4章 握手会を始めましょう

第20話 配信当日と

「さあ、いよいよ今日ね」


 空を見上げながら、コーデリアは清々しい気持ちで言った。空はよく晴れ青々としており、気持ちのいいスタートを予感させる日だ。


 配信に関する全ての準備を終え、後は昼時の実行を待つだけ。

 ケントニス社は貴族たちの家へ風魔法を使って届け、スフィーダ社の方は売り子が広場や街角に立って、手作業で配るという流れになっている。


「楽しみですね、お嬢さま! ……あれ? そのリボンは何ですか?」


 リリーがコーデリアの持つリボンに気付き、興味津々で訪ねた。


「これ? これは最後の仕上げよ」


 そう言ってコーデリアはリボンを掲げてみせる。


 なめらかな手触りのベルベットリボンは、コーデリアの瞳と同じ深い海の色。そこに一滴、彼女の愛用する薔薇の香水を染み込ませてある。


 仕上げに、丸められた新聞にくるりとリボンを結べば完成だ。


(これで五感……とはいかないけど、視覚、触覚、嗅覚の攻め攻めリリースの完成よ!)


 完成した書簡を掲げて、コーデリアはふふふと笑みをこぼした。


 この時代、新聞はほとんどが白黒の文字で埋め尽くされていた。

 そこへ色付きの肖像画という絵をつけるだけでも、ぐっと人々の注目を集めやすくなる。さらに発表されたばかりの聖女の顔が載っているとあれば、見たくなるというのが人の心理。


 トドメに“聖女の瞳と同じ色の、聖女愛用リボン”を結え、“聖女の愛用する香水”を垂らすことで、触覚と嗅覚にも訴える。こうすることで、より具体的に聖女コーデリアを、実在する人物として想像しやすくなるのだ。


(それにしてもお金の力ってすごい……。やり放題の豪華リリース、前世ではとてもじゃないけどできなかったわ)


 広告枠ではなく単独の告知新聞配布。さらに二種類の色付き版画にリボン、香水、当日の人件費と、盛れるだけ盛り込んだ。


 今回は選挙活動のため利益度外視だったが、普通の企業だったら企画を通すのも至難の業だろう。公爵家という潤沢な資産があったからこそ実現できたこと。


(ここまで好き放題できるって、なんて楽しいのかしら!)


 前世では色々思うところがあったが、今世でこれだけ自由にやらせてもらえれば心残りも晴れるというもの。コーデリアはグッと拳を握った。


(後は成果ね。当日実際にどれくらいの人が来るかもそうだけれど、その前にこの広告新聞の効果も知りたいわ。どうでもいいと流されるのか、興味を引けるのか。一応二社とも反応をまとめてくれるとは言っていたけれど……)


 リリースは配信がゴールではない。その後の効果測定もきっちり行い、次回に教訓を活かしてこそ。だからこそ、人から聞くだけではなく、直接視察に行きたいのだが……。


「コーデリア、いるか」


 こんこん、とノックの音とともにアイザックの声が聞こえる。すっかりお決まりとなった訪れに戸を開けると、彼は珍しい格好で立っていた。


「そのお召し物は一体?」


 いつものキッチリした王子服から一転、ややラフに着崩したシャツにベストという、品の良い若貴族のような服を着ている。

 コーデリアが物珍しげに眺めていると、アイザックが珍しくニッと笑った。その瞳はいたずらを企む子供のようにキラキラしている。


「君が作った新聞、どんな風に読まれているか気になるだろう。――こっそり街に行こう」


(さすが殿下……! 今私が一番求めていることを提示するその姿勢、有能ですわ!)


 求めていた内容ドンピシャのことを提案され、コーデリアが心の中で激しく拍手を送る。


「嬉しいですわ! でも……」

「でも?」

「変装だけじゃ厳しいと思いますの。私、肖像画も載せてしまいましたから……」


 悲しきかな。顔を覚えてもらうために載せた肖像画は、そのままコーデリアが聖女だと気づかれてしまう可能性に直結していた。


 ところが肩を落としたコーデリアとは反対に、アイザックの瞳がますます輝きを強める。


「忘れたのか? 私は賢者称号の水魔法使いで、おまけに王族だ。一般には知られていない魔法も教わっている」


 そう言って、彼がそばにいたジャンを呼び寄せた。それから素早く手を動かし何か魔法をジャンにかけたかと思うと――。


「あ、あら……?」


 コーデリアは目をゴシゴシと擦った。そばで見ていたリリーも、釣られるように目を擦っている。


 目の前には、確かにジャンと人物が立っていた。


 だが。


「ジャン、ですわよね?」

「おう、俺だ」


 問いかければいつも通り生意気な声が聞こえてくる。にもかかわらず、その顔はどこか膜がかかったかのようにぼやけており、ちゃんと焦点を合わせることができない。

 そのせいで、まるで風景に紛れてしまった“その他大勢の人物”のように、彼の存在感そのものが極端に薄くなっていた――ちなみに、最近彼の存在感そのものが薄いのでは? とは決して言ってはいけない。どうやら地味に気にしているらしい――。


「すごいですわ! これ、魔法の効果なんですの?」

「説明すると長くなるが、すりガラスと同じ効果を水で作り出していると思ってくれればいい」


 今度こそ本当に拍手しだしたコーデリアに、アイザックが少し照れたよううつむく。


「この魔法を使えば、ちょっとやそっとのことでは私たちだとは気づかれない。……どうだろうか? 私と一緒に、その、視察に行かないか」

「ええ、喜んで!」


 コーデリアは満面の笑みで答えた。

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