第18話 スフィーダ社とヒーローと

 最後となるスフィーダ社は、新興でありながら現在最も勢いのある新聞社と言われていた。


 調べてきたリリーいわく、政治からゴシップまで旬のネタを幅広く取り扱い、ジャンル問わず、来るもの拒まずなのだとか(ただしなぜかお色気だけは載せていない)。スフィーダ社のトップの心に響けば、犬猫探しの広告を無料で載せてくれることもあるのだという。


 そんなスフィーダ社からの返事は、「オーケー。話を聞くから来てね」という、やたらフランクな手紙だった。


「……本当に、ここで合っているのかしら」

「住所にはここだと書いてありますね……」


 コーデリアたちは、目の前に立つ一件のボロ屋を見ながら困ったように立ち尽くした。


 今まで訪れた二つの新聞社と違って、目の前の家はどう見てもただの民家でしかない。それどころか庭の雑草はのび放題、窓のひび割れには何やら粘土のような接着剤が無理やりくっつけられている有様だ。


「あっ、でもここに“スフィーダ社”って書いてありますよ!」


 リリーが、ほとんど取れかけている表札に、やたらまるっこい字で小さく書かれた名前を指さす。


「じゃあやっぱりここなんですのね……。とりあえず入りましょう」


 コーデリアがコンコンと扉をノックする。……が、待てど暮らせど一向に反応がない。


 他の二社と違って、スフィーダ社からは具体的な日時指定がなかった。だからこちらから何日の何時頃に行くとは伝えてあるのだが……もしや留守なのだろうか。


「もしもし。どなたかいらっしゃいませんの?」


 さらに数回ノックしてみるが、やはり中からはウンともスンとも聞こえない。


 コーデリアはリリーと顔を見合わせた後、思い切ってドアノブに手をかけた。キィ……と軋む音を立ててゆっくりとドアが開き、それから――。


「大変! 人が倒れているわ!」


 ありとあらゆる書類が山積みにされ、かつ散乱する部屋の中央、紙に埋もれるようにして、長い黒髪の男がうつ伏せに倒れていた。


「ええっ!? 死んでいるんですか!?」


 覗き込んだリリーが叫ぶ。


「わからない! でもすぐに助けなくちゃ!」


 慌てて男のそばにしゃがみ込み、生死を確認する、幸い呼吸はしているようだったが、細面の顔は土気色で、揺すっても揺すっても反応がない。


(こういう時はどうすればいいんでしたっけ!? 人工呼吸!? 心臓マッサージ!? ええとええと、確か幼児向けアニメのテーマソングに合わせて押せばいいのでしたっけ!?)


 前世の知識を必死にかき集めるコーデリアを、リリーが素早くバシバシと叩く。彼女も動揺しているらしく、その力は驚くほど強い。というか痛い。


「お嬢さま! 魔法! 聖魔法の出番ですよ!」

「あっそうでしたわ!」


 どうも人はパニックになると色々忘れてしまうらしい。間違いなく心臓マッサージより聖魔法の方が手っ取り早いのを思い出して、コーデリアは慌てて男に魔法をかけ始めた。


 最初は、何も反応がないように見えた。けれど続けていくうちに土気色だった顔に少しずつ赤みがさし、苦しげに歪められていた表情が穏やかなものへと変わっていく。


 やがて、ピクリと男の長いまつげが震えたかと思うと、まぶたがゆっくりと開き――。


「ふああ。よく寝た。体が軽い。やっぱり美容に大事なのは睡眠だね。……ん? 君たちは誰だい?」


 大きな欠伸をした青年は、ぽりぽりと頬を掻きながら、のんびりとした口調で言ったのだった。





「ごめんね子猫ちゃんたち。約束は今日だったっけ?」


 机の上の書類を手で掻き分けてドサドサと床に落としながら、柔和な雰囲気を持つ青年がへらっと笑う。長めの前髪で目がほぼ隠れているにも関わらず、シュッとした輪郭や筋の通った鼻の形だけで、中性的な美形だとわかる。


(そういえば気が動転して忘れかけていましたけれど、この人も確かヒーローでしたわね。……というかヒーローが多いですわ。イケメンのバーゲンセールかしら?)


 無表情を装いながら、コーデリアは苦笑いした。


 イケメンは好きだが、こうも多いとさすがに食傷気味になる。しかも厄介なのは、大体みんな何かしら特殊能力やら設定やらを持っているところだ。知らないところで“イベント”でも起こされたらたまらない。


 青年は机の上になんとか話し合いができるスペースを作ると、椅子に二人を座らせた。


 リリーがこほんと咳払いする。


「お約束は今日です。以前手紙もお送りしたはずですが」

「本当にごめんね。ここのところ忙しくて、ちょっと仮眠を……と思っていたら、寝過ごしちゃったみたい」


 パチンとウィンクを飛ばしながら、彼は両手を合わせて謝った。口ぶりからして、純粋に寝ていただけだったらしい。


「改めて、僕はスフィーダ。どうぞよろしくね。……で、遠路はるばるやってきた子猫ちゃんたちの望みは何だい?」


 紙を広げ、羽根ペンを構えながらスフィーダがおっとりと言う。すぐさまリリーが、もう何回も述べてきた説明を口上する。


「ふーん、なるほどね……。話は大体わかった。でもそれだけじゃないんでしょう?」

「概要は今ので全てですが」

「ううん、そういうことじゃなくて」


 スフィーダがトントンと指で机を叩く。


「スフィーダ社――まあ今の所僕一人なんだけど――が、急に伸びているのには理由があってね。まどろっこしいのは苦手だから単刀直入に言うと、僕には色々んだよねぇ」


 そう言って、スフィーダが目を隠していた前髪をたくし上げた。釣られて、コーデリアとリリーが彼の瞳をまじまじと見る。


 猫の目を思わせる、釣り目がちの美しい緑の瞳。一見するとそれだけだったが、しばらく見つめているうちに、瞳の中でホログラムのように光が複雑に揺らいでいるのに気がついた。その不思議な揺らめきは、まるでスフェーンという宝石をそのまんまはめ込んだかのようだ。


