第23話 フェンリルとシュークリームと

「フェンリルさま!?」


 コーデリアは叫んだ。


『何ぞ』

「屋根がつぶれます! 危ないから降りてきてくださいませ!」


 顎をそびやかし、威厳を保って返事をするフェンリルに、コーデリアは容赦なく突っ込んだ。時計塔はレンガをベースにしっかり組んであるものの、何せフェンリルはあの巨体。屋根がいつどうなるかわかったものではない。


 そんなコーデリアの叫びを、フェンリルがうっとうしそうに鼻を鳴らす。


『ふん。我を誰だと思っておる。それぐらい力加減できるわ』


 言うなりフェンリルは立ち上がり、トンッと屋根を蹴った。そのまま地面まで真っ逆さま――かと思いきや、なんとコーデリアたちの目の前の空中で、してしまったのだ。もちろんフェンリルの足元には足場も何もない。他の人から見れば、完全に浮いている状態だった。


『ほうらな』


 フェンリルはまた得意げに顎をそびやかした。


「さすが聖獣……。ってそれはそれでやめてくださいませ! 目立ちすぎますわ!」


 ただでさえ目立つ巨体が、時計塔の前に浮いているなんて、目立たない方が不思議というものだ。現に地上では、フェンリルの姿に気づいた人たちがこちらを指さしながら何事かとざわめいている。

 事態を察知したアイザックが素早くフェンリルの前に進み出た。


「フェンリルさま、よければ王宮へ。ここにいては皆の心を悪戯に掻き乱してしまいます」

『ふむ、王宮ねえ』

「王宮に、専用のお部屋“スフェーンの間”を用意しました。また、フェンリルさまがお好きだという、“例のアレ”も」

『……ほう? “アレ”があるのか?』


 渋い顔をしていたフェンリルが、アイザックの言葉を聞いた途端目の色を変えた。それから興味深そうに鼻をヒクヒクとさせる。


『結構結構。小僧、なかなか勤勉のようだな? 見直したぞ』


 無言で頭を下げるアイザックの姿は、まるで優秀な臣下のようだ。


「では、我は先に行っておるぞ。お主らもぐずぐずせずに早く来るのだ」


 フェンリルはそわそわとしたかと思うと、待ち切れない、とでも言うようにヒュッとその場から駆け去っていった。光を撒き散らしながら走るその姿はさながら地上に降りた巨大な流れ星。下にいた人々からワッと歓声が上がる。


「さ、私たちも行こう。あの様子だと待たせるとまた文句を言われそうだ」

「ええ、そうした方が良さそうですわね」


 アイザックが差し出した手を取ると、コーデリアたちは急ぎ時計塔の階段を降り始めた。







『うむ、うむ。不思議な食感だが、新しいものもまた、いとうましだな』


 辿り着いたスフェーンの間では、大量のクッションに埋もれながら、フェンリルがムシャムシャと何かを食べていた。唇の端にはべったりとクリームのようなものが付いている。


「殿下、あれは……?」

「シュー・ア・ラ・クレームだ。最近はシュークリームとも呼ばれている」


 説明するアイザックの前で、フェンリルが大きな口を開けて次のシュークリームにかぶりついた。コーデリアが知っているものよりだいぶ大ぶりに作られたシューがぶしゅっと潰れ、口の端からとろりと黄味がかったクリームがあふれる。バニラのほのかに甘い匂いが鼻をくすぐり、コーデリアはその匂いを胸いっぱい吸い込んだ。


「フェンリルさまって……シュークリーム食べるんですのね」


 勝手なイメージだが、狼だから肉とかそういう豪快なものを好むのだとばかり思っていたのだが。


『ふん。我は高貴なる聖獣ぞ。肉などという生臭いものは好まぬ。時代は甘味よ。それにしてもうまいな。いつぞや食べたケェキとか言うのも美味かったが、これはこれでよい』

「シュークリームに限らず、甘いもの全体が好物だと記してあった」


 どうやら聖獣の好みについては、王国の記録にもばっちりと残っているらしい。フェンリルが行方不明になっていたこの一ヶ月、アイザックがせっせと部屋を整えていたのは知っていたが、抜かりない下調べにコーデリアは感心した。

 それからハッとする。


「……と、言いますか、そう! フェンリルさまは一ヶ月行方不明でしたのよ!? どこに行ってらっしゃったんです? 皆さん探しておりましたのに!」

『言っただろう。散歩だと』

「散歩が長すぎますわ!」


 コーデリアの小言に、フェンリルが口の端のクリームをべろりと舐めながら答える。


『ふん、一ヶ月など一瞬のことではないか。人というのはせっかちで困る』


 悠久の時を生きる聖獣という生き物は、人とは時間の感覚が違うらしい。まるで悪びれていないフェンリルに、コーデリアはため息をつきたくなった。


『第一、用があるなら呼べばいいだろう。お主は聖女なのだから』

「呼びましたわ! でも応えてくれなかったじゃありませんか」


 騒動の後に一度、コーデリアはフェンリルを呼ぼうとしたことがある。けれどフェンリルからうんともすんとも反応がなかったのだ。


『まことか?』

「ええ。アイザック殿下もその場で見ていました」

「確かに私も見ていました。名を呼んで召喚を試みたものの、何も反応はなかった」


 アイザックの証言を聞いて、フェンリルが『うーむ』と唸った。その大きな鼻息で、コーデリアの前髪がふわっと浮き上がる。


『おかしいのう。聖女が呼べば、我に聞こえるはずなのだが』


 と言いながらも、フェンリルは次のシュークリームにかぶりつくことを忘れていない。給仕を担当している女官が、慌てておかわりを取りに走っていく。


 だんだん不安になってきて、コーデリアは恐る恐る聞いた。


「あの……つかぬことをお聞きしますが、私って本当に聖女なんですの?」


 もし今更『すまぬ、我の間違いだった』なんて言われたら、色んな意味で立ち直れない。


『お主は間違いなく聖女だ』


 だからそう言われて、コーデリアはほーっと息をついた。心なしか、隣にいるアイザックも安心した顔をしている。


『だが言われてみれば、確かにお主の声が聞こえてきたことはないな。もう一人の方は、何度も声が聞こえてきたものだが』


 もう一人というのはひなのことだろう。

 フェンリルと聖女の間にどういう仕組みがあるのかはわからないが、結びつきだけで言うなら、現状コーデリアはひなに劣っているらしい。


「あの……なんとか私の声が聞こえるようになる方法はないのですか? このままだといざという時、王国を守れなくなってしまいますわ」


 聖獣フェンリルは、聖女の呼びかけに応じて立ち上がると言われている。それなのに聖獣に声が届かないとなると、聖女としての存在意義そのものが危うくなってしまう。

 そんなコーデリアの心配をよそに、フェンリルはあっけらかんと言った。


『王国のことなら心配せんでもいい。この国には我の結界が張ってある。それを超えようとするものがいれば、たとえ聖女がいなくとも我は起きるのだ』


 それを聞いて、アイザックが感心したようにうなずいた。


「なるほど……。聖女が存命していない間の守りはどうなっているのか疑問だったのだが、そういう仕組みになっていたとは」


(前世にあったホームセキュリティみたいな仕組みなのね……。警報とかなったりするのかしら)


 “ホームセキュリティ・フェンリル”を想像しながら、便利なシステムに感心する。そしてコーデリアはもうひとつ聞こうと思っていた重要な質問を思い出した。


「それとフェンリルさま。“大聖女”は本当に、私たち人間が決めてしまってよいのですか?」


 それは、コーデリアがずっとフェンリルに聞きたかったことだった。

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