第31話 聖女と下まつげ令息と
「加奈ちゃん、次の治療会、いつにする?」
きゃるん、と変な効果音が聞こえてきそうな調子で、ひながコーデリアの腕にしがみついた。
「えっと、それはラヴォリ伯爵とも相談して……っていうかその前に聞いてもいいかしら? なぜひながここにいるんですの?」
ここはコーデリアの自室。部屋の中にはいつも通り、部屋の
しかも皆が皆、アイザックのために運び入れてもらった大きめの文机を囲むように座っているものだから、広い部屋の中でコーデリアの周りだけやたら人口密度が高い。
「だって加奈ちゃん手伝ってくれるんでしょ? ひなのこと」
何の邪気もない満面の笑みで返され、コーデリアは手で顔を覆いたくなった。
(確かに手伝うって言ったのは私ですけれど、まさか昨日の今日でやって来るとは思いませんでしたわよ……)
朝、突然現れたひなに、コーデリア以外の三人は仰天した。アイザックはかろうじて無表情でやり過ごしていたが、ジャンとリリーは珍獣を見るような目つきを隠しもしない。
「もちろん手伝いますわよ。ただ何事も順序というものがあるでしょう? まだラヴォリ伯爵にも話をつけていませんし」
「……お願い、今だけここにいさせて。だって部屋にいるとあの人がやってくる……。ひなあの人と二人になるのすっごく嫌なの」
「あの人?」
ひなの部屋にやって来ると言えばラヴォリ伯爵と、告知新聞の打ち合わせのために来るペルノ社の人たちぐらいだろうか。
(他に誰がいたかしら……)
コーデリアが首をひねったところで、突然廊下から、日常には不釣り合いなほど朗々とした声が聞こえた。まるでオペラ歌手が歌っているような調子だ。
「ああ、我が親愛なる美しき聖女ヒナよ! どこにいるのかと思ったら今日はここに隠れていたんだね? というわけで聖女コーデリアさま! どうか僕の入室をお許しいただけるだろうか!」
扉越しでも聞こえる張りのある声に、皆の視線が一斉にコーデリアに集まる。と同時に、ひながコーデリアに強くしがみついた。
「うそ、ここまで来たの!? 加奈ちゃんあの人だよ!」
「……ラヴォリ伯爵の令息か」
どうやらアイザックには思い当たる人物がいるらしい。名前を聞いたとたん、ジャンがうへぇと顔をしかめた。
「そ、そんなにひどい人なんですの?」
ラヴォリ伯爵令息については、イケメンだがやたらキザだとか、無類の女好きだとかという噂話は聞くが、直接的な接点はない。やがて外にいる護衛騎士から事情を聞いたリリーが、そっと耳打ちをしてくる。
「聖女ヒナさまを探しに来たという理由だったので、女官も案内せざるを得なかったようです。……どうしましょう、お断りしますか?」
コーデリアは一瞬悩んだが、すぐさま顔を上げた。
「いえ、せっかくですしお会いしましょう。幸いこちらにはたくさん人がいますし。ひなはソファの後ろに隠れていてくれる? 殿下、お通しして構いませんか?」
「構わない。ちょうど私も彼に言いたいことがある」
コーデリアが立ちあがり、出迎えの体制をとる。
リリーがうなずいて扉を開けると、すぐさま滑り込むようにして、貴族にしてはやたら体格のいい男性が入ってきた。
「ああ、お招きいただき
「ごきげんよう、ラヴォリ伯爵令息さま」
いえ、私は招いてないですわ、と心の中で突っ込みながら、コーデリアは長い口上をぶった切るよう被せ気味に挨拶した。
「ハハハ、嫌だなあ令息だなんてまるで他人のようだ。僕のことはぜひサミュエルとお呼びください」
「……それでは、サミュエルさまと呼ばせて頂きますわね」
他人のようじゃなくて他人なのですけれど! ともう一度心の中で吠えて、コーデリアはあいまいな笑みを浮かべた。
(というか出会って数秒ですけれど早くも胸焼けしてきましたわ……)
サミュエルは背が高く、顔も正統派イケメンと言えなくもない彫りの深い顔立ちをしている。だが、いかんせんその毛量豊かすぎる下まつげのせいか、はたまたラグビー選手のような、貴族にしては筋骨隆々すぎる体格のせいか、圧迫感が尋常じゃない。そのうちキラッという効果音とともに、歯が光り出しそうなほどだ。
(……ん? 筋骨隆々で圧迫感があるって、そういえばスフィーダが前に言ってた私の特徴と一緒ではなくて……?)
嫌な事実を思い出して真顔になる。もしかしてスフィーダの目には、コーデリアもサミュエルみたいに見えているのだろうか。だとしたらものすごく嫌だ。
(というか、こんなヒーローいたかしら?)
