第10話 聖女、気付く
「やだ……こんなのやだよ。お願い、国王さまから何か言って!?」
ひながタタタッと国王の元に駆け寄ろうとする。警戒した近衛騎士が前に進み出たが、それを国王自ら手で制した。ひなは目の前の障害がなくなったのを見るなり、ためらわずに国王の膝元に飛びついた。
「お願いです! 国王さまからアイザックさまに言ってください! 子供みたいなわがまま言わないでって……!」
「……私には、わがままを言っているのは貴女の方に見えるがね」
「えっ?」
予想外の返しだったのだろう。ひなの顔がひきつる。
「確かに、貴女と結婚した方が我がエフォール家にとって利点が大きいだろう。しかしアイザックの言うことにも一理あり、何より本人があそこまで強い気持ちを持っているのに、無理強いする気はない。元々王位も、前聖女に選ばれたからこその“借り物”。我々は常に、返還の用意をしているのだ」
(驚いた……! 陛下がそんな風に思っていたなんて……)
王位に対する執着が薄いのは、普通の王位継承とは事情が違うラキセン王国だからなのだろうか。あるいは聖女の血筋か。歴代聖女はみな高潔だったと聞くが、その性質は時を経た今も失われていないらしい。
「そして、今の王である私から言わせてもらうなら、貴女はもう少し社会を勉強した方がいい。仮にも未来の王妃になるのだ。物と違って人の心というのは、ねだれば手に入れられる物ではないのだから」
(全面的に同意ですわ!)
コーデリアは深くうなずいた。
「そんな、嘘……。嘘だよ。こんなの現実じゃない。シナリオがおかしくなってる」
だが、ひなはふらふらと国王陛下から離れたかと思うと、一人で何やら呟き始めた。その姿はいよいよ狂人じみてきており、コーデリアは嫌な予感がした。皆も同じことを考えたようで、誰もが不安そうな顔になる。
やがてぶつぶつ呟いていたひなは、ある一人の人物にうろんな視線を向けた。
――コーデリアだ。
「……そうだ! なんかおかしいと思ったらあなただ。ねえ、あなたならわかってくれるよね? アイザックさまは、絶対にひなと結婚した方がいいよね?」
言いながら、狂気じみた笑顔を浮かべて近づいてくる。まるで、ようやく味方を見つけたと言わんばかりの顔だった。
「よせ、彼女を巻き込むな。同席させるだけと言う条件だっただろう」
アイザックが素早くひなを止めようと立ち塞がった。どうやら、コーデリアはひなによってこの場に引きずり出されていたらしい。
が、ひなはそんな彼を鼻で笑ったかと思うと、アイザックの手を払いのけてすたすたと近づいてくる。
(どうしよう。ここでなんて答えるのが一番いいのかしら!?)
「わ、私は……」
コーデリアは何か言おうと言葉を絞り出した。そのとたん、嬉々としてこちらに駆け寄ってきたひながぴたりと足を止める。それから
「……あれ? ねえ……その声……もしかして加奈ちゃんなの?」
思わぬ指摘に、コーデリアはとび上がりそうになった。
(うそっ!? なんでバレましたの!? ちょっと喋っただけなのに!)
動揺するコーデリアの両手を、先ほど以上に嬉しそうな顔をしたひなががっしと掴む。
「ねえ! やっぱり加奈ちゃんだよね! 顔は……全然違うけど……なんていうかこう、雰囲気? 雰囲気と声が加奈ちゃんだ!」
(顔は全然違うけどの一言がやけに刺さるのは気のせいかしら!)
過去、コーデリアが一目見てひなだと気付いたのと同じように(ひなの場合は顔がまんまひなだったからでもあるが)、ひなの方も加奈だと気付いたらしい。観念するしかない、とコーデリアは思った。
「……ええ、そうです。私は、元・加奈ですわ」
「よかった! 私一人だけ変なところに来ちゃって、どうしようかと思ってたんだよね。ここの人たちってなんか冷たいし、常識全然通じないし……」
そう言って悲しそうに笑うひなの顔を見て、コーデリアがハッとする。
(もしかして、一人ぼっちで心細かったの? ……そうかも、そうよね。ひなはマンガも小説も読まないからこういう文化に詳しくないし、実はずっと辛い目に遭っていたのかも……!?)