「魔力はさっぱりないんだけど、代わりに魔眼って言うの? 空気中の魔力が視えるんだ。子猫ちゃんは、風魔法の使い手でしょう? 春に萌え出る若葉を思わせるリーフグリーン……食べちゃいたいくらいみずみずしい色だ」


 にこっとスフィーダに微笑まれて、リリーが顔を赤らめる。


(……そういえばそういうキャラでしたわね!?)


 むず痒いセリフにぶるっと身を震わせながらコーデリアは思い出していた。


 “色恋営業の若き新聞記者”。もうちょっとどうにかならなかったのか? と問い詰めたくなるようなキャッチコピーだが、それがスフィーダだった。


「で、……問題はそっちの子猫ちゃんなんだけれど……」

「コーディです」


 取りすまして返事をすると、スフィーダが困ったように笑う。


「君……いかにも侍女ですみたいな感じだけど、絶対違うよね。だってその色……」


 通常、訓練時でもない限り人の魔力は可視化できるものではない、だがこの青年は、魔眼とやらで見えているらしい。


(なら、私は差し詰め黒か白ってことかしら……あるいは二種類? まあ驚くのも無理がないわよね)


 なんて思っていたら、スフィーダが「んー」とためらいがちに言った。


「その、色んな色が混じり合った、ホーリーシットなドドメ色は一体何だい?」

「――なんて!?」

「お嬢さま、お言葉。それとお顔」

「あっ」


 思っていたのと違う言葉に思わず叫んでしまったコーデリアが、慌てて顔を引き締める。そこへ追い討ちをかけるようにスフィーダが続けた。


「ううん、ドドメ色だけじゃないね……。灰にまみれたダーティーなボロ布色にも視えるし、下水道を走り回るエキセントリックなどぶネズミ色にも視えるし……」

「あの、気のせいかしら。全体的に例えがそこはかとなく汚い気がするのですが」


 先程のリリーへの褒めっぷりとは打って変わって、今度はずいぶんひどい言われようだ。コーデリアはなるべく笑顔を崩さないよう聞いた。――多少こめかみに青筋が浮かんでいたかもしれないが。


「汚いというかドドメ色というか……。君の色はエキセントリックすぎてぞわぞわするんだよねぇ。見たことないよこんな色。しかも量も尋常じゃないから、圧迫感もすごいんだ。筋骨隆々の、縦にも横にも大きい男性が隣に座っているみたいな感じ?」

「それ直訳すると私がムキムキのボディビルダーみたいってことですわよね?」


 ブフッ! とリリーが吹き出した。じとっとした視線を向けると、彼女は慌てて唇を押さえたが、まだ肩がぷるぷると震えている。


「まあとにかく、これだけの魔力を持っている君が、ただの侍女とは思えないな。一体何者なんだい? 


 リリーがあっ! と叫ぶ。咄嗟に呼んでしまったのを、しっかりと聞かれていたらしい。コーデリアは呼吸を整え、落ち着いて話そうとした。


「……もし、正体を騙っていたことを怒っているのでしたら、謝りますわ。私たちにも事情があり、すぐに全てをお話しすることはできないのです」

「ううん、別にそのことでは怒っているわけじゃないよ。色に関しては純粋な感想」

「あ、そうなんですの……」


(ムキムキボディビルダーは素の感想ってこと?)


 笑顔でけろりと言われて脱力する。隣ではリリーが、


「ご、ごめんなさいお嬢さま……! 私……!」


 と謝りながらヒーヒー笑っている。一応申し訳ない気持ちはあるらしい。


 そんな二人には構わず、スフィーダが悠々と言った。


「どっちかというと、好奇心を掻き立てられているって方が大きいかな。そんなおっかない魔力を持っている君が、どうしてわざわざ変装して僕のところにやってくるんだい?」

「……でしたら、私の属性はわかるかしら?」


 コーデリアは質問に質問で返した。スフィーダは気を悪くすることもなく、うーんと考える。


「闇魔法。でも、それだけじゃそんな色にはならないよね。……あれ? 驚いた。もしかして聖魔法もまじっているの?」

「ご名答ですわ」


 とたん、スフィーダがギラギラと瞳を輝かせ身を乗り出してきてきた。それからぺろっと唇を舐めたかと思うと、興奮したように早口でまくし立てる。


「へーえ? へぇ、へぇ〜! なるほどね! なんとなく話が見えてきたよ。貴重な闇魔法使いといえばこの国でただ一人。さらに聖魔法まで備わっているってことは、さては子猫ちゃん、この間の王宮の事件にも関わっているね? 僕は見たんだ、一瞬あの辺りにいろんな魔法が光ったのを」


 事件のことを知っていて、なおかつすぐに結びつけられるあたり、スフィーダの要領と頭は悪くないらしい。


 コーデリアはこの青年とじっくり対話するため、改めて向き合った。緑の瞳が揺らめきながら、こちらをまっすぐとらえる。

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