第25話 握手会、もとい、治療会

「いよいよこの日がやってきましたわね! 握手会……じゃない、治療会日和ですわ!」


 白を基調とした聖女服に身を包んだコーデリアが、部屋の窓から空を見ながら言った。


 外は晴れやかな快晴――ではなく、空全体に薄い雲のベールがかかったような薄曇りだったが、コーデリアにはかえって都合がいい。

 強すぎる日差しは、時として毒にもなってしまうからだ。それに引き換え、今の天気と気温ならば『聖女の治療会で熱中症が続出!』という見出しが新聞に載る心配はない。広報にとって、リスク管理も大事な仕事である。


「とはいえ、この人数では違う事故が起きかねませんわね……。リリー、急ぎお父さまに連絡してくださる? 整理のために、屋敷の人手をありったけ貸して頂きたいの」

「承知いたしました。すぐにご連絡いたします」


 リリーを見送ってから、コーデリアが今度は王宮の広場を見下ろした。時刻は治療会が始まる二時間前だというのに、既に王宮広場からはみ出るぐらい人で埋め尽くされている。ガヤガヤとした喧騒がこちらにまで聞こえてきそうな様子は、前世のアトラクションパークを思い起こさせた。

 あらかじめ待機させておいた騎士たちがきびきびと整列してくれたおかげで大きな混乱こそ起きていないが、報告によると広場からはみ出た人たちもかなりの人数がいるらしい。


「申し訳ないけれど、早くも人数制限をかけるしかないですわね」


 制御不可能な人数になる前に手を打たねば。

 そう思ったところで、部屋の扉がノックされる。続いて顔を覗かせたアイザックとジャンに、コーデリアが手を合わせて喜ぶ。


「殿下! いいところにいらしてくださいました!」

「大盛況のようだな。広場の外に追加で騎士を派遣しておいたが、他に必要なことは?」

「話が早くて本当に助かりますわ。早速ですけれど、いったん受付を停止しようと思いますの。例外として重病者やお年寄り、子供と妊婦はお通ししたいと思っております」

「わかった。では手配しよう」


 続いてコーデリアはジャンにも顔を向けた。


「ジャン。長丁場になりそうですから、お手伝いが来たらリリーといっしょに希望者に準備したお水を配ってくださるかしら。それからお手洗い周りの案内係も数人お願い。もし急ぎ治療した方がよさそうな方がいたら優先的に連れてくるようにも伝えて」

「水とトイレと重病人ね。承知いたしましたよ、聖女サマ」


 それから王宮内は、すぐにてんやわんやのさわぎとなった。あっちに指示を出し、こっちに指示を出し、“セレスタイトの間”での治療会が始まった時は、コーデリアは乱れた息を整えるのにしばらくかかったほどだ。


 戦いに備えて水を一口含み、コーデリアが営業用のとびきりの笑顔を浮かべる。


「さ、治療会を始めましょう」





 先頭に並んでいたのは、まだ十歳にも満たないであろう少年だった。報告によると、なんと日が昇る前から並んでいたらしい。


「ごきげんよう。私はコーデリアですわ。貴方のお名前は?」

「おれはジャック!」

「ジャックはどこが病気なのかしら。それとも怪我の方?」

「病気なのは俺じゃねえ。かあちゃんだよ」


 少年のあっけらかんな言葉にコーデリアは目を丸くする。


「お母さまの? ……では、ジャックのお母さまはどこに?」

「俺の家」


 きっぱり言い切った少年に、あやうくコーデリアは椅子からずり落ちるところだった。

 ジャックは口からつばを飛ばしながら勢いよく体を乗り出してくる。


「かあちゃんはお腹に赤ちゃんがいるんだ! でもすごく具合が悪そうで、最近はベッドから起き上がるのもつらいみたいでずっと寝てる」

「わかったわ。なら、こちらのお兄さんたちにお家を案内してくれる? 少し大変だけれど、お母さまにはここに来て頂きましょう」


 コーデリアは担架を用意させ、二人の騎士をジャックとともに出発させた。そうして戻りを待つ間に次の人の治療に入る。


 二人目は、働き盛りと言った年齢の若い男性だった。挨拶もそこそこに、中指が不自然な曲がり方をした手をぬっと突き出してくる。


「その……直せるか? 骨折したんだが、ちゃんとした治療師に見せる余裕がなくて、放っておいたら変な方に骨がくっついちまったみたいで……」

「見せてくださいまし」


 その言葉に、男性が大人しく従う。コーデリアは不自然に曲がった指を握ると、そっと目をつぶって魔力を探った。


 暗闇の中に、人の形をした光が浮かび上がる。それはまるでレントゲンで映し出された骨の写真のようだ。その状態で不自然に曲がってしまった箇所に触れると、コーデリアは聖魔法を流しこみ始めた。じわりじわりと、歪だった光の形が少しずつ整えられてゆき、目を開けるころにはすっかり元通りの形となっていた。


