第34話 デレとデレ

「……反体制派、宗教組織、あるいは聖女に対する過激派集団。いずれにしろ、早急に調査が必要だ。今夜は長くなる。それから聖女らの護衛を倍に増やせ」

「はっ」


 いつになく厳しい声でアイザックが言い、ジャンが応える。緊迫した空気に何も言えずにいると、アイザックが着ていた上着を脱ぎ、ふわりとコーデリアの肩にかけた。


「物騒な話を聞かせてしまってすまない。念のため、今日はもう王宮に戻っていてくれ。君も疲れてるだろう。……重傷者は皆助かったと聞く。君のおかげだ、よく頑張った」


 そう言われた途端、体が思い出したかのように疲れを訴え始めた。ほんのり温かい上着に包まれているせいもあるかもしれない。急激にまぶたが重くなってきたのを感じて、コーデリアは大人しく提案に従うことにした。


「ではお言葉に甘えて、私は一足先に帰らせて頂きますわ、ひなも一緒に……」


 言いながらひなの姿を探して、コーデリアは目を丸くする。見れば、治療を終えたひなが、救護本部の端っこで丸まってすやすやと眠っていたのだ。


(寝ていたところを叩き起こしてしまったものね。聖魔法もかなり使ったでしょうし……)


「ジャン、悪いけれどひなを馬車まで運んでくれないかしら? なるべく起こさないように――って、あ、れ……?」


 ジャンに頼もうと顔を向けた途端、ぐにゃりと視界が歪んだ。


 そのまま足から力が抜け、支えを失った人形のように、体が傾ぐ。


「コーデリア!」


 かろうじてアイザックが抱きとめてくれたことはわかったものの、そのまま暗闇に引きずり込まれるように、コーデリアはぷつりと意識を失った。







 目を覚ました時、体は鉛のように重かった。


(これは……発熱しているのかしら……?)


 発熱時特有の体の重さに、関節もあちこち痛い。


 どうにか頭を動かしてあたりを見渡すと、隣にコーデリアの手を硬く握ったままベッドに突っ伏しているアイザックがいた。


 時刻は昼だろうか。外からは穏やかな日が差し込んでいる。


「お嬢様! お目覚めになられたのですね!」


 ぼうっとしているコーデリアの耳に、リリーの泣きそうな声が聞こえた。それから彼女はコーデリアの足元に駆け寄ってきて、そのままおいおいと泣き始めてしまう。


「だ、大丈夫よ、リリー」


(そういえば最初に転生の記憶が蘇った時は、ばあやがこうして泣いていたわね……)


 いつぞやのばあやとリリーの姿が重なり、思わず懐かしくなってしまう。今頃ばあやは、屋敷で元気に父の尻を叩いているだろうか。


「コーデリア!」


 リリーの声につられるように、アイザックが飛び起きた。その目は赤く充血している。


「大丈夫か!? 痛いところは? 苦しいところは!?」

「大丈夫ですわ。少し、熱っぽいだけです」


 関節の痛みは黙っておいた。――言うと騒がれそうだったのだ。


 コーデリアの穏やかな顔に、アイザックが詰めていた息を吐き出す。


「何人かの専門家に見てもらったが、皆疲労からくる風邪だと言っていた。……だが聖女には癒しの魔法が効きにくいらしい。私も何度か魔法をかけてみたが、あまり効果はないようだな……」

「えっ? 聖女ってそういう設定にされてるんですの?」


 熱のせいか、うっかり思ったことをそのまま口に出してしまう。


(回復魔法に耐性があるって、厄介ですわね。奇跡みたいな聖魔法をバンバン使っている対価みたいなものなのかしら……)


 フェンリルのセキュリティ機能といい聖女の回復魔法耐性といい、この世界にはまだまだ知らないことが多いようだ。


 呑気にそんなことを考えていると、アイザックが悔しそうに顔を歪ませる。


「……すまない、君に無茶をさせてしまったのは私だ。今日だけじゃない、あの日から、君にはずっと無理を強い続けている」

「殿下?」


 彼の言いたいことがわからず、コーデリアがキョトンと聞き返す。それに応えるように、アイザックがコーデリアの手をぎゅっと握る。


「コーデリア。私は君とずっと一緒にいたい。この先ともに生きるなら、君だけだと決めている」

「えっ!? は、はい! 喜んで!?」


 突然の告白に、コーデリアは慌てふためいた。


(これ、熱が見せている夢じゃないでしょうね!?)


 夢じゃないか確かめるために、本当は一、二発ほど自分の頬を引っ叩きたいところだが、両手を握られているためそれも叶わない。


「……だが、君に苦労をかけてばかりいる。私はただ、そばで君が笑っているのを見ていられれば、それでよかったのに」

「殿下……」


 射貫くような真剣な瞳が、まっすぐコーデリア見る。


「……コーデリア、君が望むなら、もうこれ以上頑張らなくてもいいんだ。もし君が大聖女に選ばれたら、君は今後“王妃”と“聖女”の二つの仮面をかぶって生きていかなければならない。それがどれだけ君に負担を強いることになるのか、私は知っている」


 コーデリアが息を呑む。それはアイザックが長年、“王太子”という仮面を被り続けてきたからこそ言える言葉だった。王妃であり聖女という立場の重さを、彼は改めて警告してくれているのだ。


――けれど。


 コーデリアはふっと微笑んで、今度はアイザックの手を包むように握り直した。


「心配、してくださっているんですね。ありがとうございます。それもこれも、私が不甲斐ないせいですわね」

「違う! 君が謝ることではない。元はと言えば私が無理強いを……」

「いいえ。無理強いじゃないですわ、殿下。私は……私の意思で大聖女を目指そうと思ったんです。それは殿下のためではなく、私自身の幸せのためにそうしたいと思ったんですわ」


