第22話 時計塔とロマンチックムードと

 アイザックに連れられてやってきたのは、王都でもひときわ目立つ巨大な時計塔。


「あの、ここですか……?」


 塔の扉には大きな錠前がぶら下がっており、鍵なしには立ち入れないことを示している。


 が、アイザックはごそごそとポケットを探ったかと思うと、飴色の武骨な鍵を取り出した。


「ここには時たま訪れるんだ。人を連れてきたのは初めてだけど」


 慣れた手つきで開錠すると、彼はコーデリアの手を引いた。そして塔の内側にぐるりと張り巡らされた階段を、手をつないだまま上っていく。


「時計塔の中って、こんな風になっているのですね」


 螺旋を描く階段から時折下を覗き込みながら、コーデリアは感心したように言った。


 階段を登り切った後に待っていたのは、巨大な歯車やロープが複雑に絡み合った装置の置かれた部屋。アイザックはそこも通り過ぎて、さらに奥の階段へとコーデリアを連れて行く。


 やがて二人は、時計塔の一番てっぺんにたどり着いた。すぐ隣には青銅でできた大きな鐘があり、傾き始めた夕日に照らされてかすかに赤紫色に染まっている。

 眼前に広がるのは王都の街並みだ。見下ろすと、立ち話に興じる人や、窓から身を乗り出して洗濯物を取り込む人など、普段見ることのないたくさんの営みが広がっていた。少し離れた場所には、先ほどまで二人がいた広場や王宮も見えている。


「すごい……! ここから景色を見られるなんて、夢みたい」


 頬を撫でるそよ風の感触を楽しみながら、コーデリアははしゃいだ声をあげた。それからハッとして姿勢を正す。


「ご、ごめんなさい。治療会の話をしなくちゃいけないのに……。えーと、何を決めなきゃいけないのでしたっけ」


 ごそごそと手帳を取り出そうとするコーデリアの手を、アイザックがつかむ。きょとんとして顔をあげると、彼がどこか緊張した面持ちでこちらを見ている。


「……すまない。謝るのは私の方だ」

「殿下?」

「話をするためと言ったが、あれは嘘だ。……ただ君にここを見せたかっただけなんだ」


 そういう彼の耳が、珍しく赤くなっている。コーデリアは目を丸くした。


(もしかして、デートに連れてきてくださったの……? えっと……こういうときはどう反応したらいいのかしら!?)


 突然のことに、みるみるコーデリアの顔が赤くなった。

 幼い頃からアイザックとはよくでかけていたが、あの頃は完全にコーデリアの片思いだったため、気負わずに過ごせた。けれど今は違う。


 今はアイザックもコーデリアのことを女性としてはっきりと意識しており、その上時計塔に夕日という、これぞな雰囲気に、コーデリアは致命的に慣れていなかった。


「こうして二人ででかけるのは久しぶりだな」

「そ、そうですわね。ずっとバタバタしていましたから……」

「その間に、君の新しい姿をたくさん見た気がする」


 言われてみれば、確かに今までにはない姿をアイザックに見せている。――聖女をビンタしたり聖獣をぶん殴ったりと、あまり褒められた姿ではないが。


「告知新聞のことも驚いた。君たちだけで乗り込んでいったと思ったら、あっという間に作り上げてしまって。新聞はもちろん知っていたが、あんな風に使うことなど、考えたこともなかった」

「それは……」


 コーデリアは口ごもった。


(もしかしたら、今がチャンスなのかもしれませんわ……)


「殿下。……実は私には、前世の記憶があるのです」

「前世?」


 予想していなかった単語に、アイザックが眉をひそめる。


「ええ……。信じてもらえないかもしれませんが、そこで私とひなは知り合いだったのです」


 コーデリアは前世のことをかいつまんで説明した。前世は加奈という名前だったこと、ひなと幼なじみだったこと、こことは全然違う魔法のない世界に住んでいたこと――。


 一通り聞き終わったアイザックは、静かに言った。


「不思議なことがあるんだな……。この世界が、君の言う“げーむ”とやらに登場するなんて」

「なかなか、信じられないですわよね」

「でも、これで婚約破棄の話をした時に君が動揺しなかったのにも納得がいった。あの時はただ私に興味がないのかと思っていたが、君は知っていたんだな。婚約破棄をされることを」

「興味がないなんてそんなはずありえませんわ! 殿下は私の一番の推し……じゃなくて、一番お慕いしていますから」

「一番? ……二番がいるのか?」

「二番はフェンリルさまです」


 きっぱりと答えると、アイザックは安心したようだった。それから、探るようにじっと覗き込んでくる。


「フェンリルさまなら仕方がない。……他は? 前世で君は、結婚していたのか?」


 結婚という、あまりにも前世の自分とは縁遠かった単語に、コーデリアは思わず自嘲じみた笑みを浮かべる。


「結婚なんてまさか。“非モテ”でしたので男性とデートすら行ったこともありませんよ」

「……そうか」


 短い返事だったが、その声は明らかに喜んでいた。それから、アイザックがこほんと咳ばらいをする。まるでこれから何か大事なことを切り出そうとしているように。


「色々起こって気が付けばこんなに経ってしまったが……君にちゃんと言いたいことがある」


(あ……も、もしかして、これって……!?)


 アイザックが言おうとしている内容に想像がついて、コーデリアの心臓が今までにないくらいドキドキと高鳴る。


「私はずっと、君のことを――」


『おう。どうやら存分に青春しているようじゃの』

 

 だが、コーデリアが待ち望んだ言葉は、最後まで言う前に突然聞こえてきた声によってかき消された。


 アイザックとコーデリアが、はじかれたように屋根を見上げる。塔のさらにてっぺん、屋根瓦の上に寝そべるようにして、久しぶりに姿を見せた聖獣フェンリルが鎮座していた。

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