第24話 フェンリルと魔力と
聖女というのは、そんじょそこらの議員決めとはわけが違う。今までは王ですら力の及ばない、神にのみ決定権があった非常に重要な役柄。念入りに、何度確認してもいいくらいだ。
だというのに、フェンリルは人間の思惑などまるで気にせずにあっさりと答えた。
『ああ、よいとも。我に必要なのは聖女から捧げられる魔力のみ。それが滞りなくもらえるのなら、我はどちらでも構わないのだ』
「聖女から捧げられる魔力、ですか?」
それは初めて聞く話だった。聖獣が聖女に仕えるというのは知っていたが、見返りとして何をもらっているかは知られていない。
『そうとも。お主に会いに来たのもそのためだ。どれ、その魔力を味見させてもらおうか』
「え!? きゃあ!」
言うなり、フェンリルはその大きな鼻面をコーデリアの顔に押し付けてきた。フンフンと鼻を鳴らしながら、耳元を嗅ぎまわる。
「ちょっと、やめてくださいまし、くすぐったいで――きゃっ!」
けれど最後まで言い切る前に、横から伸びてきた手がコーデリアの腕をつかみ、ぐいと引いた。バランスを崩して転びそうになるが、それをしっかりと支えてくれたのは手の主であるアイザックだ。
「殿下……?」
今は引っ張られたコーデリアを、アイザックが横から抱きしめるような体勢になっている。
不思議そうに見上げれば、彼はいつもの無表情だった。だが青い瞳は、警戒とも敵対とも言える感情をにじませてフェンリルに向けられている。
『……小僧、どういうつもりだ?』
フェンリルの抑えた声音に、アイザックがハッとしたように体を震わせる。
「いや……。その……」
彼にしては珍しく声が小さい。フェンリルの金の瞳が、すぅと
「その……、フェンリルさまは、オス、なのではないかと思い……」
ボソボソと絞り出すように出てきた言葉は、消え入りそうなほど小さい。
「オス? フェンリルさまはオスなんですの? ……そういう概念ありました?」
コーデリアがいまいち要領がつかめずに聞き返すと、フェンリルがこらえきれないと言うようにブハッと噴出した。突風が顔面を叩く。
『ハハハ! おぬし! そうか! 何かと思ったらそういう……ハハハ! 青春だのう!』
それを聞いた途端、アイザックがはじかれたようにコーデリアから飛び退いた。見れば、片腕を上げて隠しているが、隙間からのぞき見える顔は真っ赤に染まっている。
「えっ? どういうことですの?」
前脚をバンバンと床に叩きつけて笑うフェンリルと、真っ赤な顔を見られないようこちらに背を向けてしまったアイザック。二人を見ながら、コーデリアは訳が分からず首をひねった。
『クハッ! ハハハ! お主にも説明してやろう、その小僧はな、オスである我に嫉妬を――』
「フェンリルさま!」
説明しようとしたフェンリルに、すかさずアイザックが割り込んでくる。
「嫉妬? ……というと、“あの”嫉妬?」
コーデリアはキョトンとした。
前世の自分には無縁すぎたが、少女漫画や恋愛小説でそういうシーンを見たことがある。それに『ラキ花』の原作でも、アイザックが他の男と楽しそうに話す聖女を見て嫉妬するイベントがあったはずだ。
「もしかして……フェンリルさまを男だと思って、私に近づいたのを嫉妬したんですの?」
「違っ! …………いや、違わない……。…………すまない、みっともないところを見せてしまった」
そう言って手で顔を覆ってしまったアイザックは、耳まで真っ赤だった。
(まぁ! まぁまぁまぁ! 殿下が嫉妬してくださるなんて! しかもそれを恥ずかしがっておられる姿の、なんと可愛らしいことか!)