 一言一言に想いを込めるように、コーデリアがゆっくりと言葉を紡いでいく。


「私は、殿下が王として国を治める姿を、ずっと隣で見ていたいんです。わがままなのは私の方ですわ。あなたの妻になって、さらにあなたにも王になって頂きたいんですもの。あなたの治める、ラキセン王国を見届けたい。それが私の願いですわ」


 それは嘘偽りのない本音だった。


 優しく、それでいて賢いアイザックは慈悲深い良き王になるだろう。そんな彼が治める国はきっと今以上に豊かで、平和になるに違いない。


(原作では見られなかったを、私は殿下と一緒に見たいんですわ……)


――願わくば、いつか死が二人を分かつその時まで、アイザックと一緒にいられたら。


「殿下は一つ勘違いなさっています。殿下が王になるために私が役に立つのなら、それは苦労ではなく、幸せと言うのですわ。こんなに嬉しいことはありません」

「コーデリア……」


 アイザックの瞳が、切なげに揺らめいた。


「……ならば私も誓おう。王になった暁には、必ずこの国をどこよりも良い国へと導いて見せる。飢えや戦いのない、安寧の時代を築くと。――けれどこの命だけは、君のために捧げると言わせてくれ」


 真剣そのものの瞳に、コーデリアは顔が赤くなるのを感じた。こんな情熱的な言葉は生まれて初めてだ。まるで乙女ゲームのワンシーンみたいだと思う。


(……というか、乙女ゲームの世界でしたわね! サラッとあんなセリフを言えるなんて、王子って生き物は怖いですわ……! そばにはリリーもいますのに)


 当の本人リリーは、壁のそばに控えながら必死に気配を消そうと努めていた。最も、見開かれた目が爛々と光っている上に、小鼻も膨らんでいて、主人に負けず劣らず愛の告白に興奮しているようだったが。


「加奈ちゃんが起きたって本当!?」


 そこへ、ノックもなしに扉を開け放ったひなが飛び込んでくる。相変わらず計ったかのようなタイミングの良さ、いや、悪さと言うべきか。顔をしかめるコーデリアとは反対に、アイザックが不思議そうな表情で尋ねた。


「どうして君は、コーデリアが起きたことを知っているんだ?」

「え? サミュエルが教えてくれたよ。それより! 体調には気をつけないとダメだよ加奈ちゃん! 体調管理も仕事のうちって、お仕事で散々言われたでしょ?」

「う……それは、そうですわね……。殿下にも心配をかけてしまいましたし、気をつけますわ」


 正直、今はもう少しだけ労ってほしい気分だったが、正論なだけに耳が痛い。


「……まあ、ひなの分も、加奈ちゃんが頑張ってくれたからなんだけどね」


 その後続いた言葉に、コーデリアは思わず顔を上げてまじまじとひなを見つめてしまった。とたん、ひなが唇を尖らせる。


「な、何よ。これでも一応感謝してるんだからね。加奈ちゃんがひどい怪我の人を全部引き受けてくれたこと。……あれ、痛いし苦しいし、大変だったでしょ」

「……すごい。まさか、やってもらうのが当たり前だったひなが、自分からお礼を言うなんて……」


 つい、子を見守る母のようなしみじみとした気持ちになってしまう。一方のひなは両頬を膨らませた。


「もう! ひなだって子供じゃないんだから。……ていうか、うん。すごいのは加奈ちゃんだよ。あのめんどくさい修行ずっと続けてるし、治療会だって、ひなじゃあの人数絶対捌けないし……。ひな、まだ大聖女を諦めるつもりはないけど、正直、加奈ちゃんが大聖女に選ばれても納得って思ってるんだよ」

「ひ、ひな? 一体どうしちゃったの?」


(今日は殿下といいひなといい、激しいデレのターンなのかしら!?)


 状況についていけず目をぱちぱちとしばたかせていると、ひながぷいと顔を背けた。


「別に。……たまには言っておこうかなって思っただけ。それより、ひなはそろそろ用事があるから! っていうかアイザックさまも、今は加奈ちゃんの体調が良くないんだからあんまり長居しちゃダメだよ?」


 アイザックに対する今までの執着はどこへやら。まるで友達に接するようなざっくばらんとした口ぶりに、コーデリアだけではなくアイザックまでもが目を丸くした。


「……ヒナ殿の言う通りだな。今の君に必要なのは休息だ。ゆっくり休むといい。また後でこよう。その前に、これを」


 アイザックが差し出したのは、彼の瞳と同じ色のネックレスだった。先端で光るのは濃紺のラピスラズリ。夜空に瞬く星のように、ところどころ上品な金が散っている。


 それを、アイザックがすばやくコーデリアの首につける。


「まあ、ありがとうございます。とても綺麗ですわ。それにしても珍しいですわね、ネックレスを下さるなんて」

「君は宝石を嫌がるからね。だが、これは私だと思って肌身離さず持っていてくれ」


 それだけ言うと、アイザックは立ち上がりひなと共に部屋から出ていく。リリーもエリクサーを取りに退出する。


 部屋の中に一人になったところで、コーデリアはふうと大きな息をついた。


殿下だと思って肌身離さず、なんて、相変わらずサラッとそういうことをいうから照れますわ。……それにしても発熱なんて本当に久しぶり。これは大人しく休んでいろってことかしら)


 胸元で輝く雫型のラピスラズリをつまみ、光に照らす。こっくりと深みのある濃紺色が、静かに輝いていた。



――コーデリアは知らなかった。今こうして休んでいる間にも、少しずつ魔の手が忍び寄ってきていることを。

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