原作の
そう思ったとたん、コーデリアはひなのことなどまるで気にせず人生を謳歌していたことに罪悪感を覚えた。咄嗟に
「ていうか加奈ちゃん、その言葉遣い変だよ? なんかおばさんみたい。それより加奈ちゃんならシナリオ戻すの手伝ってくれるでしょ? 知ってた? ここ『ラキ花』の世界なんだよ」
語尾に(笑)でもつけていそうなトーンに、コーデリアが言いかけた言葉を飲み込む。
(一瞬でも同情したのが間違いでしたわ……。そもそもひなはヒロインだし平民女子だから許されるかもしれないけれど、令嬢はこの言葉遣いが普通なんですのよ!)
ひなにも、ばあやを家庭教師としてつけてあげたい。普段の優しさからは想像もできないほど恐ろしいばあやの豹変ぶりに、コーデリアは何度逃げたいと思ったことか。
脳内でばあやに叱責されるひなの姿を想像しながら、コーデリアはこほんと咳払いする。
「ひな、この言葉遣いは全然おかしくないのです。私は確かに“加奈”だったけれど、今はもう“コーデリア”として生きているの。貴女にも“エルリーナ”という名前があるでしょう?」
言外に「貴女エルリーナの名前はどうしましたの!」と問いかけたつもりだったのだが、残念ながら全く伝わらなかったらしい。
「意味わかんない。加奈ちゃんは加奈ちゃんで、ひなはひなだよ? それより、加奈ちゃんもアイザックさまに言ってよ。どっちと結婚した方が幸せになるかなんて、加奈ちゃんなら知ってるでしょ?」
またもやイライラして来たらしいひなが、責めるように言った。コーデリアは言葉を選びながら、慎重に口を開く。
「……政治的には貴女と結婚した方がメリットは大きいですわ。でも、その前に殿下の気持ちを尊重して……」
「ひなは尊重してるよ? だからデートに行こうって言ってるんじゃん。……加奈ちゃんさ、自分がアイザックさまのこと好きだからって引き留めようとするの、わがままだと思うな。原作のコーデリアはかっこよかったよ? アイザックさまのために自分から身を引いててさ。忘れちゃった?」
(……ものすごーくイライラして来ましたわ。ひなってこんなに嫌な子でしたっけ?)
この期に及んで、どうしてコーデリアがわがままを言って皆を困らせているみたいな認識になるのだろう。ひなのあまりに自分勝手な物言いに、抑えていた怒りがむくむくと鎌首をもたげるのを感じる。
「今なら間に合うからさ、ほら加奈ちゃん早くアイザックさまに言ってよ。婚約破棄するって」
その言葉には答えず、コーデリアは決意したように大きく息を吸った。それからまっすぐひなを見据える。
「……私だって貴女たちが両思いなら潔く身を引くつもりでしたわ。でも、両思いどころか、あなたアイザック殿下に拒否されているじゃない」
――その瞬間、ひなの顔が真っ赤になった。
バッとコーデリアの手が乱暴に振り払われ、ひなの体が怒りでワナワナと震える。かと思えば、彼女の大きくて可憐な瞳から、ぼろりと涙がこぼれ落ちた。
「っ! もう嫌! なんなのここ! みんなひなに優しくない! 加奈ちゃんも変わっちゃった! こんなのひなのいる場所じゃない!」
癇癪を起こした子供のようにひなは叫んだ。それから突然声のトーンを落としたかと思うと、今度は虚ろな目で言う。
「……もういいよ。ひな、きっと悪い夢を見てるんだよ。早く目を覚まして現実に帰ろ。この世界を壊せば夢が覚めるかな?」
泣きながらひなは後ずさりした。その目は狂気でギラギラと光っており、とてもじゃないが聖女の姿には見えない。それでも、彼女は紛れもなく聖女の力を持っているのだ。
コーデリアはこれからひなが何をしようとしているのか気が付いていた。拳をにぎり、全神経を集中させる。聖獣に対抗するための魔力をかき集めるために。
「……来て、フェンリル。この世界を全部、壊して!」
ひなの叫びに呼応するように、辺りに突風が吹き荒れた。
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