最終章 大聖女

第32話 採決へのカウントダウン

「建国祭の日に、大聖女の票決が執り行われることになった」


 部屋の中にいる人たちを見渡しながら、アイザックがゆっくりと言った。

 コーデリアを含めた皆の目が驚きに見開かれたのは一瞬のことで、各々すぐに真剣な表情になる。


「……ついに決まりますのね」


 建国祭までは、残り二週間。

 この二週間が、コーデリアに残された最後の期間となるのだ。


(できることは可能な限りやってきましたし、これからも続けるつもりですけれど……。票決だけは、確証が持てませんわね)


 ひなは最初の治療会でこそ逃亡し、新聞に酷評を書かれたが、その後は驚くほど真面目に頑張っていた。「憑き物が落ちたみたいだな」と言ったのは確かジャンだったか。


 コーデリアに教わりながら魔力の鍛練を続け、治療会でも少しずつ治療する人数を増やしている。さらにコーデリアが施療院を訪問している間もこまめに治療会を開催しているおかげか、はたまた改心して頑張っている姿が評価されたおかげか、街角調査では少しずつ人気が上がってきていた。


(最初はダメダメだった分、後で本気になった時にギャップにやられる……。いわゆる真面目なチンピラに落とされるパターンですわね。強いですわ!)


 いつの時代もギャップは人を惹きつける。コーデリアにできることは、たゆまず腐らず、努力を続けることだけ。


 自分で自分を鼓舞していると、いつの間にかアイザックが隣にやってきていた。続いてどこかためらいがちに切り出す。


「いよいよ佳境に入ってきたが…… 私は君が心配だ。“聖女”という仮面を被り続けるのは、生やさしいものではない。たまには休んだ方がいい」

「夜間対応のことを心配しておられるのですか?」


 最近、コーデリアは夜中にもたびたび治療をしていた。

 子供が高熱を出した、あるいは母親が倒れたなど、急ぎの聖魔法を求めて訪ねてくるものは多い。軽いものは当番制で待機している水魔法使いが対応するのだが、手に負えない患者は全てコーデリアの元へ運び込まれる。この数日は立て続けに重病患者が運び込まれてきたせいで、少しだけ寝不足になっていたのだ。


「でしたら大丈夫ですわ。多くても一日一人ですし、治療会に比べればほとんど疲労はありません。……ただ、そうですわね。お言葉に甘えて、今日は少しだけのんびりさせて頂こうかしら」


 言ったそばから、あくびが込み上げてくる。手で口元をそっと覆い隠すと、アイザックがこちらに身をかがめた。長くしなやかな指がコーデリアの前髪をかきあげると、ラピスブルーの瞳と視線がぶつかる。思わぬ至近距離に、コーデリアの胸がどきりと跳ねた。


「今日は邪魔しないよう、もう退散するからゆっくりするといい。後で君の好きなお茶を届けさせよう。……それから新作のタルトも」

「ふふ、いいですわね。その時は一緒に食べません?」


 コーデリアが微笑めば、アイザックが照れたようにふいと目を逸らす。こう見えて甘いものが大好きな彼は、しかしそれを恥ずかしく思っているらしい。


『何やら楽しそうな話をしているな。新作の“たると”とやら、我も食べてみたいぞ』


 そこへ、つむじ風とともにフェンリルの声が響いた。巻き上げられる髪を押さえながらコーデリアが振り向く。


「フェンリルさまは相変わらず神出鬼没ですわね。……いえ、褒めてませんわよ?」


 フフンとばかりに顔をそびやかすフェンリルを見て、コーデリアがすかさず付け足す。アイザックがコーデリアから離れ、フェンリルに敬礼した。


「時間までにフェンリルさまの分も用意いたしましょう。量は確約できませんが、味は確かです」

『そうかそうか。お主の舌は信用できるからな。楽しみにしておるぞ』


 ほくほく顔のフェンリルを見る限り、アイザックとフェンリルは食べ物の好みが似ているようだ。というより、コーデリアの預かり知らぬところで、いつの間にか二人は随分と仲を深めていたらしい。