「すごい……! ありがとう。これで前みたいに仕事ができる!」


 喜んで去って行く男性を、コーデリアはにっこりと見送った。


 次に来たのは若い女性だった。恥ずかしそうに、もじもじと手を差し出す。覗き込めば、人差し指の爪の横に、何かで切ってしまったらしい切り傷が見えた。


「そのぉ……こんな小さな傷でもいいんですかぁ?」

「ええ、勿論ですわ。傷は傷ですもの」


 手早くパパっと直すと、女性は頬を赤らめた。


「えっとぉ……聖女さまは新聞の通りの美人で……それに優しいし……。あたし、応援してます」


 それだけ言うと、恥ずかしくなったのか、女性は逃げるようにしてそそくさと立ち去った。それを笑顔で見送ってから、コーデリアはひたすら治療を繰り返していった。


「はい、これで大丈夫ですわ。でも無茶はしないでくださいませね」

「ありがたいねえ、痛みが嘘みたいに引いたよ」


 腰痛で困っていたおばあちゃんには腰のあたりを重点的に治療し、腱鞘炎が治らないと嘆く男性は手首に聖魔法を流し込む。そうすると、傷ついていた細胞や神経が、魔法で再生していくのがわかった。


「あのお……治してくれてありがとうございました。……ところで壺買えとか言ってきたりしませんよね?」

「あら、壺の人!」

「壺の人?」

「おほん、失礼いたしましたわ。こちらのお話ですの、ウフフ」


 思わぬ再会に驚きながら、多岐にわたる治療は順調に進んでいった。軽いものではしつこい風邪や怪我、持病の神経痛などから始まり、重いものになると、切断してしまった指の再生や、失った視力の回復などまでもが行える。


「ふう、さすがにこれは大変ですわね……」


 リリーにハンカチで額の汗を拭ってもらいながら、コーデリアは水を一口飲んで息を整える。つい先ほど、事故で下半身不随になってしまった男性の神経回路を癒し、歩けるようにしたばかりだ。


「すごいですね! 聖魔法は! まさに奇跡です!」


 リリーが感極まったように言う。


「本当、奇跡だわ」


 コーデリアは体をさすりながら答えた。


 聖魔法は、水魔法には不可能な“失った体の再生”など、奇跡としか言いようのない技も使えた。破壊しかできなかった闇魔法とは大違いだ。ただし、重い治療になればなるほど、反動とも呼べる痛みや苦しみがコーデリアを襲った。


 先程の男性は、事故の時に背中をひどく痛めたのだろう。彼が経験した痛みは治療の際、手を伝ってコーデリアの体に逆流してきた。ただでさえ聖魔法は魔力の消費が激しい上に、痛みもかなりのもの。正直、うめき声をあげなかったのを褒めてほしいくらいしんどい作業だった。


(でも……先ほどの男性も家族も、本当に嬉しそうでしたわね)


 再び自分の足で立ち上がった男性と、その妻の喜びの表情たるや。抱き合って咽び泣く二人に、見ているこちら側が思わず泣きそうになってしまった。後ろに並んでいる人たちの中にも、何人かもらい泣きした人がいるようだ。


 病気や怪我は、重ければ重いほど、必要な魔力や技術が違ってくる。下半身不随を歩けるようにするなどと言うレベルになると、賢者クラスの水魔法使いに多額のお金を積んでようやく治療してもらえるかどうか。その金額は庶民が一生で稼ぐほどの大金とも言われ、諦めざるを得ない人も多い。


 もとは売名のために始めた治療会ではあるものの、そのような人たちの助けになれることが、コーデリアにはとても嬉しかった。


(痛みなんて、少し我慢すれば消えますし、今まで無駄に増やしてきた魔力が役に立ってよかったですわ)


 特に使い道が見つからないまませっせと底上げしてきたコーデリアの魔力は、聖女になってから目覚めた聖魔法にも使えるらしい。その上聖魔法は闇魔法とは比べ物にならないほど消費量が大きいため、非常にありがたかった。


「聖女さま! かあちゃんを連れてきたよ!」


 少年の大きな声に、コーデリアが顔を上げる。

 見れば、先ほど妊婦の母親を迎えに行った少年・ジャックがこちらに駆け寄ってきていた。その後ろには、大きなお腹の妊婦を担架に乗せた騎士たちの姿も見える。


 リリーが素早く列を整理し、ジャックの母親を椅子に座らせた。


「ごきげんよう。私がコーデリアですわ。お母さまのお話は、ジャックから聞いております」


 コーデリアが微笑みかけると、妊娠中のためふっくらとした、それでいてどこか顔色が悪い母親が申し訳なさそうに言った。


「すみません、まさかジャックがここに並んでいたなんて知らなくて……。お恥ずかしいのですが、全然、たいしたことはないんですよ。久しぶりの妊娠だったから体力がついていけてないだけで、聖女さまに診てもらうほどのことじゃ……」

「気になさらないでくださいませ。ご存知でした? 妊娠は病気じゃないなんて言いますけれど、不調を治す薬もないから、体を大事にしなさいという意味なのですわ」


 これは前世で、産休を取った女性に誰かが見送りの際に言った言葉だ。


「でも聖魔法なら、その辛さを多少和らげることはできるかもしれません。ぜひ私にお手伝いさせてくださいませ」


 そう言って、コーデリアは彼女の手を取った。それからいつものように魔力の流れを探り――ハッと目を見開いた。


 お腹の中にいる胎児は、心臓こそ動いているものの、ことを、コーデリアは本能的に感じ取っていた。

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