感極まってがっしと両手を組む。喜び方が若干普通と違う気もするが、こんな彼の姿は間違いなく垂涎ものだ。しっかり目に焼き付けておかなければ、と思う。
『ふん、心配するでない小僧よ。我は聖獣。性別などありはせぬ。まあ、聖女とは特別な絆で結ばれていることは否定しないがのう』
にやにやと口の端を上げて、フェンリルは「特別な絆」という単語を強調した。途端に、それまで顔を真っ赤にしていたアイザックがピクリと反応する。
「……特別な絆、と言うのであれば、私と彼女の絆も特別だと自負していますが」
『ほう? 特別ねえ……。夫婦ならまだしも、そなたたちはまだ婚約者ではなかったか? 昨今では婚約破棄も流行っていると聞いたぞ?』
(聖獣ともあろう存在が、一体どこからそんな情報を仕入れているのよ……)
面白がってアイザックを焚きつけようとするフェンリルに、コーデリアは突っ込みたい気持ちでいっぱいだった。フェンリルの狙い通り、ややむきになったアイザックが言い返す。
「私の心は流行が決めるのではない。私が決めることです」
『勇ましい言葉だのう。果たしてどこまでその言葉を守れるのやら』
「それは……」
「お二人ともそこまでですわ!」
これ以上放っておくとキリがなさそうな気配を感じ、コーデリアは強制的に話を止めることにした。アイザックがばつの悪そうな顔になる。
「……すまない。君のことになるとつい熱くなってしまう。……私もまだまだ精進が足りなかった」
(そんな殿下もかわいくてグッドですわっ!)
心の中のいいねボタンを連打しつつも、コーデリアは表面上平静を装って咳払いした。
「それで、フェンリルさまはなんでしたっけ? 魔力? をお渡しすればよいのでしょうか」
『ああそうだ、すっかり忘れておった』
悪びれた様子もなく、フェンリルがけろりと言う。
『本当は鼻と鼻をくっつけてもらう方が好きなのだが……一人うるさい奴がいるからのう』
そう言ってフェンリルがチラリとアイザックを見れば、彼は即座に「ダメです」と返した。狙い通りの反応に、フェンリルがまたカッカッと笑う。
『ならば、味気ないがこっちにするか。ほれ聖女。手を差し出せ』
「こうでしょうか?」
言われるまま、手のひらを上にしてそっと差し出した。そこにフェンリルの湿った冷たい鼻先がピッタリとくっつけられる。――やがて、何もしていないのに身体中の魔力が集まったかと思うと、それが手を伝ってどんどんフェンリルに吸い込まれていくのがわかった。
『ふむ、やはり良質な魔力を持っておるな。生まれ持ったもの……というより、日頃からよく磨かれてきたようだな。洗練されていて、かつまろやかな味わいがある。うむ、悪くない』
「ま、まろやかなんですの……?」
まるでソムリエのような口ぶりだが、フェンリルが味わっているのは紛れもなくコーデリアの魔力だ。自分が食べ物になってしまったような気がして、なんとも複雑な気持ちになる。
その後、散々コーデリアの魔力を堪能してから、フェンリルは機嫌よくツイと
『うむ。もう十分だ。残りはせっかくだから、もう一人の聖女からも頂くとしよう』
言うや否や、フェンリルは巨大な窓から飛び立っていく。
一方残されたコーデリアは立ちくらみにふらりと揺れた。即座にすっ飛んできたアイザックが支えてくれなかったら、床に手をついていただろう。
「大丈夫か!?」
「大丈夫ですわ……。ただ、結構な魔力を持っていかれた気がします……。これはまた修行しないと、あの腹ペコさんの消費量に耐えられる気がしません。……って殿下は何をなさっていますの?」
見れば、アイザックがハンカチを取り出してせっせとコーデリアの手を拭っている。先ほどまでフェンリルに差し出していた方の手だ。これでもかと言うくらい念入りに拭いた後、アイザックは爽やかな顔で言った。
「大丈夫だ。これで綺麗になった」
(殿下、さりげなくフェンリルさまをバイ菌扱いしていません?)
突っ込みたい気持ちを、コーデリアはそっと飲み込んだ。
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