女がどっちか決まるのね」
「ひな、もう一回貴族のおじさんに愛嬌でも振り撒いておこうかな?」
かたわらで聞いていたひなが真剣な顔で言う。
今の所、アイザックの調査によると支持はコーデリアが勝っていた。けれど蓋を開けてみるまで何が出るかわからないのが選挙。ひなの愛嬌にやられた“貴族のおじさん”が、支持を変える可能性だって十分にある。
ひなの言う“あいさつ回り”は、ひとつの手法としてはとても有効だった。
「……私も貴族の方々に愛嬌振り撒きにいこうかしら」
コーデリアの言葉に周りがギョッとする中、ひなだけが顔を輝かせて抱きついてくる。
「加奈ちゃんも一緒に行く? おじさんたちも喜ぶと思うよ」
「そうですわね。でも、おじさんだけじゃなくて奥方さまにもご挨拶したいわ。意外と多いのよ、表では威張ってても裏では奥方には逆らえないって方。ひなはもう少し女性陣にも目を向けるべきよ」
「う……ひな、女の人は苦手なんだよね……。どうしたら喜ぶのかよくわからないっていうか、なんでか怒られるっていうか」
とたんに気弱になったひなに、コーデリアは笑った。
「大丈夫よ。みんな鬼じゃないんだから、礼儀正しく接すれば優しくしてくれるはず。……途中で変なことをしなければね」
「うう……じゃあ加奈ちゃん、ひなが変なことしてたら怒ってくれる?」
「いいわ。なら今日はご挨拶に行きましょうか。急だからご迷惑にならない程度にして……手土産も必要ね。急いで準備しましょう」
正直、政敵であるひなを貴婦人たちに引き合わせるのはよくない手なのだろう。ひなに心変わりする人が出てくるかもしれないからだ。
だがコーデリアはそれ以上に、ひなに彼女たちとも仲良くなってほしかった。前世でひなは男性にこれでもかとチヤホヤされていたが、女の子と楽しそうに遊ぶ姿はほとんど見たことがない。
(ひなも、間違えた設定とやらを失った代わりに、新しい何かを得たっていいはずよ)
相変わらずひなは自分のことをひなと呼ぶし、コーデリアのことを加奈と呼ぶ。だが彼女はあれ以来、確実に変わってきていた。しっかりを前を向き、過ちは認めて反省し、自分にできることをもくもくと頑張っている。今の彼女なら、貴婦人たちに紹介しても大丈夫だとコーデリアは思ったのだ。
「ねえ加奈ちゃん……」
「うん? どうしたの?」
ひなに呼ばれて、コーデリアが振り向く。彼女は珍しく、もじもじと体の前で指をこねくりまわしていた。
「ひな……。ううん、わたし……これからはちゃんとわたしの名前を使おうと思うの。その……エルリーナって」
コーデリアは息を呑んで目を丸くした。驚きすぎて言葉も出ないコーデリアの前で、エルリーナが続ける。
「たぶん、ね……その方がママとパパも喜ぶんじゃないかなって思うんだけど……変かな……?」
自信のなさそうな声に、コーデリアは笑みをこぼした。そのまま優しく彼女の両手を取る。
「いいえ。とっても素敵だと思いますわ。ひなという名前もよかったけれど、エルリーナという名前はもっと素敵よ」
コーデリアが答えると、エルリーナははにかむように微笑んだ。
それは花がほころぶような、瑞々しく可憐な笑みだった。
◆
突発的に決めたあいさつ回りの一日を終え、コーデリアはソファでくつろいでいた。そこへコンコンと扉がノックされる。「こんな時間に、誰でしょうか」と確認しに行ったリリーが扉をあけてぎょっとした。
「アイザック殿下! 少々お待ちください、お嬢様にお伝えいたします」
(殿下がこの時間に?)