「あれ? フェンリルさまの気配がするかと思ったら、やっぱりいた」


 続いてぴょこんと顔を出したのは、ひなと、一時的にひなの護衛になったジャン。


 実はコーデリアの案で、ラヴォリ伯爵令息の盾として一時的にジャンを護衛に任命したのだ。


 アイザックには散々渋られたが、闇魔法を使え、なおかつアイザックが厳しくガードしてくれているコーデリアと違ってひなは丸腰も同然。そのことを説明すると、意外にもジャンがあっさり了承したのだ。……アイザックは最後まで渋い顔をしていたが。


『うむ。コーデリアはこの部屋に住んでいると聞いたからな。この時間ならいるだろうと思って来たのだ』


(そう……相変わらず私とフェンリルさまは、お互いの声を感知できないのよね)


 そのため、コーデリアに用があるときは、もっぱらフェンリルがこの部屋にやってくる。ひなの場合は互いの声が聞こえるため、その必要もないのだが……。


(フェンリルさまは結界があるから大丈夫だと言っていたけれど、やっぱり不安だわ)


 同じ聖女であるはずなのに、片方は聞こえて、片方は聞こえない“声”。改善方法がわからない以上、それが何か致命的な弱点にならないよう、コーデリアには祈ることしかできなかった。


 そんなコーデリアの不安を見透かしたように、アイザックがそっとコーデリアの手を取る。


「……引き続き、聖獣と聖女に関する資料を当たらせている。聖女が二人なのは前代未聞だが、何か解決の糸口になることが書いてあるかもしれない」

「アイザックさま……」


 伝わる温もりとともに、心が少しだけ慰められる気がした。


「とりあえず、君は少し休むといい。他のみんなは私が責任持って連れて行こう。……また後で」


 言うなり、アイザックはひなやジャンを部屋の外に追い立て始めた。さらにはなんだかんだ理由をつけて、フェンリルもフェンリルのために用意された部屋スフェーンの間へと連れて行くことに成功している。


 その気遣いに感謝しながら、コーデリアはリリーにうなずいて、久々にゆっくりと腰を下ろすことにした。







 それから十日後。建国祭を間近に控えたある日の深夜。


 コーデリアはふと、何かの気配を感じて暗闇でパチリと目を覚ました。


 部屋は真っ暗で静まり返り、大きな時計は午前二時を指している。てっきりまた夜間対応で誰かが呼びに来たのかと思ったが、他に人の気配もない。


 もう一度寝ようとしたが――不思議と胸騒ぎを感じてコーデリアは立ち上がった。それから少し夜風に当たろうとカーテンを開けたところで、飛び込んできた光景に目を細めた。


「……あれは何……?」


 深夜にも関わらず、王都のはずれで空が朱色に染まっていた。ここから見えるのはごく小さな面積だが、この距離からでも見えると言うことは、現地では相当の何かが起こっているということだ。


 コーデリアは急いでガウンをまとうと、廊下に控えていた護衛たちとともにアイザックの部屋へと走る。そして目当ての部屋にたどり着く前に、廊下でたくさんの騎士を引き連れたアイザックに出くわした。


「殿下! 一体何が……」

「貧民街の火事だ。……それもかつてない規模の。君は部屋で待っていてくれ」


 アイザックの声は切羽詰まっていた。彼が直々に出かけるということ自体、ことの重さを物語っている。


「いいえ、私も行きます! 怪我人もいるでしょう。聖魔法を使えるものは一人でも多い方がいいですわ。もちろん、ひなも」


 コーデリアが食い下がると、アイザックは苦い顔をしながらもうなずいた。


「私は一足先に行く。いいか、来るときは必ず護衛の騎士たちと一緒に来るんだ。決して一人では行動しないように」

「大丈夫ですわ、それなら私、最強の護衛を連れて行きますから」

「最強の護衛?」

「フェンリルさまですわ」


 コーデリアは自信満々に言い切った。






*次回少しだけ痛々しい表現がありますのでお気をつけください。

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