第12話 悪役令嬢、もとい、聖女

 多少土埃に塗れてはいたが、背筋をまっすぐ伸ばしたフェンリルは艶やかな毛並みをなびかせ、悠然とその場に佇んでいた。闇色だったはずの澱んだ瞳は消え去り、あるのは冴え冴えと澄み渡った、全てを見透かすかのような金色の瞳だけ。


 先ほどとは打って変わって神々しくなった姿に、その場の誰もがぽかんと我を忘れてフェンリルに見入る。


「いっ……!」


 静寂を打ち破るように聞こえてきたのはアイザックの声。

 どうやら他の人たちと同じく見惚れてしまった水魔法使いたちが、アイザックの治療を止めてしまったらしい。傷口からは再び勢いよく血が噴き出しており、水魔法使いたちが慌てて治療を再開している。


 フェンリルはその様子を見ながら、こっくりと首を傾げ、空気を震わせる低い声で言った。


『ほう……? 今世の聖女はお主か。なかなか気合の入った呼び出し方をするが、たまにはこういうのもありだろう』


(えっ? 誰に言っているのかしら?)


 周りを見渡してみても、皆は「お前だ」とでも言うようにコーデリアの方を黙って見つめるばかり。


(私? だとしたら見当違いですわよ。こちとら聖女どころか真逆の闇魔法使いなんですから)


 何やら盛大な勘違いをしているらしい聖獣に向かって、コーデリアはおほんと咳払いをした。失礼にならないよう、ドレスの土埃をパンパンとはたき落としてすっくと立ち上がる。


「あの……フェンリルさま」


 今のフェンリルには、思わず“さま”を付けずにはいられないような威厳があった。


「恐れながら、私ではありませんわ。聖女はあちら。私はただの闇魔法使いです」


 すっと手を掲げてひなを指し示せば、フェンリルの細長い面も、釣られるようにひなを見る。


 そのまましばしの時が流れ。


『……どうなっておる? 確かに言われてみれば彼の者に呼び起こされた記憶もあるが……しかしお主にも聖女の力が備わっているではないか』

「へっ!?」


 思わず変な声が出てしまった。


「な、何をおっしゃっていますの! さっきから言っているでしょう、私は闇魔法使いだと……」

『いいや、備わっている。試しにそこの小僧の怪我を治してみろ。できるはずだ』

「えっ!? そんなことできますの!?」


 すぐさまコーデリアはアイザックの元に飛びついた。治療の甲斐があって右腕の出血はやや控えめにはなっていたが、相変わらず止まる気配がない。


 その傷口にコーデリアは手を掲げ――再度フェンリルの方を見た。


「あの、やり方を教えて頂いても?」


 金色の瞳がめんどくさそうに歪められる。


『お主は今までどうやって魔法を使っていたのだ?』

「それは、えっと、体の中の魔力を手繰り寄せて……」

『ならそれをやればいい』


(んもう。だから、私は闇魔法しか使えないと先ほどから……あら?)


 いつものように魔力を手繰り寄せ始めてから、コーデリアはそこにいつもと同じではない魔力が流れていることに気づいた。馴染み親しんできた闇の魔力の他に、感じたことのない魔力の気配がするのだ。

 

 コーデリアは集中するために目を瞑ると、か細い筋のような魔力を探して手繰り寄せ始めた。最初は糸のようにか細く弱い存在だったそれは、手繰り寄せるうちに段々太く、同時に強い存在感を示し始めていた。そして突然、明るい光が急に差し込んできたような眩しさを感じて、堪えきれず慌てて目を開く。


「きゃっ!」


 途端、手から淡く白く輝く魔力が溢れ出ていた。それは止める間も無くどんどんと溢れ、アイザックの腕に吸い込まれていく。と同時に、酷かった右腕の怪我が、見る見るうちに塞がっていった。


「すごい……。どこも痛くない」


 やがて、破れた服以外はすっかり元通りになったアイザックが腕を掲げ、感心したように呟く。


『ほうら、出来たであろう』


 そう言って、何故かフェンリルの方が自慢げに首をそびやかしている。一方のコーデリアはと言えば、信じられない気持ちで己の両手をしげしげと眺めていた。


「本当に出来てしまいましたわ……。どうなっていますの、私は生粋の闇魔法使いのはずなのに……」


 偶然かとも思ったが、先ほど使った聖魔法の力は今も消えることなく体の中を脈々と流れているのを感じる。


「……伝説は本当だったのか」


 そんな彼女をよそに、それまでずっと事の成り行きを見守っていた国王が、信じられないものを見たかのような口ぶりで前に進み出た。顔も服も土埃で汚れてしまっていたが、いつも冷静な瞳が、今は興奮で爛々と輝いている。


(ちょっと待って。何か伝説とか言う、仰々しい単語が出てこなかった……!?)


 コーデリアは嫌な予感がして顔をしかめた。

 ただでさえ色々ついていけなくて混乱しているというのに、さらにややこしいことになりそうな気配を感じたのだ。


 そんなコーデリアにはまるで構わず、国王がこちらを見ながら言った。


「知っての通り、聖魔法と闇魔法は相反すると同時に、切っても切り離せない表裏一体の関係。それゆえ古来より、まことしやかに伝えられてきた伝説があった」


 かの言い伝えはこうだ、と国王は朗々とした声で続ける。


「闇魔法の乙女は、何事もなければ一生そのまま闇魔法使いとして生を終える。だが、ひとたび彼の者が“高潔なる心を発動させた時”、乙女は聖なる乙女へと転じるだろうと。――つまりコーデリアよ、そなたもまた、聖女なのだ」

「……はい?」


 国王の前にも関わらず、コーデリアは間抜けな声をあげた。


(なんですのこの後からとってつけたような設定! 原作にはなかったわよね!? っていうか高潔な心ってなんですの! 聖獣をグーでぶん殴ったら高潔になるんですの!?)


 心の中で怒涛のツッコミを連発する。コーデリアは努力が報われる世界を望んだが、聖女になりたいなどとは微塵も思ったことはない。


『ほう。聖女が二人か! これは面白くなってきたな』

「ちょっとフェンリルさま! 面白がらないでいただけますか!?」


 さも人ごとかのように、口を大きく開けてカッカッと笑うフェンリルに、礼儀も忘れて思わず叫んでしまう。


(大体聖女が二人って……どう考えてもめんどくさい事態にしかならないじゃない!)


 コーデリアは憤慨した。


 聖女が二人いた場合どうなるのか、答えは簡単だ。どちらが王妃の座に就くか、血で血を洗う戦いが起きる。


 過去の歴史を見ても、同じような王位継承権を持つ者が二人並んだ場合、本人たちにその気はなくとも周囲が勝手に行動し始めるのだ。


 今後、ラキセン王国でも二人の聖女を巡って様々な思惑が渦巻き、派閥が出来上がり、やがて国が真っ二つ(あるいはそれ以上)になるのは目に見えていた。下手すると、それが原因となって国を燃やし尽くすような戦いまで起きる可能性がある。


(ううっ……聖獣による直接的な滅亡は防げましたけれど、今度は緩やかな滅亡が見えてきましたわね……)


 コーデリアは明日から始まるであろう、新たな生活を考えて、虚ろな目をした。


――どうやらアイザックとの薔薇色ハッピーライフには、まだまだ辿り着けそうにないらしい。

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