アイザックは普段からコーデリアの部屋に入り浸っていることが多い。だがさすがに夕食も終え、あとは寝るだけというこの時間になってやってくることはほとんどなかった。
「どうなさったのですか殿下。まさかまた事件が……?」
「いや、事件ではないんだが……夜分遅くにすまない。どうしても今日君に伝えたいことがあって。少し、庭を散歩しないか?」
いつもよりさらに仏頂面になっている顔から、かすかにだが緊張している気配を感じる。疑問に思いつつも、コーデリアは急いでショールを羽織った。後ろから護衛の騎士たちがついてこようとするが、珍しくアイザックがそれを断った。これで完全に二人きりとなる。
庭に出ると、風がショールを吹き抜けてコーデリアの体をひんやりと撫でた。
(意外と寒い。もう少し着込んでこればよかったですわね……)
ぶるりと身を震わせたところで、大きな上着がコーデリアを包み込む。アイザックが自分の上着を脱いで、コーデリアにかけてくれたのだ。
「冷えるから、これを着るといい」
「ありがとうございますわ。……ふふ、殿下の服を奪うのはこれで二回目になりますわね」
一度目は、ラキセンで大火が起こった夜。
事件の首謀者も今は逮捕され、ひとまず安心して建国祭に望めそうなことに、改めてホッとする。同じことを思っていたらしいアイザックもゆっくりとうなずいた。
「あの日、死人が出なかったのは君のおかげだ。改めて礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
「私こそ、お役に立てて何よりですわ」
コーデリアが笑えば、アイザックがふっと笑顔をこぼした。麗しい、としか形容のしようがない笑顔に、コーデリアの心がぎゅんと鷲掴みにされる。
(うっ……! 最近忙しくて堪能する余裕がなかったのですけれど、相変わらず殿下の笑顔は威力抜群ですわね……!)
動揺を表に出さないよう必死にこらえていると、スッとアイザックが手を差し出した。少し照れながらもその手をとると、彼がゆっくりと歩き出す。そのまま庭にあるドーム状のガゼボにたどり着くと二人は腰かけた。
りぃん、りぃんと聞こえる鈴虫の澄んだ鳴き声に、空には美しい弧を描く三日月。ちりばめられた星々は控えめながらも美しい輝きを放っていて、秋の夜長に、コーデリアほうっとため息をついた。
やがて、意を決したように、アイザックが口を開く。
「……コーデリア。ずっと君に伝えたかったことがある。聞いてくれるか」
真剣なまなざしに、コーデリアの心臓がどきん跳ねる。うなずくとアイザックが立ち上がり、彼女の前にひざまずいた。
月明りに照らされたコーデリアの白い手を、アイザックの美しくも男らしい手が包み込む。
「……初めて会ったときから、君はずっと私の太陽だった。いつも明るく聡明な君に、私は何度救われたか数え切れない。いつしか君の笑顔は、私にとってなくてはならないものとなった。……同時に強く思うんだ。君の笑顔を守るのは私でありたいと」
鮮やかな青の瞳が切なく揺らめきながら、乞うようにまっすぐコーデリアを見つめていた。
「コーデリア・アルモニア公爵令嬢。改めて、私とともに人生を歩む伴侶となってほしい――結婚してくれないか、コーデリア」
コーデリアは微笑んだ。
微笑んだはずなのに、気付けば涙が頬を伝っていた。
「もちろん、喜んで。……どうかずっとあなたのおそばにいさせてください。……いやだわ。嬉しいのに、涙が」
ぽろぽろとこぼれる涙を、アイザックの長い指がすくう。それからゆっくりと彼の顔が近づいてきて、月明りの下、二人の影が重なった。甘やかな吐息が、静かに二人を包み込む――。
――その時、実はすぐそばの茂みで、フェンリルが寝そべって夜風にあたっていた。
だがさすがのフェンリルも、二人の邪魔をする気にはなれなかったのだろう。しばらく薄目を開けて聞き耳を立てたあと、フンと鼻息をついて満足そうに目を閉じたのだった。
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