第26話 聖魔法と胎児
「お腹に直接触れてもよろしいかしら?」
動揺を顔に出さないよう、微笑む。
「聖女さまに触れていただけるなんて、どきどきするねえ……」
許可を得て、そっと大きく膨らんだお腹に触れて目をつぶる。暗闇の中にぼうっと浮かび上がるのは母親の形をした光。そのお腹の中には、一際強く輝く胎児らしき光がある。
けれど。
(何かしら……この違和感は)
コーデリアに、医療に関する知識はない。また妊娠がどんなものかという知識もなく、どれくらい育てば胎児がどれくらい大きくなるかもわからない。だと言うのに、『この赤ちゃんは何かがおかしい』という気持ちだけは、強く頭の中に浮かんでいたのだ。
コーデリアは慎重に探り続けた。
やがてある一点にたどり着いて、ぴたりと手が止まる。
(赤ちゃんの体に……黒い穴が空いている?)
胎児の光は明るすぎるほどに明るいため、細部まではっきり見えるわけではない。それでも体と思しき部分に、一箇所、穴が空いたように光を失っているところがあった。
(位置的に、お腹かしら?)
医術的なことはよくわからないが、これが違和感の原因であると直感が告げていた。
ならばと、コーデリアはその穴に聖魔法を流し込む。
たちまち、穴は多少の魔力と引き換えに、あっけない程簡単に塞がった。もぞもぞと、小さな体がまるで喜びを表現するかのように動く。同時に胎児の体に命の水が流れていくのを感じ取り、コーデリアは安堵した。不思議と、もう大丈夫だと思えたのだ。
それから、一時的にではあるが、怠さや疲労感がましになることを願って母体にも聖魔法をかけていく。
「ああ、体がすごく楽になったねえ……。本当にありがとうねぇ」
そう言う母親の顔は、先ほどよりだいぶ血色が良くなっていた。コーデリアは微笑んだ。
「お礼なら、ぜひジャックに。あなたのことを心配して、日の出前から並んでいたんですのよ」
「そうなのかい!? てっきりいつもの配達に行ったのかと思ったら……」
聞くと、彼らの家はパン屋を営んでいるらしい。朝、出来立てのパンをお得意さまに配達して回るのがジャックの仕事なのだという。
「へへ。実は今日の配達、行ってないんだ。……怒った?」
悪戯を白状するように、ジャックが両手を体の後ろに隠してもじもじと言った。母親が困った顔をしながら、手を伸ばして少年をぎゅっと抱きしめる。
「全くあんたって子は……。怒るわけがないさ。あたしのことを心配してくれたんだろう? ……ありがとうね、ジャック。おかげですごく体が楽になったよ。あんたのおかげだ」
ふくよかな母の胸に抱かれて、ジャックが嬉しそうに目を細める。それは見ているこちらまで嬉しくなるような笑顔で、周りの人たちも皆、つられるようにニコニコと親子を見守っていた。
「ありがとな、聖女……じゃなくて、コーデリアさま」
別れ際、少年は恥ずかしそうにコーデリアの名を呼んだ。治療で疲労はたまっていたが、心の中はぽかぽかと暖かな気持ちで満たされていた。
(本当に、治療会を開いてよかった。自分の力が誰かの役に立てることが、こんなに嬉しいことだったなんて)
◆
「ふう……、寝ても疲れがとれないなんて、久しぶり……」
翌日の昼。無事治療会を終えたコーデリアは、見ていた新聞を置いて椅子にもたれかかった。目の前でリリーがこぽこぽと優しい音を響かせながら、酸味の強いお茶を淹れている。疲労に効くというハーブティーで、アイザックからの差し入れだ。
ケントニス社とスフィーダ社の朝刊には、治療会のことがデカデカと書かれていた。『聖女コーデリア、数百人を治療!』とか、『失われた手足の再生はまさに奇跡!』とか、これでもかというくらい褒めちぎられている。残るペルノ社では全く触れられていなかったが、悪いことを書かれるよりはよっぽどいい。
ひとまず治療会は大成功と言えた。
唯一の問題があるとするのなら、治療会で魔力を使いすぎて、疲労が全く回復していないことくらい。
「お疲れさまですお嬢さま。昨日は立派な聖女っぷりでしたよ!」
「ありがとうリリー。貴方は大丈夫? 疲れは残っていない?」
「ええ、最後にお嬢さまが聖魔法をかけてくれたおかげで、むしろいつもより体が軽いです!」
「それを聞いて安心したわ……」
昨夜、治療会を無事に終えたコーデリアは、関係者全員をスフェーンの間に集めた。それから彼らをねぎらい、ささやかながらお礼として一人一人に聖魔法をかけていったのだ。
おかげでリリーたちは元気そうだったが、聖魔法を使い続けたコーデリアだけは例外だ。思い切り背伸びをすると、体がミシミシと悲鳴をあげる。
「お嬢さま、アイザック殿下に水魔法をかけてもらってはいかがですか? もしかしたら治るかもしれません」
「それが、実はもうかけてもらったの。ただ殿下もおっしゃっていたのだけど、魔法による疲労に回復魔法をかけても、あまり意味がないのですって」
「そうなのですね。お互い魔法をかけあえれば永久機関ができると思ったのですが……」
「そこまでは甘くないってことね」
なんて言っているうちに、ノックもそこそこに書簡らしき何かを持ったジャンが入ってくる。
「おい! お前たち新聞見たか!?」
その後ろからは、何食わぬ顔でアイザックも入ってきていた。
「ジャン、入室の前にちゃんとノックしてくださる? 仮にもここはレディの私室なのですけれど」
「そうですよ。またお嬢さまにジャガイモって呼ばれても知りませんよ」
リリーが呆れ顔で言う。コーデリアは続けた。
「それに新聞なら見ましたわ。ケントニス社もスフィーダ社も、朝刊に治療会のことを書いてくださっていましたわよ。ペルノ社以外は、とても好意的な内容でした」
言いながらコーデリアは机の上の新聞を叩いたが、彼の望む答えではなかったらしい。ジャンが吠えた。
「問題はそこじゃない。聖女ヒナだよ。さっき配られたこれ、見てないのか?」
言うなり、ジャンは手に持っていた書簡をぐいっと突き出した。コーデリアがめんどくさそうに受け取り、巻かれていたミルクティーカラーのリボンをほどいてくるくると広げていく。途端にふわっとスズランの甘い香りが鼻をくすぐった。横から覗き込んだリリーが、すぐさま顔を青ざめさせる。
「……お嬢さま、これって!?」
叫んだリリーの頭を、ジャンが「やっとわかったか」と言いながら、ぺしぺしと叩く。
新聞の見出しにはこう書かれていた。『さる日にちに、王宮で聖女ヒナが無償の治療会を開催!』と。そのあとにはひなの肖像画が並び、どこかで見かけたような文面がつらつらと続いている。つまり――。
「お前、治療会の内容をまんま真似されてるぞ」
ジャンの声が、部屋に響き渡った。
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