必死に“下まつげバチバチカテゴリー”に分類されたヒーローを思い浮かべるが、どれも当てはまらない。……他に下まつげバチバチなヒーローがいるかはさておき、ヒーローが多すぎるのも困りものですわね、と心の中でため息をつきながらコーデリアは切り出した。
「それで……サミュエルさまはひなを探しに来たのでしたっけ? 申し訳ないのですけれど、今は私と打合せ中なんですの。また日を改めてくださるかしら」
「ああいえいえ、ヒナさまもそうですが、この機会にぜひコーデリアさまにも一度ご挨拶をさせて頂ければと思い。――僕は以前からあなたとお近づきになりたいと思っていたんですよ」
ぎらりと瞳を光らせて、サミュエルが一歩近づいてくる。
「なかなかお近づきになれず歯がゆい思いをしておりましたが、こうして目の前に立つあなたは遠目で見る何十倍も美しい! 冬の女神を思わせるきりりとした佇まいに、心地よく耳をくすぐる澄んだ声音。そして何より、全てを吸い込まれそうな深い青の瞳に僕の心は釘付けに――」
熱に浮かされたように、サミュエルがずかずかと近づいてくる。あまつさえ、大きな手までコーデリアに伸ばしてくるではないか。
(ちょっと! この方何を考えているの!?)
どうやら彼には、部屋にいるアイザックやそのほかの人物は見えていないらしい。コーデリアが逃げ腰になったところで、サミュエルの前にすばやくアイザックが立ち塞がった。
「……ラヴォリ伯爵令息殿。私の婚約者に何か用があるのなら、代わりに聞こう」
それは真冬の風のように、芯から凍てついた声だった。
コーデリアが視線を上げてぎょっとする。アイザックの全身から、かつて見たことのないほど怒りのオーラが漂っていたのだ。その怒りは、サミュエルにもしっかり伝わったらしい。
「お……っと、失礼! アイザック殿下もいらっしゃったのですな! いや~ハハハ! 僕としたことが、聖女コーデリアさまの美しさに目を奪われて気付くのが遅くなってしまい……」
「そうとも。コーデリアは美しいだろう」
そう言うアイザックの声音は、怖いくらい低い。後ろから表情は見えないものの、サミュエルが顔を強張らせ、冷や汗を流しているのを見れば大体想像がついた。
「それと……君に東の王宮の立ち入り許可を与えた覚えはないのだが、一体誰に断ってここまでやってきているんだ。父上か?」
「そ、それは……その、ヒナさまを探すために……!」
「ならば次回からは東の王宮に来る前に、必ず、私に、許可を取るように。……いいな?」
一文字一文字を、ゆっくりと、ドスの利いた声で強調しながら、アイザックがサミュエルに詰め寄る。そんな彼の姿を見るのは初めてだった。
「も、もちろんそうさせて頂きますよ! いや〜ハハハ……今日は色々お話ししたいことがあったんですが、時期を改めた方がいいみたいですね! それではまた今度!」
言うなり、脱兎の如くサミュエルは逃げ出した。来た時よりさらに早く、一瞬で。
やがて彼の巨体が消えたのを見て、その場にいた全員の口からため息が漏れる。ソファの後ろに隠れていたひなもそろそろと顔をのぞかせた。
「……あの人、断っても断っても毎日来るの」
「それは……ものすごく大変でしたわね」
コーデリアは心の底から同情した。
聖女の部屋には常に使用人と護衛が控えているため乱暴なことはされないとは言え、あの調子でずっと詰め寄られていたらうっとうしいことこの上ない。
「貴族のおじさんには会いたくないって何回も伝えたけど、それも全然聞いてくれないし」
「ラヴォリ伯ならむしろ、二人を近づけさせたがるでしょうね……」
ラヴォリ伯爵の狙いは王位。流石に自分自身が聖女の相手に選ばれるとは思ってはいないだろうが、ちょうどいい年齢の息子なら話は別。あの下まつ毛令息に、聖女の心を射止めるようけしかけているのは容易に想像できた。
(それにしても、一番近い味方があの二人って……ものすごく嫌ですわね)
考えただけでげっそりする人選である。コーデリアはふうとため息をついた。
「……もし、あの人から逃げたくなったらいつでも来るといいわ。殿下が釘を刺してくれたおかげで、もうここには来れないと思うから」
コーデリアの提案にひなが一瞬キョトンとし、それからフフッと笑う。
「……加奈ちゃん、昔からなんだかんだ律儀に助けてくれるよね」
「そうだったかしら?」
「うん。高校の時も、こわーい女の先輩に呼び出された時に守ってくれたの、加奈ちゃんだったじゃん」
「そういえばそんなことありましたわね……。というかそんなことだらけで忘れていましたわ……」
ひなの尻拭いは、ほとんど加奈に任されてきた。それが嫌すぎてずっと離れたいと思っていたのだが……今は少しだけ、状況が変わっていた。
(ひなは今、前を向こうとしている)
以前のひなならば、治療会なんてヤダ! と突っぱねていただろう。けれど今は、まだまだ甘ったれな部分はあるものの、自分にできることを探そうとしている。
(それなら、もう少しだけ手伝ってあげてもいいと思うの。……なんて思うのは、甘すぎるかしら? でも私、女の子には基本的に優しくしたい派なのよね……)
なんてことを考えながらちらりとアイザックを見れば、彼はまだサミュエルに対する怒りがおさまっていないようで、いつも以上にむっすりとしていた。
その姿を見て微笑む。
コーデリアは知っている。もしコーデリアを傷つけるものが現れれば、先ほどのようにアイザックが守ってくれることを。
(好きな人が、自分を守ってくれる……。それって、とても幸せなことなんですのね)
アイザックのことを思うだけで、心がじんわり温かくなる。初めて知る喜びを、コーデリアは守るようにそっと胸に抱き留めた。
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